第六十三話 黒ノ師ノ救世ノ色
その場の全員が驚愕した空気がしばらく続いたが、ソムさんが中に招き入れ、俺たちは取り敢えず本を取りに書庫に急いだ。その間もガネさんは動揺していて、俺が話しかけてもまともに返しては来なかった。ある程度本を漁り、それらしいことが書いてある書物を何冊か抱えて、早い内に医療室に戻ると、医療室の椅子には、ルノと呼ばれている者が座っていた。
穏慈がタイミングよく〈暗黒〉に戻っていることで、面倒な説明を省けて済むことが幸いしている。
「懐かしいなー。ルノまた高くなった?」
「お前も伸びたんじゃないか? 俺には及ばないが」
「ルノは高すぎるんだよ。立ってると首痛いんだもん」
その会話からも見て取れるが、確かに先程扉の所で見た時も、首が痛むほどの高さだった。ガネさんを余裕で超える背丈だったため、それも納得がいった。しかし気になるのは、その左額についている雷のような痣と、右目の下についている傷のようなもの。チャームポイントと言えばそうだが、あんまり見ないもので、ついまじまじと見てしまっていた。
本人に言われる前に気付いて目を逸らしたが、誰もそこに突っ込む者はいなかったため、昔からそうなんだろうとそれ以上気にしないことにした。
「……で、どうして戻ってきたんです?」
近くの机に本を置くと、ガネさんは早速そう問うた。正直なところ、話したくて気が気でなかったのかもしれない。何となく、そんな感じだった。普段冷静で、余裕をもっているガネさんが、今この場に限っては落ち着かない様子だった。
「あぁ、改めて久しぶりだな。色々と事情がある。それと、一応報告だ。四年前から教育師試験部および監査官部の本部長になった」
「はっ!? いつからそんな偉くなったんですか!?」
「だから、四年前」
「ちょ、ちょっと! ついていけてないんだけど!」
ラオは口を開けて、ぽかんとしている。その目の前で手を振ったり叩いたりして、意識を戻した。
教育師たちの間では親しみ深い人物で、本部長と聞こえてきたことからトップレベルの管轄に属している人だというのも分かったが、どうにもしっくりこない上に流れるような会話が目の前を飛び交っていることに口を挟まずにはいられなかった。
「あぁ、すみません。ちょっとびっくりを通り越してしまいました」
そう言うと、ガネさんは「教育師試験部及び監査官部」のことを説明してくれた。
─教育師試験部とは、名前の通り。簡単に言うと、試験官。合否を取りまとめるのも、仕事の一環としている部署。監査官部とは、教育師の職・情報管理。目の前にいる本人は銘郡の剣術屋敷を管理をしているらしい。他の剣術屋敷には、また別の管理人が本部で担当しているという。
話は少し逸れたが、教育師の情報管理ということは、反逆者などの情報も報告すれば伝わるのだ。
「まあ、そのルノがここに来たということは……」
「検討はつくだろ。ホゼ=ジートの件だ」
「! じゃあ……!」
捕まえてくれるのだろうかと思ったが、それは国の仕事。つまり警師の仕事だ、という。教育師は捕縛するのに手を貸すことは許されてはいるが、直接それを行う役職の者は決まっているということで、それはできないらしい。
「俺たち監査官は、言った通り取り締まりもする。が、職権乱用の人物に限り、その権利を強制剥奪する事が可能だ。まあ、本人がいないと無意味だけどな。だから、少なくともホゼ=ジートと接触するまではここにいる。良かったなーガネ」
「……何がですか」
いや何でも、と笑って返されると、ガネさんは少し微笑んでいた。
口を出しかけたものの、俺も空気は読む。何と言えばいいだろう。この男性がここに来てからずっと感じていたけれど、二人の間に、凄く綺麗な、何か俺たちでは入り込めないような、そんなものがあると思えた。
「……あ、そうだ。そこの二人、屋敷生だろ? 名前は?」
唐突に俺たちへ問いかけられたことで多少なりとも驚いたが、呆けていたラオも、男性の問いかけによって意識をこちらに戻したようで、先に応じた俺の返答に続いて名乗った。
「俺はルノタード=リン。聞いた通り、教育師でもあり本部長兼管理官でもあるが、気を遣わなくていい。名前も長いし、ルノでいい。よろしくな」
「あ、はい……じゃあ……ルノさん」
「どうも……」
「おいルノタード。関係性に不明点があるガキどもに説明してやれ」
ゲランさんは、横に寝てはいるものの、しっかり起きていたようだ。この状況を見ていて、そう思ったのだろう。そう聞いたルノさんは首を縦に振って、そういうことならと話をしてくれることになった。
「ゲランさん……俺そこまでガキじゃ……」
ラオがそれに反抗してみる、が。
「じゃあ青二才か」
「何でそうなったの!?」
無駄だった。
どこから話そうものか、とルノさんは呟いた。
聞かなくてもいいような気はしたけれど、同時に、聞いた方がいい気もした。俺が引っかかっていることの答えがあるはずで、それは気にならないというのは嘘になるから。
俺たちは静かに、ルノさんとガネさんの過去を聞き始めた。
......
