第四十話 黒ノ都ノ策ト波乱
青郡が目の前に見える距離まで来た時だ。青郡から只ならぬ何かが漂っていたのに気付いた。
何がそうしているのかは大体の見当はつくものの、七年前のものが未だに影響しているのか、それとも別の何かが関わっているのだろうか。そう考えると、俺の心は揺らいだ。その真意は、俺には分からない。
青郡は、本当に俺が住んでいた場所なのだろうか。疑いたくなるような、そんな重苦しさだ。そんな俺を気遣い、ガネさんもしばらく立ち止まる俺に合わせて止まってくれていた。
少し経って、俺は踏み入れることを決意した。
「大丈夫ですか?」
「うん……大丈夫」
不安がなくなった訳ではない。少し迷う返事だったがそう言った。俺はその不安を抱えたまま青郡に足を踏み入れた。
「……嘘だろ……、何これ……」
感じた重苦しさは、昔の青郡とは異なる姿を現すには十分なものだった。どんよりと、暗い雰囲気で、思わず目を背けてしまいたくなるような惨状。人の気配も、ほとんどない。
「あれからまた……人が減ったってことなのか……?」
俺は動揺から、再び足が棒のようになって動けなくなってしまった。ガネさんもこの状態の青郡に、戸惑ったようだ。手で口を覆って、無言になっていた。
......
ザイヴたちが話していた方舟について尋ねるために、今、吟を訪ねていた。すると、吟はすぐに〈暗黒〉に耳を澄ませて対処をしてくれていた。
『ウム……ココ、ハ、ソレヲ知ッテ……イル』
『本当か!』
『アア……ダガ、深イリハ、シナイホウガ……イイ』
吟がそう言うとなると、それなりに骨が折れるだろう。あの化け物にも劣らないような、そんなものだったら厄介だ。しかし、ザイヴは己の過去と向き合うために、その原因となった方舟の存在を思い出し、現状を把握するために、その地へ向かったのだ。
我も主に応えるべく、主のために、それを知らなければならない。
『構わん、教えてくれ』
『……シカタナイ。……ソレハ……怪異ガスミカニスル……タメニ、ノットッタ』
『怪異には丁度よいものだったんだな……』
『穏慈、ソノハコハ……モハヤ怪異ノ……カラダノ一部……。深火……トイウヤツヲ……知ッテイルダロウ……』
『やはり深火か……秀蛾も言っていたな』
〈暗黒〉の怪異にとっての条件を満たしているということだろうが、その方舟が条件を得るに至ったのは何故だろう。手を加えない限り、条件を揃えることは不可能。
いや、もしかしたら、神とやらのものを真似て造ろうとしたことで、自然とそのように染まったのかもしれない。方舟が人を吸収したという時点で、その禍々しさは方舟に備わり、偶然機能してしまったのかもしれない。
『何か起こりそうだな』
『アァ……、デッドヲ、守ッテヤレ……』
......
