第四十四話 黒ノ調ニ適ウ怪
穏慈のお陰で、魔物が身に纏っていた粘液は消えた。加えて、深手を負わせることができ、魔物の血液を目の当たりにする。
その成果を残した〈宵枷〉は、俺たちを圧倒するのに十分すぎる威力で、しばらく言葉を失っていた。
『見ておられんわ、お前ら。ザイヴ、乗れ』
「えっ、あ、うん」
穏慈に話しかけられたことで俺の意識は魔物に戻り、怪異の背に跨った。さっきまで光を帯びていたその左眼は、またいつものように隠され、落ち着きを取り戻していた。
『ガネ、お前は大丈夫だな。下の方を、そのガキと頼むぞ』
「ガキたぁ何だ!」
「僕は大丈夫です。上は任せます!」
ガネさんの承諾もあり、ガキと言われて気にしたギカは放って魔物の上方に連れられていく。上から見るとまた違って見える魔物の姿は、その血に塗れていた。
《ギギギ……》
「ギカ君、頼みますよ」
「ッチ……、わあった。やってやらぁ!」
あの粘液がなくなったことで、動きやすくなったギカは細刃を構え、魔物に向かって走る。ガネさんは、針を取り出して投げつけていた。ある程度、毒の入った針を投げると、大きな二本の針を、両手に一本ずつ持った。俺なら、あんなもので刺されたくはない。
「【怠刺】……、刺さった部位からじわじわと機能低下させるものです。多少やりやすくなるかと思いますよ」
一瞬不気味な笑みをもらすと、思い切り投げ飛ばした。その針を目で追うことはできないほどの速さだ。魔物に刺さった音で、針を確認すると、口元と腹の二か所にあった。
《グゥウ、ガァッ》
ガネさんの話では、そこから機能低下が始まるようだ。俺は穏慈の背に乗ったまま、魔物の上をぐるぐる旋回しながら斬っていく。
『図体がでかいだけあって、しぶといな』
そもそも、こんなことをしに青郡に来たわけではないのに、魔物にかかわる時間の方が長いというのは俺を焦らせる理由になった。それに加え、ビルデの件で体力は削られているようで、振る鎌にキレが感じられなかった。
『ザイヴ』
そして、穏慈が俺に言った。
緑色に光った、鎌の扱いを。
青郡の一角で、ザイヴたちが魔物と戦っている頃。青郡には、ある怪が現れていた。赤い眼に、尾に火を灯したその身は、大きな“モノ”を連れて、ズリズリと怠そうに歩く。その先にあるものを、それは知っているようだった。
『……旺』
そして、呟いた。臭いで見つけた、同種の存在の名を。また、それは歩く。少年たちが目的とする、ハコを連れて。
魔物は、【怠刺】の力により、動きが鈍りだしたようで、俺たちへ向く牙や腕に定まりがなくなっていた。腹からは足へ、口からは腕へ。計六本のそれらに、確実に効いていると見える。
「ギカ君、ザイ君をフォローしますよ」
「おう! こっちだバケモン!」
《ヴ、ァ……》
ギカはガネさんの言葉を聞き、速やかに行動を始めた。それに反応した魔物は、のたりと首を大きく回しながら、辺りを見回していた。
「キメェんだよ、テメェ!!」
ギカが魔物の足二本を切り落とし、俺が同時に鎌を振った。それは、穏慈が俺に知らせてくれた、新たな鎌の力だ。
─【潰傷鎌】!
