第五十四話 黒ノ映ス姿ニ見エル変容
狂乱編
屋敷が揺れ、屋敷生は一斉に混乱状態に陥った。教育師の流れるような誘導により、ほとんどの屋敷生は二重施錠のかかる地下の扉から下層に逃げ、俺たちを含む数名の屋敷生と動ける教育師はその揺れを引き起こしたと思われる人物を待ち構えていた。
「ザイ君は単独にならないようにしてくださいね」
事情を詳しく掴むガネさんは、俺に対し高い用心をもっている。ラオとともに俺を庇うように立っていた。
当事者の俺もそこまで気を抜けるはずもない。あいつがここに現れた形跡がある、つまり行動しているということは──この先も、予想できることだ。
ただ、俺を狙っていることで、俺を使って誘導することはできるかもしれないと、ひっそり思っていた。
屋敷内に散らばる教育師に、その場からほとんど動かない俺たち。そこに、見覚えのある人物がトンファーを持って近づいてきた。
「元気そうな連中ばかりだなぁ、おい」
「……待ってましたよ」
「今度は本当の殺し合いだあ!」
ガネさんに標的を絞ったヤブは、衝突するように体を前進させる。ガネさんは腰に携えた剣を抜き、ものともせずに受け止める。押し返しては受け身を取り、飛びかかってくるヤブに対して何度も何度も剣を振っていた。
「あの時の俺様……安心しなさい、最大級に嫌いです」
トンファーを振り回して飛びかかってくる相手が、自分の剣に一瞬触れた瞬間に蹴りを入れた。
それは距離を取って見ていても分かる繊細な動きで、ヤブの予想にも反した行動だったようで、その腹に命中すると後方に飛び壁に鈍い音を出して激突した。
「ぐえっ!」
「……ちっ」
ガネさんは舌打ちをすると、再び剣を構えて今度は自分から低姿勢でヤブに向かっていった。
その様子を見たソムさんは後援ができるように杖を持ち、俺たちが害を被らないよう、下がるように指示をした。
以前と違って“命を絶つつもりで”剣を振るうガネさんの姿を見るのは初めてだが、味方であってもその動きにピリピリとしたものを感じ、数歩後方に下がった。
ヤブはすでに体勢を整え直していて、剣はトンファーとぶつかり、擦れるような音を出していた。
「へっ、腹蹴られたくらいじゃ何てことねぇよ!」
「あ、すみません外しました。次はちゃんと狙いますね」
「余裕じゃねぇかテメェ……いいねえ!」
灰色の教育師はヤブには手を出さないようにと、俺たちに念押しをする。そんなことを言われなくても、あの戦闘の中には入っていける自信はない。相手が気に入らないというガネさんの、あの殺伐とした中に行ったら誰に刺されるか分かったものではない。頼まれても断るところだ。
「イライラすんなぁー、死ねって言いてぇー。あーあーこっちもいろいろあっからよ。しばらく死んでくれんなよ!」
その言葉で、察せないほどのバカではない。俺たちの前にまずヤブが現れた理由。それは、正確には「俺たち」ではなく、「ガネさん」を足止めするために、ホゼが向かわせたものだと。ホゼが行動をしている間、近づかせないようにするための用心棒ということだ。
「ゲランさん、ホゼだ! ホゼを探して、止めないと!」
「わあってら! ガネ任せたぞ!」
その意図を読み取った俺は、近くにいたゲランさんに向かって叫ぶ。その場をガネさんに託し、すぐにそこを離れた。ガネさんならこの場を何とかするだろう、ということは重々分かっているため、その背中を追った。
その場でソムさんが動かず、残っていたのを視界の端で捉えた。
「……ソム、あなたも行っていいんですよ」
「いいえ。是非残らせてもらうよ」
「くっそ、どこだよ……っ!」
ゲランさんとは別行動をとることになり、俺とラオは二人で屋敷内を走り回っていた。俺の心には焦りが生まれていて、余裕がないままに足を走らせていると、後ろを走ってついてきていたラオが俺の腕をつかんで止めた。その反動で俺の体は後ろに反れていた。
「あっごめん。でもザイ落ち着いて。慌てない方が良い。な?」
「でも……」
「出くわした時に戦えなかったら意味がない。居場所が分からないし地道に探さないといけないけど、ゲランさんだって探してるんだから」
