第六十八話 黒ノ古豪ノ恩師ノ繋グ絆
ガネさんの過去は、俺が思っていたよりも重くて、辛かった。
こちらまで気が滅入ってきそうなのに、ガネさんは幼い身で一人で耐えて、思わぬきっかけで避けてきたものに手を染めてしまったこと。それは、きっとルノさんなしでは解決、快方に向かわなかったこと。俺が感じた“二人の間にある何か”の正体は、今の話で分かった。二人の強い絆で、ガネさんは今、ここにいることができている。
「あの頃に比べれば、辛いことはありません。いや、困るので泣くのやめてください。感受性が強いにも程がありますよザイ君」
罪に手を染めてしまって、今でもそれを重く背負っている。俺には到底抱えられないかもしれない。応用クラス生が、「ガネさんの俺への態度が珍しい」と言ったこと。ラオが「慣れあわないような人だった」と言ったこと。ウィンですら、関わり合いが少ない教育師と知っていたこと。すべてに納得ができた。
「ラオ君を見なさい、もう静かになってますよ」
「いや、あの姿勢は見ねーふりか。頭抱えてんだろ。お前の目は節穴だな」
「ラオガくーん? 大丈夫?」
そう言うゲランさんの指摘とソムさんの気遣いはそちらに任せ、俺はガネさんに謝った。ガネさんの一言一言を気に食わないなんて思っていたのもあるが、俺の身を案じてくれた時にも話を聞かずに勝手に動き回ったこと、本当に心配をかけていたのかもしれない。俺が傷つけたことだってあるのではないかと、これまでガネさんに言ってきたことを思い返そうとしていた。
「謝る必要ないでしょう? 冗談と本気の区別くらいつきますし、そもそも君たちは、本当に人を思える優しい子ですよ。それに、みんな支えがあって生きています。僕は今充実しているんですから、それでいいんですよ」
「……ありがとう」
軽く俺の肩を撫でる。普段なら払いのけているところだが、今はそんな咄嗟の行動はできない。
ガネさんは表に出さないだけで、人の感情を察したり行動に移したりすることができるのも、自身の経験した過去からのもの。俺自身、何度も助けられている。今回のホゼの襲撃でも、ガネさんは自分の身を犠牲にしてまで力を貸してくれた。
「いいえ。僕も意地悪言うので、気にしたことがあったらすみません。僕はこの屋敷も、屋敷生のことも大切です。自分だけで無理をしようとはしないでください。僕で良ければ、いくらでも力になりますから」
「うん」
もちろんラオ君も、と付け足して、顔を上げるラオに微笑む。ラオもそれを聞いて頷き、また一つ俺たちの間の繋がりが深まったような気がした。
「ところでガネ。調べものをするんじゃないのか?」
切り替えの早さが尋常ではないルノさんが、それを切り出した。積まれた本がある机の前に行くと手を伸ばし、何冊かに目を通して「ふうん」と呟き、考えていた。
「あなたがそのタイミングで入ってきたんですよ」
「……ルノ?」
「あぁ、いや。実はある程度屋敷内と世の動きは把握させてもらってるからな。調べるって、青精珀かなーと」
そのページを俺たちに向け、ある場所を指で示す。そこには、確かに俺たちが知ろうとしていた青精珀についての記述があった。把握している、とは言うも、一体どこまでをどう把握しているのだろうか。
「複数の色を放つ珀は、いつしか特定の存在のあるところに降り立った、ってな。……俺の知る知識を教えてやる」
そう言うと、その積まれた本すべてを持って、先程座っていた位置に戻った。本を捲りながら、ここだというページはすべてこちらに向けて指し示す。分かりやすくてありがたいが、その内容は、青精珀がそこにある上での条件のようなものが、俺に関わっているような気がしてならなかった。
─青精珀は清さに惹かれてそこに佇む。また、青精珀は穢れを除くためにそこに佇む。
