第五十二話 黒ノ継グ名ノ回合
俺を狙う者。疑う余地もない、元基本剣術クラスの担当教育師だったあいつだ。行動を始めたということは、おそらく練られている計画が実行に移されようとしているということだ。屋敷も危ないかもしれない。
「いつ来てもおかしくありません。君たちも講技に参加してください。もしもの時は、地下に逃がします。穏慈くんはとりあえずその辺で警戒しておいてください」
『仕方ない、引き受けてやる』
穏慈は広間に入ってすぐのところで壁に寄りかかり、構わず行ってこいと俺たちを講技の中に向かわせてくれた。俺とラオが入ると、それに気付いたユラは一目散に近寄ってきて疲れた顔を見せてきた。
「お前ら来れるなら来いよ! 五日間の補技訓練なくすために、オレら死に物狂いだったんだぜ!?」
「……で、免れたんだな」
「さっきまでやってたよ! ガネ教育師の裁量で今日だけだけど! くそしんどい!!」
「だって。ザイ良かったね」
ユラの言葉を聞いたラオは至って冷静に返していた。それどころかどこか嬉しそうな顔を見せている。ガネさんが行う補技訓練の厳しさを感じ取り、避けて通れて良かったと素直に思う。
「でも補技訓練って何すんの?」
「あのな、世の中知らない方が幸せなことなんてたくさんあるんだよ。俺も知りたくなかった」
「あぁ……そう」
何となくで聞いてみたがつまりそういうことなのだろう。クラスのみんなには申し訳ないが、助かった。
軽く礼を言うと、ユラは以前組んだ五人組で試合中だと教えてくれたため、さっそくメンバーが集まっているところまでユラの後ろについて行った。
「お、久々だなザイ」
そこにいたうちの一人に、声をかけられた。短髪気味の髪を跳ねさせた、鋭い目の人物。なかなか顔を出さない俺は、未だに名前すら分からない人も多いため、まず名前を聞くところから始める。
「あっ、そっか話したこともなかったな。オレはチェイン=リンス。こっちのぼやっとした感じのはシリス=ドム。よろしくな」
「改めてよろしく」
チェインは握手をしようとしているのか、手を前に差し出した。俺もその手を取るべく、手を伸ばす。次いで横から伸びてきた手を取ると、顔の右側がほぼ前髪で隠れてはいるが、にこりと笑んだ。
「ザイ君はいつからここにいるの?」
その声は俺よりも高めで和ませるような感じの、男声にしては綺麗な声だった。その特徴から、シリスのことはすぐに覚えた。
「七年くらい前かな。全然ガキの頃だよ」
「へぇ、じゃあおれと同じくらいだね。よろしくね」
「そうなんだ」
握手をした手が離れることがないまま話が進み、締めのようにシリスは一言を放った。
「……君は、この先大変になるんだろうね」
何かを予期しているような、そんな雰囲気で。
シリスが纏う雰囲気自体が不思議であるため、その言葉の意味も深く考えず、ただ返せないでいると、さっそく試合を始めようとローテーションで一対一の試合を進めた。
△ ▼ △ ▼
基本剣術のクラスでは、ソム教育師が徹底的に防御の術を教えていた。
その中でも私には、自然魔法の能力の向上に向けて、専用の教育師がついていた。以前、ソム教育師の代理で基本剣術を教えてくれたノーム=マカドル教育師。そのきっかけは、たまたまこのクラスを覗きに来ていたノーム教育師が、ソム教育師に相談したことだった。
「ねぇ、ソムちゃん」
「何? ……あ、だったらお願い。そっちは私よりノームの方が得意だもんね」
小声で交渉していたノーム教育師は、了承を得ると私を呼び、一対一での講技を始めようとした。もちろん、この教育師がどんな教育師かは私もよく知っている。
私が扱える自然魔と同種のものを扱える人。特殊な素質を持つ者ではないと扱えない自然魔を教えてくれる人がいるのは、とてもありがたいことだった。
「ウィンちゃん久しぶり〜。私のこと覚えてる?」
「はい」
「さっそくだけど、ウィンちゃんは防御に加えて、自然魔にもちゃんと手を伸ばそうと思ってるの。良い?」
「え!? ほ、本当に!?」
「……ソムちゃんから簡単な事情は聞いてるよ。私で良ければ、援助するからね」
そんなやりとりがあった後、今に至っている。ノーム教育師はまず、私の素質を直接見たいと言い、私が使える自然魔を静かに見ていた。それをある程度見た後に驚くほど絶賛され、少しだけ引いてしまっていた。
