第五十五話 黒ノ毒牙ト覚醒ノ兆シ
獲物を定めて狩ろうとする獣のような、鋭い眼を見せるホゼが目の前に立ちはだかる。俺はきっと、その獣に噛み殺される道を辿ろうとしている動物だろう。例えるならばそんな感じだった。つまり、身に纏いつくものは、恐怖の他ない。
「テメェ、よく簡単に切り捨ててくれたな」
そんな緊張感の中で、ゲランさんの図太い精神力が口を開く。その腰の莫刀に手を添えて、堂々と俺たちの前で立っていた。
「まあな。私にも欲望くらいはある。それに応えるために動いただけだ」
「はー、テメェにはいろいろと世話んなったと思ってたんだけどなぁ」
ゲランさんも負けじと言い返して、手出しを引き延ばそうとしている。正直そんなものが効くとは思えないが、いきなり襲いかかられるよりはマシだ。
「……そんな話はどうでもいいだろう。単刀直入に言う、ザイヴはもう必要ない」
その言葉は、俺にとっては気持ちが少しだけ解放されるものだった。それでもなお屋敷に現れたということは、もっと別の目的があってここにいるということになる。
唐突に、俺自身に向けられるホゼの眼を直視できないでいたところに、また追って発言した。
「その意味が分からんか? まあそれでもいいだろう。お前のせいで起こりうることを教える義理もない」
「はっ!? どういうことだよ!」
そんな言葉、聞き流すわけがない。俺のせいで、何かが起きようとしている。ホゼの手によって起こされることなのだろうが、想像したくもないし、聞きたくもなかった。しかし、その思いは簡単に裏切られた。
「そうだ、地下には大勢の屋敷生がいるようだな?」
ただただ、言葉が出ない。ただ圧力があるだけで、俺は何もできない。
けれど、不思議と自分の心にあった恐怖がどことなく無くなっていっているのを感じていた。何かに吸い取られているような感じさえする。
何もできない中で、恐怖すら置いていきそうになっていると、穏慈が俺の肩を叩いて意識を戻してくれた。
『ザイヴ、我はお前が判断したことに従う。安心しろ、我がついておる』
そう言われて、今いる状況に再度はっとした。地下に手を出されたら、手遅れ程度では済まない。
どうしたらいいのか、全く頭が回らない。穏慈のそんな言葉も、気休めにしかならなかった。
「穏慈、ザイを頼むよ」
『あぁ』
その答えを聞くと、ラオは俺の前で鋼槍を構える。
それに続いて、ギカもラオに並ぶ。こう言っては何だが、この場にギカがいることは有り難いことだった。人手が増えると同時に、ギカの細刃は、ホゼにとって想定外のもの。
屋敷生の攻撃は把握しているだろうし、俺たちよりギカの方が攻撃しやすいはず。しかし、本格的な講技は未経験なため、そのリスクは大きい。
元は教育師という事実に変わりはないし、何よりホゼは強い。
「安心しろよ。オレは、オレで身の守り方くれー知ってるからよ」
「ギカ……」
笑えてくる。どうしてかは分からないけれど。
だけど、何だろう……。そうだ、俺の意識が吸い取られていっているようなぐらつきの中で、懸命に言葉を探してホゼに言い放つ。
「……俺は、俺が守りたいものを守る。絶対。だから……」
「あ?」
じわじわと……“染まる”感じがする。俺には分からない何かに。今向き合っている現実に歯向かうために。俺が俺の手で守りたいと願って。
ホゼが屋敷自体に手をかけようとしている今、俺の心は今までで一番大きな反応を見せている。俺のせいなら、俺の力で何とかしないといけない。
「! なっ……に!?」
「ザイ!?」
これを言葉で表すならば、何と言えば良いだろう。心が取り込まれるような、飲み込まれるような感じを。いや、この気味の悪く、大きな力と妖気は、暗闇に存する〈暗黒〉そのもののような、そんな感じだ。
「“俺がお前を止める!!”」
しかし、どうして突然この感覚に囚われているのか。分からないまま、鎌を手に構えた。
この時の俺に、ホゼに向かう恐怖は一切としてなかった。
△ ▼ △ ▼
ソムはこの状況を有利に使う手を持っている。とは言っても、ヤブの動きがあり、目標を定めるには難しいと判断し、まだ炎を留める氷を砕く行動自体には行きついていない。
「まだ、それは早い。もう少し削らないと!」
「……ちっ、リーダーが警戒してたのは女かよ」
ヤブはトンファーをその場で振り回し、僕たちを自身に近付けないようにしている。それくらいの警戒か、それとも裏があるか。
しかし、そんな動きは時間稼ぎにしかならない。
「私の能力は、炎と氷だけじゃないのよ」
ソムも考えは同じのようで、杖が見えなくなるほどまで回転させると、息を二回吹きかけた。
それに反応した杖にパチッと電気が走り、稲妻のような光を帯びた。
