第五十話 黒ノ探シ物ト捜ス者
〈暗黒〉に来た俺たちは、穏慈を探していた。目を向ける先もずっと闇で、屋敷とは比にならないほどに─先が見えずに錯覚しているのかもしれないが─広い。先程の歪があった場所も、もう分からない。
『仕方あるまい。私に乗れ小僧ども』
「何か腹立つんだよなぁ、未だに俺を呼ぶとき小僧だし」
『間違ってはおらんだろう』
俺は薫に跨ると、薫の皮をギュッと掴んだ。薫は痛覚に従い、ギロリと鋭い眼で俺を睨んでくる。それを見ていたラオが、すかさず間に入るが、俺は手に入れる力を緩めなかった。
「ザイもうやめてやって!」
「え、何を?」
「……分かってて言ってるんだよね……?」
掴んで分かったが、薫の怪異の身は皮が柔らかく、とても掴みやすいものだった。苛ついてそうしたはずが掴み心地が良く、薫の性格などどうでもよくなってしまった。
ラオにそれを言うと、ラオの方が何度も皮を伸ばしていたが、構っていられなかったのか、薫の方から諦めをつけて前進を始めた。
吟とともにいる我は、歪を作って侵入した泰について、話をしていた。何といっても、外からの介入で歪を作ることができることは初めて知ったのだ。吟も我と同様で、新たな収穫はあったと前向きに捉えていた。
『……しかし、奴は気紛れすぎて、分からんな』
ここにいた時は、ごく稀にしか姿を確認できないほどに姿を眩ませていた。しかし、ホゼとやらのところにいくと、今度は外から歪を作って、ここに来た。
それだけ奴にとって、ホゼの命令とやらは絶対ということなのだろうが、一体何がそう動かしたのか。見当のつけようがなかった。
『……ム。穏慈……デッドガ、キタ』
『ザイヴが? ……そうか。行ってくる』
吟が闇の声を察知し、それを伝えてくれる。深火に体を休めるようにと言われていたのに、またどうしてこちらに来たのか。すぐに主を探しに向かった。
穏慈と出会えていない俺たちは、薫の背に乗ったまま移動を続けていた。その姿は不思議なもので、龍のような身なりでも飛べるだけで、龍の性質はほとんどない。巻きつく力は強いらしいが、それは蛇の類の性質だろう。難しい造りをしているようだ。
「穏慈いねぇなぁ」
「あの化け物と遭遇した場所が分かればいいんだけどね」
「だけどそこに絶対あるわけじゃないだろうしなぁ」
俺を前にして縦一列に乗っている俺たちは、腕を組んで同じ体勢で考え込んだ。予測をつけにくいこの空間では、思考を巡らせるだけ無意味になっている気がしてきていた。
『……何とかなるだろう。奴ももう気付いただろうしな』
「え、奴って穏慈?」
『あぁ、あいつは気配に敏感な上、吟といれば尚更だ』
それはそうかもしれないが、薫だって嗅覚が優れているのだからそれで追えるはずだ。臭いのことも薫は言わないし、近くにはいないのだろう。大きなため息を吐いて、薫の背に突っ伏した。
「そんな落ち込まなくても」
「別に落ち込んではないよ。疲れてるだけ」
つい先程泰の件が落ち着いたばかりで、青郡で大量の魔物と戦ってほとんど休んでいないし、俺の体には疲れがたまっている。
しかし、薫が俺を起こす声が聞こえ、顔をあげると、覚えのある声も一緒に聞こえてきた。
『何だ、案外早く見つけられたな。お前はもう大丈夫なのか』
目の前にはラオの目を心配する穏慈がいた。ラオはほとんど支障がないことを知り、穏慈も安堵する。俺は穏慈の背に乗ろうと、薫から降りようとしたところ突然ふらつき、ラオに支えられていた。頭はボーっとしているのだろう。
落ち着いてから薫から降りて、穏慈に乗った。ラオが武具を落としたということを伝えると、そういうことなら協力すると言ってくれた。
「ここにある可能性があると思って。ラオが憑かれた時にかもしれないし」
『……あぁ、〈暗黒〉の武具は合わんかったんだろうな。憑いた時に落とさせたんだろう。そうとなればさっさと探すぞ。面倒なことになる前にな』
穏慈はどこか急ぐ素振りを見せた。薫もその穏慈の言葉に同意して、足を地から離した。鎌同様、持てる者にしか持てないというのに、どんな面倒が起きかねないというのだろうか。と、ただただ気になり聞いてみると、急いでいる割には冷静に答えが返ってきた。
『鎌もそうだが、本来〈暗黒〉にあるものだ。ここは妖気を欲するからな。持ち手がいない時は保護が働く場所で守られているんだが、持ち手がいる上でここに長期間あると保護が働かず溶け込む恐れがある』
「へー成程」
『……まあ我はラオガの武具はどうでもいいが』
「ちょ、酷っ! それはないだろ!」
何はともあれ、鋼槍を探さないわけにはいかない。本当になくなってしまう可能性があるのならば、急いだ方が良さそうだ。
......
