第七十一話 黒ノ闇ノ瞬キト身ヲ保ツ術
青精珀を前にビルデと再遭遇した俺たちは、ビルデを追い返すために武器をとった。しかし、奴の手を炎が包んで俺たちに向かって来たと思った矢先、青精珀が強い群青色の光を纏い、ビルデの炎も、俺たちの武具も、鎮化させてしまった。
どうやら青精珀の守護が働いたらしいという推測の元、一人武器を手にしているギカも、それを素直に仕舞った。その場にいる者の戦意は、損なわれていた。
「ふん。下手に戦えぬのが分かった。まあ、吾も元より穏便に済ませたい。頼みとして、吾の話を聞いてもらえんか」
先ほどまで協力を強いる発言だったのが、“頼み”に引き下がった。俺たちに合わせた言葉を選んだのか。その対応から、害にはならないだろうと俺は頷いた。
「早速じゃが……以前、貴様が吾に仲間かと言っておった奴に出くわしたんじゃ」
「……あ、ホゼのこと!?」
「自ら名乗っておったし違いない。そやつは、吾に貴様を連れてくるよう交渉して来おってのう」
「お前に……? 何で」
俺たちが接触していたことを、知っているとでもいうのか。ビルデは腕を組んで、頭を横に振っていた。
「おそらくは、吾の存在を知ってのことじゃろう。貴様との関係性を把握しておるような話し方ではなかったわ」
「そいつ、今何してんだろうな」
「さぁ。でも、前に俺たちが乗り込んだ崚泉にはいないと思うよ」
「乗り込んだ? アグレッシブなことしてんな」
もちろん俺が浚われたことは話していないため、その事実はギカには伝わっていなかったが、ラオがそう口走ったおかげでギカに届いてしまった。俺の後方で行われている会話はさておき、ビルデもホゼとの接触であったことを教えてくれる、という。
「ていうか、お前の存在って?」
「それはまた追い追いな。吾もつい、奴の前で貴様のことを滑らせた。途端に形相が変わってのぉ」
......
「……あぁ、あの鎌の奴か」
「何? 貴様、ガキどもを知っているのか」
「……では、吾からも問うぞ。貴様と吾は何の面識もない。何故吾に乞う。そんな奴の頼みなど、吾が虚飾なく受ける気にはならぬわ」
ある時ある場所で、魔物を従えてぶらぶらと歩いている最中に、吾はその男と遭遇した。遭遇とは言うが、もちろんその男が接近した際、只ならぬ気配には確かに気付いていた。まさか、見ず知らずの吾に用があろうとは思わなかった。
そんな男に迂闊に口を滑らせてしまったのは、吾の失態だった。
「貴様は只者ではない。その腕を見込んでわざわざ来ている。知り合いなら容易かろう」
「……ふん。貴様にとる利得は知ったことではないが、吾を使うなら相応の対価が必要じゃろう。まあそもそも、服属など万死に値する。何を言われようが揺さぶられることもなかろうがな」
男は吾が魔物を何体も使役することを指摘し、隠す必要性もないそれに肯定の答えを返せば、「魔物をやる」と続けた。確かに、ザイヴたちに消された数分減少している現状─半減はしているだろう。
少々の魅力は感じるものの、吾にとっては安い文句だ。付き合えるような交渉ではない。
「……つまらん。他をあたるがよい」
「……おい、もう殺れ」
その拒絶は、男のスイッチだった。一人を呼び出すと、どこに控えていたのか若い身なりの男性が上から地に降りてきた。
「好きなだけ暴れて良い」
「良いねぇ……久しぶりに血が騒ぐぜ……」
「……争いたくはないのだがなぁ」
手帯を口で外し、横に浮いている魔物がそれを咥えて消える。炎を翳せば、ボッと爆発音が渡り、吾と男たちの周りを零下の炎が囲んだ。
─これが吾の持つ炎の能力の本当の姿。矛盾をもつ炎は、通常と異なる力を発揮してくれる。その炎を目に焼き付けた若者は、戦いに対する歓喜のようなものを表す高揚した声を出した。
しかし、争いは早々には収束しない気配を見せている。こんな者どもにわざわざ時間を割くほど吾の気は向かない。
零下の炎は盾にもなる。それを利用して、魔物に託してこの場を凌ぐ算段だ。
「……おい、いいな」
『ギャウ』
『グゥ』
─楽しむがいい、吾がこの場より去るまでな。
......