ラオの言うことは間違っていない。だけど、ホゼの手が屋敷に伸びて、焦らないわけがない。これを成功させた暁には、青郡を堕としに行く。それは避けたい流れだ。気持ちは先走ってしまう。
「穏慈だってそう長くはかけないだろうし、いざとなれば薫を喚べばいい。だろ?」
「……うん」
焦る俺に冷静な口調で話しかけてくるラオのお陰で、俺は少しだけ落ち着き、手に入る力を緩めた。
ラオだってきっと、内心平静でいるわけではないだろうに、俺がパニックにならないように宥めてくれている。その証拠になるかは分からないが、ラオが俺の腕を掴む力は、少し強い気がした。
「がふっ」
僕が振る剣には、真っ赤な血がこびりついていた。
ヤブの横腹からは大量の出血を確認できる。しかしお構いなしにこちらに飛びかかるのをやめない。
ヤブの持つ武器はトンファー。貫かれることはまずないだろうが、無理やり抉られる可能性、何か仕込んでいる可能性もあれば、それは武器として十分すぎる威力になる。有利な武器を持っているのはこちらだが、ヤブは何をするか分かったものではない。
「ぐそっ……、でめぇ……」
「どうしました? 喧嘩を売ってきたのは、あなたでしょう。その程度ですか?」
「忘れてもらっちゃ困るんだけど、私もいるのよ? 大丈夫なの?」
ぼたぼたと血が垂れる身で僕にトンファーの先を向けてくる。息を荒げているにしては、表情に余裕がある。少しだけ猫背になるヤブの動きに集中する。すると、にやりと笑ってそのトンファーを回しながら上に投げた。それを追うように跳ね、そのまま僕に突き刺すように降下してきたのを寸前で躱し、剣を横に振ると苛つく動きでそれを避けていった。
「ははっ、余裕だねぇ。こんくらいで、死ぬ珠じゃねぇんだよバーカ!」
「ちっ、【蝕害針】!」
剣だけではどうにもならないと、毒を纏う針を数十本ほど投げ飛ばす。加えて、それを追いかけるように、ソムの息によって発動した炎が放射された。
「なっ……!」
炎の威力は思ったよりも強かったのか、目を見開いて焦る様が見て取れる。しかし、その動揺をすぐに内に秘めこみ、逆に相手を焦らせようとする。しかし、こちらも教育師資格をもつ二人だ。そう簡単には動じない。
「返してやんぜ!」
「どうぞ、ご自由に!」
鋼鉄を割るような鈍い音がすると、トンファーで強く発生させた軌道が出来、そこに炎が巻き込まれて戻ってきた。それはこちらにとっては不都合、どころか、好都合だ。何せ、それを放った本人は、打ち消す方法を持っている。
「ソム、頼んだ!」
「ガネの心配はしてないから、上手く避けてよね!」
自身の前で杖を回し、柔らかく息を吹きかける。その息の調整は熟練のプロだ。向かってくる炎は、形を残したままガチガチと凍っていく。それにはさすがに動揺を隠す余裕をもてなかったようで、舌打ちが聞こえてきた。
「そういうことかよクソ!」
「余所見とはなめられてますね。僕が動けると困るんでしょう!? 最後までしっかり付き合ってもらいますよ!」
凍っていく炎を見て動きを止めたヤブの一瞬を見逃すわけがない。すかさず剣を持つ手に力を込めて、間近な距離で足元から振り上げた。
「っぶねぇ! ……こりゃ確かにリーダーの言うとおりだぜ」
ギリギリで剣を避けたヤブは、眉間にしわを寄せて、こちらを睨んだ。しかしその上で、楽しそうな表情、立ち振る舞いは消えない。
「……ガネ、氷に針を思い切りぶつけて砕き散らせてくれない? せっかく利用できるモノがあるんだから、こんな時こそ私の力の見せ場だよ」
形として残る大きな氷の塊を前に、ソムはそう言った。
△ ▼ △ ▼
青郡を出た我々は、まっすぐに屋敷に向かう。加勢してやると言ってついてきたギカも、もちろん我の背にしっかり乗っていた。
『想定外だ。ザイヴに何と言われるか』
「私が説明する。大丈夫だ」
もう時期たどり着く屋敷へと風を切りながら、自分のことに人を巻き込みたくないと言うザイヴの反応を想像する。ギカに『責任はとれ』と言うと、適当な返事が聞こえてきた。彼の武器─細刃─になる、細い紐の様なものを手に巻きつけて、真剣な顔で見つめる。
