第六十一話 黒ノ在ル世界ト負荷
─魔石の如き青精珀は、己の色で己を伝える
空の如き色彩は、能力の差を表す
青郡を守る青精珀は、能力を繰り返す
いつどこから青郡に辿り着いたのかは、知る由もない。しかし、それはまるで最初からその場にあったかのように、毅然とでも言うべきか、存在感を醸し出す。だからこそ、それは怪しく、されど美しく、そこに佇む。
すなわち、それは魔石ともいえる条件を持つ。
ギカと穏慈は、青郡でのことを事細かに話してくれていた。青精珀の力、それが及ぼしている青郡の保護などを全て。
その話から、その青精珀のもつ保護の能力が、ホゼにとって手に余るものなのだろうということも分かり、わずかだが手の打ちどころが出てきたことに安堵する。
『それに、今の奴に施す手はない。何しろ触れられんのだからな。反発するのは目に見えているし、その対策を知らんはずだ』
「まーオレらも知らねーっちゃ知らねーんだけどよ。盗み聞きされる心配だけはねーぜ」
確かに、ホゼがまず手を付けるとしたら青精珀ではないだろう。こちらとしても打開策が見つかるまではそのまま大人しくしていてほしいものだ。しかし、思わぬところで唐突にホゼが行動を起こす危険性は考えていて損はない。そう、ガネさんは言った。
「けど、どうやって守ればいいんだろうな……」
「奴が青精珀を奪うっていう目的を持ってねーからな。そうだったら触れる触れないって問題はともかく青精珀を守ればいいけどよ……」
「ギカの言う通りなんだよなあ。青郡自体に手をかけたいみたいだし。だから青精珀が邪魔なんだろうしな」
そう、何度も言うようにホゼの今の目的は屋敷が外れたことで青郡に向いたはずだ。そのためにできる策は、今のところないに等しい。ホゼが襲い掛かってきてしまっては、青郡は対応しようもなく堕ちてしまうだろう。復興が進んでいる青郡のために、そしてザイのために、そうさせるわけにはいかない。
『……まあ今の状況で容易には近づかんだろう。焦る必要もない。青精珀も汚れた存在を嫌うようだしな』
「あっ、だから厄介なものがあるところを先に潰そうって……成程ね!」
ソムさんは右で握った拳を平らに開いた左の手に乗せ、納得した様子。そこからは話が進まず、何か案を出せるならと言うガネさんに対し、当然のように「ないよ」と返していた。
「……何か考えてくださいよ」
「ガネは考えてるの?」
「一応考えてはいますが、ホゼは屋敷から手を引き、そうなれば次の手に悩みますし、加えて青精珀ですよ? 許容量越えそうです」
「そうは見えないけど……」
その場にいる寝ている人を除く全員がガネさんに指摘した。何となく、ガネさんなら良案を出してくれる気がして、期待があったのも事実だが。それだけこの人の実力が全体に浸透していることに、素直に尊敬した瞬間だった。
「いや……そこまで全面的に言われる筋合いもないんですけど。僕も人間ですよ。悩むくらいします」
「何か、ガネは悩まなそうなんだよね……頭良いし」
「あぁそう……まあ頭は回るかもしれませんねー」
「否定はしないんだね!?」
「面倒が嫌いなだけです」
イメージがすでに定着している上で、いちいち構うのも面倒なのか。適当に流すような口ぶりだ。少しだけ戻ってきた調子に、何となく安心感を覚えて気が抜けてきていた。
「ガネの面倒に思う基準って結構分かんないよね」
「ガネさんの口数がその原因なんじゃ……いや何でもない」
俺を見る目が一瞬笑っていなかったが、この流れの中で構う必要もなかったのか、これもまた適当に流された。
「とりあえず、このままでは効率も悪いので一旦休みましょう」
「そうだね。ウィンちゃんもノームも、わざわざありがとう」
「うん。じゃあ〜……私は一足先に屋敷内の仕事に戻るわ。少しずつ帰しておくね」
ここまでで一通りの話を終え、結論も出なくなった。
ひとまず場に眠っている人たちが起きてからもう一度考え直すことになり、手持ち無沙汰でぼんやりと待つ時間を見送っている。俺とウィンも、ザイの近くに椅子を起き、ただじっと座っていた。
その中でも穏慈は一人、腕を組んで真剣に悩んでいた。ザイが気にかかるようで、躊躇うように声を漏らす。
「どうした?」
穏慈は渋々口を開いたが、すぐに再び口を閉ざす。その視線はザイとオミを捉えていて、深刻そうな顔をしていた。
