第六十話 黒ノ暗眠ノ先ノ心霊幻界
「それは本当に本人が言っていたんですか?」
ガネさんのその質問に、ソムさんは間違いないと首を縦に振る。ホゼが屋敷から手を引くのであれば、俺たちの行動の仕方も変わってくる。オミから聞いていた流れから逸れる言葉は、まともに受け止めるかそうしないかによって結果が歴然としてくる。厄介なことこの上ない。ガネさんも俺と同じことを思ったのか、同じようなことを口にしていた。
「……つまり勝敗の別れ道、ということですね」
『しかしあんな堂々とした行動といい、目的の根本は変わらないだろう? それははっきりしていないのか』
以前ザイが崚泉に連れていかれた時は、ザイを戦力にしたいがためにそうしていたということはザイから聞いた。しかし、その意図は知らされていない。きっと、ザイ自身もそこまでは聞いていなかったのだろう。
それ以上の手掛かりは、今の俺たちの手には入っていなかった。
「……〈暗黒者-デッド-〉を戦力にしてどうするつもりなんですかね。このアーバンアングランドを好き勝手に操ろうとでもいうんでしょうか」
「そんな壮大な計画をホゼが立てたっていうの? さすがに現実にはなり得ない気がするんだけど」
ガネさんとソムさんはそのまま考え込んだ。それもそのはず、計画の進行についてそれが覆ろうとしている上、ホゼが本当に成したいことは想像できない。そもそもの屋敷とホゼ、ホゼとその仲間との関係性がまるで見えてこなかった。
ザイなら、どう考えただろうか。
『……ザイヴ』
穏慈はやはりザイを心配し、寝ている横に腰掛けた。
いくらザイの言葉を受けて、地下でウィンたちを守ったとはいえ、ザイの身を守ることができなかったことを悔やんでいるようだ。それとこれとは話が別らしい。
「……ギカ、ザイとオミは、本当に意識がないだけ、だよな」
「あぁ、そのはずだ。だからいつ目を覚ますかまでは何とも。オレは、ここで待ってるぜ」
穏慈が心配していることもあり、再度ザイたちの状態について確認すると、ギカはそう答えた。そのギカは見た目とは裏腹に、早く目を覚ましてくれと言わんばかりに前のめりになって座っている。その視線は、時折バラバラに砕けた細刃を見つめていた。
聞かずにいられずそのことも聞いてみると、ホゼに壊されたという。その言葉に、ギカの余裕のなさは納得できた。
「あいつ……あん時何をコントロールしたんだ……。細刃があんなことになるなんて……」
その細刃は元の形には戻りそうにない。わざわざ青郡から力を貸しに来てくれたギカに申し訳なくなり、屋敷にある武器から持っていけないかとガネさんに相談すると、二つ返事で許可を出してくれた。
「え、まじで? 良いのか?」
「ギカ君のお陰で、ホゼの動揺を引き出せましたし。何よりその力を維持してほしいので」
ギカの動きを見てか、技術を認めたことが動機となったらしい。ギカはその言葉に素直に応じ、後で武器庫を見に行くことになった。
細いのにも関わらず、強く鋭かった細刃。正直なところ、独特のそれには俺も羨ましく思っていた。昔から持っていたあの細刃が、粉々になるほどの相手のそれの威力は、想像しかできなかった。
そんなやり取りを終えて、何気なくオミとザイの様子を見た時、オミの体が僅かに動いた。
......
