第五十六話 黒ノ怪ノ眼二止マル者
少年たちがホゼと出くわした頃。
雷氷を放った私の前に、腹に鋭利なものが刺さっているガネの姿が一瞬見えた。ガネの前にはヤブがいて、ガネの剣によって負傷している。そこに、勢いよく雷氷が直撃した。
「ガネ! 無事!?」
ヤブを押さえて、雷氷を直に受けたガネを心配する。ガネが簡単に死ぬはずはないと思いながらも、それなりの不安があった。感電死なんて、日常でも起こり得ることで、ましてや強力なそれが体内に流れるのは、通常の感電よりも死の危険が高まる。
微かに聞こえる呼吸の音を辿り、膝をついているガネに寄り添い必死で反応を待っていた。
「ガネ!」
「がはっ……、ごほっ……。はぁ、さすがだな……」
思ったよりも平気そうで、眼を合わせてきたガネに安心する。しかし、その時ガネの腹に刺さっている針も同時に目に入った。出血もしていて、慌てて布を当てようとするが、ガネにそれを止められてしまった。
「……僕が針術の操者で良かったな……っ痛」
「もしかして……針の能力?」
頷きながら自らそれを抜くと、当然のごとく血が飛び散った。
話を聞くに、針を腹に刺したのはガネ自身。ガネが言うには、【無の針】という、自分が受けるだろう大きな衝撃を無効化させる能力を掛けた針術。外傷的なものには効かず、体内への直接的な衝撃を受ける場合にのみ効力を出すため、今回の雷氷は無効化できたということだ。それなら確かに死ぬことはない。しかし、自己の外傷を代償にしているのだから、あまり使わないでほしく思うのが本音だった。
「使用に限りがあるし、無理矢理無効化するから大きな負荷もかかるのが難点だな。それより、あいつも一応雷氷は受けたが、衝撃を受けたにしてはすぐに逃げていった。深手は負っているはずだ」
「ガネは平気なの? その傷、手当てしないと」
「応急処置で十分だ、気にしなくていい。それに、あの逃げ方はこの場が危険だから離れたんだろうし、ザイ君たちが危ないかもしれない。僕たちも行くぞ」
「……分かった、でもこの布は巻いておいて」
私が差し出した布を素直に受け取り、血が出ている腹部に当てて固定すると、その布には止まらない血が滲んできていた。ちょっと無茶をしたかもしれない、なんて言って、困った顔で笑って見せる。ガネは本当に強い。少しも弱さを見せなくて、いつも心配をかけさせまいとする。“昔から”そうだ。そういうところに憧れを抱くも、どう言葉をかけるか悩む自分がいる。
「大丈夫そう?」
「これくらいなら、何てことない」
でも、確実に変わってきたことがある。冗談できついことを言うことはあるけれど、表情はとても柔らかくなった。私に背を向けてザイ君たちを追おうと足を進め始めたガネを見て、静かにそう思った。
「どうした?」
「……ううん。相変わらず強いなって思ったの」
「……急がないと、何が起きるか分からない。行くぞ」
「うん」
こんな時にガネの以前の姿と比べてしまうなんてどうかしていると思いながらも、困った顔で無理に笑って見せるガネの顔が、そうさせてしまったんだと、勝手にガネのせいにしてその背を追った。
△ ▼ △ ▼
地下の入り口に辿り着き、施錠された扉を蹴り破った。誰かが侵入するなら、主の命に従って全て倒せば良いだけのこと。事の収束まで、我がここを離れることはない。
『……ふん、嫌な気配だ』
〈暗黒〉でも察したことのある気配のような、違うような。曖昧で、しかし不気味な気配が、我の感覚を揺らしていた。
地下にいる大勢の者の中で、我が頼りにできるのはウィンのみだ。とりあえずウィンを探そうと、足を踏み出す。階段を降りきった末に、上と同じ様な通路が露わになった。
ここに逃げてきた屋敷生は、ざわつきながらも何事もなく集まっている。
「あっ、あの人!」
こちらに気付いた屋敷生もちらほらと見え、その中で一番手前にいた者にウィンの居場所を尋ねた。
余計なことに構う暇はない。ザイヴの事情を知っている彼女でなければ、話は通じない。
「ウィンちゃんなら……あっ、いた。ウィンちゃーん!」
呼びかけられたウィンの顔がこちらを向き、すぐに駆けてきた。その顔は、どこか不安げで、いつもと様子が違う。目の前までくるが、場所を変えた方が良い。屋敷生が集まっていない場所で、静かに話を始めた。
『……顔色が良くないな、何かあったか?』
以前、クリスタルの異物がラオガに憑いて襲ってきた時に、ソムは「ウィンが異常を察知した」と言ったはず。もしかしたら、それ同様に何かを察しているのかもしれない。
「え、そ、そう見えます……?」
『遠慮するな。我が怪異だと知っておるのはお前だけ、お前のもつ力の手を借りたい』
