第五話 黒ノ世二興ジ友
俺の不安は募るばかりで、解消などという言葉を知らないでいる。すべては、俺を捕らえるように始まった、黒と怪。それが、一気にこの身を浸食していっている。
だからこそ、この場で答えを聞くべきだ。何かを知ってる、と言える違和感があったから。
「どうした?」
それなのに彼は、いつも通り過ぎていた。そんな彼を前に、聞けるわけがない。仮に聞いたとして、俺自身がどうするつもりなのかもはっきりしないのに。
聞いてどうなるだろう。何も知らずに、ただ心配して、大袈裟に意識がないと思っていただけだとしたら、それまでだ。
「……何でもねーよ」
俺のせいで、時間を無駄にしてしまったウィンに、罪悪感を覚える。「大丈夫だ」と顔を見せるだけでも、彼女は安心してくれるはず。
すぐさまラオに一言断りを入れ、その本人がいる部屋に向かった。
「ウィン、いる?」
軽く戸を叩き、訪問を知らせる音を鳴らす。暫くすると、ノブを回す音とほぼ同時に、ウィンが出てきた。
「ザイ! 大丈夫なの!?」
ラオが、俺の体調が優れないと伝えているのなら、心配するなという方が、無理な話だったかもしれない。
もっと心配をかけない断り文句はなかったのだろうか。
「大丈夫。……ごめんな」
「ううん、ザイが体調悪いのに、引っ張っていく訳にはいかないもん。また誘って」
「うん、ごめん。約束する」
そう言いながら、俺はウィンの頭に手を乗せる。軽く、撫でるか撫でないかの微妙な動きで、目の前の瞳は隠れ、笑顔に変わった。
次は、絶対に守ることができる約束を。誰かが心配しなくても良いように。
「またな」
「うん。ゆっくり休んでね」
曇りのない表情から発せられたその一言は、何となく、俺の小さな覚悟になった。
一仕事終えたら、言われた通り自身を労わっても良いかもしれない。
自室に戻り、シャワーを浴びるためにまっすぐに浴室を目指した。ラオは俺が出た後に帰ったようで、部屋には居なかった。部屋の主以外の人間が一人で部屋にいるというのも変な話だが、それほど気の置けない仲なのが俺たちだ。
シャワーを終えてベッドに体を寝かせ、冷静に考えを組み立てた。
(聞いてみた方が、もやもやとはしない、のかな)
今の俺のことを、相談に乗ってもらうだけでも良いかもしれない。俺が、真剣に相談して聞いてもらえる相手は、やはりラオだ。
そう考えがまとまったところで、つい先ほど寝かせた体をゆっくりと起こし、部屋を出た。
「ラオ! いると思って開けた!」
ウィンの時とは違い、ノックなしで唐突にドアを勢いよく開ける。ラオは目を丸くして驚いていた。
「びっくりしたー! いると思ってってなんだよ、さっきまで元気無かったくせに。何、やっぱり話あるの?」
「実はさ」
俺はできるだけ細かく、ラオに相談した。
「……ふーん。様子が変だと思ったら。その〈暗黒〉ってとこに引っ張られてたんだね。で、その怪異と鎌を探さないといけない、か。……口ぶりからしても、作り話には思えないね」
話の内容に関して、全く驚く気配がしない。まるで、分かっていたかの様な、当然といったような反応だった。
「何で……信じられないとか思わねえの?」
「だから、お前に限ってそんなややこしい話をわざわざ作ってるとは思えないよ」
「え? ちょっと待って、どういうこと」
「あっいや何でもない。とにかく、ザイは俺の部屋に来てまで話してくれただろ? 信じるよ、ザイのことだしね」
いくらなんでも、俺の話だからと信じすぎている気もする。親しい友人の間柄であれ、こんな話をされて、頭がおかしくなったとか思わないものなのか。
「ってのもあるんだけど。……実はね、それ知ってるんだよ」
「……は!?」
何の関係もないはずのラオが、俺の事情に関することを知っている。それを聞いてしまった以上、話を深く追求する他ない。思わずラオの肩を掴んで、何とも言えない感情で、必死になった。
「何を知ってんだよ!? 何でそうまで、俺を疑わないんだよ!」
「えっ、ちょっと落ち着いて! ……ね、ザイ」
ラオの手は力んだ俺の腕を越えて、俺の肩に触れた。その落ち着いた行動で、自然とラオと目が合う。抱えていた不安が、思いもよらぬ形で解かれて、我に返ると怖くなった。俺が俺を受け入れられずに、彷徨っているようで。
「一人じゃ、抱えきれねーんだよ……」
「……そうだろうね。ザイに関係無いと思って、黙ってたんだけど」
