第四十三話 黒ノ都ニ獣魔ト膨力
剣術屋敷、医療室。
ラオガは既に眠りについていて、教育師の三人が残されていた。ラオガの視力は、まだ戻る気配を見せていない。少なくとも、明日以降になることが怪異の言葉で分かっている。意識が戻ったのも思ったよりも早かったが、怪異に憑かれていた反動の視力の欠落ともなれば、やはりそれ相応の期間が必要となる。
〈暗黒者-デッド-〉の存在である時点で普通ではない少年が、普通ではない現象に巻き込まれ、現状に至っている。関連性のない人間は、これを見守るほかなかった。
「オミとゲランが知り合いね〜。タイプ全然違うね」
「どーいう意味だそりゃ……そーいやオミ、気になってたんだが昔からそんな直毛だったか?」
「ああ……こじらせたようだな」
場に残る馴染みある二人は、懐かしさから他愛もない話を始めた。
「何にせよ、また顔を見られて良かったぜ。フードなんか似合いそうだなー顔が良いっつーのは得だなー」
「そうか? 思ったこともないな」
「余裕かよ」
オミが教育師になるためにここに来てから、ゲランはどこか嬉しそうに見える。会話を聞きながらそう思った私は、邪魔かもしれないと部屋を出ようとしたものの、ゲランに「気にするな」と言われ、残っていた。
「そういやソムには幼馴染っていたっけか」
「出身地にはいるけど、ここにはいないよ。強いて言うならガネかな。私が屋敷に来てからずっとの付き合いだし」
「ああ、あいつ最初マジで素っ気なかったよな。笑わねーし怒らねーし」
「そうだね、大分柔らかくなった」
私が生きてきた中で、一番付き合いが長いのはガネと言っても過言ではない。屋敷生としてここに来た頃は、ガネはどこか人を見ていないような目で、表情はなく、一人でいるイメージしかなかった。思い出すと懐かしくなって、そこから過去話に花が咲いていった。
△ ▼ △ ▼
「……大丈夫ですか?」
魔物の影を確認してから、俺には急激に疲労が襲い掛かって来ていた。こんなタイミングで来なくても、と思いながら、力を入れなおそうとしていると、後頭部に痛みが走った。
「いっっ!!」
その痛みの衝撃で膝から崩れ落ちた。痛むところを手で押さえながら、殴った本人を見ようと体を起こそうとしていると、横からガネさんが俺の腕を引き上げた。
「て、てめぇ……」
「あ、悪ィ。結構本気でど突いた」
「ガネさんかと思ったらお前かギカ!」
てっきりガネさんによるものだと思っていた分、悪いと思っていないようなギカの発言には少々驚かされた。
もう一度魔物が来ていた方向を見てみると、そこに影は残っていなかった。どこへ行ったのかと辺りを見回していると、穏慈が何を察したのか怪異の姿をとり、俺たちに自身に捕まるように言ってきた。穏慈の言葉通りにすると、その足はすぐに地から離れた。
「どうし……」
何事かと聞くことよりも早く、俺たちがいた場所に、一体の大きな魔物が上から落ちてきた。
それを確認した俺は、驚いて引きつった声が出る。その魔物は、落ちてきたにもかかわらずどしりとそこに立っていた。
どろりとした粘液─と思われる─を纏った、四足立ちの魔物だった。その足とは別に、腕のようなものが二本ついていた。
「うわ……」
「これがテメーが察した気配か!」
『あぁ、おそらくこいつだ。他にもコイツについてきておる魔物も沢山おる』
図体が大きい分、怪異程ではないが気味が悪い。あんなものが間近に落ちてきていたらと思うと、ゾッとした。
「さすがですね。助かりました」
『ふん、ザイヴを守っただけだ』
穏慈が地に足をつけると、俺たちも穏慈から離れて魔物を前にして立つ。よく見ると、魔物は首をぐるりと回してこちらを見ていた。
「何あれぇえ!!!」
『……我は怪異だからな。魔物のことは知らぬが、小物を引き連れているとなれば相当の奴だろう』