周りに聞こえないように、小声でそこまで言い終えると、『言ってみろ』と付け足す。すると、屋敷生が集まっている場所と真逆ともいえる方向を指で示し、恐る恐る口を開いた。
「……あの奥の方が、何か……気持ち悪くて」
ウィンの様子を見る限り、確かめる必要があることを確信し、近づかないよう念押しをしてからその方向へ足を進める。確かに、潜んではいるが嫌な臭いがする。さっき感じたものと同じような気配も強い。それに、やはり我はこれを知っている。
『……まずい。ウィン、全員更に奥に逃がせ! 絶対にここには来るな!』
「えっ!?」
「何、何があったの!?」
『お前たちでは相手にならん! 早く行け!』
声に反応する屋敷生たちは、その荒げさに不安の表情を浮かべる。ウィンの誘導で皆一斉にバタバタと逃げ始め、あっという間にウィン以外の者が場所を移していた。
「穏慈さん、私も何か……」
『地下を守れと、ザイヴからの“命令”だ。奥にいろ、必ず守る!』
ウィンがそれに応じて移動するのに数秒の間を要し、その後屋敷生のもとに向かったのを確認し終えたところで、奴は出てきた。
「お前、また邪魔を……」
『怪異を失ったお前が、まだあいつに飼われているとはな。泰』
〈暗黒〉で歪みを作り、ザイヴを捕らえようとした、ホゼの手下、泰。また、シュウという名を持つ、その時怪異を失った奴。対面するのは、これでもう三度目だ。
「怪異は失った。だけど、役立たずになったわけじゃない。だから、来た」
怪異であるための能力を砕いたものの、人としてこちらにいるところを見ると、泰はそれを可能とした怪異だったのだろう。半信半疑ではあったし初めての事象だが、そう理解するしかない。
『その割に様子を伺っていたようだが……まあそれはいい。お前はここで殺してやる。怪異の恥だ』
「……ふ、お前に殺されるのは構わない。ただ、シュウはホゼ様に尽くす。それだけ」
そこまで聞き、疑問を抱いた。役立たずになったわけではないと言ったのもそうだが、尽くすと言うからには、それなりの力はあるはずだ。ただ、怪異の能力はすでにない。
だとしたら、泰はどうやって挑んでくるのかと。
『……良いだろう、受けて立とう』
その言葉が気にかかりつつも、ここで終わらせておくべきだと踏んだ我は、今度こそその命を絶つつもりで真っ向勝負を受けた。
△ ▼ △ ▼
「うらぁ!」
ギカが何度も【細斬り】を見せていることで、ホゼはすぐにものともしなくなり、完全に避けられていた。もうギカの細刃の力には頼れない。
「だったらこっちだ! 【潰傷鎌】!」
「【槍の針】!」
俺とラオの能力が重なり、以前陰と戦った時のようにその力が増幅したのを感じた。ラオのそれがホゼに突き刺さり、ぐらついたところに俺の能力が体内に入り込んでいく。ホゼに見せてない鎌の能力だったためか、ホゼも何が起きたか分からなかったようだ。それは、体内に侵入して体内を直接裂く能力。軌道さえホゼに向かえば、必ず当たる。しかも、相手にその軌道は見えないはずだ。
「何……っ! ぶあっ!」
ホゼは吐血し、床に血を撒き散らしていた。その瞬間を切り取ると、自分が凄く惨いことをしているようにも見えるが、相手が相手だ。気を抜いたら殺られるのは、俺たちの方になる。それを考えると手を抜くわけにもいかない。
「っち、面倒だ……」
そう呟くと、ホゼは手を上に翳した。
何をするつもりか、不安から緊張感が生まれた俺は鎌を、ラオは鋼槍を構えなおし、姿勢を低く保った。
「ガキ共下がってろ」
そんな中、ゲランさんは莫刀を二刀流で構え、前に出た。
腰から抜いたそれは一層の鋭さを見せ、俺たちを引かせるには十分な威圧感を醸し出していた。
「俺も一応教育師だからな、強いぜー?」
そんな冗談じみたことに付き合う余裕はないが、この人なりの自信があるのだろう。しかし、異様にしっくりくるその姿に、医療担当教育師という肩書を忘れそうになる。
「さあ来い、俺はそれを知ってる。致命傷だけは避けられると思うぜ」
「ふん、そんな簡単には止められん」
ホゼが翳した手は大きく揺れ動かされ、何かが生じた。
それは、見たことのある黒靄。人体に入ると猛毒に侵され、体の自由が利かなくなる。それのせいで、俺はホゼに浚われたこともあるため、ギカにも注意を促した。
「ギカ、あれ吸っちゃだめだからな!」
「えっ、マジ?!」
空気と同じようにそこに漂い始める黒靄を吸うな。というのは、もしかしたら無理があるかもしれないが、できれば避けてほしいと黒靄から距離を取らせた。手が出せなくなってしまい、ゲランさんは大丈夫だろうかと心配しながら頼り切る形になってしまった時、後方から声が聞こえてきた。
「みんな伏せて!」
「【聖の針】!」
その声と、飛んできた針術に反応し、俺たちはすぐに身を伏せた。その針は黒靄を散らし、その場の空気を純化した。もちろん、その声の主はガネさんとソムさんだ。ヤブのことはどうにかしたらしい。
