第四十七話 黒ノ空間ニオチタ断片
〈暗黒〉編
ガネさんの姿が見えなくなったところで、俺もウィンの部屋に向かい、部屋の扉を軽く叩く。しかし、部屋にウィンはいないようで、返事も何も聞こえてはこなかった。
もしかしたら座学室で励んでいるのかもしれないし、広間で講技中かもしれない。あまり深く考えないままに、まず基本クラスが使う広間の方に足を運んだ。
そこはまだ修繕中で、中は使えない状態だった。ここではないと思ってその目の前を通り過ぎようとした時、中に見覚えのある人影が見えた。それは間違いなく、今俺が探している人物だった。
「ウィン!」
「きゃあっ、ビックリした! あれ、ザイ! いつ帰ってきたの!?」
相当驚いたようで、ウィンは少し跳ね上がっていた。俺の姿が確認できると、すぐに広間の中から出てきた。
「ただいま。ついさっき戻ってきたんだ。ていうか、ここ使えないんだろ? 何で中にいたの?」
「……何か、屋敷でこんなことが起こったのがまだ信じきれなくて。夢だったらいいのになって思って見に来たんだけど、やっぱり現実だった……いろいろ考えてたの」
「……そっか。ねえ、ウィン。今から暇?」
特に用事はないと言うウィンに、以前行った貝海に行こうと誘うと嬉しそうに頷いてくれた。
見られて困るものではないが、あまり堂々と出ていく理由もない。静かに屋敷を出ると、気付いた者がいたかどうかは知れないが、その足が止められることはなかった。
......
〈暗黒〉で、我はしばらく吟を探してまわっていた。その時間がどのくらい経ったのか、吟の臭いを察知できると、同時に深火の臭いもそこにあることが分かった。
『何だ。お前ら一緒だったのか』
『アァ、穏慈……ヨクゾ、ヤッテクレタ……。深火モ、ブジデ、イル……』
『どうでもいいが、どうした。雰囲気が違う』
いつもと違う様子の吟に、何か胸騒ぎを覚えた。吟の答えを待っていると、横にいた深火があるモノを持って腕を差し出してきた。
そのモノの周囲に、尾の先についた炎を振り回して散らし、示してくれる。
『……キヅイタノナラ……デッドヲ、呼ベ。彼ガ、必要ダ』
『……つまり?』
『コレハ……。先ニミツケタ、肉体ダ。コレハ、ヒトリデニ動イテ、イタ……』
肉体と言っても、肉体の欠片だ。人間のものか、怪異のものか、それとも魔物のものか。
それは現時点で判断しかねるが、こんなところに肉の欠片のみがあることは不可解なこと。それだけは間違いない。
『デッドが開ク……』
深火がボソリと呟いたのを、我は聞き逃さなかった。
どういう意味かと尋ねると、深火はしばらく黙り、吟に視線を送っていた。その口からは言いたくないということなのか、言いにくいということなのか。
『何だ』
『……コレガワカレバ、何ガ起キテイルノカワカル……焦ルナ』
『我の用が済んでからでも構わぬか』
吟の言葉は我ら怪異にとっては重い。それは吟の特性にあるのだが、これまでに何度かあったように、空間の声を聞くことができる。そして、多くの情報を身に集結させることができる、ここに欠かせない重要な怪異だ。そういう理由もあって、我はその言葉に素直に応じることにした。
焦るなと言っているだけあって、我の用が優先されても構わないらしく、吟は首を縦に振った。
しかしこの肉体の欠片の存在は、再び〈暗黒〉で、大きな事態が待ち受けていることを示す、一つの予兆でもあった。
......