その魔物につられるように、他の魔物もぞろぞろと集まってきた。あっという間に魔物の住処のように、魔物でいっぱいになった。
「こんなにいるんですか……」
『まあ、想像以上だな』
《オオォ……》
牙を剥き出しにし、こちらに危害を加える気満々の魔物の数々を前に、俺は強ばり、足を一歩引いてしまった。こんなに気圧されるとは思っていなかった。確かに、穏慈は先程までの雑魚とは違うとは言っていたが、こんなものがぞろりと揃うのは予想していなかった。
「……! みなさん、あれには気をつけてくださいよ」
「え?」
ガネさんが、一番大物の魔物を指す。それが身に纏う液に触れた小さな魔物が、溶けて消えていったのだ。
「!!」
触れたら、俺たちの身は溶かされる。つまり、接近戦は極めて困難になるということ。
『厄介だな……。鎌などは大丈夫だろうな。使えなければ、勝ち目はないぞ』
「いや、……大丈夫みたいだ」
穏慈の心配をよそに、俺がそんな余裕を見せることができたのは、鎌の反応にあった。穏慈が俺を見たのとほぼ同時に、鎌が薄緑色に光った。
『……なるほど、いけそうだ』
「一応、打つ手はあるようですね。では、さっさと片付けましょう!」
「うん!」
俺は鎌を構え、ガネさんは長めの針に切り換える。ギカは相変わらず細刃を持っていた。
俺は鎌が応えてくれたことで、一番大きなその魔物に集中することを決めた。俺の得意とする接近戦で、触れないように動けば良い。あの粘液を剥がさないと、埒が明かないような気がする。
「穏慈、周りの魔物は頼んだ!」
『了解した』
穏慈は空に飛び上がり、そこらに散らばった魔物をどんどん減らしていく。やはり、こういうことを頼むと朝飯前の様で、慣れた動きでこなしてくれる。
─長い夜が、始まった。
穏慈は魔物の数を減らしているが、もとの数が多く、なかなか終わりが見えてこない状況に陥った。
一方で、一番大きな魔物に対し、抵抗を見せている俺たちだが、武器が溶かされないことが判明したまでは良かったものの、体に纏う粘液に手こずっていた。
何と言っても、触れたら溶けてしまう。それは、近くにいた魔物が証明した。もう一つ、その粘液は何度斬っても魔物の身を纏い続けている。これのせいで、なかなか本体に辿り着けない。
「このっ!」
鎌を往復させて斬り続けるが、斬っているものは、やはり粘液のみ。それを見通す様に、その魔物はその場でじっとしていた。
地に落ちる粘液にも気を配りながら動いているため、動きづらいことこの上ない。一度ガネさんたちがいる近くまで距離を取って策を練ろうとするが、これと言って良い案は浮かばない。
《グクク……》
嘲笑うようにも取れるその声が、魔物から発せられた。
『……ちっ、なぎ払ってやる。どけ、お前ら!!』
俺たちの様子を見ていた穏慈がしびれを切らせて下りてきた。地に足をつけると、粘液を纏う魔物を睨み付けて鋭い目を一層光らせた。
『いい気になるな!』
次の瞬間、恐ろしいくらいに、仰々しく、大きく、地が揺れた。それに驚いているうちにバランスを崩して、俺もギカもその場に倒れこんでしまった。ガネさんは姿勢を低く保って何とか立っている状態だ。
揺れているために、うまく言葉を繋げない中、必死で穏慈の名を呼んだ。しかし、穏慈も頭にきているらしく、熱気は収まらない。
「伏せなさい!」
「ぐはっ」
「げっ!?」
違和感が伝わったのか、ガネさんは俺とギカの間に入ると頭を思い切り地面に叩き付ける。衝撃をもろに受けないようにと、ガネさんは膝をついた状態で剣を抜く。
『そのふざケタヨウシヲハイデヤルワ!! すガたをアラワスガヨイ!!』
怪異の穏慈は、とても止められない程の妖気を発していた。俺たちを巻き込む気はないだろうが、どう見ても大規模な穏慈のそれは初めて見る。
「温厚な方かと思っていましたが、やはり怪異は怪異ですね」
「めちゃくちゃな妖気だ……」