─ところで、自然魔には、いくつか種類がある。自然、つまり風や水、空気や循環のことだ。それを利用し、生かす自然魔は、誰もが使えるわけではない。
例を幾つかあげると、まずは、「空気」。つまり、扱うのは場の「気」そのもの。使い方は様々だが、特徴は目に見えるものではない、というものであり、使用条件は「感情」。 悲しみや、喜びなど、人間が発する感情の気を使えば、それは成り立ち力となる。
次に、「風」。空気と同じく、目に見えるものではない。しかし、使用条件は無制限。そこに風があるだけで、力を生じさせることができる。
そして、ウィンの素質でもある「循環」。特徴は、術者に溢れる澄んだ力。使用条件は「異変」。人間で説明すると、外傷や内傷のような、健康体から外れたような場合に使用できる。ウィンが傷を癒せるのは、この素質があるからこそのことだ。
その他にも、自然魔はたくさんあるが、何度も言うように限られた者にしか扱えないためその力の種類と可能性はまだ多く秘められている。
私の素質を確認したノーム教育師は、私の目をまっすぐに捉えて、真剣な口調で尋ねてくる。
「あなたには、護る力がある。聞かせて、ウィンちゃんの気持ちを」
私の答えは決まっている。思い出や、絆、信頼を、守りたい。そしてお互いに信じあって進み、力を必要としているときには支えられる存在でありたい。それは、私の願いだ。
「守りたい。守るだけじゃなくて、力になりたい。ザイとラオが戦う傍で、私の循環を届けたいです」
「……良いわ。ちょっとハードになるけど、責任もって力になるわ。改めてよろしくね、ウィンちゃん」
「お願いします!」
そして、剣術に絡むことの成長も支えることを、ノーム教育師は約束してくれた。私にどこまでできるか分からないけれど、私が持つ力を最大限に活かすことができるように励もうと決心した。
それが、私の勇気の足を踏み出させてくれるものにもなってくれるように。
△ ▼ △ ▼
応用クラスの講技が落ち着き、休憩時間が設けられた。俺たちは広間を出て、息抜きのつもりでぶらぶらと屋敷内を歩き回っている。もちろん、穏慈も一緒だ。
「そういえば、危なくなったら地下に逃がすって言ってたけど、俺を狙ってきてるなら俺は逃げない方がいいよな」
「それは俺が許せないから、全力で逃げて」
「……前から思ってたけどラオ心配性だよな」
その考えに至ったのはもちろん、俺がいることで他の害を被る必要のない人たちを巻き込んでしまう可能性があったから。俺が最前線に立った方が、他方への被害は少なくて済むのはそう難しく考えなくても分かる。ラオは真剣な顔で「絶対だめだ」と言って聞いてくれないが。
その一方で、青郡のことを考えた。ホゼの計画に組み込まれており、動きが見えたら報告に行くと、ギカたちに約束した。今、手掛かりが少ないながらも、進展が見えている状況だ。
「何とか青郡にも手が回ればいいんだけどなあ。ホゼがいつ手を出すかも分からない。それに、何で青郡が最初なんだろう」
『……お前がいた場所だからじゃないのか?』
「それもあるかもしれないけど、それだけの理由で最初に潰そうって思う? ただの当てつけにしかならないだろ。別の理由があるような気がする」
そう、例えば、ホゼにとって最初に青郡を潰さなければ面倒になる何かがあるとか、そういう話だ。ホゼは実力はあるし頭も切れる。だからこそ、何の理由もなしに、また、自分の不利益を考えずに行動するとは思えなかった。
『なるほどな。しかし、今ここを離れるのは少々不安ではないか? 奴はまずここに手をかけてくるはずだろう』
「……だよなー。せめてホゼがそうする理由が分かればいいんだけど」
いろいろ考えているうちに、俺たちは広間から大分離れた教育師室の前を通り過ぎようとしていた。目的もなく歩き回っているわけだが、あまり遠くに行く必要もない。そう思ってこのまま広間に引き返そうとしていた時、オミが俺たちを呼び止めた。
「何用か」
「何だその口調は? この短時間で何があった。……いやまあそんなことはどうでもいい。お前、ゲランに調べものを頼んだだろう?」
「んっ? ……あぁ、そういえば。忘れてた」
「そんなことだろうと思ったから、呼んでこいと言われたんだ。調べ上げたようだし、行ってみろ」
確かに、俺はゲランさんにあることを調べてほしいと頼んでから青郡に行った。それからいろんなことが立て続けにあったせいでそれどころではなかったというのが現状だ。ただ一つ意外だったのは、あんな適当そうに見えるゲランさんの仕事が早かったことだ。