意識を失ったことは、何となく覚えている。しかし、目を覚ましたからと言って見知った場所にいるわけではない。体を起こして、落ち着いて整理しようとするが。
(何だ……? 何か、気持ち悪い……)
俺の中で、何かが疼いている気さえする。状況の理解もしかねるため、とりあえず立ち上がり、ひたすら歩いた。
そういえば、オミが俺を庇っていたはず。もしかしたらオミも同じようなことになっているのかもしれないと、少しの期待をそれに寄せて見回していた。
「はぁ……何で俺ばっか……ん?」
ちらりと見えた、背の高い、赤黒い髪の人物。その姿はオミのものだと確信できた。
「オミ!」
同じ状況下にある人物を見つけ、少しばかり安堵を覚える俺。オミも俺に気付いたようで、こちらに来てくれた。
「良かった。探していたんだ」
「探してた?」
「あぁ。ホゼの特殊な黒靄の能力を浴びて、私も意識を手放した。近くにいるはずだと思ってな。ホゼと一緒にいた頃に聞いたことがある。心霊幻界、聞いたことないか?」
心霊幻界──分かりやすく言うと、心、魂、そうしたものが肉体を離れてしまった時にその存在をおく場所。心を壊されれば、元には戻れない。現実に帰ることができなくなってしまう、そんな危険を伴う。
「な、るほど……」
オミの話を聞き、俺が感じている違和感に納得した。それに加え、オミは「よく聞け」と言う。
「感動の再会をしている暇はない。戻る道はあると思うが、私はそれを知らない。知識があるだけだ。ここには、雑魚だらけではあるが、幻魔……魔物と相違ない奴がいる。生命が餌だ」
「じゃあ、そいつらにやられたら……」
帰ることはできない、ということには自然と結びついた。そんなことになるわけにはいかないと考えると、おのずと力が入る。
しかし、心霊幻界といえど俺の体もオミの体もここにある。心で在る場所というのに姿までここに在れるというのは、もしかしたら〈暗黒〉と同じような仕組みなのかもしれないと、少し詳しく心霊幻界についてオミに尋ねた。
「んん……いや、厳密に言えば、お前が存在できるそこは、心である前にひとつの実物であり、“裏”という意味で実在する。つまり、それに適した武具も扱える。だが……ここは本来実物がいる場所ではなく、ましてや固形の場所はない。扱い手が不在だ。お前の鎌は使えない。“似たような”ものだろうが、心霊幻界とは違うだろうな。推測に過ぎないが……まあ難しい話だ」
知識があるというだけあり、長々とした分かりやすい説明で理解し、感謝する。それを知らなかったら、俺は普通に鎌を使おうとしただろうし、それが魔物の前だったら、喰われていたはずだ。
「言わば人間の心や能力だ。それだけは忘れるな。早く出よう」
「うん」
そんな俺とオミは、並んで歩いた。心霊幻界は、視界の情報だけ見れば、〈暗黒〉とは正反対だった。ただ、餌を求める不気味な声は、変わらなかった。
......
オミに反応はあったが、未だにザイの反応がない。
〈暗黒〉に行った時はいつもそうだが、今回はそうではないと、何となく分かっていた。
「……あぁ、そういえば、ゲランは胸を刺されたんでしたね。容態は?」
「え? あぁ、平気よ。死んでない。だけど、私は専門じゃないから処置もそんなに……あ、そういえば正せる子がいたね」
話を聞いていた俺も、当然頭に思い浮かぶ。自然魔を扱い、以前俺の傷にも力を分けてくれたウィンだ。しかし、今はホゼの襲撃でストレスを感じているだろうし、無理に力を使わせるのも……と、遠慮がちに思っているところに、扉のノック音が届いた。
「みんな大丈夫!?」
返事を待たずして、教育師が医療室の扉を開け、後ろからちょうど話に出ていたウィンが入って来た。
ウィンは思ったよりも沈んでいる様子はなく、むしろしっかりと俺たちを見据えていた。
「ノーム! ウィンちゃんも!」
「ソムちゃんは無事そうだね。ウィンちゃんがどうしても行くって言うから、ついてきたの。集まってる他の屋敷生はみんな無事よ、座学室で待機してる」
