第六十七話 黒ノ眼ヲ迎エル者ト罪ヲ負ウ灰
ルノと別れて、四年。毎日毎日森凱を出たくて仕方がなかった僕は、十六歳になっていた。いつ来るかも分からないルノを信じて、必死で迎えを待っていた。
ルノがここを離れたのをいいことに、再び嫌がらせが起きていた。石だけではなく、硝子を投げられることもしばしばあり、それで顔や腕を怪我することが増えた。僕の外傷は、いつも絶えずにまとわりついていた。
僕は何とか対抗するために、その腰に家に置いてあった本物の剣を二本持ち歩くようになっていて、事の進行を語るには十分なものとなっていた。
「……何なんだよ、お前ら。ずっと言ってるよね、僕が嫌いなら寄ってくるなって。相手してほしいなら、死なない程度にいくらでもしてやるけど」
いつからか、剣の使いこなしは、まるでどこかで熟成されたもののようだとまで言われるようになっていた。
もちろん、これで人を傷つけてしまえば僕は立派な殺人犯だ。いかなる理由があろうと、それに手を染めることだけは避けなければならない。これは、脅しに使うだけでいいものだと、その自覚だけはもっていた。
「や、やれるもんならやれよ!」
「……度胸は尊敬するよ」
躊躇なく、思い切り風を切って、振り上げる。それをまた、風を切りながら振り下ろす。勿論寸前で、だ。すると、その者は逃げ惑う。同じくらいの年齢……そう、ずっと僕に「出て行け」と言い続けているグループの一人だ。ガキ過ぎて、相手もしたくないが、仕方ない。
「……僕に刃向かえないなら、最初から来るな」
走り去るその存在を目にとどめ、僕は一人、そう呟いた。
僕が剣を持ち歩くようになったのは、いつからだっただろう。一体なぜ、そうするに至っただろう。その理由は簡単だ。虐められる毎日が嫌で、家に閉じこもっていた間、肉刺ができながらも毎日重ねてきた腕があった。これで脅そうと考えて持って出た時、相手が一瞬で怯んだのを見たから、それからずっと持っている。一本だけ持ち歩くと、気の弱い奴が身を引いていた。
気が弱い癖して、僕をいたぶる勇気があるのは、どうかと思うけれど。
それでも虐めは収まらなかったため、剣を二本持ち歩くようになり、偶に森凱にある森の中で、剣を振り回していると、ほとんど僕に近づいてくる奴はいなくなった。しかし、やはり今のように懲りない奴はいる。どうしても、僕を追い出したいらしい。
ここにいる事自体僕の方から願い下げ、ではあるが、迎えに来てくれるという約束をしたルノが来ないことには、身動きが取れなかった。もしここにルノが来た時に僕がいなかったら、きっとそれはルノに迷惑をかけてしまう。ルノは必ず来てくれる。だから必死で耐えている。
十二歳の時にルノと出会ってから、いろんなことを話した記憶、一緒に食事をした記憶、それらの楽しさは、忘れない。
こうして待っていることができているのはそのお陰でもあるが、正直心の限界は近い。
「ルノ……」
問題を起こしたくないのは山々だ。しかし、僕は本物の武器を持っている、いわばいつでも人を刺すことができる状況にある。
僕を傷つけて平気な顔をしている奴らが野放しになっているのであれば、僕だってやり返してもどうということはないのではないかと、考えてしまうこともある。森凱の奴らにうっかり斬りかかってしまいそうな不快感に襲われるほどに、「いけないことだという自覚」はあれど、その衝動を抑えるのがやっとという状態だった。
「……もう、今日は、……来るな」
最近は日々、こんな調子だ。こんな精神が正常にない時に誰かが来たら、きっと寸止めでは済まない。今日はもう、これ以上は相手にできない。だから、僕が僕の歯止めを利かせられるように。今日だけは、僕を相手にしないでほしかった。
その後、太さも硬さも十分な巨木を見つけ、剣を二刀流で振っていると、近くを誰かが通りかかる音がした。こんな森に、わざわざ近づく奴は滅多にいない。それこそ整備でもない限りだ。しかし整備ならば、基本複数人で来るはず。この足音は、一人、いや、二人くらいのものだ。
「誰……」
動きを止め、その音の主に尋ね、現れた姿を見るとその二人の内の一人は、先程追い払った奴だった。その二人の手には、小型の拳銃が構えられていた。
もちろんそれらの銃口は僕に向けられていて、確実に僕を狙うことしか頭にないようだ。使い慣れない子どもが銃を扱うのは、肩が抜けたり暴発したりする可能性があり、危険極まりない。そんな考えはもっていないのだろうか、引き金に手が添えられていた。それが、僕の箍を外す引き金にもなっていることには、僕だけが気付いている。
「さっ、さっきの仕返しだ!」
「……素人の癖に、本当に撃つ気なの?」
「お前が悪いんだろ! だから、こうして……っ、出て行かないなら、殺してやる!!」
─拳銃の引き金が引かれる前のその言葉は。僕にとっての引き金に相応しい言葉となった。
“殺してやる”。魔の眼を持つ僕が消えないから、僕を殺して消す。確かに正当な流れではある。それならば、いつまでも僕を傷つける奴らが、それをやめないから殺して消す。これも、正当な流れになるのではないだろうか。
“いけないことという自覚”─?