「ザイ、この際さっき話してたこと、オミに頼んでみたらどう?」
「あっ、そうだ。ホゼが動き出したし、俺たちは今ここを動かない方がいいみたいだし、頼めるならオミに頼みたい」
たった今まで話していたことを聞いたオミは、嫌な顔一つせずなるほどと頷いてくれた。
「そういうことなら調査という形で行くことはできるだろう。ただ、私単独で行って、信じてもらえるか?」
そう言われると、青郡に行った時もギカは俺たちのことを一瞬警戒していたし、見知らぬ人が現れたら不信感を抱いてもおかしくはない。そういうことなら、ギカが見たことがある者に同行してもらえばいい話だ。
「じゃあ穏慈も行ってもらえば心配ご無用!」
『何!? お前我がいない中で何か起きたらどうするつもりだ!』
穏慈が心配していることには察しが付くが、この状況でガネさんに行ってもらうのは絶対にやめた方がいい。そうなれば、動ける者は穏慈しかいない。それに穏慈がいなくても、味方の怪異はまだいる。
「ラオがいるから薫もいるだろ、大丈夫!」
『そういう問題ではない!』
「そうか。それなら引き受ける。すぐの方がいいか?」
『おい、流すな』
どうしても乗ってくれない穏慈だが、オミ一人に任せるわけにもいかない。これもあいつの陰謀を阻むための策だと何とか説得し、頼み込んである程度妥協してもらった。できる限り早く行動をしてもらうように、オミと穏慈には青郡に向かってもらった。
「……とりあえず医療室に行くか。休憩時間が続いてる間に」
「あ、やっぱり医療室に向かうんですね」
「え!? ガネさんいつの間に!」
心臓に悪い形で、ひょっこりとガネさんが姿を見せた。休憩時間とはいえ俺たちとの遭遇率が高いことに、もはやガネさんはエスパーか何かなのではと考えた瞬間だった。
「何ですか?」
「いや別に。早く行こ」
そんなこんなで俺たちは医療室へと歩き、その部屋を前にしてノブに手をかけた。そして、慣れたようにそれを回して、扉を開ける。そこにいるゲランさんは、しっかりこちらを向いて座っていた。
「よう、来たな。どこでもいいから座れ。ザイヴに話したこと全て、もう一度話してやる」
その真剣な声色に怖気づいてしまうも、話を聞かないことには俺が頼んだ意味がない。とりあえずゲランさんと向き合う形で座り、話の続きを聞くことにした。
「ガネとラオガがいてもいいのか?」
「え? ああ……うん、いいよ。俺一人で受け止めきれるか分かんねーし」
「……そうかよ。じゃあ、話すぜ。お前の名前と、青郡のことだ」
......
─頼みがある、ゲランさん。聞いてもらってもいい?
そうゲランさんに言ったのは、青郡に行く少し前のこと。ラオが魔物に憑かれて、それを解放して、ラオが意識を失っている、医療室で尋ねた。その時はガネさんの配慮で、ゲランさんと俺、穏慈しかいなかったから、気兼ねなく聞くことができた。
「で、何だ」
「……あんたは何か知ってるみたいだけど、俺に聞いただろ。姓は分かるかって。……考えたら、姓だけじゃない。二人の名前も分からないって、気付いて」
「特別なことはなーんも。つか、それを調べろっつーのが頼みか?」
「まあ、できることなら調べてほしいけどさ……。色々考えてたら、俺の生まれ都市の青郡のこと思い出してきて……どうしてホゼが最初に堕とそうとしてるのか、検討つく?」
出身が青郡の俺にとっては、それがどうしても引っかかって仕方がない。オミが、青郡を最初に潰すつもりだ、というホゼの計画を教えてくれた時から。もちろん、ホゼなりの俺への威圧の線もあるが、信じたくないという気持ちが何よりも勝っている。
「……いや、全く」
「言い方悪いけど、青郡が一番じゃなくても良いと思わない?」
「まあ、確かにな。……え、その理由を調べてくれって?」
青郡に、ホゼの計画に邪魔なものがあるとか、もしかしたら、それらしい理由があるかもしれない。だったら、潰されないようにできる努力をしたい。そう、言った。
『こいつなりに考えた結論だ。力を貸してほしい』
「……いいだろう、承るぜ」
「! 本当?!」
「俺も気にならねぇって言ったら嘘だからな」
フイ、とゲランさんは寝ているラオを見る。そして、一言。
「頼まれ事はこなしとくから、もう行け」
......