「雷煌!!」
それを思いきり頭上に向けると、勢いよく広がりながら大きな稲妻が発生した。その場に留まったままのそれに、余裕の笑みを浮かべ、一度杖を振り下ろしていた。
「っにぃ!?」
「あなたもそろそろ覚悟を決めてください」
「くっ、くははっ、そういう眼ぇした奴殺すのは……大歓迎だぜ?」
「そうですか、それは光栄ですね。僕も、獲物を塵にするのは大歓迎ですよ!」
ヤブに向かって走る直前。ソムが言っていたように、針を数本投げておいた。ソムはしっかりとそれに気付き再び杖を頭上に上げた。一部砕けたのを確認し合図を出すと、待ってましたと言わんばかりに狙いを定める。
「っやあ!!」
トンファーと剣が交える中、ソムは、そこに留まる雷煌を押し出した。
そしてそれは、針に引かれるように進み、炎を凍らせた氷に、ぶつかる。その瞬間、何ともいえない音が響いた。
そこにできたものは、氷に、炎に、針によって寄せられた雷という三種の属性が備わったものだ。炎を氷で防いでいるため多少の熱で少なからず溶けているとはいえ、水分があるところに雷がくっつけば、起こることはただ一つ。
「そういうことか……。ソム、僕は大丈夫だ、好きなタイミングでやれ!」
「えっ!? いくらガネでも無理よ! 万一触れたら……!」
しかし、そんな忠告を無視して、ソムに笑みを見せる。僕はそれを防ぐ方法を持っている。僕が操る針術があれば、可能だ。
「僕が大丈夫と言ったら、大丈夫」
「……分かった」
ヤブは、ソムを止めるために僕を押しのけようとするが、そう簡単にはいかない。
こいつの相手はそもそも僕だ、逃がすわけにはいかない。
「余所見をしていたら、心臓に穴が空きますよ!」
胸の付近を狙うつもりで剣を回し、そのついでの形でヤブの持つトンファーをひとつ、払い落とした。ヤブが剣を止めようとしたその反動で、剣は一度跳ね返ったが、次は確実に捉えられる。
「てめっ!!」
ソムは杖を縦に構え、上にゆっくりと上げる。そしてそこで杖を回し、止めると、放った。
「属性融和、雷氷!」
バリバリと激しい音を立てながら、それはソムの力によってこちらに向かってくる。
もちろん、普通の人なら感電して命が危ぶまれるようなものが、人工的に作られて迫ってきているということもあり、ヤブもただならぬ表情だ。
「チッ!」
「逃がしませんよ!」
雷氷に気を取られた瞬間に、剣をヤブの脇に突き刺し、その場にその身を倒した。あばら骨のあたりに刺さったから、骨を折っているかもしれない。
「かはっ……」
「ちっ、外した」
急所こそ外してしまったが、後ろには雷氷が迫っている。僕自身にも時間がない。僕がそう思って針術を使おうと一本の針を手にした時、その腹には、鋭く刺さるものがあった。
その針には、自身の血が伝ってこぼれていっていた。
△ ▼ △ ▼
『ザイヴ!』
穏慈の焦り方からしても、危ない状態らしい。
ゲランさんが前に立っていたのに、ザイはそれを押しのけて行ってはホゼと戦っていた。あの動き、あの纏われた気、それはザイのものとは思えなかった。突然起きたその状態に、俺も頭がついていかないが、このままではザイにとって良くないと、とにかくザイを止めるべく、ギカに協力してもらうことにした。
時々見えるその眼をよくよく見ると、眼の色に異色が混じり、いつもと全く違う姿をしていた。
「ザイ!」
「なるほど……これが覚醒か。〈暗黒〉は〈暗黒者-デッド-〉であろうと、人間には不釣り合いな場所だからな!」
そう、彼の気はまるで、黒。真っ黒で、存在が恐ろしい、暗黒。何かの拍子にそのタガが外れた、今回はホゼが要因だろうと、穏慈は言う。
「どうすればいい!」
『我がやる、その間の引きつけは頼んだぞ』
ザイは、鎌を持って暴れている。しかし、ホゼを掠ることはできても斬ることはできていない。乱暴に振り回し、落ち着きなど知らないように動き続けている。
「グゥウ……!」
「ガキ共、ザイヴをホゼから引き離したら、それ以降戻るまで近づけるな!」
「はい!」
穏慈はザイの鎌の刃を素手で掴み、瞬間に、少年二人と医療担当教育師が間に入り、ラオガは鋼槍でホゼの肩を貫いた。
「ぐっ……!」
「細斬り!」
至近距離の細斬りは、大分効くと思われる。真正面から小さな刃が多数飛んでくるのだから。
ホゼの体の至る所に刺さり、至る所から血が伝う。やはり読んだ通り、タイプの分からない相手だと初めは対応に時間がかかるのだろう。今のタイミングである程度削れば、勝機はあるはずだ。
『ザイヴ!』
「ヴ……! 離セェ!」
三人がかりでホゼを止める中、穏慈は少年の視界を、遮るように手を添えていた。
『主!』
......
