第七十四話 黒ノ表裏ノ繋ト望不知偽リ
現在調査をしていることの説明と結果を伝えると、穏慈はそれに納得した様子を見せた。この機会にルノさんに穏慈のことを話し、穏慈にも同様に紹介した。ルノさんはその存在に全く動じずに「よろしく」と言って早々と打ち解けようとしていた。
痛む箇所をさする俺に一言詫びが入り、今度は穏慈が〈暗黒〉の現状を話し始める。
それは、怪異の体に異変が起きているという事。変異したり、形を保てなかったりとその進行は様々だが、俺が知っている怪異、顔擬も体が小さくなっているということを聞かされた。
そのタイミングといい、怪異への影響といい、一つだけ思い当たる節があった。
「……まさか、俺たちが青精珀触ったから……?」
『そうか……なるほど、何らかの形で関わっている可能性はあるな』
俺たちが青精珀の守護を働かせたことで、〈暗黒〉へ影響を及ぼしたのならば、俺たちも黙ったままではいられない。
青精珀のことが落ち着いてから、と穏慈に言っていたが、そういう事情であれば急いで〈暗黒〉の様子を見に行くべきだと、すぐに向かうことにした。
「それなら、こっちは僕たちで何とかします」
「うん。私たちに任せて」
「この記を沿っていけば、調査はできる。行ってこい」
申し訳なくも、ルノさんの後押しもあって、俺とラオはその場を教育師に任せることにした。
ゲランさんが使っていてベッドがひとつ足りないため、俺は空きベッド、ラオはソファに寝転がった。
『急いで悪いが、直ぐに向かうぞ』
「あっ、待って! その前にもう一つ……ホゼの居場所をどうにか追う方法ないの? ビルデの話……を鵜呑みにするなら、また何か嫌なこと考えてそうだし」
「おー……そういうことなら、俺がやってやってもいいぜ」
教育師に無理を言うようだが、ホゼの次の手が分かるならこちらの行動も決めやすくなる。そう思っての提案に乗って来たのは、俺の中で思いもよらなかったゲランさんだった。怠そうな体を起こして俺たちに目配せをする。
「良いんですか? まだ体調戻りきってないでしょう」
「お前が俺を気遣うと気持ち悪ぃな。寝てるだけなのつまんねーし昨日よりはましだ。起き上がるくらいできる」
当然のように話が進んでいるが、今どこにいるかも分からないホゼを探すというのは骨が折れる話だ。それを平然と受け入れるということは、それなりに自信がある方法を知っているらしい。
「追う手は持ってんの?」
「たりめーだろ、俺が使える手で探ってやろーじゃねーの。俺の実力を見てびびんなよ。早く行け」
「行ったら見れないんだけど」
どんな手でホゼを追ってくれるのかは気になるが、とにかく今は〈暗黒〉の様子を確認するのが先決。ゲランさんの怪我の度合いを考えれば無理を言っているのも承知の上だが、その表情を読み取ってか、「任せとけ」と頼もしい言葉をくれた。
「ガキらしく素直になってろ。俺がやるって言ってんだぜ」
ゲランさんの快い言葉に一同が気持ち悪がる中、追跡が可能であるならと改めて頼み、俺はラオと共に〈暗黒〉へ堕ちた。
△ ▼ △ ▼
青郡の外れにある森の中。炎の使い手の青年は、魔物を呼び出し、うろうろと落ち着かない様子で移動を繰り返していた。
「あー……つまらぬ」
指を鳴らしながら、怠そうに口を開く。レザーの手帯を着けた手からは小さな熱をもった赤い炎が出たり消えたりを繰り返す。ただただ暇な当人は、魔物と共に暇を潰していた。その中、魔物がピクリと何かに反応したのとほぼ同時に、彼もまた、近づいてくる“殺気”に気付いた。
「……何奴かおるな。丁度良い。吾の暇潰しになってもらうとしよう」
手に炎を携え、腕を思い切り殺気を窺える方に向けて振るった。そこには、協力を強いて拒絶されたために殺してもいいという言を受けた、あの男がいた。その男の右耳は、垂れる横髪で見えないだけかと思いきや、耳自体がないことを、青年は見た。
「みぃつけた……」
『……全く諦めの悪い。吾の魔物は全て倒したか』
「リーダーに協力しなかったこと、後悔しろ!」
目を光らせ、ニヤリと笑む恐ろしい顔で、立っていた。
どうやら追うように言われたのか、その男は青年の前で目を見開いて高笑いを見せた。一頻り笑うと、次いで背に担いでいた長めの銃のような武器を取り出した。
「おら、オレから逃げ切れると思うなよ!」
「……チッ、面倒なものを持ちおって」