ザイたちが青郡に向かったとの報告をゲランさんから受け、未だ目の見えない俺は暇を持て余していた。同じく、暇を持て余しているようなゲランさんは、容態を聞いてくる。
最も、俺も目覚めてからまだ数時間程しか経っていない。薫が言ったことが正しいのなら、回復にはまだまだ時間がかかるだろう。
「ただーいまっ」
どこか軽快な様子で医療室に戻ってきたのは、ソムさんだった。
「おぅソム。遅かったなぁ」
「講技を見てたんだけど、オミに任せちゃった。あ、ラオガ君。ウィンちゃんを連れてきてるから、話をしてあげて」
別に寂しいという訳ではなかったけれど、ウィンを招き入れた。目が見えないことを事前にソムさんに聞いたのか、まずその心配をしてくれていた。
歩いて近づいてきた音で、大体のウィンの居場所を把握すると、それらしい方向を向いて軽く笑んでみる。それでウィンの表情が分かるわけではないが、少しでも安心してもらいたかった。
「心配かけたよな。ごめんな」
「ううん、ちゃんと戻って来てくれたから……おかえり」
「ただいま、ありがとう」
俺は、改めて知った。自分の置かれている状況、立場を。それは重く、とても軽んじることのできない現実。避けて通ることができれば、どれだけ重荷が軽減されるのかは計り知れない。
〈暗黒者-デッド-〉の片割れとして、俺は真摯に考えなければならない。
△ ▼ △ ▼
青郡の中を見て回るが、見る範囲に人がいない。視線を落として、思う。青郡には人がいなくなってしまったのかと。
「酷いですね……。まさかこんな状況だなんて……」
それが現実なら、これほど悲しいことはない。しかし、そんな思いとは裏腹に、前からジャリッと土を踏む音が聞こえた。
ハッとして視線を戻すと、そこには俺と変わらないくらいの男がいた。恐らく、外部の人間に警戒しているのだろう。しばらく睨むように俺たちを見ていた。
しかし、俺は、その目の前の者のことを知っている。その睨む目から逸らさないように見返すと、彼も気付いたようで、今度は目を丸くした。
「お前……ザイヴか!」
そう、彼は俺の友人の一人──ギカ=メイグ。少し突っ張っている性格だが、かなり優しい人だ。そのギカがいたことで、俺の心は少しだけ救われた。
「ギカ……、大丈夫?」
「おぅ、一応な。結構生きてる奴いるぜ、安心した?」
無理に笑っているのが分かる。それが逆に痛かった。でも、生きている人間はいる。それだけでどれだけの緊張が解れたかは知れない。ギカによると、地下に隠れ家をいくつか作り、生存者は潜みながら生きているという。
「で、お前といるってとこ見ると、そいつは師公か」
「あぁ、うん。クラス担当のガネさんだよ」
その言葉で、ガネさんはギカに愛想よく笑いかける。ギカもそれを見て安心したのか、表情が柔らかくなって名乗った。
「オレはギカ。ザイヴが世話になって」
「お前は親か。いいよ、ガネさんにそんなセリフ見舞わなくても」
「僕のことばかにしてますね」
「俺のことばかにしてきたくせに」
聞こえないように小声で言ったのだがしっかり聞こえていたらしいガネさんは、俺の額に拳を思い切り当ててきた。何度目のそれかは分からないが、今までで一番痛かった気がした。
「いてえ!」
「楽しそうで何よりだ」
「お前もそう言うあたり相変わらずだな」
ギカは昔から、俺が楽しそうにしていると思ったら笑んで見守っていた。変わっていない面を見ると、懐かしさを感じた。
「……アンタなら良さそうだな。よし、隠れ家に来なよ。少しは安全だぜ」
「あ、うん……ありがとう」
ギカはガネさんを認めてくれたようで、地下に招いてくれるという。こんなところで襲われでもすることを考えると、ありがたくその地下についていくことにした。
隠れ家は、意外な場所にあった。
青郡には三カ所の境界口があるのだが、その内の俺たちが入ってきた場所のすぐそばに存在していた。
安全を考えて作ったという地下に入っていくと、そこには十五人程の人が集まっていた。
「おーい! ザイヴが戻ってきてるぜ!」
そのギカの言葉を合図に、集団はざわついた。長らくいなかったため、少し抵抗があったが、俺は改めてギカの前に出て言を発した。
「……久しぶり」
見ると、俺の顔見知りは沢山残っていたし、一瞬時が戻ったような感覚にさえ陥った。
「ザイ!」
「ザイヴだ!」
七年越しのこんな状況下でも、こうして受け入れてくれる。優しい人たちだ。
「そっちの人は?」
「ガネさんだよ、俺が行ってる屋敷の教育師」
「じゃあ偉い人なんだね」