「……オレ、力になりたいんだよ。前にあいつは、オレたちのためにわざわざ来てくれた。だったらオレも力を受けてばっかじゃねーで、貸さねーと」
だから屋敷に行っても、悲しい顔はしないでほしい。強い思いを抱いている様子のギカは、そう付け足して口を閉ざした。
『ふん。まあ、あいつも分かってくれるさ。……着いたぞ』
屋敷に到着したが、内部から我の好まぬ臭い、以前靄を嗅いだ時と同じそれが微かに漂ってきていることで、ホゼの襲撃を受けていることを察した。
『……無事だといいが』
「おい、なんか起きてんのか?」
『……ホゼがおるかもしれん。急ぐぞ!』
我が人の姿をとり、静まっている屋敷の玄関口を開けて入った三人は走り始めた。
△ ▼ △ ▼
「……ゲランさん」
ばったりと、通路のぶつかり合うところで、俺たちはゲランさんと合流した。その両腰には大きなナイフが携えられていて、俺たちと別れた後で取りに行ったのだろうと推測できる。見たところ、そのナイフは莫刀という種類のようで、腰に掛けていても太く大きなそれは床を擦りそうなほどのもので、存在感は計り知れない。
ゲランさんは何の収穫もない様子で壁にもたれると、煙草に火をつけて吸い始めた。
「その様子じゃ、お前らもまだみてぇだな」
「薫でも呼ぶかと思ったんだけど、それこそ警戒されて潜まれても困るし……屋敷広いなぁ……」
思わずため息を吐く。どうしようもなく、ゲランさんと合流したまましばらく通路を歩いていた。
するとバタバタと慌ただしい音が後方から聞こえてくる。屋敷生たちは地下に行っていて、駆けてくる存在なんて思い当たらない。嫌な気配もしないため、その方を振り向くと待っていた存在がそこにいた。
『ザイヴ!』
「穏慈……えっ!?」
穏慈とオミが走って来ていた。その中に、一人。ギカが混じっていることにも、気がついた。
俺が周囲の人間を巻き込みたくないと思っていることを、穏慈は知っているはずだ。それなのに、ギカが一緒にいる。問い詰めようと走ってくる穏慈を睨み付けた。
「おい穏慈!」
『説明は後だ。奴は近くにいる!』
「なっ……」
尋ねる暇もなく、俺は穏慈に腕を引かれてその方向に走った。ラオもゲランさんも、みんな俺のあとについて来ていた。
「オミ、何でギカがいるんだ?」
青郡での俺の友人だったこともあり、ラオとウィンも、その時からギカとは友人関係だ。そのラオが、穏慈と一緒に青郡に行っていたオミに事情を聞いているのが後ろから聞こえてくる。
「こいつの決意を踏みにじらないでやれ。少年を助けたいそうだ」
「……ギカ」
「青郡を想って、戦ってくれてんだぜ。お前だって、ザイヴの助けになりたいって思ってんだろ? ラオガ」
穏慈の歩幅に合わせていることで、足がもつれながらついて行く俺の耳にも届く。その言葉は、ギカのそのままの気持ちだと思うと、文句も言えなくなった。ギカの気持ちを汲んだらしいラオも、それ以上言わず、無理をしないようにとだけ約束していた。
「……ホゼはただ者じゃない。取り敢えず、死ぬなよ」
「……たりめーだろ」
そして穏慈の足が止まった先。その目が捉えた先。そこは、応用クラスが使う広間の一つ。
『出て来い!! 我から逃げられると思っておるのか!?』
穏慈が放った言葉に反応があった。静かに、ひっそりとした足音だ。
ゲランさんも身構えて、煙草の火をもみ消して相手の足もとに向かって投げる。それは、思ったよりも手前で落ちた。
「やれやれ……またしても邪魔されるとはな」
目線を上げると、そこにいるのは間違いなくホゼ。ヤブにガネさんの動きを封じさせ、その間に何をしようとしていたのか。何か、以前とは違う気を纏っているような気がする。それが気のせいかどうかは、今はどうでもいい。
「ふん、オミが味方になったからと言っていい気になるなよ。私の計画は崩れん。……ザイヴ。貴様も葬ってやろう。もう、必要ない!」
それは、以前俺を欲していたホゼの眼とは違って、獲物を引き裂かんとする眼をしたホゼが、俺の眼に映ったのだから。