こいつらがしている僕への傷害は、“いけないこと”ではないのだろうか。どういう流れで決心に至ったのかはどうでもいいが、結果殺しをしようとしているガキどもだ。
それだけで、僕の正当防衛は成立するのではないだろうか。
「殺……す……」
「そ、そうだよ! お前がいなかったら、怖いものなんて……」
そんなに、そんなに僕を殺したいのなら、殺ってしまえばいい。僕が抵抗しないわけもなければ、むしろ僕は僕の腕を持っている。それで満足できるならそうすればいい。
人とは何て身勝手で最低で、少しでも違う存在の人を傷つけて他所で笑っていられるような、狭い心で生きているのだろう。
「殺、す……被害者に対して、殺す……!? ふ、あはははははははは!! それ……散々傷つけられてきた僕のセリフなんだけど。お前が、言っちゃうんだ! 笑わせんなよ、最低で最高なクズ!!!」
「おっ、お前っ、それが本性だな!?」
何て迷惑な作り話だ。何て卑怯な話だ。己を棚に上げて、僕一人の“眼が悪い”からと悪者にする。こいつらにとって僕が悪者なら、もういっそ悪者でいいのではないか。
「はー……楽しかった? 僕をいろんな方法で虐めてきたこと。僕は全部覚えてる。お前らがしてきたこと、全部僕の最大限にして返してやるよ!!」
「!! うあああああああああああ!!!!!」
銃声が響き、僕の左肩に激痛が走る。その反動で銃を撃った一人は脱臼したのか、銃を落として肩を押さえていた。もう一人はというと、少し体が強いようで、僕の様子を見てすぐに逃げようと一人の腕を掴んで走ろうとしていた。
「僕の言ってる意味、分かるだろ。……死ねよ」
僕は肩の痛みに構わずに……勢いよく上げた剣を迷いなく振り下ろし、森の一区間の色を赤く染め変えた。
剣と自分の身も返り血で染めた僕は、森凱の町の中心部に足を進めた。左肩からは撃たれたことで出血していたが、そんなものを考える頭は残っていない。
僕を見る大人が、僕の身に起きたことを察するのに時間はかからなかった。すぐに我が子を家に避難させ、女性や老人も身を守れる場所に行くようにと男たちが指示を出している。
「逃げろ!」
この状況を作った発端は誰だ。僕を魔物だと言って、殺そうとした奴の親は誰だ。
僕が手を上げれば、その理由を作った奴らが逃げていく。一方的に、多勢で僕へのいじめを楽しんでいたのがよく分かる。そして、それをまた見て見ぬふりをしていた者も、奴らと同じだ。結局、僕の敵であることに違いはない。
今の僕は、逃げたからといって逃がすほど、器の許容量に余裕はない。むしろ、洪水を起こしている状態で。こんな時でも、冷静に自分の分析はできる。
逃げている人間の足元を狙って、血で染まったままの剣を回転させながら投げた。
─同刻、森凱の方角へと向かう一人の青年の足。近くで聞こえる大きな音や悲鳴、混乱が起きている様子に、冷や汗を流していた。どう考えても、良いことが起きているとは考えられない。ひたすら、己の足のみが向いていく。
「……嫌な予感しかしねぇな……。あいつがやってなきゃいいけど……無理かな……」
額に痣をもつ青年は足の進みを速め、ついに森凱の中に入り、その嫌な予感を直視することになる。
「きゃぁぁあああ!!」
高い声が聞こえてくる。武器を持つ男たちの姿がどんどん増える。僕が投げた剣で斬られた者は倒れ、無理やり引きずられて家の中に入っていく。家の中にまで手を出す気は失せつつも、散々好き勝手言って来た奴らが僕の手で簡単に地に伏せていく。それを見て、周りの人たちの血の気は引いていっていた。
