第七十三話 黒ノ刈ノ効ク能力
広間に入ってウィンがこちらに気付き、まず俺たちの髪が少し濡れていることに触れてきた。もちろんウィンも俺が金槌だということは知っているため、俺が泳げたのかどうかを尋ねられる。ウィンにとっては良い意味で、期待を裏切らなかった。
「俺……伸びが美しくなっちゃって」
「え? 伸びに美しさってあるの? 浮くだけだよ」
「あはは。そっちは? もう講技は終わってんの?」
聞くと、基本クラスの講技は終了し、代わりにあの女性教育師がもつ特殊クラスが、簡単な講技のために集まっているという。解散となったクラスの中でウィンだけをここに残しているということは、ウィンにもあのお守りとやらの使い方を教えるつもりがあるのだろう。
「あ、ルノとオミはいないんですか?」
「書庫にはいなかったから、ウィンちゃんだけ呼び止めたの。ノームにしっかり自然魔を教わってたし、問題ないよ」
「そういうことなら、予定通り僕が小瓶の使い方を教えましょう。ソムもついでに知っておいてください」
ガネさん自身が小瓶を取り出し、俺たちからある程度距離をとると「見ていてください」と言って、小瓶を投げた。次いで、重力に従って落ちていく小瓶を狙って、剣で綺麗にそれを斬った。
その行動に少々驚きはするものの、ガネさんは何ら変化なく俺たちを見た。
「……これが、この砂の力です」
剣を前に出して、その手にぐっと力を入れる。すると、どうだろう。怪しく、しかし美しく、どこか淡さを控えるように、輝きが伸びていった。瓶の中に入っていた砂のようなものの実態に興味を惹かれる。屋敷長が言っていた「気休めにしかならない」「剣術屋敷ということを忘れるな」という言葉の意味をここで理解した。
「この小瓶の砂は、豊刈と言って、武器や能力の性能を一時的に上げてくれます。身近なもので言えば、ザイ君やラオ君の武具が能力を発揮する時と同じです。もっと分かりやすく言えば、能力値が八十のものとした場合、九十、百と数字が上がるわけです」
ガネさんは竹剣を一本持ってくると、それに向かって自分の剣を思い切り振った。すると、その竹剣は綺麗な断面を見せてぱっくりと二か所切れていて、バラッと床に落ちた。性能が一時的に上がるというだけのことはあり、切れ味抜群だ。ただ、扱っているのがガネさんならば、そもそも雑には切れないだろうが。
「……めちゃくちゃ分かりやすい例えと実践だった。これが使えたら、確かに便利だね」
「でも、武器じゃない場合は? ウィンの自然魔とか」
すると、待ってましたと言わんばかりに、ガネさんはウィンを近くに呼ぶ。ウィンがソムさんに押されて前に出ると、今度は俺たちにもう少し離れるようにとガネさんが言ったため、その言葉に従って、十分な距離を取った。
「ウィンさんは自然魔を使用する時に役立ちますよ」
「どういうことですか……?」
「自然魔を発する時に、少量でいいので手にかけてください。ノームに教わったもの、何でも良いのでやってみてもらってもいいですか?」
そう言うと、ガネさんも俺たちと同じくらいの距離を取り、真ん中にウィン一人が立つ状態になっていた。ウィンは不思議がりながらも手にかけられた豊刈を見つめ、桃色の玉石を両手で持った。
「じゃあ……【灯竜】」
ぶぉんっ、という音が聞こえるほどに勢いよくそれが起つと、回転しながら、灯を纏い、徐々に広がっていく。広がりながら竜のような生き物が象られ、炎にも負けないくらいの熱をもち、離れている俺たちにもそれは伝わってきていた。もちろんウィンは思いもよらなかったようで、その力に驚いていた。
「えっ! さ、下がって! 動きが……っ」
「あっつ!!」
その竜は暴風を起こすほどの旋回をし、広間自体も揺れたために、ガネさんはウィンに止めるよう促した。素直に従ってすぐにそれを落ち着かせようと、きゅっと玉石を握りながら「鎮め」とだけ言うと、それは空気に溶け込むように消えた。
