第五十三話 黒ノ妖力ヲ持ツ珀
日が落ちる少し前の青郡に到着した穏慈は、前に一度来ていることもあり、以前と違う情景を目に映していた。オミは初めて訪れる青郡を見渡し、その状況を実際に目にしたのだった。
歩いていると、早速青郡の住人に出くわした。
「あ、あん時の奴じゃん。ザイヴは?」
その相手は、運良くギカ=メイグという名の人間だった。ザイヴの昔からの知り合いだということは以前ここに来た時に分かっている。遭遇したのが他の人間だったならば、スムーズにいくかどうか微妙なところだった。
『今は少し厄介事にあっていてな。我も用が済めばすぐに戻る。それにしても、人が増えたか?』
「ああ、全員てわけじゃねぇが……つか何、まさか例の話か?」
後ろにいたオミが首を縦に振る。我と共にいたからか、ギカは全く警戒せずに、互いの紹介を済ませた。
「少年に頼まれて、伝えに来た。今、ホゼが屋敷に現れた跡を調べている。動き出したかもしれん」
「ここが潰されるかもしれねえってんだろ? はー……、信じたくねぇけど事実ならしゃーねーか……。そのために、隠れ家にいた連中が動いて対処しようとしてんだ。ザイヴに応えようってな」
「そうか、助かる。実際少しだけ間があるはずだが、警戒はしておくことに損はない」
オミは自分がもともとホゼに使われていたこと、そこを抜け出してザイヴの力になろうとしていることをギカに伝え、情報を提示すると、ギカは少しだけ安堵の表情を見せた。
それよりも、我が見ている青郡は、前よりも活気づいている。ザイヴに応えようと動き出していることが見て取れた。この様子をザイヴに伝えたら、どういう反応を見せるのだろうか。想像しようとするが、主であるとはいえ人間の考えだ。他人を自分の騒動に巻き込むことを嫌うことは知っているが、やはり人間の思いは分からない。しかし、その状況を聞いたオミは、少し笑んでいた。
『ああ、もうひとつ大事な用がある』
「あ?」
『ここに、他の場所にはないようなものがあるということはないか?』
ザイヴが言っていた、ここを一番に潰そうとする理由が分からない、ということを伝えると、ううんと唸ってしばらく考えていた。そのうち何か当てを思いついたようで、我らについてくるように言った。
その先で見たものは、確かに何か不思議なものを纏っていた。「それ」は、どこか我も知っているような気配でもあった。
△ ▼ △ ▼
ホゼが警戒するものを、ゲランさんは突き止めた。青郡に住んでいながら俺は知らなかったが、「それ」で間違いないだろう。自分がいた場所にあるものさえも知らなかったということが分かり、無知さに気を落としていたが、ラオは自分と一緒にいることが多かったんだからとフォローを入れてくれた。
「ギカと遊ぶこともあったけどなあ。んー、俺の興味が全くいってなかったのかな」
「それはあるかもね」
「お前フォローするのかしないのかはっきりしろよ」
そうは言うものの、少しくらいは知っていた方が良かったかも、なんて思うが、過去の話だ。今更言ったところでどうにもならない。それよりも、今は打開の策が必要だと考えていると、ガネさんが屋敷長に頼るのも手だと助言してくれた。俺はここに来た時に挨拶をしただけで、ほとんど面識がない。突然そんな重大なことを聞いて応えてくれるものなのだろうか。
「今は全面的に捜査中です。ホゼのことは調べるよりも、屋敷長に直接聞いた方が手っ取り早いですよ」
「……そういうことか。でも屋敷長と対面することってないから腰が引けるなあ」
そんな経緯で屋敷長室を訪れたゲランさんを除く俺たち。ガネさんが扉をノックし、中からの了承する声を受け、躊躇いなくその扉は開かれた。
如何にも長らしい身なりの男性が、座ってこちらを見ていた。
「君たちは……そうか、ザイヴ君とラオガ君、じゃな」
「さすが屋敷長。ほぼ会ってない彼らのことも分かるとは、人を覚えるのはお手の物ですね」
俺たちのことを記憶している屋敷長に対して少しの感動と、驚愕とが合わさって固まっていた。ガネさんの言葉から察するに、記憶力は相当良さそうだ。
「さっそくですが屋敷長、ホゼについて幾つかお聞きしたいことがあります」
「ガネ教育師……そう焦らずともよいだろう。まあソファーにでも掛けなさい」
手招きをして、俺たちをソファーに誘導し、それに向き合う形で置かれているソファーに屋敷長自身が腰を掛けた。それを見届けてから、ガネさんは一言、「失礼します」と言って端を取り、俺たちもガネさんに続いてその隣に座った。