気が立ちこめていて、俺が最初に〈暗黒〉にいた時のことを思い出させる。その時に感じた「恐怖」と同じくらいの、威圧感だ。
『ガァァアアアッッ!!!!!!』
穏慈は、空を見上げて雄叫びを上げる。それと同時に、穏慈の気はさらに上昇した。そして、穏慈はその、二股になった二つの尾を振り回しながら、宙を舞った。待ってましたと言わんばかりに、『左眼』が輝く。
─怪異の姿の時、羽織り物を左眼の辺りから背中にかけて羽織っている。いわば、トレードマークとも言えるもの。一方、人間の姿では、その羽織物は左肩に身につけており、左眼は長い髪で隠されている。
常に見えないようにされていた左眼に宿った輝きを見たことで、俺は安心した。穏慈は、俺に応えてくれる。
「そいつの皮を剥げ!」
『まかサれヨウ』
どすの効いた声で俺の言葉に応じると、足で地を蹴って飛び立ち、粘液を纏う魔物の斜め上で安定した。俺たちは動かない方が良いと、ガネさんから念押しをされて体勢を維持している。穏慈は紫がかった黒い妖気を纏うと、言を発した。
『シノビタル宵ヨ、発け! 〈宵枷〉!』
左眼の輝きに後押しされるように、大きな紫掛かった黒光が辺り一帯を包んだ。粘液を纏う魔物は身動きが取れず、時が止まったような数秒が過ぎた。
まさに、宵の如く。そして、それらの自由を奪うは、枷の如く。それは一気に爆発し、俺たちの視界を遮った。爆風だけでも申し分なく、地面に伏していても飛ばされそうになっていた。
「二人とも、僕から離れないでください!」
ガネさんが俺とギカが飛ばされないように、剣を地に刺して自らを支えながら壁になる。
そして、また紫の光が弾き、瞬間、爆風はピタリと止んだ。静けさが場を包み込む。顔を上げた先には、そこに着地して立つ穏慈の姿があった。
『侮るなよ』
周りにいた魔物は見事に全滅し、大きな魔物の身に纏わりついていた粘液は、嘘のように残っていなかった。それどころか、その魔物には深い傷が入っていた。
「凄い……」
この時、俺は、怪異の存在の、力の大きさを、深く実感したのだった。
目の前の粘液を纏っていた魔物は、それでもなお、俺たちを捉えて放さなかった。
△ ▼ △ ▼
再の二時を回った頃。外は暗く、部屋には俺とゲランさんしかいなかった。眠った時間から考えてもあまり眠れていない。体の疲れもほとんど取れていなかった。
「……あんまり健康的とは言えねぇなぁ? どうした?」
ゲランさんは俺の様子を見るなり、そう聞いてきた。医療担当ともあれば、少しの変化や顔色から推測を立てていけるのだろう。少なくとも、俺の目はまだ見えていない。このことは、確実に俺を苛つかせているし、どうしようもない自分を責めていた。
「何かあるなら聞くぞ」
「そりゃあ、ないわけないよ。思えば、“あの時”から俺たちの周りでは変化が起こり始めていた。間違いなく、この状況の原因にもなってる。ザイは無理やり納得して動いてるんだろうけど、俺はまだうまく整理できてないんだと思う……」
「……ま、今の状況を整理しろなんざ、お前がどんなに冷静でも無理だろうさ。狂い始めの象徴、世界が一転する始まりの象徴。世界が壊れる予兆。どういう言い方だろうが、今から先を想定すりゃあ、嫌なもんばっかに決まってんだろ。お前らの手にかかってるってんなら、尚更な」
ゲランさんの言う通り、先で何が起こるかは分からない。しかし、それが俺たちの手によって左右されるともなれば、これ以上に不安に思うことはない。この状況の打開には、大きな負担と責任があるのだから。
「今はまだ無理にしなくてもいいんじゃねーの? そんなこと言ってられるってことは、まだ余裕はあるってこった。前向きに考えてみようぜ、青少年」
俺の肩にそっと手を乗せるゲランさんの表情を見ることは、叶わない。でも、声色は穏やかで、俺をフォローしてくれているようで優しかった。
「はい……」
だからただ、返事をする事しかできなかった。