「……すげ、そんなことになるのか」
「ザイヴ君、髪の毛ボサボサよ」
「そういうソムさんもボサボサだよ」
今はこんな冗談で済んでいるが、それほど強力だったということだ。もともとのウィンの力を直接見たことはないため何とも言えないが、ラオの服が少しだけ焼けていることに気が付くと、ウィンが慌てて謝りに来ていた。
「ご、ごめん。自然魔自体は抑えたんだけど、あの砂で思ったより灯が舞っちゃった……」
「いや大丈夫。ウィンすげーな」
その豊刈が及ぼす増強のほどは、今この目で確認することができた。“抑えて”今の力ならば、ウィンが加減しなかったらもっと暴走する力が舞っただろう。貰った小瓶の正体が明確になった今、俺たちはゆとりができて安心した。
「とにかく、武器にもこれを纏わせれば同等の力になるということです。もし使わずにいられない場合は躊躇わず使ってくださいね。あとは各々、ごゆっくりどうぞ」
ガネさんからの解散の言葉で、俺とラオは自室に向かって足を進めていた。その途中、先程目にしたウィンの力についての話題になるのは避けられなかった。俺たちが知らないところで、ウィン独自の能力を向上させていっている。ゲランさんの胸の傷の具合を多少でも回復させたのはウィンだし、きっとこれからも伸びていくのだろうと。
「それにしても、ウィンも成長してんなー」
「いやー凄かったね。自然って怖ぇ」
「あの目見た? すっげー綺麗になってんの可愛いー!」
能力に驚いているのかと思ったが、俺が思ったような言葉ではなくウィンの目についての感想を続けて述べ始めた。あのオレンジ色の瞳がとか、灯で見えた目の輝きがとか。間違っても俺がラオから聞きたかったのはそんなことではない。
「お前見るとこちげーだろ! ウィンの目はいつでも綺麗だろなめんなよ! そうじゃなくて自然魔の話だよバカ!」
「俺が言うのも何だけど、ザイも結構見てるんだね」
ラオの発言はともかく、あの目で自然を見て、知って、能力に変えていく。間違いなく、ウィンは逸材だろう。
「はーそれにしても疲れたー。ラオが元気そうなの腹立つー」
「うそ、俺のどこが元気なのか教えてよ。青郡にも行ったし水中講技も受けたし、豊刈のことも教えてもらったし、盛りだくさんだったから、今日はもうゆっくりしよ」
思い返せば、今日は色々ありすぎた。青郡で得た青精珀のことも報告しそびれているが、そのことはまた明日にでも話せばいいだろうと、疲れた体を早めに癒すべくそのまま食堂に向かった。そこでいつもより多めの食事をとり、まっすぐ部屋に戻るとすぐにシャワーを浴びて、即座にベッドに潜り込んだのだった。
翌、朝を迎え、今日の講技が休みになったという報告が来たため、俺はラオの部屋をノックして勝手に開けて入る。すると、ラフな服を着た部屋の主が、眠たそうな顔で俺を出迎えた。
「おはようザイ……ふああ」
「はよ。講技休みみたいだから、青精珀のこと伝えに行こうと思って」
「あー……そうだね。ちょっと待ってて、着替えるから」
部屋に入って待つよう言われ、部屋に入ると適当に座ってラオの身支度が整うまで時間を潰す。とはいえ、ぼーっとしながら綺麗に整頓された部屋を見渡すだけの時間。その中で、いつもと違うことに一つだけ気が付いた。
「……ねえラオ、部屋の匂い変わった?」
「おー、さすがよく部屋に来るだけあるなあ。少し前に片付けをした時に出てきた馥郁瓶があってね、昨日疲れてたし、寝る前に出してみたんだよ。落ち着く匂いだろ?」
「うん。これいいね」
「クレナイさんのお店で買ったはずだし、また行こ。……よし、ザイいいよ。ガネさんのとこが良いかな」
着替えたラオが部屋の扉を開けたのを見、俺もそれに続いて部屋の外に出るためにその方に向かった。
「ガネさんいるー?」