振り切ると、細く長細い軌道が現れた。そこを、何か透明にほど近い刃が通り、吸い込まれるように魔物の体内に消えていった。その、すぐ後に。グシャッと中で潰れる音が、血飛沫とともにどこからともなく聞こえる。同時に、魔物も呻き始めた。
いくら魔物でも惨いことをしてしまったという思いに駆られる程に、それは中から斬り裂いていっていた。
『体内に軌道から入り込み、中を裂く。ガネの針術も効いているだろうからな、もう十分だろう』
そう言ったのも束の間、魔物は足掻き、上にいる穏慈に向かって残っている足を蹴り上げた。
穏慈の反射神経の良さで回避したが、魔物の暴走は止まらず、その足はそのままガネさんとギカの方に向かった。ギカは避けきれずに吹っ飛ばされ、何とか避けたガネさんは機会を窺っていた。
『捕まれ!』
「わっ!?」
その言葉が聞こえた瞬間、遠心力で後方に体が引っ張られ慌てて穏慈にしがみつく。【怠刺】によって自由が利かなくなっているはずだが、どういうわけか多方向に動き回り始めていた。
「何であんな動いてんの!」
上下左右、魔物のソレを避けるために穏慈は動き回る。俺は必死に、振り落とされまいとしがみついていた。俺が顔を上げる余裕もないくらいの速さで、次々に避けていく穏慈の反射神経は本物だった。これだけの回避力、俊敏力に文句はない。
『チッ、手を焼かせてくれる』
「穏慈、一回距離を取って! 下から狙う、囮になってくれ!」
『……やれるのだな? いいだろう!』
穏慈のその動きを利用すれば、俺たちは何とかできる。案に乗った穏慈は俺を降ろすために、一度ガネさんたちのもとに身を落ち着けた。俺が降りると、すぐにまた上昇していった。
「大丈夫!?」
俺が尋ねると、二人とも頷いた。けれど、痛々しい。ギカは右瞼の上を切って血が出ていたのだ。
それを確認してすぐに、魔物が地面に足を叩きつけたことで地響きがした。中腰で構えているギカの眼が、魔物の腹を捉える。狙いを定めて、細刃を思い切り投げていた。命中し、また暴れだした魔物を見て、今度はガネさんが【蝕害針】の針術を魔物に浴びせた。
《ビャァアアッ!!!》
「穏慈、上手く避けて! 【歪鎌】!」
それは、魔物を切り裂いていく。穏慈はしっかり避けていて、魔物のみが餌食となった。次いで、穏慈が上から口を開いて急降下。そのまま、魔物の真上から噛み裂いた。それが最後となったようで、霧のように散っていく魔物は暗がりに消え、場は鎮まった。
「……消えた……」
それを見たギカはホッとして、その場で座り込む。穏慈はというと、また別の何かを感じているようで、一点をじっと見ていた。それが確信に変わると、表情は一転し、険しくなった。
「穏慈、どうしたの?」
『……深火』
「ミビ?」
『我の他に、怪異が一体おる。吟の言うことが正しければ、方舟がここに来ておることになる』
穏慈は話す。俺に呼ばれる前に吟の口から、怪異の深火が方舟の環境を好んで住み着いていることを聞いていたことを。それを聞いて、行かないわけにはいかない。
「マジかよ」
「……そうだ、外がこんなだから隠れ家も気になる。ギカは何かあった時のために、隠れ家を頼みたい」
「……なるほど、それもそうだな。じゃあ外は任せるぜ」
拳を合わせ、まっすぐに友人を見る。これ以上戦わなくても良いと思っての口実だ。ギカは、俺たち屋敷生とは違う。才能があるからと言って、このまま残る理由は正直言って、ない。
方舟のことを調べに来たのは俺たちだから、俺たちで、その怪異のもとに行かなければならない。
『我がいる。大丈夫だ』
「えぇ、僕もいますからね」
魔物との戦闘を見たことで心強いと思ってくれたのか、ギカはニッと笑って拳を離した。
「良かったな、ザイヴ。こんなヤツらと会えたんだな」
「……うん。そうだな」
俺の答えを聞くと、ギカはまた改めて笑って、隠れ家へと戻って行った。ここには、俺を信じてくれている人たちがいる。怖じ気づいて逃げ出すわけにはいかない。
「彼、強いですね」
「ほんと、助けられたな」
『……深火に話をつけにいこう。早く休みたいだろう』
穏慈は自分の背に乗るよう、俺とガネさんに促し、俺たちが乗ると、宙を駆けた。肌に触れる風は、生暖かく、清々しいとは決して言えない風だった。