「ウィン……」
事情が事情だと、ゲランさんのことをウィンに伝えると、「任せて」と快諾してくれた。ゲランさんの元に行き、両手で水をすくうように形を作ってそこに自然魔を生じさせた。
すると、光がすぅと薄く広がり、それは溶け込むように消えた。
「……実はね、ノーム教育師に聞いたんだけど。私のこの自然魔は、“循環”を利用しているみたいなの。だから、体内の循環も正せる……そういう仕組みだって。多分、これでもう大丈夫だよ」
「……うぅ……ぐ」
容態の回復のためか、ゲランさんは唸って目を覚ました。そんなゲランさんは、状況をつかめ切れていないよう。ソムさんとギカが説明をしたところで、ゲランさんは体を起こして場を見渡した。
「……ちっ、面倒だ。はあーっ」
息を大きく吸って、少しの落ち着きを見せる。ウィンの自然魔を受けて異常が正常に近づいたとはいえ、やはり右胸を刺されたことの衝撃と負荷はゲランさん自身にかかっているようで、全体的に怠さを醸し出していた。
「……すまねぇ、寝かせてくれ。こちとら重傷なんでな」
「そうは見えませんが……まあ、その傷は否定できませんからね。勝手に寝てください」
「はっ、酷い言われようだな」
それだけ言うと、ゲランさんは再び布団に潜り込み、すぐに静かに息をし始めた。その間、わずか十秒ほど。よほど負担がかかっていたのだろうが、早すぎる流れるような展開に呆然とするしかなかった。
その沈黙を破ったのは、ガネさんだった。
「ギカ君」
「あっ!? んだよいきなり……」
「すみません、そんなに驚かれるとは思わず。話は逸脱しますが、青郡のことを教えてくれませんか?」
それはつまり、ホゼが恐れるもののこと。そこに立つ怪異も、実際に見ているとは思う。
同じ質問を穏慈にも投げかけ、本来の目的はともかく、目の前にあるホゼの狙いについての情報を纏めることになった。
「ゲランから多少のことは聞きました。青精珀ですよね?」
『……あれは、魔石と言っても過言ではない』
その力を知るギカと、実際に目にした穏慈。その青精珀と呼ばれる、青郡にある特殊なものは、俺たちにとっても興味深く、ホゼがそれに目を向けた理由にもたどり着くことになった。
......
心霊幻界で、オミも俺と同様に武器は使えない中、何とか先に進んでいた。しかし、地道に歩きながら脱出する術を探している間にも、確実に幻魔の数は多くなっていっている。これは、脱出できる場所が近くなっていっているからなのだろうか。
オミによると、そう捉えても良いらしい。今は、その知識が頼りだ。素直にオミについて進めば必ず戻れると信じ、見も知りもしないこの世界の前を見る。
「少年、この先からは強行して進もうとするな。数は更に多いだろう。慎重にな。だがある程度急げ」
「結構難しいよね、それ。まあ、頑張るけど」
オミが言わんとすることは察しがつくものの、そうするのは想像以上に緊迫するものだ。それをオミが感じているかどうかはさておき、俺はとにかく焦って進もうとしないように、オミのペースに巻き込まれるように努力をすることにした。
「魔物は私に任せておけ。心得てはいるつもりだ」
「そういうことなら頼む」
俺とオミは、心霊幻界での戦いを、無理やり受け入れ突き進む。しかし、思った以上の面倒臭い仕組みに加え、幻魔は増える一方。オミが何とか道を探して進み、幻魔に対して体術を用いて進行方向を確保し、襲い掛かってくるモノを避けていくが、どういうわけか消すことができないため、何度でも起き上がり寄ってくる。
面倒臭さを感じずにはいられない理由は、これだ。
心霊幻界でこのような状態になっている今、屋敷で意識を失っている俺たちは、どういう状態にあるのか。気になりつつも、目の前に次々に現れる幻魔によって、何度もそれに対する意識は途絶えさせられ、いつしか気にする余裕すらもなくなっていた。