「ゲラン、いいか……ん? 少年たちはいないのか」
少年たちが医療室にいない中、オミが医療室に入ってきた。その後ろには、嬢ちゃんの姿もある。どこか申し訳なさそうなその顔で、何かあったのだろうと踏む。
「武具が何とかって言ってたな。で、何だ?」
「あぁ、ウィンが怪我をしていた」
「どうした」
言いにくそうにそっぽを向いて、オミに背中を押されると、怪我をした左腕を渋々と見せてきた。何かで深く傷がつけられたようだ。嬢ちゃんに限って厄介ごとに巻き込まれることはないと思われるが、ひとまず状況を聞いた。
「基本の広間にいて……瓦礫が落ちてきたんです」
「立ち入り禁止場所じゃねぇか。また何でそんなとこに?」
「気がついたら、いるんです。だから、自分でも分からないんです」
きっと無意識に、不安を抱えて、何かに引かれてそこに向かっているのだろう。余程の衝撃を受けた時に、気付いたらまたその場所に来ている、ということは、なくはないことだ。
「そうか、気をつけろよ。腕見せろ」
近くで見ると思った以上に出血が続いていたため、急いで消毒とガーゼを用意した。出てくる血液を凝固させる薬をつけ、止血を促していく。その上からガーゼを被せ、包帯で取れないように巻いていった。
「オミ、お前も講技を見てたのか」
「まあな。ソムについていたんだが、ウィンがいなくてな。探そうと思って出てきていたんだ」
「成程な。っし、これで大丈夫だろ。一応安静にな」
嬢ちゃんは軽くお辞儀をすると、すぐに部屋を出て行った。オミも講技の部屋に連れて行くために、彼女を追おうとする。
「オミ。基本剣術の広間に、誰も入れるな。絶対、入れないようにしとけ」
その背中に、そう言葉をかける。あの広間に、嬢ちゃんがまた行くようなことがあれば、怪我をしかねない。防げることならば、防ぐことも教育師の務めだ。俺の言葉を聞いたオミは、一度足を止めて振り向いた。
「……努力はしよう」
そう言って、オミは部屋から出て行った。揃いも揃って忙しい面々だと、治療に使った道具を片付けながら、思わず呟いた。
△ ▼ △ ▼
翌日の予定を伝えた後、応用クラスは広間で講技を行っていた。ある程度時間を使い、今日のメインとした動きの訓練を終え、屋敷生に集まるように声をかけた。
「区切りとしてこれで一度終わります。近いうちにテストをしますから、通常攻撃からの防御攻撃、それに繋げて自由な動きを、各自練習しておいてください」
メインが終わったと聞き、屋敷生たちはわらわらと散らばり始める。しかし、僕は何も講技が終わったとは言っていない。再度かかる僕の声に、彼らは再びこちらを振り返った。
「え、終わったんじゃ……」
「メインは、終わりましたよ?」
「じゃあ今から何を……?」
彼らの顔には冷や汗が見え、警戒している様子。そんなに嫌な予感しかしないのだろうか。しかし、これは“彼ら”への救済措置。この屋敷と、世界をかけて行動してくれている彼らにその機会を与えないのは、少々酷だと思っての僕なりの配慮だ。
「今から、ザイ君とラオ君の講技数をカバーする補技をします。ユラ君」
「えっ、はい!?」
「多面的に不足している人が、どうなるか分かりますよね?」
そう、講技には最低目標がある。それに満たないと、それを補うためのある時間が設けられる。それこそ、彼らが嫌がりそうなものだ。
「……ガネ教育師のスパルタは死ぬから……はい。五日間の補技訓練っすよね」
「応用に入って間もないザイ君にそんなことさせたいですか?」