「! ちっ、ヤブはしくじったか……」
「ちょ、何その怪我!」
俺は体を起こし、すぐに目に入ってきたガネさんの腹の怪我に目がいく。応急処置はしているようだが、当てられた布にはじんわりと血が滲んでいた。
「ちょっと……いろいろありましてね」
ホゼは黒靄を払われつつも、再びそれを発生させる。それも、巨大な塊。ガネさんは針術を飛ばそうとするが、負荷を抑えるためだとソムさんに止められて飛ばせずにいた。
「傷を広げるつもり!? ゲランがいるんだから体の心配して!」
そうしている間にも、ホゼのそれは巨大化する。ホゼ自身を、軽く包み込めるような大きさになったところで、ニヤリと笑みを浮かべる。
「ゲラン、止めると言ったか。やれるものならやってみろ!」
黒靄はバンッと破裂し、その場を薄く流れ始めた。広範囲に広がっていくそれに対応しきれず、俺たちは再び床に伏せて様子を伺う。多少息を止めていれば侵される心配もないが、大きな鎌を振るには苦しい部分がある。何とかできないものかと考えるが、ラオもギカも何も浮かばなかったようで、顔を曇らせていた。
そして、加えてホゼは、黒靄で造り出した物体を飛び込ませる。
「てめーのそれはめんどくせぇよ、ったく……」
二刀流で、莫刀を交わらせると、キンッという音と共に、更に巨大化した。
それに驚きながらも、その凄まじさに目を離せないでいた。しかし、黒靄の広まり方は治まらず次第に視界さえも遮られようとしていた。
「ガネ、針を飛ばしてくれ! その方がやりやすい!」
「えっ、わ、分かりました……!」
現状、この黒靄を純化し晴らすことができるのはガネさんしかいない。この場にある靄をすべて排除してくれたら俺たちだって動けるが、針術を使った直後に腹部を抑えて眉をしかめているガネさんを見ると、頼めるわけもない。
ガネさんが針術を通した場所は黒靄が晴れ、道のように一筋そこにできていた。
「くらいな!」
巨大化した莫刀は、どういう構造かゲランさんの手に巻き付いていた。ゲランさんはそれを器用に操って、その筋を何度も断つ。そして、黒靄の機能は少し下がったかのように、バラバラと散り始める。
そうなると、ゲランさんはホゼの方に一直線。しかし、ホゼは黒靄で作り上げた三本の戟で防ぐ。
「それで終わらせたつもりか」
「……はっ、俺が抑えてれば無理だろ?」
「そうか?」
「ゲラン!」
ガネさんが先に気付いたが、ゲランさんの後ろから、ヤブがトンファーでその背中を思い切り突いた。いつの間にここに来たのかは気にしていられない。トンファーが必要以上に捻られると、ゲランさんの背に食い込んで、血が吹いたのが見えた。
「逃げたくせによくまた僕の前に現れましたね!」
「っ! てめ、いたのかよ!」
ガネさんが剣を抜いてヤブに斬りかかり、ヤブは肩から腰のあたりを掠ったらしくその部分の服が裂かれていた。
「ぐあっ……」
「ふん、その程度か」
ゲランさんは力が抜け、その場に倒れる。こちら側にくるホゼに、俺たちはどうしようもない。黒靄を吸うわけにはいかないから、動けない。その時、床を踏む音がして、目の前に人が立った。
それをきっかけにして、あたりに浮いていた黒靄は凍り、ぱらぱらと床に落ちていっていた。その光る屑は、場にそぐわず綺麗だった。
「私が相手をする」
ソムさんのお陰で動きがとれるようになり、すぐに体を起こしてソムさんに並ぶ。ホゼは足を止め、じっとソムさんを見ていた。
「お前、怖くないのか」
「……私だって教育師よ」
「ならば止めてみるがいい、そこのガキと共にな」
ホゼは再び俺たちの姿を捉え、三本の戟の先を向けてきた。それに怖じる必要はない。こちらには十分なほどの勢力が力を貸してくれているのだから。
「黒靄がなければ戦える!」
ただ、一つだけ気にかかっていることがある。地下の件だ。穏慈が戻ってこない上に、ホゼとヤブが揃っているのに現れない泰の存在。そして、その泰がトドメこそさせなかったが怪異を失ってなおこちらで生きていること。それらを組み合わせると、「使えないものを手にしている」という状態のホゼがいることになる。つまり、何か手があってのことなのではないかと。この時俺は考えていた。
そして、その考えが浮かんだと同時に、直感的に嫌な予感というものがした。
〈暗黒者-デッド-〉として、〈暗黒〉とアーバンアングランドを守るために、俺が今必要な戦力を考えて出した答えは。
「それは楽しみだなあ……私の言葉を忘れたわけではないだろう、ザイヴ」
「忘れてねーから、いろいろ考えてたところだよ。でも今、“俺がすること”はあんたを止めることだ!」
俺自身が、この場でこれ以上の被害を広めないことだ。