肩に構えると、躊躇なくその両方の引き金を引いた。弾は音速に近く、目で追うのも精一杯なほど─いや、追うこともできない。しかし青年は、するりと避けて炎の拳を握る。避けたことに男は驚いたが、それもまた面白いと、口が裂けるほどに笑んだ。その武器ならばと青年は低い姿勢で男に接近し、銃口が己よりも後方に向くように距離を詰め、武器を掴んで封じ込んだ。
「撃てねば脅威でも何でもないじゃろう」
男の腹に掌を当て、腕を振り切る力を入れれば、男はそのまま突き飛ばされた。距離にして約三十メートルといったところだろうか。余程力が込められていたことが分かる。男はその場で倒れ、少しだけ体を起こして青年を目で捉えた。
「長いものも役に立たぬ時もあるんじゃ」
「……ははははは! 面白ぇよお前ぇぇえ!!」
男も負けず、すぐに立ち上がると銃を連続で放ち、避けきれないほどの弾が青年を襲う。それにもかかわらず、弾は一つも青年を掠ることもなく、むしろ炎に包まれ地に落ちていた。
「まさか溶かすとはねえ……」
笑いながら鋭く睨む男。それに応えるように、青年は口を開いた。
「吾の戦力は上級魔にでも匹敵するじゃろう」
─魔系族と言われる一族の“生贄”。黒い炎を身に宿す、人型魔界妖物の成功型の一人だ。
そう自らの正体を暴露すると、手にはめられているレザーの手帯を口で外す。それを合図にするように、拳にある炎は黒く輝き始め、これまでとは正反対の冷気に包まれた炎周囲に撒き散らしていた。
「へえ成る程、その手帯は制御用ってわけか。いいねぇ、もっと早く殺りたかった!」
「ふん。いやしかし、何じゃこれは。物がないが?」
「……それ気付いちまうのか。その通り、実弾は入ってねーよ。上級を自称するだけのことはあるってわけだ。じゃー不利だから使わねえ……こいつで行くぜ」
太陽の光で刃が輝く。男が出したものは、小型で収納されていたが、それは本来の形、大型の戦斧の姿を見せた。本来は刃はこれほどまでに大きなものではないのが普通なのだが、それには銃口のような穴もつけられており、いくつかの性能を持つ武器が混合されたものだろうということを分からせた。
「こいつならイケんだろ!!」
鈍く重く、耳を劈く音が響き、耳を押さえる青年は、たまらずそこに身をかがめた。その耳からは、つぅと赤い液体が流れ出る。それほどの衝撃が耳にかかったことを知らせていた。
「ひひっ、その身を血で飾れ!」
地が揺れる。恐ろしく、勢いに任せて。しかしこのままで終わる青年ではない。その手に宿した黒炎を振りかざし、流れる血に構わずに男に殴りかかる。その速さは尋常ではなく、男が一度瞬きをした瞬間に、すでにその拳は男を地に叩きつけていた。その弾みで、男はさらに転がって行った。
「ぐぅっ」
「さっきまでの威勢はどうしたんじゃ。そんなに多様な武器を持たねば戦えんのか」
青年が挑発すると、男は足をついて青年と目を合わせる。叩きつけられて痛む体を押さえながら、なおも戦斧をもつ手に力を込める。
「へぇ、思った以上だ。仲間になってくれたら心強いなぁ」
「はっ、無差別な輩は嫌いじゃ」
青年は両手の黒炎を合わせ、巨大化させる。するとそれは、人が二人は入りそうな大きさになった。
それに圧倒された男は一歩身を引くが、そこから立ち去る気配はない。青年はその黒炎を地に撒き散らし、「行け」と言葉を紡ぐと魔物が数体そこに姿を現した。
「吾を見くびったのは間違いじゃったのぉ?」
「あぁ……本当だよ!」
出てきた魔物に構わず戦斧を振り回し、男は青年に斬りかかる。それでもギリギリで跳ねて避けた青年は、着地する際に一度手を使った。ニヤリと笑む彼は、再度魔物を呼ぶために呟く。
「げっ、でか!」
行け、と命じられているそれは、真っ直ぐに男の方に向かう。その大きさは男が完全に影の中に入り、その向こうが全く見えないほどだったが、男もまた静かに笑む。すると、その大きな魔物は場から動かなくなってしまっていた。
「!? どうした……!」
「お前も、相手をナメてんだろ……人型魔界妖物」
「チッ。おい、何をしておる」
炎が更に大きくなると、青年の周りには多数の魔物が集まった。普段見せないほどに険しくなった青年の顔に、魔物たちはたじろぐ。青年の指は男を示し、冷徹に言った。
「焼かれとうなければ、あいつを噛み砕け」
再び地面を黒炎で焼くと、先ほどから動きを止めている魔物の方へと走るように迫った。その黒炎は容赦なく魔物を焼き、用済みだと消したのかとさえも見れたが、魔物は突然動き始めた。