方舟は、ゆっくりと先に進み、その前方には怪異が浮いていた。ゆったり、ゆったりと、青郡の地を進んでいる。
『! やはり、深火だったか』
すると、その声に引かれるように、怪異は俺たちへと視線を向けた。
『……旺?』
穏慈はその名に怪訝な顔をするが、堪えてその前に立った。この怪異が、穏慈の言う深火のようだ。
深火の尾と思われる先にある炎のお陰で、周囲がぼんやりと見えている。後方にある大きなものが方舟だということは、言われなくても分かった。この妖気に、懐かしさを覚えている。しかし、怪異がついていることで、暴走性はなさそうに見えた。
『それが方舟か』
『……これが、ネライか? これハ、ワタシの』
盗られると思っているらしい。状況によってはそうしなければならないが、すでに害がないと言うならばこのまま〈暗黒〉に戻ってもらいたいのが俺の考えだ。
「深火、でいいよね。その方舟、七年前に暴走させたのはお前?」
『オォ……、つイ最近デハないか。あレハ……暴走させタのハ……ワタシではナイ。ワタシが入り込ムときニ、拒絶は起キたが……人ガ、ソレヲもっテいタ』
「じゃあ、方舟が人を襲った時、中にいたのか?」
『ワタシが……これに入ってイルと、ニンゲンの生命が入っテキタ。それガ、こレの力ヲ上げタ……』
人を吸収して力にしていたことも、今の言葉で裏付けされた。母さんが作ったものは、正真正銘の殺人機械のようなものであることも、分かってしまった。
『そういエバ、お前、アノ血の臭イがスル……その血ノ、主か……?』
「そうだったら、何?」
血の臭いで、人の区別がついているようだ。ということは、もしかしたら俺が〈暗黒者-デッド-〉だということに気付いているのかもしれない。幼かったにしても、その存在であることに変わりはなかったはずだ。その俺の考えは、外れではなかった。
『……頼みがアる。デッドになら、頼めヨう』
『やはり分かっていたか。さすがだな深火』
『ワタシは、ここを出タくはない。が、方舟ヲ狙うヤツが……いてな。追ってクルたビに逃げ回ってイる……コレを持っていてもヨイのなら、向こうに戻ル……つもりダ』
追われて逃げたということが、何度かの目撃情報に関係しているのだろう。その時に方舟が被害を出したということは青郡の人たちからは聞いていない。何にしても、深火はその存在を知っていたようだ。
それなら話は早い。方舟を悪用するつもりもないのなら、すぐに帰るようにと言った。
しかし、タイミング悪く、そこにあいつが現れた。
「ほぉ、そこに来ておったのか。気付かんかったのぉ」
特徴のある話し方の声の主─魔物使いのビルデ─は、まだ青郡に残っていたらしい。ガネさんがすぐに深火との間に入り、ビルデが手出しできないようにする。
「穏慈、深火を送れ!」
「逃がさぬぞ」
「僕もあなたを逃がせないんですが、どうしたものでしょう?」
「……貴様……」
穏慈は、強制的に深火を方舟ごと送り、そこを去らせた。去り際に、深火は俺たちに礼を言って、素直にそこから消えていった。
「吾の言ったこと、覚えておらんのか」
「生憎、俺は中立者だ。必ずしも人間の味方するわけじゃない。お前には、乱用する可能性も十分にあるから、渡せない」
そう言うと、ビルデは指笛を吹いて魔物を喚んだ。ここはまた、一瞬のうちに魔物で溢れかえることになってしまった。
数時間前にこいつが言った、「次に会う時は敵かもしれない」という言葉が蘇ってくる。すぐに構えて、暗闇に慣れた目で魔物を確認していく。
「ふむ、貴様の言い分も分からぬとは言わん。が、邪魔をした貴様らをただで許すわけにはいかん」
「……ふぅん」
「しかし面倒もご免じゃ。こいつらに任せる」
腕を振って豪炎で周囲を燃やし、煙だけが残った時には、大量の魔物がそこに残っていた。再び魔物を前にした俺たちは、このままこの場を離れるわけにもいかず、何度目かの襲来に打って出た。俺たちの朝が遠いことを表すかのように、空の暗さは増した。魔物の数は先程と変わらない。一体何体の魔物を使役しているのだろうか。
気が遠くなるような思いになったことは、言うまでもない。