それは、二十年ほど前のこと。理由は分からないが、世界では丁度魔物が急増していた時期だった。
特に、ここ森凱は。
そこに疎まれる存在として暮らしていた子どもがいた。それは、生まれた頃二週間以上開かなかった目が、ようやく開いた子どもだった。
「大丈夫さ、きっと開く。信じていよう」
そう言って、どれだけ待ちわびたかは知れない。しかし、そんな思いとは裏腹に、見えたその眼は特殊なものだった。その眼を持つ子どもの名こそ、ガネ=イッドである。
奇怪な子どものことは、直ぐに森凱中に広がった。ガネが生まれて三年経った頃。
目は、綺麗な灰色の眼を見せていた。しかし、それは家系にはない遺伝子の眼。調べてみると、その眼はある魔物に類似しているという。それを、本人は知る由もなく、親は子を痛々しい目で見る。
それに疑問を持つ子がそれを知るのと、そこに住む者がガネを魔物の一種だと考えるのに、そう長い時間はかからなかった。
そして、ガネを避ける傾向が見られ始めたのが、彼が八歳の時のこと。
「知ってるか? あいつの眼のこと」
「知ってるー。ママが近付くなって言ってた」
話題はそればかり。構わなければいいものを。気味悪がるくせにからかいに来て、人を傷つけて、去っていく。何が楽しいのか、分からない。
「……嫌いだ」
人間は、怖くて汚い。自分と違うものは人ですらないと、平気で冷たく痛めつけることができる。
その矛先は間違いなく自分に向けられたもので、どれだけこの眼を恨んだかは計り知れない。刳り抜いて捨ててやろうと考えたこともあった。こんな汚い眼なら、義眼の方がマシだと。それでも、わずかに残る両親への希望から、それに手を染めることなく、生きていた。
十歳の頃から、僕は外に出ることを控えてきた。代わりに、家にあった武器になるような棒を興味本位に振り回していた。遊んでいる、といえば聞こえは良いが、僕の中に遊びという感覚はない。もちろん、本当に人を傷つけるなんてしたくはない。けれど、僕が生きる中で、他人が僕にしてきたことはそういうことで。普通の関わり方は分からなかった。
「危ないわよ、壊さないでね」
僕が振り回していると、母は何を思うのか話しかけてはくれる。でも、皆と同じで親は僕を見ようとしない。僕のことが嫌いで、だけど実の子どもだから、きっと可哀相だから取り敢えず話しかけてみているだけだ。
(生きている意味……あるのかな)
そんなことを考える子どもなんているのだろうか。周りの子どもは子ども同士ではしゃいで遊んでいて、僕みたいなことを考えているとは思えない。
周りが僕にそう接しているのだから、仕方ないと思いたい。
「散歩してくる」
十二歳になっていた僕はある日、そう言い残して、森凱の中にある丘─鈴屑の丘に行った。ただの思いつきでの行動だったが、何年も続く終わりのないこの生活に、とにかく、居たたまれなくなったのだ。
外に出るたびに傷ついていく体、その度に家に閉じこもるようにいる僕。両親との会話もなく、ただ寝て、食事をして、また寝るだけ。唯一、ずっと手にしてきた棒を振り回すのが僕の日課だった。
何も考えず、吹いてくる風にされるがままに髪や衣服を揺らされながら座っていると、後ろからガサガサと地を踏む音が聞こえてきた。その足音が止まったと思えば、石ころが体に当たる。それは意図的に僕に向かうものだと、嫌でも分かる。
地に落ちて僕の視界に入ってくる石は小粒で、そこまで痛くはないものの、その小さな石は続けていくつも飛んできた。
ある程度投げられるとその石の勢いは止まり、振り返ると、僕と同じくらいの年だと思われる子どもが、足を震わせながら立っていた。
「……誰? 何の用?」
「こっから出て行けよ! お前が魔物呼んでんだろ!?」
ありもしないそんな力を、人は勝手に作って、勝手に納得する。この眼を疎み、傷つける理由を都合のいいように作り上げている。その想像力は見事なものだ。
「そんなわけないだろ」
「お前の眼が、そうしてるんだ!」
明らかに目が泳いでいるのが。誰かに言いに来させられてるのか、あるいは独断でわざわざ僕に会いに来てくれているのか。この際そんなことはどうでもいい。怖がっているくせに、味方が多いからとこういうことだけは言いに来るその行動力と身勝手さ。そろそろうんざりする。
「……こんなとこまで追ってきて、それを言いにきたの」
「えっ……あ……」
「だったらさ」
だからいっそのこと、もう近づいて来られないようにしようと、立ち上がった。