ガネさんも静かに対応をしている。さすがにこういうことには慣れているようだ。
顔合わせも済み、俺の気持ちも少しではあるが安定したため、今回俺がここに戻ってきた理由を話すことにした。一言、話があると言えば、その場にいる人たちは俺を見て黙った。
俺がここに来た目的は、方舟の暴走の件と、もう一つ。以前オミが言っていた、ホゼの計画により、ここは狙われているということ。
それを聞いた青郡の人たちは、言うまでもなく青ざめる。ホゼのことについては、できるだけ詳しく話した。あいつを侮っていては、簡単に死んでしまう。それは、何としても避けてもらいたかった。
「俺はここを守りたい。俺ができることはしたいから、だから今日話しに来た」
そう言うと、方舟の件に関しては彼らも協力してくれるらしく、「三年前にも一時期ここにいた」「最近も時々見かける」等、多くの情報を出してくれた。
しかし、ホゼの件については実際は信じられない事態のようで、俺たちの話を信じる者と信じない者と、分かれていた。
「どう思うのもみなさんの自由だとは思います。ただ、僕たちはわざわざでたらめを言うために銘郡から来たわけではありません。現実逃避は、命を捨てることもあるということは念頭に入れておいてください」
ガネさんの念押しもあり、戸惑うばかりの人々だが、それは仕方ない。久しぶりに見た顔の者が、突然そんな大事を言うのだから。俺が言われる側の立場だったとしても、同じようになっていたと思う。
「……さて、ザイ君ついでです」
「え?」
「上に何体かいます。折角ですから実戦しましょう。講技の一環として」
一通りの話を終えると、俺の肩を軽く叩いて言った。
次いで、俺の肩を押して、隠れ家を出ようとする。─上に何体かいる。その言葉は、俺を動かす理由としては十分だった。青郡に何が来たのか、それを確かめる必要はある。
「分かった」
みんなに隠れ家にいるよう言い、俺はガネさんに続くように隠れ家を後にする。鎌をすぐに出せるように、首元のそれを掴んで、俺はまっすぐに前を向いた。
その少年がその場を離れる姿を見ていた、その友人は、呟いた。
「逞しくなりやがったな、アイツ」
数年前まで一緒にいたその少年が、何かに立ち向かおうとする姿。実際に、体が動く姿。その友人は、その姿に動かされ、その後を追うことになる。
相手に隠れ家から出るのを見られないように外に出ると、ザッと数えて十数体はいた。
「怪異以外にも、魔物はいるものですね」
「うわぁ、うねってて気持ち悪い……」
くねくねと躯を曲げながらそこにいる魔物が三体。その集まりの中でも大きな魔物が二体。
あとは諸々、それなりに気分を害すような身なりばかりが揃っていた。その中に怪異が混じっているかどうかまでは、俺にはわからない。
「大きな奴からいきますよ」
「うん」
─解化、その意思で大きな鎌が俺の手に持たれて姿を現す。しかし、いつもと違うところが一つだけあった。あれだけ重く、扱いづらかった鎌が、片手で振り回せるほどにまで軽くなっていた。
「何もしてないのに……軽い」
「……鎌も使い手を認めたのでしょうね。ザイ君の気持ちは揺らぎっぱなしでしたけど、解いた能力はいくつかあるんですから、色々認めざるを得なかったのかも知れませんね」
鎌の扱いやすさに感動していたのも束の間、隠れ家に残してきた者が現れたことでその感動は一瞬で捨てられた。
「ザイヴ、オレにも戦わせな。お前ほどは強くねえけど戦える」
「! ギカ……っ」
「……戦えるんですね? 僕が庇いきれるかどうかは、保証しませんよ?」
俺が友人を巻き込むことを恐れていること知っているくせに、ガネさんは否定する気がない。むしろ、加勢はありがたいと言わんばかりの笑みだ。
「臨むところだぜ、師公!」
ガネさんが否定しないから、ギカはもうやる気満々でいる。俺が言うのもなんだが……ギカは喧嘩強い奴だ。戦えるのは間違いないと思う。こんなやる気が芽生えたギカを止めることが無理なことは分かっているから、ため息を吐くしかなかった。
「俺のせいじゃない俺のせいじゃない……」
「唱えないでください、怖いです」
ガネさんは何も気にする必要がない、といった素振りだ。庇いきれるかどうかは保証しないとか言っておいて、俺たちを庇うことはなんら難しいことではないと思っているのかもしれない。俺の横で、余裕を見せていた。
何よりも、ギカはすでに加勢者としてそこにいる。俺がやることは、目の前の魔物を全滅させることだ。
「上等!」
しかしこれが、青郡への魔物の襲撃の初めの一波だったことを、俺たちはまだ知る由もない。