─その魔石のようなそれは、あるきっかけで青郡を守るために降り立った。
その文は、直接的な表現こそないが、ルノさんの言った「特定の存在」が、俺という〈暗黒者-デッド-〉だとしたら。ラオの存在もあるが、そのきっかけが俺がいたことと何らかの形で重なっていたとしたら。俺が、異様だということになる。そういう決めつけに至るには十分な要素ではないが、考えられるものとしてはあり得る。
「だったら、青郡に存在する理由は何ですか? さっきから濁したようなことしか書かれていませんが」
「事実に違いはない。だが、青郡は今でこそ荒れている区域もあるがアーバンアングランドの主要都市だ。青精珀が青郡にあり続けるのは、一つはある事件のせいだ」
「事件……? まさか、方舟の……?」
俺が知っている限り、青郡で起きた事件で大きいのはこれだろう。俺も巻き込まれたとはいえ身内がやったことではあるし、ラオやウィンだって、そうだ。しかし、ルノさんは首を横にしか振らなかった。
「確かにそれは有名な事件、少々関わりもあるだろう。けどな、その前に青郡で別の事件が起きてんだ。七年前よりも前。今から十八年前に起きた……『都市分裂および大都市虐殺』だ」
つまり、俺が生まれる一年前、一歳とはいえラオはすでに生きていた頃。それは名称だけでも大きな事件だったということが分かった。
「そうか、ザイ君たちは知らないんですね。もともと、主要都市は青郡と光郡が一つの、后郡と呼ばれていたんです」
それは初耳だった。俺はずっと青郡が主要だと思っていたから、その事実には驚いた。
因みに光郡は、青郡の隣にあり、ラオとウィンの出身地でもある。ラオはその事件の名前を聞いて、何かを思い出したかのように顔色が悪くなった。
「ラオ? ……何か知ってるの?」
「あぁ……知ってる。母さんが、俺が物心ついた頃に教えてくれた。「戦争は人を傷つけ、変えてしまう。絶対に手を出してはいけない」ってな。……嫌な記憶の始まりが、その三年後だったな」
「え……」
小声になるラオの口からは、これまでにないほどの暗い表情を語る言葉が聞こえてきた。ラオもラオで、重いものを背負っているように見えた。その手は、耳につけられている被せものに軽く触れ、すぐに離れて俺にいつもの顔を向けてきた。
「ま、その話はいいよ。とにかく、その事件で人がたくさん死んだし、結局分裂して、青郡が大都市になった、って事件だ」
「で、それがどう影響しているんです?」
「主要都市になった青郡には、まるで何かに導かれたように、子どもが一人生まれた。それに伴って、青精珀は存在感を強く放つようになった。それが、お前じゃないのか?」
「……え?」
「戦争で傷ついた場所に純粋無垢な子どもが現れた。それに惹かれたというのが一説だ。まあ、あくまでも記してあることだ。実際どうかなんて自分の目で確かめた方がいいに決まってる。なぁ、ザイヴ君」
何も言っていないのに、ルノさんは俺をまっすぐ見据えて、すべてを分かっているかのようにそう言ってくる。その雰囲気にラオも気付いて、ルノさんを捉えて離さなかった。
「……何で俺に振るんだよ」
「隠せると思ったか? お前もラオガ君も、異質だろ?」
びくっ、と肩が一瞬上がった。今までも教育師には言わずともばれているところから、能力の高さではあろうが、そんな素振りは微塵も感じさせなかった。だからこそ、驚いた。
「……その自慢気な顔はそろそろいいですよ」
「俺は最初からこの顔だぞ?」
「だったらこの際どうです? もっと表情を出すようにすればいい」
ガネさんがそれを言うだろうか、と視線を向けてみると、案の定ぐるりとこちらに目線が戻った。それを察知した俺は、同時進行で九十度首を横に向けた。
「……あとで問いつめてあげますねザイ君」
(あー楽しそうな顔!)
