第七十話 黒ノ闇ニ暗音ヲ、光ノ力ニ青音ヲ
青郡で唯一、少年たちの事情を知る者は、青精珀に関する情報収集を継続させていた。しかし、〈暗黒者-デッド-〉絡みというだけあり、自身に成せることは極端に限られてしまうことを実感していた。今ここには書物すら満足にない状態で、青郡のことをよく知っている人物といえば、その叔母である女性─ガルシャ。その人本人に聞くほかないと、彼はすぐに行動に移していた。
────
「ババ、ちょっといいかぁ。しつこいかもしんねーけどさ、青精珀のこともう少し分かんねー?」
「何だ、慌ただしく入って来たかと思えば……青精珀を知りたがる理由は、分からんでもないよ。けどね、深追いはやめた方がいい」
これもザイヴやラオガのためだ。二人が青精珀に触れたという事実は、オレがこの目で見た。敵襲が来る前に、できる策を持っておくのは青郡を守るということに等しい。つまり、何と言われようと知らなければならない。
「深追いがどうとかって言えるくれーババは知ってんだろ。知ってるってこたぁそうしたってことだろーが」
返答に困ったか、ババはため息をついてやれやれとオレを見た。
「……青精珀は、魔石と言っても過言ではないものだ。と前に言ったことは覚えているかい」
「あぁ、覚えてる」
空のようなそれは妖気を持ち、状況に“適した”色に変わる。それが何を意味し、何を伝えているのかが分かれば、何かの“法則”のようなものが見えるのではないだろうか。
「付け加えて言えることがあるとすれば……それは特定の者が触れると、青精珀はその者を受け入れ守護の力が働くということくらいだ……」
「特定……」
「ん? 特定の者が誰か、分かっているのかい?」
それを軽はずみに口外してもいいものなのかという判断はし難い。オレは、とりあえずそのことに口を閉ざした。ただ、その守護を働かせたところは見たということだけを答えると、話を続けた。
「守護の力は、守るために存在する……。しかし、青精珀の守りは、闇を清にするというそうな……」
「闇を、清に……か。くそ、青精珀の存在意義とかじゃねぇのかよ」
「そこまでは知らんよ。私だって物知りなわけではない」
その割には守護が云々と饒舌だったが、知識として知っているのはその程度ということか。
頼ったはいいが所詮この程度か、と思うと、オレはその場を後にしようとする。するとそれを見て、追うようにゆっくりと立ち上がった。
「ギカ。深入りは、勧めないよ」
「……オレの耳にタコ作る気かよ。まあでも、心配ありがとよ」
一瞬、その顔が何かオレではない違うものを見るかのように曇った気がした。何度も何度も、オレが知ろうとするたびに止めようとするくらいだ。そう言う理由は必ずあるはずなのに、それを言わない。オレが知ってはいけないことなのか、またはオレが知ることで何か良くないことがあるのか。
「じゃあもう一つだけ答えろよ。……何でそこまで止める?」
「……青精珀に纏わる事件が、焼き付いてならん。ここまで知ったなら、気を付けるんだな。もう、行きな。一人で調べてるわけじゃないんだろう?」
それはおそらく、后郡が分裂した時のことだろう。それ以上は答えてもらえず、オレ一人の行動ではないことまで察されているなら、反抗するよりその通りに動いた方が円滑に進むはずだ。そう思って、外に向かって足を進めた。
俺の単独行動が危険だと判断したラオは、俺の横を歩いていた。以前にもビルデと遭遇し、宣戦布告を受けたことや、持っている能力のことを話し、ラオもいざとなったら応戦できるように警戒を促した。
あの時、ビルデに対してしたことは、魔物を多く払ったことと、方舟を深火に預けて去らせたことの二点。それの復讐という意味ならば、出くわしてしまった以上注意を払わなければならない。
「そういえば、何か収穫は?」
「あぁ……無いよ。何が青精珀に関係性を持ってるか分からなさすぎて、塵一つも掴めてない」
「……はぁ」
俺も収穫はないが、一度集合場所に行った方が賢明かも知れない。そういう結論に至った俺たちは、時間は少し余っているが、青精珀の前へ移動を始めた。
青精珀、その本質は一体何か。