それから少し経ち、やっと穏慈が声を発した。
『……本当に、眠っているだけか?』
何か違和感があるとでも言いたげで、その視線は逸らされないままだった。俺もギカもこうなった瞬間は見ていないが、唯一見ていたソムさんは、ホゼの放った黒靄で気を失ったと言っていた。ならばその影響でこうなっているのだろうが、どうやらそれが引っかかるようだ。
『……単刀直入に言うぞ。心霊幻界、そこにおる可能性がある』
それが何を意味するのかは、俺たちは知る由もない。しかし、穏慈が不安感をもっているところからして、オミはともかく、ザイにとっては、何か良くないことがあるのかもしれない。
「どうして、そう思うんです?」
『憶測上だが、我の知識の中の消去法だ。息はあるが、生気はない。大きな負荷がかかっているとしか、我には思えん』
「!? どういう……」
穏慈の言葉に、ウィンの表情もサッと変わる。生気がない、と聞けば、無理もない。実際、俺も思わず立ち上がった。
『〈暗黒者-デッド-〉は、世界の光と闇、二つに存在する。しかし、精神だけを放すことは大きな負担……つまり、〈暗黒者-デッド-〉には不適応な場所だ。心霊幻界にいれば、武具は使えん。向こうで命を落とせば帰って来ん』
「つまり、普通の人間なら〈暗黒〉に存在できない分、そこまで負担はかからない。しかし、既に二カ所に存在できる〈暗黒者-デッド-〉の場合、三つ目の負荷が加わる、というわけですか?」
本当にそうだとしたら、今のザイは凄く辛いかも知れない。
穏慈が言う、“息はあるが生気がない”という言葉。ザイの口元に手を当てても、出てくる呼吸はとても弱く、今にも途切れてしまうのではないかと思うほどだった。ウィンも俺の横で、同じように息を確認し、顔色の悪さにも着目する。それを確認して、彼の言う通りだということを認識する。
『……世界に存在する、ということは、一つの世界に一つの己を置くことだ。複数に存在できることは確かに稀有でそこいらの人間には成しえんことだろうが。こいつの場合、同時に、というのがいただけないな』
「ラオ、心霊幻界って……? どうにもできないの……?」
「心霊幻界は、簡単に言えば精神だけが存在できる場所。そんなところが本当にあるなんて思ってなかったけど……事実なら多分……待つことしか、できない……」
心霊幻界にいることが絶対の事実というわけではないかもしれない。しかし、ザイヴと契約をしている穏慈が言うのだ。信憑性はあるし、呼吸の弱さはオミに比べて歴然とした差がある。
ただただ、無事に戻ってきてくれることを、願うしかなかった。
......
「ちっ……思ったよりも思うようにいかないな……」
「無理しないで、俺も何かできるかもしれないし」
「いや大丈夫だ。だが、もはや幻魔の海だからな。どうするか……いや、心霊幻界なら……」
オミは何かを閃いたようで、指音をさせるような形の手を作ってしばらく見つめると、そのまま視線を前方に移して指を鳴らした。すると、ばちんっという音が足をついている地と思われるところから聞こえた。
「えっ!? 何した!?」
「心霊幻界は人の心や能力が在る場所だと言っただろう? それなら考えたことがそのまま出てこないかと思ったんだが……使えるな……」
「指音できるんだ……」
「そこか?」
打開策に辿り着いたオミは、目の前に来た幻魔に対してそれを繰り返した。単純に弾いているだけのようだが、魔物には十分な衝撃のようで、それが当たると怯んでいた。
「この調子でいけば……ん? 少年?」
「……っ」
そこから順調に進んでいけるかと思ったがその矢先、俺の足は唐突に重くなり、魔物が近寄ってくる中、体の力も抜けてしまい、動けなくなった。
「は……っ、はあー……」
俺自身、何が起きたのか見当がつかなかった。突然、体の自由が利かなくなるなんて。そんな俺の周りには、当然のように好機とみた幻魔が集まってくる。
「くそ……。少年、立てないか?」
「……っ、足が、震える……」
右腕を引き上げられ、オミに支えられながら何とか立ち上がったものの、自力で歩けるほどではない。体がとても重く、一歩踏み出すだけで精一杯だった。