「いい加減にしろ。踏み潰せ」
「!」
『グルグルグル』
おっと、と避ける男は体勢を立て直し、魔物を先に始末しようと行動に出た。青年はガシガシと頭をかきむしりながら、ため息をつく。「面倒だ」と言いながら、青年は黒炎を起こし、己と男との間を焼いた。
「……またかよ、前置いてった時どんだけ苦労したか。けどこんなもん……」
男は青年を逃がさないために、黒炎をどうにかしようと動き始めた。男は笑み、それを戦斧で横一直線に斬り、一瞬勢いの弱まる間を作る。しかし、普通の炎であれば分からないが、黒い炎は特殊な能力。その特殊を見せつけるように、男の存在を追った。それには驚いたようで、すぐに距離を取るもなおも男を追い回す。それの意味は、すぐに悟られた。
「てめぇ操ってんのか!」
「吾は確かに魔の者……しかし、人型魔界妖物と言ったじゃろう。元は魔物、それが人と融合したのが吾。魔物の使役は勿論のこと、備えられた力は炎を自在に操る力……貴様など、吾にとって敵ではない」
離れていながら黒炎を操る青年は、同時に魔物を誘導し、避けながら動く男を押さえつけた。
これでもかという程の魔物で動きを封じると、男は抵抗すら見せなくなった。
「塵にもなれぬかもしれんが……仕方ないよのぅ」
「……はっ、終わると思われちゃあ困るんだよ」
途端、ぐにゃりと青年の視界が歪む。直ぐに元に戻ったが、一瞬気が緩んだせいで黒炎は男の目の前から消えていた。迷う間もなく、魔物を男から遠ざけ、未だそこにある黒炎を挟んでそれを睨んだ。
「……貴様、名は何という」
「あれ、言ってなかったっけ? 覚えても意味なんかねーだろうけどな……教えてやるよ、人型魔界妖物。オレの名は───シンマ」
その名を聞いた瞬間、青年の顔は引きつった。そして、冷や汗を流した顔で、無理やりな笑みを作る。明らかな警戒心が露わになった。
「貴様……その名は、……何故生きておる」
「……へぇ、俺を知ってたか。そう聞くってこたぁ、当事者の一人か」
「くっ、分が悪い。貴様ら引くぞ!」
黒炎の冷気を盾に、青年は魔物を引き連れて場を去ろうと走る。その背中に針がいくらか刺さるほどに、ピリピリとしたものが伝わる。
「追ってやる、当事者ってんなら、尚更な……!」
冷気のお陰で命拾いができた青年は、気配を消しながら、しばらく走ることをやめなかった。
その額には、首元には、異様なほどの汗。そして異様なまでの喉の渇きを感じながら、青年はある場所に向かった。
△ ▼ △ ▼
「ヴィルスか……。こいつただ者じゃあねぇとは思ってたが、まさかこんな奴だったとはな」
ルノは腕を組み、眉間に皺を寄せる。判明してきた、“ヴィルス=ザガル”という名の元管理官のことを調べているうちに、とんでもないことが分かった。
「……偽名、だったんですね」
「そうみたいね。もう、いろいろ混乱させてくれるのやめてくれないかな」
はぁ、と頭を抱えるソムを横に、調べて判明してきたことを纏めようと整理する。その中で、経験も浅い頃、今の屋敷長に聞いたある言葉が脳裏に浮かび、深く考えもせずにぼそりと呟いた。
「……真迷い」
その声を、ルノは逃さなかった。
「ん? 何か知ってるのか」
知っている、という程のことでもない。ただ、偽名のまま世を去ったこと、〈暗黒〉の鎌を盗んでいたこと、そして、そのことを、現屋敷長が管理している時に屋敷に入ってきたラオ君が知っていたこと。もちろん、ラオ君がどういった経緯で知ったのかと疑問な点もあるが、ヴィルスが亡くなった時期や、鎌が盗まれたと言われた時期。それらが完璧に分かるのであればと、すべてを考えて僕の頭の中で纏まったものだった。
「一つ聞きます、ルノ。ヴィルス管理が亡くなったのは?」
「管理官から降りた翌年。十一年前だ」
「……考えすぎかもしれない。いや、何でもないんです。今のは聞き流して……」
「いや、お前が考えて出た言葉だ。その“真迷い”のことで知っていることがあるなら教えてくれ」
「……分かりました」
ルノの促しで、僕は今いる面々に向かって話す。詳しく知っているわけではないものの、屋敷長に直接聞いた言葉だ。記憶をたどってそれを伝えればいい。
─しかし、一同はまだ知らない。
この“真迷い”は、浅いうちはまだしも、多様な条件が重なり、深まれば深まるほど恐ろしい、そんな現象であるということを。