その名前からすれば、ここにあるからそう呼ぶだけであって、本当はここに在るべきものではないのだろうか。もし本当に妖気を制御するのであれば、それは何のために、どう判断して、変異しているのだろうか。知ろうとすれば止められるそれがどんなものなのか。少しずつ悪い方に考えてしまっていた。
「はっ、分かんねぇ……」
一足早く青精珀を前にしていたオレは、それを見上げ、悩む。知れば知るほど、ザイヴたちとの関係性が現れるほど、言われた通り深入りするべきではないと思えてきている。確かに、知ってはいけないことに手を伸ばしているかのような気分になる。
「あっ、ギカもういたんだ」
「よぅ、探してもパッとしたヒントなんてねぇからな」
そこに、ザイヴたちは戻ってきた。その顔つきからしても、収穫はなかったことを何となく読み取ることができたが、オレが得たものを受け渡すために早々に話を始めた。
△ ▼ △ ▼
講技が落ち着き、昼時で一時解散となった広間では、教育師とウィンさんだけが残っていた。正確に言うと、ルノがある物を持ってきてほしいと頼み、ソムを向かわせていたのだが、そのソムは頼まれたものを持って、今広間に戻って来た。
「ルノ、はい」
「助かった、ありがとう」
「……そういえばこれ、貰ったけど使わなかったんだっけ」
それは、以前屋敷長からもらった“気休め程度のお守り”だ。ザイ君たちにはそう言っているが、この小瓶に入った砂のような粉は、ある使い道がある。
「勿体ねぇ、これ屋敷長と俺が昔作った画期的なもんだぜ。自然魔を扱うやつもいるっていうから、それを教えてやろうと思ってるんだが」
「僕もルノから直接使い方教えてもらいましたからね。でも、まだザイ君たちに使い方を教えたわけではないですよ」
「……何だと? 教えていないのか何て奴だ」
「うるさい、タイミング逃しまくってんですよ」
彼らが知らないのならと、再びそれは持ち越される形となったが、ルノが必ずこの場にいられるとも限らないため、その使用方法は僕が伝授することになった。
確かに早いうちに伝えなければ、どうにもならなくなった時に扱えないと、それは本当にもったいないといえる効能を持っている。これをどうやって作り上げたのかは、難しそうで知る気にもなれないが、僕自身、これは本当に便利だと思っている。僕が使ったことはないが、今後は必要になることもあるかもしれない。
「じゃあ、ウィンちゃん。今からノームの所に行こうか? あの小瓶のこと、きっとウィンちゃんに教えてくれるんだと思うから、自然魔の練習しとこう」
「え!? あ、はい、行きます!」
ソムもルノの意図に気付いたようで、ウィンさんが直々に自然魔を教わっているというノーム教育師の元に急いで向かって行った。残された僕とルノは広間の片付けを済ませ広間を空けて通路に出た。ルノから特にウィンさんへの伝授をすることを推され、小瓶の話はひとまず終えることになった。
「ところで、お前その腕大丈夫か」
「え? ……あぁ、結構前に大怪我した所ですね。傷になってますが、痛みはないですよ。というより、気付いたんですね」
「手合わせの時に見えたからな。その感じだと最近まで包帯巻いてたんじゃないのか? 腹の傷も庇ってたし、あんまり無茶するなよ。心配するだろ」
今となっては懐かしい限りだが、怪異がラオ君に取り憑いた時にザイ君を無理に庇って怪異に噛まれた傷だ。普通の傷とは違い、治り切ることはできないようだ。衣服の下に隠れているからほとんど気にすることもないが、見ればあの時の出血が思い出される。
「屋敷生を庇ってできたものですし、仕方ないですね。怪我といえば、ゲランはどうしてますか」
「分かんねえけど、寝てんじゃないか? 朝寄った時はぐっすり眠ってたぞ」
「……では、もうあなたがうろつく理由はありませんね。オミのところに行ったらどうです?」
オミは真面目な性格上、きっと一人で調べ続けているだろう。調査に人の手は多い方がいい。これ以上ルノをここにとどめる必要もないと、追い払うように手を振りながら提案する。
「何だ、冷たいなー。会った頃は俺と一緒にいたいなんて言ってたのに」
「そっ、れは昔の話でしょう、何年経ってると思ってるんですか! ほら早く行ってください」
「分かった分かった」