さすがに相手がガネさんということもあり、ラオの時と違って勝手には入らず、ガネさんの自室の扉をノックしながら応答があるのを待っていた。間もなくノブが回る音が聞こえ、ギイと隙間ができていく。反応があって良かったと思ったのも束の間。
「チッ……うるさい」
「わーっ!!!」
「あーっ!!!」
表現できないような顔をしたガネさんが出てきたわけで、俺とラオは体が跳ね上がった。いつものガネさんがいつものように出てくると思ったのが、ここまで脅かされるとは思っていなかった。
「はぁ……君たちですか。失礼しました……」
謝っている割に、その顔が明るくなる様子がないため、一度リセットしようと閉めてみた。そして再び静かに扉を開けてみると、先程よりも機嫌の悪さがグレードアップしているガネさんが目に入った。
「ふざけてるんですか……用事があるのか無いのかはっきりしなさい、焼き上げますよ」
「あるある! 用事あるから! ガネさん怖い!」
時間は初の三時。こちらもこちらで寝不足気味ではあるが、ガネさんにしては俺よりも遅くまで寝ていたようだ。着替えるのを待ち、用件を話すと俺の事情を知る面々を集めるために行動を始めた。集合場所は、ゲランさんがいる医療室だ。
昨晩見当たらなかったルノさんやオミの姿も確認し、豊刈を使った時にもいた全員が集まった。各々時間を割いて俺たちの話を聞くために、嫌な顔をせずこの場で顔を合わせてくれている。
「ガネ寝不足か」
「……疲れが祟ったんでしょうね、お陰様で立派な隈ができてます」
今の顔色を本人も自覚するほどだが、俺たちが訪ねた時は、今以上に恐怖を植え付けられる顔だった。あの衝撃は、正直夢に出てきそうだ。
「少年、何か分かったのか?」
「……オミ、名前で呼んでくれない? 恥ずかしい……」
「そんな話は後だ。……それで?」
呼ぶ気がないのか、俺の言葉は流され、本題の青精珀について得た情報を報告した。
〈暗黒〉に関係している可能性が極めて高く、〈暗黒者-デッド-〉ならば弾かれずに触れられることや、実際に見た守護の働き。一つも逃さないよう、昨日の記憶を漁りながら。
「成る程、それなら頷けるな。俺らに解明できないわけだ」
ウィンには難しかったか、一瞬首を傾げていた。逆にルノさんは頭を縦に軽く振り、納得の様子を見せ、「それで?」と次いで聞いてきた。
青精珀には関係ないが、もう一つ、俺たちが考えもしなかった人物との接触の件も報告する。
あの時はガネさんも一緒に青郡にいて、直接その人物と会っている。できるだけ細かく、良い印象を持っていないガネさんが納得してくれるように話を進めた。
「……てわけで、味方についてくれるらしいんだけど……ビルデが」
「倒置法使わなくて結構です。つまり、君と死闘するのは自分で、ホゼは邪魔だし気に入らないから加勢するというんですか?」
「うんまあ、そういうこと」
「はぁ、まあ無駄な争いはしたくありませんしね。……但し」
ふとガネさんの気配が変わったことを察知した。無駄な争いこそしたくないが、気に入らないのだろう。明らかに目つきが違っている。
「彼が君たちに危害を加えようとした時には、どういう理由であろうと抹殺しますよ」
「うわ、相変わらずだな……」
そんなガネさんを、ルノさんが宥める。言わずともガネさんの機嫌は落ち着いたが、言い分も分かる。加勢はありがたいが、俺たちにしてきた布告はまだ生きている。そんな者の力を借りるのはいかがなものかと。しかし、直接ホゼと接触したビルデは、その経緯からホゼの戦力となることはまずないだろうという判断から、教育師たちは観察対象ということで纏まった。
「そうだ、こっちもこっちで面白いことが分かったぞ。オミ、あれ出してくれ」
「! あぁ」
念のために持ってきていて良かった、と懐から何かを取り出した。そこに入るほどのファイルで、ルノさんがそれを受け取るとあるページを開いて俺たちに見せた。
「何これ?」