ガネさんのことだから、俺が何を思ったか検討がついているはず。だから口先だけではあるだろうが。
「というか、やっぱりルノ気付いてたんですね」
「何だ、俺が気付いてないとでも思ってたのか? お前の恩師だぞ」
「気付いてるかもとは思ってたけど。ほら、ルノ適当なところあるから」
それを聞いたルノさんは、バッと腕をガネさんの首に巻いて、笑顔で「そうかそうか」と言いながら、腕に力を入れていた。めったに見ることのできないガネさんの姿に、どうしてか俺が勝った気になった。
「ま、待て、ちょ……!」
「お前本当偉くなったな? 俺に隠し事ができたことないだろうが」
「ゲランと同じようなことを言うな鳥肌が立つ!」
「ぶはははは!! そういや言ったな!! 何だお前年上には弱ぇか───っあ゛ー! 肺痛ぇえ……」
「お前はとにかく気に入らない。とにかく説明するからいいだろ!」
こんな敬語の外れたガネさんを見るのも新鮮だなぁと思いながらも、顔や口に出せばどうなるか。そろそろ俺も学んだため、慎んだ。
「ああ、その前に……」
△ ▼ △ ▼
所、話も変わって、俺とラオ、そしてソムさんは今、講技で使用する広間にいる。
何の心変わりをしたのか、ルノさんは何の脈絡もなくガネさんに手合わせを頼み、提案に乗ったガネさんも共に、俺たちの目線の先にいる。思った以上に、本気で手合わせをしている様子だった。
「っはぁ!」
風を切りながら、竹剣をルノさんの顔すれすれで振るう。それを物ともせずに避けるルノさんも、さすがガネさんの恩師だ。
「……屋敷長に聞いたぜ。トップクラスだってな、お前」
「それはそれは、屋敷長が直接言ってくれるのは光栄ですね!」
その動きを見て、俺は目に焼き付けていた。流れるような動き、次へ次へと踏み込まれる足とそれを先に読み取る綺麗な手合わせ。こんな場面をこれほど間近で見られるのは、希少で無駄にする理由もない。
「……凄いね。ラオはこういうの、見たことある?」
「ううん。俺、思わず言葉を失ってる……」
「そうだねぇ。……私ね、あの中には入って行きづらいんだ」
隣でそれを見ていたソムさんは、俺たちにそう言った。理由を聞くと、「絆の深さが計り知れないから」と、返ってきた。それは納得ができる。お互いに信用しあって、見る限り遠慮する様子も双方に見られない。俺とラオも、そんな感じで試合をする。近からずも遠からず、何となく分かる。
「……凄いよな、考えたら」
「うん。ガネがルノに出会ってなかったら……罪人として、ガネは死刑だったかも知れないし、こんなに変わることもなかったかも知れないね」
「偶然か、必然か……。分からないけど、想い合うって、大切だよな」
「そうだね……私も、もっと強くならなくちゃ」
二人を前に、俺はやはり絆の大切さが身に染みた。こうしてガネさんが認められたのも、屋敷にいることも、ルノさんが導いたこと。ルノさんの存在は、とても頼もしいだろう。
「……俺も、そうなのかも知れない」
「え?」
「何だかんだで、ガネさんが頼もしいって思ってるのかも」
俺が、少し憎たらしいと思うのも、ガネさんが強くて何でも請け負える大きな器を持っていることに、嫉妬しているからかもしれない。それが分かると悔しくなって、ガネさんに頼りすぎてもだめだと思った俺は、一つの目標に行き着いた。それは、俺が俺として強くなるために。困難にも立ち向かっていけるようにと考えた目標だ。
「だからいつか、絶対ガネさんを超える。越えられるように、頑張る」
「……うん、何か、ザイならできるような気がする」
「ラオだってできると思う」
「……良い目標だね、ザイヴ君。頑張って」
そうこう話をしているうちに、満足したのかルノさんとガネさんが竹剣を片付けてこちらに来た。適度に流れる汗が、清々しく見える。
ガネさんの腹の傷が心配だが、本人は至って元気で、怪我の程度を全く感じさせなかった。それは、自身の怪我を分かっての手合わせだったのか、あるいはルノさんの方がそれに気付いて合わせていたのか。
いずれにしても、言葉に出さずにそれを分かることができる関係に、羨望の目を向けていた。
「お前たちに礼を言う。正直、ここまで人と仲良くなれるとは思っていなかったんだ」
「偶に失礼ですよね」
そう言いながらも、その顔は笑っていた。裏のない、そんな顔で。過去を越えた二人にしかない、俺たちには入り込めない隙間の証明だった。
「さて、戻るか。急な提案に付き合ってくれてありがとうな」
「いえ、構いません。とりあえず戻りましょう」
─少年たちが出て行った後、広間の扉は、何の音も立てず、ゆっくりと閉じた。それからしばらく、人がいた温かい空気が閉じ篭り、流れていた。
医療室に戻ると、オミが人数分のマグに入った飲み物を用意して待っていた。俺たちはマグを一つずつ受け取って、一気に飲み干した。
過去編 了