「も、もうやめろ! 分かったから!!」
「……こんな時だけ被害者面か。そうやって、誰も僕を助けてくれない。誰も僕を、人として見てこなかった。それがどんな気持ちか、お前らに想像できるか!!?」
投げた剣はブーメランのように、交差して僕の近くに戻ってきた。それを素早く拾い上げ、次々に大の大人の男が持つ武器を打ち飛ばしていく。自分でも怒りの感情で動いているのが、嫌でも分かっている。
「親は何してんだ!」
「早く止めろ!」
男たちが僕を囲むように立ちはだかった。刃や銃口を僕に向け、じりじりと寄りつつタイミングを窺っている。それを見た僕は、衣服の下に隠していた小型で歪んだ形の剣を取り出し、地に刺さるように落とした。
「まだ持ってたのか!」
「今更お前らに僕を分かって貰おうなんて期待してない。でも、だからって謝っても許さないからな!!」
両手で一本ずつ剣を持ち、刺した剣の柄を刃で挟む。ぐっと力を籠めると、そこにあるすべての剣が銀の─そう見えたのは、僕の思いに乗じた陽射しが生したものかもしれないが─光を帯びた。それは、僕が僕なりに編み出した特殊技。たまたま目にした書物に多くの技法があり、実践してできた唯一のもの。
「刃魔!」
その光は幾枝にも分かれて地を這い男たちのところにまで届き、刃となって切り刻んでいった。
傷こそ深いけれど、どうやら致命傷とまではいかなかったようだ。僕は大勢の男たちの十分すぎるほどの返り血を浴びるが、僕に恐怖を与えるには不十分だった。
今度こそ、とどめを刺す。そう思って剣を構え直したその瞬間だった。
「ガネ!!!!」
「っ……!?」
聞き覚えのあるその声は、僕の心に僅かな正気を取り戻させた。振り返った先に立っていたのは、僕がずっと待っていた人。とても驚愕した顔で、次いで僕を睨み付けてずかずかと僕に歩み寄って来た。
周りの男たちはルノに気圧されてか、身を引いてしまっていた。
「ル、……ノ?」
「何やってんだ馬鹿!!」
その怒声とともに、ルノの手は僕の持つ剣を思い切り弾き飛ばした。もちろん、その衝撃は体に伝わった。お陰で我に返ったが、見渡すと地面は血のたまり場になっていた。僕の身も、頭から血を被ったかのような悲惨な状態だった。何せ、積み重ねられた我慢が爆発していたのだ。その状況で感じるものなど、ありはしなかった。
「てめぇ何で血塗れなんだ! 何人殺した!!」
張り詰めた、バチンと頬を叩かれる音。同時に裂けそうな痛みが走った。
事の重大さを認識し、泣きそうになる僕を余所に、ルノは血塗れの僕に自分が来ていた上着を被せてくれていた。怒っているのか優しいのか、今は何とも言えない。
僕が涙を堪えていたところ、新たに土を踏む音が聞こえてきた。
「っ……! これ、は。ガネ……?」
ようやく現場に到着した両親は、やはり周りと同様に青ざめて、後ずさりをした。
身勝手だなんだと他人を蔑んだ僕も、やはり自分の抑えが利かずに暴れまわった身勝手でしかない。僕の我慢の糸が切れた瞬間のあの解放感は、ただものではなかった。今思えば、あの二人は確かに死んだはず。そう、僕の我慢が僕の勝手な理由で切れたから命を落としたのだ。やったことの大差はあるけれど、僕も、僕をこうしたやつらと、全く同じだ。
「……ちっ、てめぇらには本当に呆れてやるしかできねえな! あれから何してたんだよ!」
