第三十七話 黒ノ現下ガ映ス記憶
どれだけ経とうとも、暗闇が広がる世界。無理やり前向きに考えれば、僅かに明るくなってきたと思えるかもしれないが、そう思いたいだけに過ぎない。
現状、俺に届くのは、声のみだった。
......
「ゲランさん!」
勢いよく扉を開けたことにより、医療室の扉から軋みが聞こえてくるほどの衝撃を与えてしまったようだ。それなりの音が耳についた。
「うわっびっくりした!」
「あぁあ」
医療室にはソムさんと、薫もいつこちらに出てきたのかは知らないが戻って来ていた。ラオの様子は気になるようで、薫は遠目からじっと見ているようだ。
「あっ、ごめん。それよりゲランさん、話聞かせて! 方舟のこと知ってんだろ!」
あまりの勢いで駆けて来たため、息が少し上がり、体が火照って汗が出ていた。そんな俺を見たゲランさんは、とんとん、と自らの前に置いてある椅子を叩いて座るよう促してきた。
「何もそんなに慌てるこたぁねぇだろ」
「う、うん……」
俺に応えようとするゲランさんは、急に真面目な顔になる。その顔を見て、俺もぴりっとした空気を感じ取って顔が引きつった。
「あれは……今も存在していて、力は残ったままだ。お前、方舟を知ってるなら覚えてんだろ。青郡の人々が一斉に失踪したこと」
「……というより、“思い出した”が正しいかもしれない。……分かるよ」
ゲランさんと俺の間で起こる話についていけていない薫とソムさんは、口をはさむこともできずに静かに俺たちを見ている。そこに、ガネさんが入ってきた。
「ウィンさん、居た方が良いですか?」
俺とゲランさんが向かい合って真剣な顔をしていたためか、ガネさんはまずそう言った。確かに、その方舟のことで青郡に戻った時にもウィンはいたし、知っていることだとは思うが、その先のことには巻き込んでやりたくない。
その件だって、俺のせいで危険な目にあわせているのだから。
「いや、いい。巻き込みたくないし」
「そうですか。……その話、聞いて良ければ僕にも聞かせてください」
「……うん」
「じゃ、続けるぜ。俺はあん時にはここの医療担当だったからな。様子を見に行くーっ言って出て行ったてめーらが帰ってきた時はたまげたもんだ」
やれやれ、と言わんばかりに手振りをつけて言った。その様子を見た俺は、自分でその時の状態を思い出し、口を開く。
「俺、大怪我してウィンに担がれて帰ってきたんだ。ラオはその場には居なかったみたいだけど、多分いろいろ動いてくれたんだと思う」
ソムさんは何となく話が見えてきたようで、「方舟の力が関わっているのでは」という結論を出してきた。
正直、目の前にいる教育師たちが怖いったらありはしない。話から推測していき、聞きながら頭を動かして結果に導いていく。俺の周りにいる教育師は、その能力に長けているようだ。
「……っと、この続きはどうする」
突然、ゲランさんはラオを見ながらそう聞いた。それが示すことは、一つしかない。ゲランさんが何を察したかはわからないが、同時に薫と穏慈もラオに目を向け安堵の表情を浮かべていた。
「え……? ラオ、もしかして起きてる?」
そんな俺の期待、いや、話を聞かれているという複雑な心境とは裏腹に、ラオは動かない。ただ、確かに意識は戻ってきているようで、その手で拳が握られた。
『目を覚ますのももうじきだろうな。声は聞き取れて……ザイヴ?』
俺一人のことに、友人は巻き込みたくない。だから、俺はラオが寝ている間にと来たわけで。聞こえているかもしれないとなると、これ以上の話をすることをやめようかとも思ったが、方舟の事件を目にした当事者には違いないことを考え、続けてもらうことにした。
「俺がその話を聞いて動いたとしても、それをラオ問い詰められたとしても、心配させる言い方はしないで」
「今の話を聞く限り、一人で何とかするのはちょっと無理のある話じゃないですか? 僕なら協力くらい……」
「……だったら、巻き込むのはガネさんくらいにしとくよ」
『つまり、その方舟は人を吸収し、人を傷つけるマイナスの能力が備わったまま、まだあり続けているのか』
「あぁ。しかも力は増してやがる。話を戻すがザイヴ、あん時のこと、もっかいよーく思い出せ。怪我したのは、何でだっけな」
俺が大怪我をして帰ってきたのは間違いない事実。あの時、青郡で方舟を見た時。一瞬で意識を失ったが、鋭い痛みが俺の体に突き刺さったことが、開いた記憶の奥から出てきていた。
「ソムさんが言ったことは、結果だけ言えばその通りだよ。……俺にも、信じられないことが起きた。方舟の存在を知って、青郡に行って……」
その痛みを俺に与えたのは───方舟そのものだった。
......
