第四十五話 黒ノ得シ頼ト夜明
再び現れたビルデの魔物を前に、俺たちはその武器を振い続ける。今夜は、魔物が途絶えることがない。
「さすがにこの連戦は……ザイ君、大丈夫ですか?」
「はぁっ、はっ……は、大、丈夫」
『大丈夫ではなさそうだな』
俺はこんな連戦の経験がないためか、疲労していることが表面に出てくるほどには、足や腕の動きに不自由さがあった。
方舟と戦うことにならなかったことが救いだが、その物のことは、ビルデが諦めていない。
絶対にまた俺たちの前に現れるであろうことは、何となく予想できる。
「……まあ、仕方ありません。君は無理をしないようにお願いします。僕のことは構わないでください」
「わ、分かった……」
こういう時に、教育師との差を実感する。経験の数がそうしているのだろうが、こんなことでもものともせずに行動できることを、素直に尊敬した。
『おそらく、鎌の能力を繰り返し使ったことにあるだろう。結構使っていたな?』
「キリないと思ったから……」
確かに、これまでに得た鎌の能力をこの短時間で何度も使用した。ともかく、ガネさんと穏慈の邪魔にはならないように、鎌の能力は控えることに。俺が動き始めると、穏慈は再び魔物に食いかかっていき、着実にその数を減らしていく。
ガネさんは重ねて腰に携えていた二本の剣を抜いて、片手をまっすぐに前に構えて口角を上げる。
地を一蹴りして、走った。目で追うのがやっとの速さで、俺はまたガネさんのその動きに目を奪われていた。
「速っ!」
『ふん、我には劣るがな』
「……はぁ、よし」
気持ちを繋がずとも振れるようになった鎌を、存分に振り回して魔物を散らしていく。数が多いだけで、一匹一匹が手強いわけではない。終わりが見えないように見えるだけなのだが、精神的に来るものがある。
ガネさんは二刀流を、穏慈は図体と怪異という強さを活かして、全滅を試みる。多すぎて、今回は数が増えていることはないのに、減らない錯覚に陥り、一人で焦ってしまう。そういう時には、ミスが出やすい。背後から来ていた魔物に爪で引っかかれたり、斬ろうとした魔物を斬れていなかったりしていた。
「落ち着いてください。大丈夫、全て雑魚ですよ」
そんな俺の様子を見かねたか、ガネさんはフォローの言葉を入れてくれた。俺の感情に溶け込むように、落ち着いた声色で。お陰で少しだけ安心し、徐々に落ち着いた。
「……うん」
『一気に片付けるぞ』
再度行動を始めたガネさんは、足を止めることなく二刀流をうまく使いながら、次々に魔物を裂いていった。穏慈も、俺を乗せて宙を舞う。
俺は穏慈の頭の上で鎌の刃を構え、穏慈が通る場所にいる魔物を鎌の餌食にしていく。
そうしていくうちに、確実に魔物の数は減っていった。
......
〈暗黒〉に送られた深火は、吟の目の前にいた。正確には、吟が見つけたのだが。深火は、辺りを見回して懐かしい気持ちを抱いてそこにいた。
『ソノ……におイ……』
『……忘レテハ、オランヨウダ、ナ……。ドウヤッテ、ハコニ……入ッタ』
闇の空間から声を聞き、ある程度の情報を知っている吟の言葉に、深火は応じた。
『遊びハン分、だっタ。ニンゲンかいに行っタラ、それヲキいた。探してミたら、ワタシの好ム空間で……ホシイ、と思っタ』
最初から知っていたわけではないことを聞いた吟は、少しばかりの安堵を見せて、再び口を開いた。
『ソウ、カ……ヨカッタ……生キテ、オッテ……』
吟は怪異を気遣う怪異のための吟であり、この一途な面が多くの怪異から信頼される理由、なのだとか。
......