ルノが僕から離れて書庫の方に向かったのを見届け、僕も僕でできることはないかと、再開の時間までに別の線から調べを進めることにした。
△ ▼ △ ▼
「え、そんなこと聞いてきたのか。すげーな!」
青精珀の前で、ギカが掴んだ情報を粗方聞き終えた。
その話からするに、その“特定の者”は、紛れもない俺たちだろう。俺が触れたことで起きた光は、きっと守護の光だ。知らないことだったとはいえ、俺は守護を働かせたことになる。
「でも、お前らじゃないと分かんねぇもんだろ」
「そこまで聞いても俺たちには分かんないんだけどね……まあでも、ギカが聞いてきてくれないと、ほんとに何も分からなかったよ。ザイは変なのに襲われたし」
「はあ?!」
右腕が少し痛むだけで怪我もなく、言わなければ分からないことだったが、危険性を考慮して伝えた。話を聞いたギカも前にビルデに会っているため、緊張感のある表情で「すぐにでも帰れ」と言う。
「これ以上青郡にいても何も分かんねぇだろうしな。今回はあの時の師公もいねーし」
ギカの言う通りだ。前はガネさんに加えて穏慈もいたことで、特別危険に晒されることはなかったが、今回はガネさんがいない。穏慈や薫は呼べば来てくれるが、今は向こうで手を焼いているようだし、早めに退散させてもらうことにした。
「そうだね……じゃあ、青精珀のことは伝えるよ」
「あぁ」
青郡と外との境界あたりまで見送ってくれるというギカが並んでその方に進み始めた直後だった。また、聞き覚えのある声が背後から聞こえてきた。
「そうはさせぬぞ」
「……え? うわっ!」
その特徴的な言葉の主は、言わずとも分かる。先ほど俺を襲った男だった。咄嗟に五、六歩後ずさったため、ビルデも驚いたようで冷めた表情を見せていた。戦意というものは感じられなかったが、俺の腕は今目の前にいる本人のせいで未だ痛んでいる。嫌でも警戒した。
「……そこまで拒絶せんでも良かろうに。軽ーく傷付いたわ」
「そのまま砕ければいいよ。そのままな」
「ほう? ならば貴様も砕いてやるが?」
「待った待った! ちょっと、ザイも仲良くしてないで!」
「はっ、ついあいつの調子に」
鎌を解化させ、構える。それに続いて、ラオは鋼槍を解化、ギカは屋敷から持ち帰った武器を出した。今の戦力としては以前の半分ほどかもしれないが、うち二人は〈暗黒者-デッド-〉。何とかなるはずだ。
「吾は戦う気はないぞ……。貴様には確かに協力しろと言ったはずじゃろう。言葉を間違えたか?」
「怪しさしかねぇテメーに何言われても響かねぇよ!」
悩むような素振りで、ビルデは髪を一頻り掻いた。はぁ、とため息をつき、以前と変わらない黒いレザーの手帯をはめた両手を前に出す。何をしたのか、その手からは炎が溢れた。
「そんなに抵抗したいのなら、させてやろう。じゃが……吾も容赦はせぬ。この結果での犠牲は、貴様が招くことを覚悟しておけ」
その腕が振り下ろされると、風を切る音が聞こえた。その手は彼の体の横にあり、炎に包まれながら拳を握っていた。よく覚えている。危うくギカが焦げかけたものだ。
「ギカ、覚えてるだろ!?」
「もちろんだ!」
「……ちっ、面倒なガキどもじゃ!」
地を蹴って、ビルデがこちらに飛んできた時。
─強い光を見た。とても、強い光。この感覚は、鎌のものではない。かと言って、鋼槍のものでもない。
目を向けるのは、俺が守護を働かせた、魔石。
「……青精珀……?」
「何……!?」
それは、群青の色を強く放ち、俺たちを包んでしまうに十分なほどに光を溢れさせ、その光が鎮まった頃、ビルデの炎も俺たちの〈暗黒〉の武具も、そこに姿はなく、ギカだけが武器を手にしていた。
「……ちっ、炎が消えたか。面倒な代物があるものよ。やめじゃ、先も言ったが戦意はない」
ビルデは素直に拳を下ろし、ある話をするために聞くようにと俺たちに念を押した。
その話は、俺たちの考えが及ばないところで起こったある人物との接触の話だった。言いたいことだけを言い終えると、「また会おう」と残し、ビルデは去って行った。
その話に驚愕し、協力しろと言ってきた意味も分かったところで、俺たちは急いで屋敷に戻るため、穏慈を呼び出した。
─ビルデが見たその者の正体は、俺たちもよく知る人物だったのだ。