神の言で造られた方舟は身をかばい、人間の方舟は身を喰らう。どちらも同じ方の様。しかし、どちらも違う方の主。
方が始動したのは、いつのことなのだろうか。
俺が剣術屋敷に入って暫く経つと、方舟の噂がいろんなところに広がっていたらしい。勿論、剣術屋敷全体には広まっていた。
“神の方舟を造る人間がいる”
“作ることができたら奇跡だ”
そんな声が上がる。毎日のように噂されるそれは、俺に好奇心をもたせるには十分なものだった。
「……あのね、ラオ。方舟って、前に母さんが言ってたような気がする。家で仕事してた時に……」
「そういえば、造ってんのは青郡だって……」
自分の生まれ都市で行われていることを知った俺は、目を丸くして驚いた。自分が住んでいた都市で造られているということまでは知らなかった。
しかも、事は周りの反応からしてただ事ではないのだから、幼いながらに顔が引きつる。
「ラオ、青郡に行きたい! 付いてきてほしい!」
「行ってやりゃあいいじゃねぇかラオガ」
「ホゼ教育師!」
俺たちの話を聞いていたらしいホゼ教育師は、俺の肩をもって話を進めてくれた。腕を組んで俺たちを見ると、そう答えてくれているのにも関わらず少しだけ考える素振りを見せた。
「……まあ、どうしてもってんならな。今のところそんな危ねぇ状態でもねぇらしい。だが、元々神の方舟を造ろうってんだ。予想できねぇ事態はあると思った方がいいぞ」
「ラオ、お願い!」
ラオは本当に唸って悩んでいた。俺は青郡で造られていると聞いて居ても立っても居られない状態だったから、この時は恐怖なんて感じていなかったのは事実だ。
「覗きに行くだけだよ? まだ死にたくねぇもん」
「死なれちゃ困るのはこっちだってーのに。まぁいいか。行ってこいよ」
屋敷長には伝えておくというホゼ教育師の言葉を聞き、俺たちは青郡に向かうことにした。部屋を出てすぐにウィンと出くわし、話をするとウィンも気になっていたということで、三人で行くことになった。
この時、子どもだけで足を運んだことを後で悔やむことになるとは、考えてもいなかった。
青郡に到着した、俺を含む三人。あるお店の女将に事情を聞いて、青郡の中央部に行ってみた。そこには、方舟でない方舟が、そこにズンと構えていた。人の気配はない。
女将から聞くところによると、一夜にしてほとんどの人が姿を消したらしい。その代わりに、この方舟がここにあったと。
「な、んだよ、これ……方舟なんてものじゃねぇじゃん。でかすぎるだろ……」
方舟の姿を見たラオは、顔を真っ青にして言った。確かに、大きさは計り知れない。家を何軒も潰し、道を塞ぎ、ただ異様な空気を発していた。
「あっ、ザイ! あの人!」
ウィンが誰かを見つけたらしい。指差す先にいた人間は俺がつい最近まで一緒に暮らしていたその人。
「母さん?!」
間違いなく、俺の母さんだった。自分の母親に会いに行こうと駆け出しそうになる俺を、ラオは必死で止めた。
「ラオ……?」
「気配が人じゃない。行っちゃダメだ」
「何で……」
フラフラと方舟の周りを彷徨いている『母親』を、俺たちは遠くから見ていた。あれはただの妖気ではないと、ラオは言った。
その直後のことだ。ボコッと方舟の内部から押し上げたように、一部分が飛び出てきた。
「っ! やばいかも……。こっちに来て!」