「懐かしいな。前に来たときは、フォトも撮ったよね」
貝海に到着した俺たちは、水辺から少し離れた草むらに並んで座り、まず他愛のない話をして時間を少しだけ潰していた。急に本題に入るのも、ウィンに申し訳なく思ったからだ。
「ああ、そうだったね。俺がもらったやつは部屋で仕舞ってあるよ」
靡く風が、俺たちと草を揺らす。今日は、全くと言っていいほど人が居ない。以前よりも、のんびりとそこに座っていることができていた。
「……あのさ、ウィン。ごめんな」
「え? な、何で謝るの?」
謝罪の言葉に動揺を隠せなかったウィンは、俺のことを心配そうに見返してきていた。
突然の真面目な声色で、さっきまでとは打って変わった雰囲気になったことを感じたのだろう。その目は、俺の目から逸れることはなかった。
「俺、ウィンを巻き込みたくなくて、避けてたんだ。知られて、傷つくことが恐かった。でも、そのせいでウィンとの距離ができているってことになかなか気付けなかったから。ごめん」
「ううん……いいの。でも、巻き込んでくれてもいいよ? 小さい頃から、ずっと一緒だったじゃない。ザイたちに巻き込まれるなら、私はいくらでも巻き込まれていいよ」
こういう時に限っては、ウィンの強さに甘えそうになる。そうやって、俺たちのことを信じて、考えて、今までだって一緒にいてくれたのだ。
方舟に襲われた時だって、俺を連れて逃げてくれたウィンだ。表面上にはあまり出さないが、ウィンの気持ちは本当に強いだろう。
「でも、嫌なことに巻き込まれたら、誰だって怒るだろ?」
「ザイって、見た目によらず可愛い性格してるよね。私は、ザイやラオと一緒にいたいだけなんだよ。遠慮しないで、協力だってするから」
ウィンは、俺が握った拳に、自分の手を被せてきた。その手は暖かくて柔らかくて、でもウィンの気持ちといえる力が入っていて。
「私なら、大丈夫」
「……あはは。ウィンを元気づけようとしたのに、俺が元気づけられちゃった。ありがとう」
ウィンが強く意志をもっているのに、俺が揺らいでいたら格好がつかない。俺が、強くならなければ。都合よく逃げていても無駄なんだ。
ウィンを、俺にかかわる全てをちゃんと、守っていけるように。
「ふー……話したらすっきりした。またここに来れて良かったよ。またみんなで来ような」
「そうだね!」
俺は、改めて思う。こんな話をしても、まっすぐに俺と向き合ってくれるウィンがいて良かったと。そのお陰で、俺の心が少しだけ助けられていることにも、気付くことができた。
「はっ? ザイがいない?」
屋敷に戻ってきたガネさんが、俺の様子を見るために医療室に入って来ていた。
俺の視力のわずかな回復を耳にして安心したガネさんは、一緒に戻ってきたはずのザイが部屋にいないと言い、行き先など知らないかと尋ねてきていた。
「てっきりここに居るものだと思っていたので……いないんですね」
「……そういえば、ウィンもいないよな? 朝のうちに一回来て、また後で来るって言って出てったんだけどな」
そこに、ゲランが入ってきた。ガネさんが医療室にいることに驚いたゲランさんは、目を丸くする。
「おお、やっと自分から怪我を見せに来たのか」
「何を誤解しているんですか。ラオ君に用があって来ているんです。ついでに聞きますが、ザイ君知りませんか? あと、ウィンさんも」
「あー、知らねえけど一緒にいんじゃねーの? お前もいただろ、俺とザイヴが話してる時」
「ところでラオ君目はどうです?」
「え? さっき言った……」
「分かりやすく流すんじゃねーよ。俺が把握してるってことがそんなに癪に障ったか? おお?」
ガネさんが話題を変えようとして失敗し、ゲランさんにまたしつこく構われることに苛立ったのか、ゲランさんを振り払って医療室を出て行こうとした時、その扉が外側から開いた。勢いはそこまでないものの、ガネさんの肩に思い切りぶつかっていた。
その扉を開けたのは、ザイだった。
「うわっ、びっくりした! ガネさんごめん殺さないで! 命乞いするから!」
俺が医療室に入ると、ちょうどガネさんに扉をぶつけてしまったようで、ガネさんがこちらを凄い顔で見下ろしてきていた。良い予感はまるでしない。俺の声に反応したのか、ラオが俺の名を呼んだ。
「あ、ラオ。起きてたか、調子も良さそうだね」
「……ザイ君」
今の状況的に、声をかけられたくない人から名を呼ばれる。目を合わせないようにラオの身を案じたのに、無駄な抵抗だったようだ。ガネさんは俺と顔を合わせられるように肩を掴んで言い放った。