目の前の最後の一体を鎌で真っ二つに斬り、その場の静寂と安定を取り戻した。ビルデが姿を消すためには十分な時間稼ぎになっただろう。
体の力がようやく抜ける。張り詰めすぎていた糸が切れ、俺の足は自然と膝から崩れた。
逃走が目的だったのかもしれないことを考えると、どこか負けた気になるが、今は気にかける余裕もない。
「はーっ。くっそ、疲れた……」
「かなりの連戦でしたからね。しばらく休みましょう。もう一度隠れ家にお邪魔しましょうか」
抜けた力を再び足に加えて立ち上がる。ふらつくのが分かったが、あと一踏ん張りだ。引きずってでも歩いた。
ガネさんの言葉通りに隠れ家の付近にまで来て、ギカのことが心配になり、自然と足の歩みを止めていた。
俺の行動にガネさんが俺に声をかけてきたが、その旨を伝えると「そんなことですか」と言って、俺に構わずに進む。
流されたことはさておき、俺も隠れ家に入るために足を進めたが、その意欲を削ぐように、穏慈が制止をかけた。
穏慈は辺りを見回し、ある一点を指で示した。その先の茂みには、どうやら何かがいるようだ。
悪い気はしない。出てくるのを待っていると、俺よりも小さな男の子、十二歳のオーア=クリュウが姿を見せた。
「オーア! こんな時間にここで何してんの!? まさかずっと外にいたわけじゃないよな!?」
俺の知り合いだということが分かると、穏慈もガネさんも警戒心を解き、オーアのもとに寄っていく。
聞くところによると、ギカが隠れ家に戻って来てから隠れ家の周辺を監視するために出てきていたと言う。意欲は買うが、危険に身を曝け出していることと同等のことをしていたのだ。何事もなかったことに、ただただ安堵した。
「戻ろう。俺も中に入るから」
「……ザイ兄、いっぱい怪我してる」
「……大丈夫だよ、俺強いから。入ろう」
オーアが泣きそうになりながら、俺の傷を見ていた。心配しているのが目に見えて分かり、少しだけ申し訳なく思うが、とにかく外にいるままでは、いつまた魔物の類が襲ってくるか分からない。隠れ家に入るように言い、立ち上がってオーアに手を差し出した。
素直にその手を握り返してくれたが、その手の温かさに、俺が耐えられなくなってしまった。
「ザイ兄、本当に大丈夫? 痛い?」
「え……?」
俺の目には涙が溜まっていた。それが、一粒一粒零れていく。
どうして泣いているのだろう。オーアが心配してくれているからか。青郡を守れたからか。それとも、もっと別の理由なのか。
「……ううん、痛くないよ。……何でだろうな」
その様子を見ていたガネさんが、静かに横に来て、俺の肩に手を添えて言った。
「ザイ君、大丈夫です。みんな無事ですよ」
それを聞いた俺は、限りない安心感に包まれた。目の前のオーアの手を、力いっぱい握り返し、何とも言えない気持ちを抑えた。
「良かった……。青郡、無事だよ、オーア。今はもう、大丈夫」
オーアは、よく分からないみたいだったけれど、その手を痛いとは言わず、黙って握り返してきてくれた。傷だらけの俺の手が、綺麗なオーアの手に重なっている。
「ザイ兄、中に入るんでしょ? 入ろ。ギカ兄も待ってるよ」
「あっ、ごめん。そうだね」
手に入る力が緩み、オーアの手を引いて歩いた。その後ろには、ガネさんと穏慈が、並んでついてきていた。
やっと訪れた安息に、思わず顔が緩んだ。こんな〈暗黒者-デッド-〉の俺が、ただの屋敷生の身である俺が、ここを守ることができたのだ。
空は、少しだけ白み、時間の経過を示していた。
「あの子は、きっと優しすぎるんですね」
『……あぁ、そうだな』
二人が、何か言葉を交している。俺の耳には届いていなかった。
隠れ家で外の落ち着きを伝えると、ギカは俺を思いっきり撫でてきた。俺に大きな怪我がないことを確認し、満足してやめた。
「ギカ痛えよ!」
「あーくそ! 心配させやがって! この辺りは全然魔物が来なかったから、ずーっと心配してたんだぜ!?」
どうやら口ぶりからするに暇だったらしい。そんなことを言うギカには、一緒に戦っていたときに受けた傷が、複数あった。
「怪我、大丈夫?」
「おう! にしても、お前強くなったな」
「……ガネさんたちのお陰だよ。薬ある? 治療しよ。放っとくと危ないから」
ギカは素直に頷いて、オーアに薬を持ってくるよう頼んだ。小走りで薬を取りに行き、戻ってくると数種類の消毒薬を手に持っていた。
「そういえばオーアがそこの茂みにいたぞ。何で外に出してたんだ」
「は!? こっそり出ていきやがったな! まじかよ、怪我とかしてねぇか!」
「ごっ、ごめんギカ兄……ぼくは大丈夫」