「それで、ホゼ元教育師がどうした?」
「昨日、ここに現れたことはご存知だと思いますが、現役の彼に不信感を抱くことはありましたか?」
まず尋ねたのは、ホゼが教育師だった頃、俺がいた基本剣術を担当していた時の様子について。屋敷長がどこまで知っているのか、俺たちが投げかける問いにどう答えてくるのか、緊張しながら考えているその人の言葉を待っていた。
「……あったのぅ。ちょうどザイヴ君が入ってくる前だ。屋敷を探る行動をしているという報告を受けた」
「……屋敷を乗っ取るっていうのは本当か」
「何? 乗っ取ると?」
黙っていて得なことはないため、オミから聞いたことをそのまま屋敷長に話した。それを聞いた屋敷長は、それならば、と立ち上がり、屋敷長が使用する机の中を探り始めた。何をしているのか気になりながら待っていると、何かを手に取り、こちらに戻って来た。
「これを持ちなさい。気休めにしかならんがな」
「これって……?」
渡されたのは、小さな瓶に入った、キラキラと光る砂のようなものだった。それは人数分、しっかりと俺の手に渡っていた。俺はそれを、ラオとガネさんに一つずつ渡した。
「ここは剣術屋敷だということを、忘れてはならんよ。お守りのようなものじゃが、場合によって使い道はある。ガネ教育師が知っているはずだから、聞くといい」
「人任せなところは相変わらずですね」
「ふぉっふぉ……まあいいではないか。お前もそれなりの地位を持っているということじゃ。私の見込み通りじゃ。それで、聞きたいことはそれだけか?」
ホゼについて知るべく、ガネさんについてきただけの俺たちは、その企てが俺がここに来る以前からのものだということが分かったことが収穫だ。俺とラオが頷くと、ガネさんは「最後に一つ」と、笑みを浮かべた。
「申し訳なくも、最近通常通りの講技を行えていません。ただ、それもホゼ絡みです、可能であれば、大目に見て貰えませんか」
確かに俺たちに協力してくれているし、ガネさんの実力がかなり上であることも分かっている。俺たちのせいでそうなっているとはいえ、怠るとゲランさんが言っていたように切られることも可能性としてはある。ガネさんの本業のことも考慮して、俺たちも屋敷長に頼んだ。
結果としてガネさんの事情に屋敷長は納得し、より自由に行動できるように配慮してくれた。その答えに安心した俺たちが部屋を出るときも、穏やかな表情で見送ってくれた。
「剣術屋敷生であることに、誇りをもて」
という言葉をつけて。屋敷長室を出た俺たちは、そのまま広間に戻り、そこでは再度講技が行われた。
この日、結局日が落ちるまで講技が続き、私室が設けられている区間に戻って来た時には、既に再の一時を迎えていた。足早に部屋に戻ろうとしていたが、ラオに部屋に来ないかと誘われ、足を止めていた。
「は? 別にいいけど何で」
「いや、だってザイ、狙われてるだろ? 今の状況で一人でいたら危ないかなーって」
「ああ……なるほど。一理あるけどやっぱ心配性だな」
しかし、安全を考えると今は一人にならない方がいいかもしれない。そう思った俺は、遠慮なくラオの言葉に甘えることにした。
△ ▼ △ ▼
僕は、今更後悔をしているようだ。あの時、ホゼを仕留めていれば、こんな事態を招かずに終わったかもしれない。自分の無力さを恨んでいた。勿論、同じことは繰り返すつもりもない。彼の思惑を、捻じり潰すほかない。
(厄介な奴が、敵に回ってしまったな……)
「ガネ、戻ってる?」
一人で思考を巡らせているところに、ソムが部屋を訪ねてきた。「どうぞ」と返事をすると、部屋の扉が静かに開いた。
「ホゼのことなんだけど。彼、用意周到よ。屋敷で何が起きてもおかしくない」
「……その手に持ってるものが確証に至った物、ということか」
「……うん。これ見て」
ソムが差し出したのは、小さなコイン型のもの。それが何なのかは分からない。ただ、推測はできる。見た限りのホゼの性格とやり方、その物自体から考えるに、盗聴器の類だとは思えない。
「屋敷自体に何かをしてきそうだな」
「起動核みたいなものってこと?」
「僕はそう思うっていうだけだ。ホゼがわざわざ見え透いたようなことをすると思うか? そもそも、それが見つかったのだって想定外かも知れない」
「確かにすっごく際どいところにあったから。……たった一人の教育師が、こんなことを招くなんてね」