「どこに居たんですか!」
「え、そっち!」
扉をぶつけられたことを怒っているのかと思えば、黙って外出したことを怒っているらしい。俺にとって想定外で、思ったことが素直に口に出てしまっていた。
「肩にぶつかったくらいで怒るほど狭い心してませんよ。ていうか、報告もなしに、今もホゼに狙われているのにもしものことだって予想はできるんですよ!」
そう言われて、ハッとする。ホゼにさらわれた事件からしばらく経ち、その自覚が薄れていたが、俺は未だにホゼに狙われている身だ。またいつ追ってくるか分からない中で、俺はウィンと二人だけで出かけていた。その点を考えれば、ガネさんの言葉に何の反抗もできない。
「……ご、ごめん、なさい……」
一言も伝えずに出かけたことを、俺を心配してくれているガネさんに素直に謝った。
「いえ……分かってくれたのなら良いです。すみません、大きな声で」
「いや、別に……俺が悪いんだし」
「ったく、ザイヴの心配すんのはいーけどよ。てめーも自分の心配しやがれよ」
ゲランさんが伸ばす手は、ガネさんの腕を掴もうとするが、当の本人はその手を思い切り払った。
「余計なお世話です。何てことありまあ゛! 痛い! その傷を思い切り掴む奴がありますか!!!」
払われたにも関わらず、またすぐに、今度は素早い動きでその傷の付近を掴むと、ガネさんは今までに見たことがない程の反応を見せていた。青郡にいた時はそんな素振りを微塵も見せなかったけれど、やはり、まだ痛むようだ。
「その状態で青郡で暴れるたぁ、さすがだな。ここにいるついでだ。治療してやるから座れ」
「別にいいです」
「座りなクソガキ」
真っ黒いオーラで全身が包まれている錯覚に陥るほどの、恐ろしい顔が露わになった。関係のない俺も、少し気圧される。
その傷が俺を庇ってついたものだということは目の前で見ていた俺が一番分かっているし、その傷の酷さも、目を瞑れない。その傷は、さすがに俺も治療してもらった方がいいとガネさんに頼むと、仕方ないと言わんばかりに、ガネさんは椅子に座った。
「意外にも俺が言って聞いてくれたな」
「ゲランは無理矢理ですけど、ザイ君に頼まれた流れにしておけば抵抗なくなるでしょう。利用したまでです」
「ガネさんも十分無理矢理だと思うけど……」
その直後、ガネさんの何か言いたげな顔を見た俺は咄嗟にウィンの後ろに隠れた。目を合わせたら俺がどうなることか。勝手に体が動いた。
「ちょっとザイ、私の後ろに隠れないでよ!」
「今隠れる場所ねーんだよ! あんな顔のガネさん見たくない!」
その場でぐるぐると回っていた俺たちを見て、ラオが笑った。それが示すことは、一つしかない。見えないものに対して、反応ができるわけがないのだから。
「……え、ラオ見えてるのか?」
「あははっ、おもしれー。うん、超うっすらとだけどね。あの時、俺何もできな、ごぶっ!?」
何の前触れもなく、俺はラオを殴った。殴らずにはいられなかったのもあるが、それ以上に、俺には殴りたい理由がちゃんとある。あんな化け物に憑かれようと、その後視力がなくなってしまって回復に時間がかかったとしても、ラオはちゃんと生きている。ガネさんや穏慈に言ったように、あの件で誰かが悪いとは思っていない。ラオは憑かれて辛い立場にいたんだし、それでなお、こうして話ができる状態にあるだけでいいんだと。ラオに伝えられていなかったことを、この場で伝えた。
「あぁ……。なるほど。あははっ! でも痛ぇや」
「結構本気で平手打ちしたから……俺の手も痛え。あと、今から向こうに行ってくるから。やらなきゃいけないことがある。ラオはまだ寝てて」
ラオが使っているベッドの横に設置されてあるそれに寝転び、ゲランさんの承諾を得て〈暗黒〉に行こうとしたちょうどその時だ。隙間からガスでも漏れているかのような音がし、煙幕のようなものとともに穏慈が現れた。
『ザイヴ、今から来れるか』
「わぁあっ! 今から行こうとしてたけどびっくりした!」
穏慈が、自分の意志でこちらに来たようだ。タイミングはちょうど良いものの、運が悪ければすれ違っていたかもしれない。
『それならちょうどいい。すぐに行くぞ』
「あ、うん」
そうして、慌ただしくも、俺は〈暗黒〉に向かった。そこでは、また新たに起きている事案が待ち受けていた。
俺が目にしたのは、見ることに馴染みのない、気味の悪い一つの肉塊だった。