そんな様子を見ていたオーアの母は、俺を見つけると手招きをして近くに来るようにと合図を出した。
何か言いたげな、深刻な顔をしてそうしたものだから、その場をすぐに離れてオーアの母のもとに足を運んだ。
「無事で良かったよ……。一つだけ、確認させてほしい。ザイ君が此処に来た理由に、嘘はないんだね?」
どうやら、俺のあの時の話を信じ切れていなかった一人のようで、俺に再度、ここに来て最初に話したことの確認をした。もちろん、俺は青郡を守るために来た。俺の気持ちと、今後の危険についてもう一度軽く説明をしてから、その言葉に頷いた。
理解を示し、軽いため息を吐いていた。
「そうか……。だったら、私は信じよう。何と言っても、ザイ君の言葉だ」
「……ありがとう」
「さぁ、治療しておいで。痛むだろう」
その言葉とほぼ同時に、タイミングよくギカが俺を呼んだ。
心なしか迷いが吹っ切れたように見えた彼女は、俺に背を向けるとその主人のもとへ行き、笑顔を見せていた。
俺もそれに背を向け、ギカたちがいるところに戻った。
「ねぇ、ギカ」
「ん?」
「俺、絶対ここを守る。お前らのことも、絶対」
「……はっ、その役、オレも担っていいだろ? 分けたほうが効率いいだろ?」
ギカは手を開いて前に突き出してくる。ギカの力があれば、大抵のことには対応できるだろう。ギカの力量と、その強さに頼らせてもらう形にはなるが、その手を取り、お互いに頷き合った。
こうやって、優しい人たちがいるところだから、この場所は好きだった。
なのに、いつからこんな風になってしまったのだろう。
いや、その答えは、重々分かっている。俺の『母親』が方舟を造り、暴走し、青郡を荒れ地のようにしたのが、そのきっかけ。
─『母さん』。あんたは、どうしてそんなものに興味をもってしまったんだ。
その答えを知ることはできないけれど、問わずにはいられなかった。
その夜は隠れ家で眠り、眩しさで目を覚ますと、昨夜とは打って変わり、穏やかな風を感じた。隠れ家の入り口の隙間から、太陽の光が漏れている。
「朝……」
その言葉を、噛み締めて言った。俺がここで過ごした夜は、本当に長かった。
「おはようございます」
「ガネさん……」
声がした方に顔を向けると、ガネさんが静かに座っていた。
ガネさんだって疲れていないわけではないはずなのに、その様子は欠片も見せていなかった。
「少しは眠れたようですね。穏慈くんは君が寝ている間に戻りましたよ。僕たちも、ある程度落ち着いたら屋敷に帰りましょう」
「……今、何時?」
「初の三時です。気にしなくても、僕の方が早起きだっただけですし、ザイ君は特に疲れたでしょう? 大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。ちょっと腕が痛いけど」
結構な負荷を与えていたらしく、それなりの痛みがあった。それは、青郡を守ることができた象徴でもある。と言えば格好がつくだろうか。
見回すと、眠るのは未の四時くらいになってしまっていたことから、俺とガネさん、加えてギカしか起きていなかった。
「帰るのか」
「……うん。俺の目的は果たしたし、しばらくは大丈夫なはずだ。ギカもいるしね」
「はっ、言うね」
「とりあえず、一旦は任せたよ。絶対また来る」
ギカもギカで、やはり昨夜の一件が堪えているのか、その目の下には隈がうっすらと見えている。
もっと早く、別の区切りの時に帰せれば良かったかもしれない。そう思うと申し訳なくなったが、それを分かったかのように、俺に笑いかけて、答えてくれた。
「あぁ。待ってるぜザイヴ。師公もな」
「……僕で良ければ、また」
「ありがとな。青郡のために戦ってくれて」
ギカが手を差し出したのを見て、ガネさんはギカの手を握って握手をした。
その一瞬で、今回の騒動が本当に終結したことを感じて、本当の意味で安心した。
「こちらこそ、助かりました」
「……次に来た時には、少しくらい良い状況にしとくからな!」
その手を離し、今度は俺の肩に手を添えて、ギカは言う。俺が、青郡が好きだと知っているから。ギカは、だから優しい。
「うん、ありがとう。じゃあ、またね」
「おぅ。気をつけて帰れな」
また一つ、俺に課せられていたものは、協力と理解という形で一先ず果たすことができた。
この調子で、今後俺の前に現れる難題も、乗り越えていけるといいのにと、心の中で静かに願った。
「さぁ、屋敷に戻りましょう」
「うん」
俺たちが見た朝は、思ったよりも明るく、思ったよりもすっきりと、どこか洗われたような温かさを感じた。