できれば、起こってほしくない。否、起きてはならないことだったとも思う。
彼は一体、何をするつもりで、こんなことをしているのだろうか。その本当の目的というものを、僕たちはまだ知らないままだ。
△ ▼ △ ▼
あれから一夜が過ぎ、屋敷は何ら変わりなく、いつも通りの朝を迎えた。
勿論、俺たち二人もだ。起きてすぐに目に入ったのは、すでに着替えを済ませてお茶を飲むラオの姿だった。
「あ、おはよ。ザイ」
「おはよ……相変わらず早いな」
「そうでもないよ、昨日ベッドで寝るかソファーで寝るかで時間使ったせいでいつもより三十分遅く起きた」
昨夜は自分の着替えを持ってラオの部屋に来て、他愛もない話をした後で眠くなってきた時に、誰がベッドで寝るかという話で一時間ほど無駄にしてしまっていた。俺はずっとソファーでいいと言っているのに、ラオは俺にベッドを譲ろうと粘り、結果そのように落ち着いたのだ。
その話をしながら俺も着替えを済ませ、朝食を食べようと食堂に向かうために部屋を出た。
食堂はすでに賑わっていて、一つの席にガネさんとソムさんが並んで座っていた。加え、よく見るとその輪の中にはゲランさんもいる。とても珍しい組み合わせを、朝から目の当たりにしてしまった。
「あ、二人ともおはよう」
その中でも、ソムさんが一番にこちらに気付き、声を掛けてくれた。その席に溢れる何とも言えない空気に、たじろぎながら近づいた。
「おはよう……三人で何の話? 怪しい話?」
「は? ……ああ、ゲランのせいですね。八方に散ってくれたら解決しますかね」
「おい、どういう意味だそりゃー」
ゲランさんにはよく吐くような言葉だが、ガネさんは時々えぐいことを真顔で言うから恐ろしい。本当にゲランさんのことが気に入らないんだと嫌でも分かってしまう。
しかし、内容を聞くといつものような会話で、少し日常を取り戻した感じになった。
「それよりも。今日は講技を中止して備えます。屋敷に何かが起こるかもしれないので」
話題を一変させたガネさんは、そう言いながら、昨夜ソムさんと話したということを教えてくれた。
一度夜を明かし、視界が明るくなったこの時間に、もう一度「それ」を見るために青郡の西の端の辺りに足を向けていた。昨日と同じように、薄白く光る「それ」が、しっかりと存在していた。
『昨日も思ったが……これなら納得がいくな』
「あぁ、ホゼが警戒するのもわかるかもしれん」
どういうものなのか考えていると、後ろからギカが話しかけてきた。昨日は案内だけしてもらい、用があるからとすぐに隠れ家に戻って行ったギカに、詳しいことが分からないか尋ねてみたが、ギカ自身はそこまで詳しくは知らないという。
『……これがホゼの行動に関わっておる可能性があるんだがな』
「そうか、じゃあここを守る術も導き出せるよな……。分かった、オレより知ってると思う奴がいるから、来いよ」
そう言われて連れてこられたのは、ある女性の前だった。聞くとその人間はギカの叔母にあたるガルシャという名の者だった。その者はザイヴが屋敷に行ってしまったことを寂しく思っていると言いながら、はあと深いため息を吐いた。
「こんな男性がいっぱいいてくれたらいいのになあ」
「るせぇぞババア。ザイヴのこと引きずるなって言ってんだろ」
そして、ガルシャを訪ねた経緯を説明しギカに座れと促され、素直に従った。その者はザイヴの力になれるならと、知っていることはすべて話してくれるという。
「あれは、青精珀と言ってな。青郡にずっとあるものだ。青郡を生かし、そして守る。いつからか、妖気を持つようになって、いろんな災いを招いた……」
「青精珀がいつからあったのかは分かんねぇけど、これが原因になった事件はいくつかある」
我からすれば、妖気を持っているのだから災いの元になることは当然の理だったが、人間にとっては当然ともいえないらしい。
妖気に吸い寄せられるように、魔物たちは集まる。しかし中には、妖気を恐れ近づかないモノもたくさんある。ホゼは後者の一人に入ると考えていいだろう。
「あんたら、ホゼって奴の行動に関わるかもって言ったよな。どういうことだ」
「……あくまで推測だが、ホゼにとって邪魔な代物なのだろう。妖気で魔物が集まられたら面倒だからな」
『それもそうだろうが、もう一つ聞かせてもらう。青精珀には何か力があるのか? 確かに妖気は魔を呼び、また場を守る。しかし、青精珀はそれだけではないだろう』