「……あ、なた……ルノタードさん、なの!?」
「せいぜい可愛がれって言ったはずだ! 真逆だったとか言うんじゃねーだろーな?!」
顔を背ける親は、苦し紛れにごにょごにょと話す。聞き取れるわけもない。どうしようもない親はそのまま放置して、ルノは僕の腕を引き、場を離れた。
家に着いた僕は、顔についた血を水で洗い流した。べたりとついた部分はなかなか取れず、ルノに皮膚が赤くなるほどこすって落としてもらった。
「……もう少し我慢できてりゃ良かったのにな」
撃たれた肩の部位に触れられると、冷静になったからか痛みを感じる。その様子に傷を窺い、貫通する形で銃弾が当たっていたことをルノに聞いた。
「一応お前も撃たれてんのか」
「……ごめん、なさい……」
取り返しのつかないことをしてしまった感覚が、嫌でも僕を襲う。理由はどうあれ、僕はあの時間で森凱に住む三分の一ほどの人間を殺傷したのだ。
「謝って済む話じゃねぇぞ。分かってんのか」
「銃口向けられて……殺してやるって言われたら、体が動いて」
警師が来れば、僕はきっと、永久刑か、死刑かのいずれかだろう。それほど重い罪を作ってしまったのは事実だ。言い訳をするつもりもない。
「……俺の目的、約束、覚えてるか」
「……僕を、屋敷で引き取るために、迎えに来たんだろ」
「そうだ。俺は今、正式に教育師になった上で来た。警師には事情も全部説明して、更生・心療・観察・生活の充実を目的として屋敷に来てもらうようにする。教育師はそれだけの権位があるし、納得はしてくれるはずだ」
つまり、屋敷が僕を迎えようとしているから、屋敷の偉い人がどうにかしてくれる、ということだろうか。でも、それでは僕の罪は、裁かれないままだ。“いけないこと”の自覚があったにも関わらず、正気を失ってこの様だ。
「でも、僕」
「もう言うな。殺しは確かにダメだ。身を持って知ったろ? それを大いに反省して、生きて償え」
僕を撃ったあの二人の亡骸は、きっと大人たちによって回収されるだろう。その手元に残る銃と臭いが、発砲の有無を知らしめる。警師もそれは見逃さないだろう。
散ってしまった命。僕が奪ってしまった命。それは尊く、無理やり誰かにもぎ取られるようなものではないはずで。それを、僕は自分を守るための剣で簡単に討ってしまった。思い出すと、身が震え、目を瞑った。
「そんで、償いながら、生きたいように生きりゃあいいだろう。お前の道は、お前の意志で成り立つんだぜ」
「……っうう、ルノぉ……!」
それから、泣いて泣いて、息が止まりそうになって、苦しくて。ルノの言葉を聞いて、僕を束縛していたものが砕けた。
僕が四年前に、ルノを待ってついていくと決めて耐えた時間。一度だって、迎えが来る前に森凱を出なかった僕の意思。その時間だって、僕の望んだ生き方だ。
それを、自覚できたことが、今の僕には何とも言えないほどに、嬉しかった。
「待たせたな。行こうぜ、屋敷に」
「うん……」
そうして僕は、警師と屋敷とのやり取りと、僕への心療支援を経て、屋敷生として、屋敷で過ごし始めた。
しばらくは監視つきの日々だったが、ある程度経過するとルノと一対一での心療支援に切り替わり、当初の目的の一つだった僕の保護をする者となったルノは、僕の身近にいるようになった。
その頃から、やっと、自分の毎日を生きている実感を持つことができ、いろいろな意味で、救われた結果となった。
それから僕が教育師を目指すようになったことは、また別の話─。