周りからは、幻魔の呻き声、餌を求める飢えたような声が聞こえてくる。このままではオミも身動きが取れないだろう、どうにか、この体が動くようになればいいものを、そうもいかなかった。
「……仕方ない、乗れ。止まっていると危険だ」
促しの言葉を述べるも返答を待っていられないらしく、オミが俺の前に腰を落として両腕を自分の肩の上から引っ張り、そのまま背に担いで、立ち上がった。思ったよりも軽々と浮いたことで、オミの背丈と力に感謝する。
「落ちるなよ」
「うん……」
たった今まで、全くもって平気だったのにも関わらず、なぜ突然力が抜けてしまったのだろうか。疑問は募るばかりだが、オミの言う通り止まってはいられない。すぐそばで、オミが指音で魔物を散らす音が聞こえ、ある程度散らすと、オミは走って進んだ。
「大丈夫か?」
「何とか」
時折俺を心配しながら、押し寄せる幻魔を何匹も弾いたり蹴り飛ばしたりしていた。それを繰り返すうち、俺の身にかかっていた重圧は少しずつ取り除かれていっていた。完全になくなったわけではないが歩けなくはないかもしれないと、オミにおろしてもらおうとしたが、このまま急ぐと言って、俺を担いだ状態で足早になった。
「ごめん」
「謝る必要はない。それよりも、あの場から薄白い光が射しているのが見えるか?」
オミが目線で示す方向を見てみると、確かに上から下に─下から上にの間違いかもしれないが─向かって光が射していた。恐らく、あれが解放される場所だろうと、確証もないままに俺たちはそこへ急ぐ。
しかし、飢える声が後方に大量に控えていた。今にも襲いかかってくるような眼をして、そこにじりじりと立って様子を窺っている。その割には飛びかかって来ないが、散々抵抗してきたオミのことを警戒しているようだ。
「……ここまで面倒な場所だとは思わなかったな」
幸い、最初にオミが言ったように、ここにいる幻魔は雑魚しかいないようで、再度オミが指音で弾いていくと、吹っ飛んだり、潰れて動けなくなったりと、一時的に動きを制限できた。
「いい散り方だ」
「あ、そんな真顔で言わなくていいよ」
「そんなつもりはないぞ」
「ポーカーフェイスか」
元の顔とはいえ、もう少し表情を出してもいいかもしれない。オミにそのまま言ったところ、努力はすると返ってきたが、その後も特に変わることはなかった。
「ここまで減れば一時の凌ぎにはなる。出るか」
「うん」
幻魔が足を止め、目的の場所も明確になったことで、俺はオミにおろしてもらい、動けることを確認して、再び走り始めた。
光に触れられる位置まで来ると、幻魔はより一層の剣幕で、こちらを見る。唸る声が全方位から聞こえ、よだれを垂らして睨む眼が溢れている。
「すぐに行くぞ」
「うん」
互いにじりじりと、地を踏む音が響く。その沈黙を破るのは、オミが鳴らした指音が出す幻魔への衝撃音だった。大きめに鳴ったことで、その衝撃は広がり、多くの奇声が聞こえてきた。
それを見て、オミと俺は視線を逸らさないまま光の中に入った。
そのまま体が浮くような錯覚を感じながら、居心地も良くなっていった。
......
「ラオ、あのね……」
くいっと袖を引っ張って、俺に話しかけてくるウィンの顔は、少し申し訳なさそうだった。
俺が顔を向けてもなかなか次の言葉が出てこなかったため、言いづらいことでもあるのだろうかと心配になって、顔を覗き込むようにして言葉を待った。
「ん?」
「……地下では、ありがとう。ラオも、いたんでしょ? 聞こえてきてたから」
その言葉で、申し訳なさそうにしている理由が分かった。前に力になりたいと言って、守られて終わってしまったことを気にしているらしい。
「あぁ、ザイに頼まれて地下に行ったんだ。俺で力になれるなら、俺は全力で守るよ」
ウィンの頭を撫でると、少しだけ笑ってくれた。
ウィンは気にしているようだけれど、俺たちからすれば、受け止めてくれるだけで力になってもらえている。
そのことに、気付いていてもいなくても、これは言う必要もないだろう。ウィンは、ウィンなりに力になれる方法を探している。その気持ちを邪魔する必要はないのだから。
「……ゔぅ……」
「あっ、ねえ! ザイが!」
『! 生気が戻った、解放されたようだぞ』
覗き込めば、重そうな瞼がじわりと上がっていく。もちろん、オミもその横のベッドで、目を覚ましていた。
狂乱編 了