屋敷生曰く、僕は厳しい方にあたるため、五日間の補技訓練なんて聞いたら肝が冷える屋敷生は数知れない。もちろん、ラオ君はもともと応用生であるため、知っているはずだ。
ユラ君に振ったのも、ザイ君のことを気遣う様子もあるし、グループも組んでいるため否定されないと計算してのものだ。その読み通り、ユラ君は乗ってきた。
「待って、でも何でオレたち……」
「本来は彼らが受けるべきですが……今回は広間での一件に貢献してくれましたし。君たちの日数も僕のせいで少し補わないといけなくなりましたので。五日間とは言わず、この時間のみで僕の譲歩です」
「譲歩とは一体……」
「ユラ君も一度は賛同してくれましたよね、やりますよ?」
サッと青ざめる顔は見慣れたものだが、こういう屋敷生がどういう動きを見せてくれるのかが期待できる。これだから、応用クラスはやりやすい。
「一人ずつ、僕と軽く試合をします。ただ、僕は攻撃しないので、僕の防御を破ってください。一人二分でお願いします」
「ガネ教育師相手に二分って……過酷じゃないっすか……」
「基本クラスならまだしも、応用クラスはこなしてください」
そして、僕のクラスの補技訓練、加えザイ君とラオ君の救済時間が始まった。ユラ君の闘志は驚くほどのもので、順番が近づいてくるたびそれは高まっていっていた。
彼らの周りには、優しい人たちが多いようで。少しだけ、この環境に安心した。
......
「こんな中探すのって雲をつかむような話だな」
シンとした空気の中、ラオが不意にそう言った。砂の中から砂を掴むことが簡単なように、〈暗黒〉からその要素を探すのは簡単だ。
しかし、だからこそラオの言うように、鋼槍はなかなか見つからなかった。
「こういう時こそ吟が頼れるのに」
『あんまり頼りすぎるな。前の化物のせいで、少し弱っているからな』
「そっか……」
俺たち自身の力で探さなければならない。武具の妖気とか、特徴で探せないものかと考えていると、突然何かが迫っているような、ぞわりとした感覚に襲われた。
「何か、来てる……?」
そう言いながら穏慈の背に伏せると、ラオも身を屈めて周囲の様子を窺った。穏慈も薫も、俺が感じたものが分かったようで、その方向をじっと見た。しかし、危険はないらしく、落ち着いていた。
『こいつらは我らに害を与える怪異ではない』
穏慈が言うには、複数の怪異が近づいてきているらしい。そっと身を起こしてその先を見てみると、小さな怪異が宙に浮いてそこにいた。
『あ、おんじだ! くんもいる!』
甲高く、子どものような声がその怪異から発せられる。本当に害のなさそうな怪異だ。でも、この怪異じゃない。俺が感じたものは、もっと不気味そうな感じのもの。違和感が抜けずにいると、浮いていると思っていた怪異の下に光るものが見えた。
『やはり秀蛾だったか。下のは何だ? 何に乗っておる』
『がんぎだよ。このぶきみなのがたまらないんだよ』
『あぁ……顔擬か。そんなに不気味か? 愛嬌はあるぞ』
その正体は顔のみで存在し、垂れるように下がる体毛でほぼ見えないが、白く光る眼が異様に目立つ怪異だった。醸し出す存在感は大きい。小さい怪異は可愛らしく、怪異には見えないのに対し、まさに怪異だ。
穏慈の言う愛嬌はよく分からない。
『あ、もしかしてでっど? ほんとうににんげんだ!』
顔擬の上で飛び跳ねる秀蛾という怪異は、よく見ると蛾のような模様がついた小さな羽を背に生やしていた。それを素早く動かして体を浮かせ、俺たちの周りを飛び回り始めた。視界にチラついて気になる辺り、ただの虫のようにも見える。
「こんな怪異もいるんだ。多種多様だな」