疲れが祟っているのか、思い返した一連の流れについては今の今まですっかり抜け落ちていた。そう思えば、あの二人には申し訳ない。
「ゲランさんに頼んだの忘れてたから、オミと穏慈に行ってもらっちゃった……」
「まあ俺の調べの裏も取りやすくなんだろ。確認がてら見てきてもらうのもいい手だ。それより、しれ〜〜〜っとお前が知りたがってた親の名前を調べたぜ。お前の母親は、何も蝕まれていたわけじゃねえ」
「!!」
それは、嬉しいようで、複雑な言葉だった。母さんが方舟を造ったのは事実だし、それに乗っ取られたのも、事実。それに、怪異が住める条件が、あったことも。
「お前が心配してることは分かるけどよ、昔は神が絡んでたもんだったんだ。何が起きても不思議じゃねえだろ」
「そんなものを無理矢理人間が造れば、暴走も免れない……。そういうことだよね」
神と人は相容れることのできない関係。そんな違いがある存在が同じものを造ろうとしても、差が生じるものだ。そう割り切れると安心感が芽生え、座っていた椅子の背もたれに体を預けた。
しかし、ここから先の話だって、俺が聞きたいことだ。一呼吸おいてもう一度姿勢を戻した。
「お前、一度は青郡に戻ってるけどよ。未だに姓は思い出せねえっていうか、分かんねえんだろ?」
「え、うん……」
「ちゃんとあったぜ。母リーアと、父ギリスの間に生まれたお前の名前」
一瞬、ドクンと大きく脈打った。その大きな鼓動をきっかけに、体が熱くなり、緊張する。その様子を見たラオが、静かに俺の背中をさすってくれた。ゲランさんから発せられたその名は。
「ラスター。光沢、光を表す名だ」
「ラス、タ……」
俺の姓が、そんな名前だったなんて、一言で言えば驚いた。俺は〈暗黒者-デッド-〉で、〈暗黒〉に存在する人間。名前とは、真反対の存在なのだから。
「どうして今まで、姓が分からないままだったんですか?」
「すまん、そこまでは。まあ幼いザイヴの精神状態も関係するだろうし、そもそも親が教えてなかったら分かんねーだろ。だが、父親が何らかの理由で一族を脱していたのは事実だぜ」
「じゃあ、ラスターってのはザイの母さんの姓か」
俺の父親が一族を脱した理由までは突き止められなかったことに、ゲランさんは頭を下げるが、そんなことは気にしない。どういう背景があろうと、俺の姓が十七年生きてやっと分かったんだから。
「そうか……。ていうか凄いな。ゲランさん何でも調べられるんじゃねーの?」
「まさか。けどま、いろんな情報源があるし、調べるのは得意だぜ」
「いろんな情報源?」
「今は教えねーーよ」
「何だそれケチ」
「よくも俺に二度もケチと言ったな?」
鋼槍探しを手伝おうとしなかったゲランさんに向かって医療室の外で小声で言った時のものは、やはり聞こえていたようだ。思わず顔を手で覆い隠し、「何でもない」と言って誤魔化した。
「本題は聞かなくていいのかよ」
面倒に思ったのかそれ以上そのことに関して言ってこなくなり、ゲランさんは話の続きに戻ろうとしたため、俺も手を視界から退けて再度ゲランさんを見た。
「あ、えっと……じゃあ、青郡のことは何か分かったの?」
「ああ。……あったよ、ホゼが警戒するもんが」