当然、そこまで尋ねてくるのは初めてのことだったようで、ガルシャは少し驚いていたようだが、しばらくの後、再び口を開いた。それは、「例えるなら空だ」と。
空は、地上から見ると美しく、遠く広がるもの。手を伸ばせば届きそうだが、決して届くことはないもの。様々な空があり、様々な気象がある。
「青精珀も、人間は触れない。気が満ちれば灰の色、守りが働けば、綺麗な群青の色。起していないときは、白の色になる」
何となく力ではあるか、把握できた。つまり、青精珀そのものが状況に応じて色を変えながら青郡を守ろうと活動している。まるで自我があるかのようだが、「人間が触ることのできない、守りが働くもの」ということが分かったことは大収穫だ。
ホゼが気にしているのは、この力なのだろう。
「……策が練れそうだな」
『ああ、戻るか。屋敷で何か起こっているかもしれん』
「……帰るのかい? だったらギカ、ザイ君のところへ行ってはどうだ?」
立ち上がった我らの話を聞いていたガルシャが突然、何の前触れもなく、ギカにそう言った。それにはギカだけでなく、我々も驚いた。
「聞いた話からすると、屋敷で食い止めればここはまだしばらく大丈夫なんじゃないかい?」
「青精珀がある限り分かんねーぜ? あれが邪魔だってんなら先に壊しに来てもおかしくはねーだろ。でも……」
ギカはしばらく考えると、何か決心したようで立ち上がり、まっすぐに我を見て拳を握った。
次についてくる言葉が、我には何となく分かった。それはきっと、ザイヴは望まないことだということも、察した。
「連れてけ。少しの間加勢してやる。前の礼だ」
そう、ギカは言ったのだった。
屋敷にいる屋敷生、教育師は、屋敷に何も起こらないことを願いながら、それぞれ過ごしていた。
その矢先に、恐れていたことが起きようとしていた。いや、もうすでに、それは行動を開始した。
ガタガタガタガタッと地震でも来たかのように、屋敷に轟音と揺れが襲ってきた。
「うわっ!!」
「きゃぁあ!!!」
あまりに突然で、動揺し、パニックになる屋敷生で溢れた。こんな人たちが大勢いても、どうにもならないことくらい、教育師たちは分かっている。すぐに地下に逃がそうと、誘導を開始した。ゲランさんも同時に動き、地下への鍵を開けた。
幸い、地下は地上に比べて揺れていないため、おそらく作為的なものだ。危険な箇所といえば、地上の部位が崩壊したときに被害があるかないかというところだ。造り上、地上よりも安全性がある場所だった。
「ザイ、ラオ!」
「ウィン!」
その地下の入り口の近くに、俺たちはいた。ただ、俺とラオは、地下に入る気はさらさらない。この混乱の中で、俺たちがどう動くべきか、それくらい分かっている。ラオもこの非常事態に、「地下に行こう」とは言いださず、逃げ込む屋敷生の流れが治まるのを待っていた。その流れの中にウィンもいて、抜け出して俺たちの前で足を止めたのだ。
「ウィン、早く地下に行って! 危ねぇから!」
「そう言われると思ってた! だから、一言! 無事でいてよ、二人とも!」
「あぁ、絶対だ!」
何もできない自分が許せないというウィンだったが、俺たちを信じて、そう言ってくれた。
ラオはウィンの頭を撫で、そう約束した。俺はせめて、地下の方で時期尚早に地下から屋敷生が出ていかないようにしてほしいとウィンに頼み、その背中を見送った。
「残れる応用クラスの屋敷生は残って、事態を抑えるのを手伝ってください!」
そうは言っても、実践はあまり経験のない人たちばかり。残ったのは、俺たちを含んだ、応用生が数名だった。
「ザイ君は、単独にならないようにしてくださいね」
「あぁ」
「元気そうな連中ばかりだなぁ、おい」
地下への扉の鍵を閉め、警戒をしていた時。どこからか、聞き覚えのある声がした。特に、ガネさんはそれにいち早く反応し、屋敷生の前でその声の主と対面した。もちろん、その主は俺もラオも、ソムさんもオミも知っている。
「やはり、来ましたね」
それはあの、崚泉でガネさんと戦った、ヤブという男の声だった。そいつは前も持っていたトンファーを持ち、ギラリと光る眼で俺たちを睨み付けていた。
「今度は本当の殺し合いだあ!」
狂ったように口角を上げたヤブは、嫌な笑い声を響かせ、標的をガネさんにしたらしく、トンファーの先を向けていた。
これが、屋敷全体を巻き込む形で起こる、大きな混乱の始まりだった。
〈暗黒〉編 了