「屋敷長に貰った書類の写しだ。原本は持ち出し禁止だからな……写しも少し無理を言ってしまった。これは、前屋敷管理者、ヴィルス=ザガルの時の記録だ」
そんな記録があるのかと感心し、それを受け取る。意外と量があり、どんな記録があるのか興味をもたせていた。
「へー、屋敷ってこういう管理もしてるんだね。ていうか、今の屋敷長って何十年もいるわけじゃないんだ」
「まあ、変わってからだと十二年目か。ザイヴ君、そのページに目を通してみろ」
俺がそれに応えて目を向けると、ラオやガネさん、ウィンもそれを覗き込む。読み進めるとヴィルスという名の者が“管理官”という名の屋敷長だった頃の史乗が長々と綴られていた。その中で、どこか聞き覚えのあるようなフレーズが書かれた文を見つけた。
「……暗き場をもたらすは地、地をもたらすは暗き場……? ……う」
「? どうしました?」
どこかで聞いただろうかと考えていると、突然異様な気配を感じ、同時にもやりとしたものが心の内を支配した。しかし、その気配は恐れることはない。知っているものだ。
『遅い!』
「ぶばっ」
そうして登場した穏慈は、俺をピンポイントで叩き倒し、俺の周りにいた三人は分かっていたかのようにうまく避けていた。
「ザイ大丈夫?」
心配する声を掛けてくれるのはウィンただ一人。ガネさんもラオも倒れた俺に手を伸ばす様子はない。勝手に出てきたと思ったら俺を叩き倒した穏慈も、俺に『待った』だの『急ぐ』だの言い出す始末。余裕ができたら〈暗黒〉に行くと言ったのに待てなくなったようだ。
「痛ぇな! 会ってすぐそれはねーだろ!」
『あの時は少々余裕があったから良かったものの、まずいことになった』
俺の状況はお構いなしだ。無理やり〈暗黒〉の話に持って行く。しかし、そのお陰で先程の文が示しているだろうもののことに推測が立った。
「〈暗黒〉のことか!」
『は? 何の話だ』
「これ。急いでんのは分かったけどちょっと話聞いてよ」
ど突かれた拍子に落としたファイルを広げ、穏慈に見せる。すると、案の定食いついてきた上、詳しく説明しろ、と言ってきたため、俺たちがしていた話を要約して穏慈に伝え、この記録に関しては分かる限りの詳細をルノさんとオミに任せて話をした。
......
闇の中で、怪異が集まっていた。その場には、ある“問題”のために動いていた吟と薫、加え、顔擬と秀蛾がいた。ただ一つ異なることは、ある怪異の体に起きた変化だった。
『がんぎ、ちいさくなってる』
秀蛾のその声は、高く幼いまま。それが指す、一見変わっていないように見える顔擬は、形態変化をしている様子が窺える。身が小刻みに震え、共に行動している秀蛾がそれを察している。また、吟も、今の状態には手を焼いていた。
『何とかならんのか、吟』
『……私モ対処ハ……シテイルガ……原因ガワカラヌイジョウ、ドウシヨウモアルマイ。シカシ……コノママデハ、能力ヲ失イカネン……』
『たくさんのかいいが、こんなかんじ?』
『アア……気ニナルノハ、ココニ異変ガ、ミラレナイコト……』
それを聞いた薫は、どういう事だと吟に尋ねる。それに返されるのは、『空間は汚れていない』という吟の能力で分かる〈暗黒〉内の状態だった。そして、そういうことならば人間たちのいる世で〈暗黒〉に関係する何かが変化したのだろうということも考えられたが、彼らにそれを知る術はなかった。怪異にできないことならば、できる者が力を貸さない限り、この事態は動かないことを、場の怪異たちは知っていた。
『……〈暗黒者-デッド-〉が必要、か』
『おんじ、まだかな。このままじゃ、がんぎのかいいのちから、なくなっちゃう。つなげない。ぼろぼろ』
そうなることは避けたい場の怪異たちは、〈暗黒者-デッド-〉を迎えに行った穏慈を、まだかと待っている。
それが意味するものは、このままでは怪異が消えるということ。それは、〈暗黒〉の存続に危機の手が迫っていることになる。