「去り際に、再度念を押されてな。何やら貴様は生命を脅かされているようではないか」
ビルデが俺の目の前に現れた経緯は分かった。それに、ビルデがホゼと遭遇し、反発した上で「協力しろ」と言っているあたり、話に乗ったわけでもなさそうだ。俺の命がかかっていることを知ったビルデは、面白い、と言わんばかりの顔で俺を見た。
それを見てか、まだ信用に至らないラオの声色が変わった。
「じゃあ何で、ザイを連れて行こうとした?」
「殺気立つな落ち着け。吾が宣戦布告をした奴を他者に奪われては気に入らん。ついでにあれを殺したくて仕方ない……全てにおいて気に食わん……」
「本当に、殺しに来たんじゃないんだな」
「あぁ、ザイヴには確か言ったぞ。殺しはせんと」
それは事実だが、本当に何を考えているのか読めない奴だ。
今の話を聞いてようやくその言葉に納得できたが、よく説明もないままに強行しようと思ったものだ。
「おい炎バカ」
「ビルデじゃクソガキ」
「ややこしいことすんじゃねぇ」
「あー……まあそこは詫びいろう。気に食わんが、面白くはなりそうじゃしなあ。貴様を散らすことは先延ばしにしてやる。近くまた会おうぞ、ガキども」
あっ、と声を漏らした時には、ビルデは場から消えていた。そういう場を見ると、益々ビルデが何者なのか気になる。普通の人間であれば、こうして消えることは難しいはず。それどころか話に出てきた零下の炎というのもただの能力や、自分の存在について仄めかした点には引っかかる。
今回敵ではない、ということが分かったまでは良いものの、不思議な点が多いことに変わりはなかった。
「……あの炎バカ何だったんだよ」
「分かんないけど、とりあえず帰ろう。ガネさんたちに知らせた方が良い」
ラオのその言葉に従い、ギカに見送られながら青郡を出た後、穏慈を呼んだ。
その一連のことに慣れてきた俺たちは、穏慈の協力で日の高いうちに無事屋敷前まで戻ってくることができた。
俺たちを降ろした後、穏慈は『今からでも〈暗黒〉に来ることができないか』と尋ねてきたが、申し訳ないことに俺たちにそんな余地はない。ただ、青精珀の力が〈暗黒〉に関係している可能性があることだけは伝えた。
『そうか……いや、それなら一段落してからでいい。力を借りたい』
「うん、ごめんな。もう少し待ってほしい」
『心得ておる。事についてはその時知らせよう。その青精珀のことも可能な限りな』
「ありがとう」
今事情を言わない、ということは急ぎではないと取ってもいいだろう。穏慈が場を去ったことを確認し、俺とラオは屋敷の大玄関をくぐった。
それぞれ行動を分担したため、動きを把握できない俺たちは、最後に集まっていた医療室に行くことにした。
その部屋に入り、目に捉えたのはゲランさんただ一人だけだった。
「ゲランさん、お、起きてる?」
背を向けて横になっている彼に恐る恐る声を掛け、状態を確認する。すると、唸りながら向き直った。その目が俺たちを確認するのと、大きなため息が聞こえてくるのはほとんど同時だった。
「んだよてめぇら戻ったのか……」
「何でそんな雑なの」
「別に、早く快方に向かわせるために寝てたから」
「……何かごめん」
休んでいたところを起こしてしまい、少し機嫌を損なわせてしまったかと動揺した俺たちだったが、その考えが一瞬で取り払われるに足りる顔で、思い出したように俺たちに言葉を向けた。
「そういや、今ガネたち講技してるはずだから行きな。広間にいんだろ」
「え、あぁ……。そっか、俺たちほとんど出てねーもんな」
「さすがにこの前の補技訓練免れたのは奇跡だし、まずいかもね。行こうか」
青郡での報告も必要だが、また集まった時に伝えた方が効率的だと判断し、ゲランさんのその言葉を聞き入れて広間に向かった。
竹剣が交えられる音が聞こえる場、広間では、ガネさんとソムさん、それに女性教育師一人がソムさんに加わる形で指導していた。ウィンもいるところを見ると、どうやら基本クラスと合同で行っているらしい。
その初めて見る顔は、垂れ目で眼鏡を掛けている。その教育師を「ノーム教育師」と呼ぶ声が聞こえた。
「あ、ザイちゃん!」
それに混ざるように、いち早く俺たちの存在に気付いて声を上げたのはユラだった。いい加減呼び方に対するメーターが振り切りそうだが、相変わらずだった。
「その呼び方嫌なんだけど」
「せっかく入って来たザイちゃんがいねーの寂しかったなー」
「話聞けよ」
俺の言葉を聞いているのかいないのか、癪に障った。おかげで突っ込む気力も無に等しい状態だ。