俺は、ラオと目を合わせないように俯いた。腕の力が抜けて、重力に従って垂れた。
今は、ただ怖い。〈暗黒〉を、ラオの知っているそれを知ることが。先程の突発的な勢いは、なくなっていた。
聞きたくないと、自分勝手だけど、そう思う。
「ザイ?」
突然静かになった俺に、ラオは覗き込む様にして話しかけた。
「……俺もな、一度だけ行ったことがあるんだよ。鎌のことまでを聞いた後に、お前は違う! って帰されたけど」
「お前も……? だから、知ってたのか……」
「うん。気にすること無いと思ってたんだけど、本物の〈暗黒者-デッド-〉がこんな近くにいたとはね」
笑って、俺を見る。けれど、その表情とは反対に、手元は震えていた。
その手の震え方が、頭に焼き付いた。その点においては、信じたくないのか。その手に入り込む力は、肩にまで伝わっている僅かな振動で、嫌でも俺に伝わった。そこまでの理由を聞きたかったけれど、それは聞きづらくなった。
「ごめん、あんな言い方して」
「気にしないでよ。そんなの、誰だって相談しようと思えないし、相談した相手が知ってたら俺だって同じようになってたと思うよ。な? 整った顔がもったいないよ」
「お前に言われるとお世辞にしか聞こえないんだよ」
まあまあ、とラオは俺をあやす。いつの間にか、ラオの震えはおさまっていた。
「じゃあ、今から行くの? その、鎌探し」
「うん、行ってくる。部屋に戻るのも面倒だし、ここで気絶していい?」
「気絶……? うん、まあ気絶か……。どうぞ」
部屋で一人でいる時に、意識がないことから大事になっても不本意というもの。
目を瞑り、怪異に言われた通りに名を呼ぼうと声を出そうとするが、それはそれで少し気恥ずかしい気がして。ダメ元で心の内で呼んでみると、次第に俺の意識は遠ざかっていった。
「まさかザイが〈暗黒者-デッド-〉だったなんてな」
意識を手放したばかりのザイを見て、思わずそう口にしていた。
同時に、俺は過去、自分に起きた『そのこと』を思い出していた。
......
『長かったな』
待ちくたびれたと言うように、大きな体がそこに寝そべっていた。その怪しく光る、強い光のような黄色い目は、暗い色の毛並みのせいか、空間のせいか、ただただ目立つ。
「うわぁ……なんか俺がやる気あるみたいじゃん」
『……今の間で納得して来たのか? あまり動揺がないな』
ラオに聞いてもらって、安心感が生まれたからか。それとも時間を置いたことで、単に受け入れただけなのか。きっと、それを踏まえた上で……俺が思う俺の答えは。
「面倒だから、認めたんじゃないかな。難しいこと考えるの苦手だし」
ラオに話を聞いてもらえたことは、全くの無影響だとは言えない。ただ、総合的に見てそこに落ち着いているのではないかと、そう思う。
それでも、〈暗黒〉が不気味であることには変わりない。暗く、周りに何があるのか分かりづらいのに、仮契約した穏慈の実体は、はっきり見える。その後方で、大きな二又の尾が揺れていた。
『さて。お前が居る間に見つけたい。さっそくだが』
「うん」
『乗れ』
「え?」
『こっちの方が早いだろう』
穏慈は、自らの背を向けて言った。穏慈のその意図というものが見え、そういうことか、と呟いて、穏慈の背に乗る。『捕まれ』と一言言うと、すぐに駆け始めた。
僅かに風を切りながら進んでいく。話題もなく黙っていたが、〈暗黒〉で生きているのであれば、ラオの時のことも知っているのではないかとそう踏んだ俺は、その背から声を掛けた。
「前にさ、人間来てるんだろ?」
『……あぁ? 何故それを知っている? お前の知り合いか?』
「知り合いっていうかダチだよ。何で引き込まれたんだ?」
前提条件として、〈暗黒〉に人は存在できない。けれど特例として、〈暗黒者-デッド-〉は存在できる。穏慈はそう言っていた。
それならばどうして、〈暗黒者-デッド-〉ではなかったラオが一度でも存在できたのか。それは当然、不思議だった。
『可能性があったからではないのか? それを引き込んだのは我ではないし、真意は分からんがな』
「そうか……」
可能性だけで連れてこられて、存在していたということは、違う形で〈暗黒〉に『関わって』いるかもしれない。それ自体は否定できないのではないだろうか。
疑問を抱きながらも、分からないと言われたことで、話題はそこで打ち切った。
ラオを引き込んだのは、一体どんな怪異だったのだろうか。少しだけ、興味が湧いた。