そう。人は身勝手。それなら、僕だって人だ。僕だって身勝手でいい。怖いなら近づかなければいいだけだ。当たるものがないとやっていけない人間なんて、終わっている。こいつらが身勝手を僕に押し付けるなら、僕だって許されてもいいだろう。
「僕だって、言いたいことやりたいこと、お前らにしてもいいんでしょ?」
拳を握って、腕を振り上げてみる。すると、目の前の人間は、腰を抜かして倒れ込み、顔を引きつらせていた。いざとなったら自分が被害者面をするらしい。僕のことを、人としては見てはいない。
「ひっ……」
「僕がっ……どんな思いでいるのか……考えたことないだろ! 一方的に勝手を押し付けるお前らなんか、僕だって大嫌いだ!」
拳を振り下ろし、一回だけ殴ってやろうと思った。人の身勝手で僕に石が飛んでくるんだ。拳が飛んでくるくらい、加害者のこいつらにはどうってこともないだろう。この時は、何の躊躇いなく振り下ろしかけた。が、その腕は、僕の意思に反して動かなかった。
後ろから、振り上げた腕を掴まれた感覚があった。振り返ると、背の高い男が立っていた。
「喧嘩か。……あ、お前」
「放せ!!」
「まあそんな怖がるな」
その人は、落ち着いた髪色と瞳の色をしていた。腕を離してくれる様子はない。その間に、目の前にいた子どもは、立ち上がって慌てて逃げていった。それを見た男は掴んでいた腕を離して、俯く僕に話しかけてきた。
「喧嘩は……その眼が原因か?」
「……関係ない」
「人間は怖いよなぁ。自分と違うってだけで簡単に虐められるんだから」
「え……っ」
どうしてこの人が、僕の気持ちをこんなに早く察することができたのか。今までとは違った不安が、一気によぎった。しかし、僕の気持ちを汲んだことで、その人に目線を合わさずにはいられなかった。
「あー……そうそう、俺はルノタード。銘郡にある剣術屋敷の屋敷生でもうすぐ師公になる。ちょっと、師公に頼まれてここに来たんだ。変わった子どもがいるって聞いてたが……お前のことだな? いきなり出くわすとはついてるな」
「……怖くないの?」
「何が」
「僕が」
それを聞いたその人は、一瞬目を丸くしたが、すぐに笑顔に─いや、笑顔とは違って、笑っていた。
変なことを聞いただろうかと思いながらも、その人が笑うのを見ていることしかできずにいた。僕がじっと見ていても、それが止まる気配はなかった。
「ふっ、くくくっ……ははっ」
「真剣に言ってるんだけど……」
「いや悪い。何が真剣にだ、馬鹿か。お前の何が、どこが、人間と違うんだよ。その眼か? 確かにぱっと見で分かる違いかもしれねーけど、そんなの大した問題じゃないだろ」
バシバシと僕の背中を叩いて、そう言った。痛い、と言うと、謝ってそれを止める。
突然目の前に現れたルノタードという男は、結局どういう目的で僕に接触してきたのかは分からない。森凱にいるような人たちとは違って悪い人ではなさそうだし、裏があるようにも思えない。それは、この人のまっすぐ僕を捉える目のせいか、落ち着いた話し方のせいか。
「そうだ、お前。屋敷来ねぇか?」
「……え?」
男は僕にそんな誘いの言葉をかけてくる。それがこの人の目的なのかどうかは、思い付きのような言い方だったために何とも言えないが、突然すぎて返すことはできなかった。
「いや、剣が似合いそうだし……。そういえばさっき手に肉刺があったけど、いつも何してんだ?」
「見たのかよ、見るなよ!」
家で毎日、慣れないことをしたせいだ。二年ほど振り続けてはいるが、手に合わなくなってきていたようで、そうやって手に現れていた。自分の手のことだから、知らないわけはない。ただ、きっと両親は知らないだろう。
「やっぱりそうか! だったら尚更考えて……」
「……さっきから何だよ。用がないなら帰る」
その人の答えを聞かずに、僕は家に向かって歩いた。追って来るかとも思ったけれど、その後夜が明けるまで、その姿を見ることはなかった。
翌朝、二階建ての二階の自室で寝ていた僕は、いつものように着替えを済ませてから食事をとるために、一階に降りていった。するとその先で、両親が誰かと話している声が聞こえる。
まだ早い時間なのに、一体誰が来ているんだろう。単純に気になって、そっとその部屋の扉を開けると、そこにいた男は即座にこちらに気付いた。
「よう、昨日お前の名前聞いてなかったから、すっごい探したぞ。ガネ=イッド」
堂々と両親の前に座る彼の眼は、昨日と変わらず、真っ直ぐ僕を捉えていた。