「つか、割と久しぶり? ずーっといなかったじゃん」
「……まあ色々あって」
「ユラ、最近どんな感じなの?」
苦笑いで誤魔化すが、痛い目線も所々から浴びていることは分かった。ラオが話を捩じ込んでユラの話題も変わったが、応用に上がってすぐの頃に指摘を出した数名も、じとりとした目で見る。俺に起きていることを知らないのだから、当然のものだ。
「何ですかこの空気。君たちもその現場に多少居合わせたでしょ。あの後、君たちと違って彼らは真っ向からホゼの襲撃に応戦してくれていたわけですが、文句のある人はいますか?」
ガネさんの一喝で無理やり納得したか、あるいは現実を見たか、屋敷生たちは黙った。
「まああっても文句は聞きませんが。これなら全員揃うので、応用クラスは一時解散して、恒の四時から水中講技をしましょうか。泳げない人も来ましたからね」
ガネさんは俺たちにフォローを入れてくれる。その言葉に感謝こそするが、その後に続いた言葉は俺には聞き逃せないものだった。
「……ん? ちょっと、水中講技!? 心の準備してねぇしやだよ!」
「以前水の中で危なかったのはどこの誰でしょうねー」
それに対しては口答えをする余地もない。ソムさんがいなかったら、俺は一人で混乱になり、ただでは済まなかったかもしれない。しかしそれはそれ、これはこれ。ラオも次いで言う。
「死に方が溺死ってのはやめような……」
「全く、ラオ君の言う通りですよ。では、後々マンツーマンということでいいですね。ではまた恒の四時に」
「待った! あんたとマンツーマンはだめだろ! 嫌だよ!」
「ソム、僕たちはこれで切り上げるので、後は好きに使ってください」
「はーい。あ、ザイヴ君ラオガ君、おかえりー!」
ウィンはノーム教育師と呼ばれる女性の指導を受けつつ、手を振ってくれている。今だけ都合よく基本クラスに戻って、緩やかに剣術をしたい。そう思うも、ラオの手は俺の腕を引き、ソムさんやもう一人の教育師の講技を受ける基本クラス生を広間に残して解散した。
△ ▼ △ ▼
書庫でヴィルスについて調べていると、本部長が場に現れた。私が調べた成果は、ヴィルスが鍵の一つになっているかもしれないということが分かっただけに留まっていた。しかし、今ここに来た本部長が屋敷生だった頃なら、間違いなくこのヴィルスが屋敷長だったはず。そこから情報を引っ張り出せないかと尋ねてみると、思った通り知っているという。
「元屋敷管理官だろ? 俺が教育師になるちょっと前まではそいつが屋敷長だったからな。……というか、本棚ぐっちゃぐちゃだな。幸い壊れたのは一個だけ……報告通りだが、全く書庫で暴れなくてもなぁ」
「報告?」
「あぁ、崚泉にザイヴ君が連れて行かれた時、襲撃現場はここだったんだ。そうか、お前はいなかったから知らないか」
なるほど、史乗の書があった本棚はまた別の所だったこともあり、深く考えずにこの書庫にいたが、改めて見渡すと壊れた本棚には使用不可の文字が貼られ、処分されようとしている状態だった。
「すまん、話が逸れた……そのヴィルスはどんな奴だった?」
「ええ? そうだなぁ、結構無理強いが多い奴だったな。俺を森凱に行かせたのもそいつの指示だったらしい。で、そのヴィルスの話を出すってことは、何か分かったのか」
「これだ。直接ホゼを調べることはできなかった」
「あいつも教育師の一人ってだけだからな。……あ、いや待て。……よし、屋敷長室に行くぞ。あそこには一人一人記録があるはずだ」
─そんなきっかけから、現在、本部長と私は屋敷長室にいる。
事情を説明し、屋敷長室にて捜索していると、屋敷長に数冊のファイルを手渡された。ぱらぱらと捲ると、いわゆる個人記録というものと経歴、多くの記録が記されていた。
「ヴィルス管理官の頃の記録だ。もう十年は前のものじゃ。奥に仕舞われておったから少々汚いが、読めんほどではないだろう。目を通すといい」
「! わざわざすまない」
「ホゼ元教育師のことも、それになら書かれている。裁かれねばならない者は、然るべきだ」
もともと教育師として尽力していたホゼのことも、きっぱりと見方を変える。滅多にあってはならないことだが、こうした時の屋敷長の手の貸しようには感謝できる。
「助かります」
「それよりも、豊刈は使ったか?」
「いや、ザイヴ君とラオガ君が戻ってから、訓練させるつもりだ。特に、ウィン=アード……彼女があれを知れば、かなりの力になるはずだからな。必ず教える」
それを聞いた屋敷長は納得し、持ち出さなければ好きなだけ調べても良いと、便宜を図ってくれた。