『ああ。こんななりで強い妖力を持っておるぞ。毒も出す』
下手に刺激するのはかえって危険性を上げるということだ。まさに綺麗な花には棘がある、という言葉がぴったりな怪異だ。
『ところでなにしてるの?』
秀蛾の問いに対し、穏慈も何の危険も感じていないのか、ラオの鋼槍を探しているということを包み隠さず答えると、秀蛾は顔擬の上に戻り、気分が昂ぶったか、より高い声を発した。
『おもしろそう! がんぎ、てつだおうよ!』
「ええっ!?」
思いも寄らない答えが返ってきた。意外すぎて、開いた口が塞がらない。まさか、怪異自ら手伝うと言ってくるなんて予想していなかった。面白そうだと言っているところからして気紛れではありそうだが、こちらとしては人手が増えて有り難い。
俺は少し悩んだ末に、協力を頼んだ。
『やったねがんぎ、たのしいよ、たのしいよ』
『ガ……ガ……』
その声は顔擬の見た目と一致していて、まるでノイズのかかっているような暗く聞き取りにくいものだった。こんな怪異でも、同種であれば意思疎通に何も問題ないのだろう。現に、秀蛾と顔擬は、俺たちには分からないやりとりを続けている。
一方で、何となく気になったのは、秀蛾の方だ。
「ねぇ、穏慈。何か……秀蛾って、人間味があるよな」
小声で穏慈にそう言うも、それに答えることなく、俺から顔を逸らした。その対応に少し引っかかるが、薫が急かしてきたため、俺たちは再び、鋼槍を探すことにした。
......
時は、一夜明けた朝になっていた。屋敷では朝から忙しなく走り回る教育師たちの姿が多く見られる。屋敷生一人一人の部屋を回りながら、安否を確認し、部屋から出ないようにと声をかけている。
「おう、ガネ。あいつら知らねーか?」
「彼らならラオ君の部屋にいましたよ。多分、向こうに行っているんでしょうね。念のため、鍵をかけてきました」
「そうか。すげー騒ぎになってんな」
「……無理もないですね、ホゼが入り込んでいた形跡が見つかったんですから」
教育師の行動と、ゲランが言う騒ぎの理由は、それだ。以前、屋敷を裏切っていたことが分かり、その上ザイ君を攫った、指名手配中のホゼ=ジート。その本人が、ここに足を運んでいたことが分かったのだ。誰の目にも触れなかったことには些か疑問が残るが、今度はどういう目論見でここに来たのだろうか。
(計画を、実行に移す気か……?)
ここを掌握した後、青郡に手をかける。そこまでは、オミから聞いた計画だ。それ以上は想像もできない。最小限の対応には繋げられるが、最大には及ばないだろう。僕たちができることと言えば、屋敷と青郡を守ること。少なからず次の計画に支障が出るはずだ。
「そんで、今は?」
「今のところホゼ自身は確認されていません。何か企んでいるとしたら、ここの壊滅か、掌握か、何れかだと思います」
「ったく面倒ばっか起こしやがって。被害は出さねーように抑えきるぞ」
「あなたに言われなくてもそのつもりです。何も起きないのが一番良い……でも、そうもいかないでしょうね」
いつしか、世界が闇に変われば、闇は染まり、人の心を殺し、生きるものもいなくなる。読めぬ相手の思惑は、手の伸びる場所が掴めない。今はただ、何も起こらないことを祈りたい。
「……そうだな」
近くを通った教育師が、屋敷長に報告しに行くと言い、そのまま走り去っていく。教育師たちも講技どころではなく、今日は全体的に保守体制になりそうだ。
僕も例外ではなく、せっかくザイ君のために用意した今日の予定は中止になり、屋敷内の調査、捜索に関わることになった。