ああ、また真っ暗な場所にいる。あの時と同じだ。
いや、俺たちはホゼを見つけて、ホゼを止めたいと思ったら、段々恐怖が失せていって、分からなくなってしまった。そこまでは覚えている。
それからだ、俺の心が誰かに乗っ取られたようになって、自分が思う以上の動きをすることができた。……俺は、どうなっているんだろう。
─主、自分ヲヨク視テ
「! 誰だ!?」
─主、呑ミ込マレテハ、イケナイ
「……呑み、込まれる……?」
俺が、何に呑み込まれようとしているというんだ。
いや違う、呑み込まれる以前に、俺は今、“どこにいる”んだ……?
─我ノ声ヲ聞ケ
「!」
聞き覚えがある、頼れる存在の声が耳に響く。俺を引っ張り出そうとしている。
応えなければ、戻らなければ。俺の心に入ってきた何かに、俺を渡してしまわないように。
......
「穏慈!」
気がつくと、俺は後ろから穏慈に抱えられていて、その視界は塞がれていたようで、少し眩んでいた。
『戻ったか。ザイヴ、自身を失うな。向かうべきは分かっているだろう』
「ちっ、覚醒が止まったか……。面白くなりそうだと思ったんだがなぁ」
情報から整理するに、俺は「覚醒」の症状にあったらしい。一体何が覚醒したのか。そんなもの、〈暗黒者-デッド-〉の能力しかない。それで、あんな気味の悪い感じになっていたのかと納得するが、あまりにも突然で頭がついていかなかった。
そして、目がはっきりと視界を映した時には、ホゼに向かうラオとギカの情景があった。ラオは【槍の針】を唱え、ギカとゲランさんはそれを追尾して行く。
「テメーが青郡潰そうとしてる奴か!」
「……青郡の者か? 見ない顔だ」
「話は聞いてるぜ! ぶっ飛ばしに来たんだよ!」
それを聞きながらギカの細刃を受け止めたホゼは、厄介そうな顔を見せた。
やはり、ギカが、つまり堕とそうとしている青郡の者が、己の武器を持って介入してくることは、考え通り全くの予想外だというわけだ。
その一瞬に、ゲランさんがギカに「下がってろ」と言いながら、ホゼの胸ぐらをつかみ上げた。
「テメェがしたことは許さねぇぞ」
「なんだ、お前も血が滾っているってわけか?」
「俺だって教育師だ、屋敷生に手を出されて何も思わねーわけねーだろうが」
それもそうか、と一言呟くと、ゲランさんの腹を蹴ろうと足を上げた。とっさに莫刀を前方に出し、その平面の部分で足を受け止めるも身は後方に押されていた。そのついでというように、近くにいたギカも靄で凪払っていた。
「あっ! っくそ!」
ここで時間を取っていたら、ホゼが言っていたように地下にまで手が伸びるかもしれない。そうすれば、逃げた屋敷生たちがどうなるか分からない。どう動くのか最善に繋がるのか、必死で思考を巡らせた。
『ザイヴ、一人で全て抱えようとするな』
「!」
穏慈の存在を確認して、一瞬で案が浮かんだ。こいつは形式上俺に従っている身。俺が頼んで動いてくれるのなら、頼るしかない。そう考えて、迷いにケリをつけた。
「……穏慈、俺、ここを守りたい」
『あぁ』
ホゼの言葉が、どうしても引っかかる。地下に手を伸ばすつもりなら、刺客がいるのかもしれない。現に、崚泉で見た元怪異の姿は見えない。〈暗黒〉で一度は怪異の能力を打ち壊したから来ていないだけかもしれないが、生きている限り可能性はある。
「だから……」
それなら、穏慈に命ずることは一つしかない。
─お前は地下に行って、ウィンたちを守れ。絶対にだ!
そんな頃。
地下には確かに、薄暗く、奇妙な影が迫っていた。その存在の気配に、一人の少女がすでに気付いていたが、それは怪異がたどり着くまで明らかにはならない。