俺たちの手を引いて、ラオは近くにあった大きな岩影に身を潜める。姿勢を低くしながら、俺たちはできる限り喋らないようにと強く言われ、その通りにじっとしていた。
そんなことになって、さっきまでの不気味さが恐怖に変わり、緊迫したこの状況に必死に耐えていた。
「……見てみろ、変形し始めてる。嫌な予感がする……」
『ダレカ……イル』
その人物から聞こえるとは思えないようなどすのきいた声が、響いた。そろりと方舟の方を見ようと、顔を覗かせると、同時にぬっ、と目を真っ黒に輝かせ、ラオの目の前でニヤリと笑っている俺の『母親』がいた。
「わっ……!!! 逃げるよ二人とも!」
「いやぁぁああああああっ!!!!」
あまりの恐怖に耐えきれなかったウィンが、悲鳴を上げて腰を抜かす。顔を手で覆い、荒くなる呼吸を必死で落ち着かせようとするが、俺も俺で動揺を隠せず、ただ呆然とするしかなかった。
「イル……イル……。ホシイ……ザイリョウ……」
最早、本当に人ではなかった。ニヤリと笑うその口は裂け、尖った歯が露わになっていた。ゆらゆらと、骨格が不自然に動いているような定まらない動きをしている。
「くそっ!」
“予想出来ないことが起こるかも”という、ホゼ教育師の言葉が当たった。
まさか俺の『母親』が、短期間でこれほどまでに変わってしまうとは、誰も想像していなかった。いや、もしかしたら、気づかなかっただけで、俺が屋敷に行く前から徐々にこうなっていっていたのかもしれない。
ラオはウィンを抱え、俺の手を引っ張って走った。
「母さんどうなっちゃってるの!?」
「分かんねぇよ! けど、ここにいたら死ぬのは確かだ! 逃げ……」
鋭い音が、聞こえた。痛みが、直に伝わった。一瞬で、俺の背中は血まみれになった。俺の左肩寄りの肩甲骨辺りに、方舟の伸びた一部が刃になって刺さっていた。
「ゔっ……」
それが勢い良く抜けて、更に血が飛ぶ。
「ザイ!!」
そのままぐったりと倒れ込み、地面に血が流れる。長時間これだと、ザイが死ぬ。
「ラオ、ザイが!」
「ウィン! お前にしか頼めない。怖いかもしれないけど、ザイを抱えて逃げろ! 腰なんか抜けてねぇ! できるだけ揺らすな、いいな!」
ウィンを下ろし、ザイを抱えさせる。流れ出てくる血に寒気がする。真っ青な顔のザイにが、死ぬかもしれないという恐ろしさ。目の前で感じていた。
やはり、俺たちだけで来るべきではなかったと、今さら思う。
「ラオは……?」
『マダ……タリナイ……ザイリョウ……』
ゆらっと近付く『それ』に向き直り、手を翳した。
「時間稼ぐから早くしろ!」
そんな間にも、ザイの血は流れる。ウィンはザイを優先し、俺に従った。
「……はは、勘弁しろよな。こんなでかい実戦は初めてだって……」
それでも、基本剣術の講技をこなしていた俺は、冷静に、そして確実に相手を見て、“狙った”。
とにかく、俺たちが逃げる時間を作ればいい。誤魔化せばいい。何か別の、「気を引く条件」を作ることができればそれが可能だということ。
『ウウウ……ザイリョウ……ホシイ……』
俺はその岩陰から素早く抜け出し、ザイたちが逃げたのとは別の方向に走っていく。その先にたまたま落ちていたぼろぼろのナイフを見つけ、拾った。それには血液がついていて、方舟に対抗しようとしたものかもしれないと考えると、こんなものでは太刀打ちできなかったということが鮮明になる。
「……頼むから、これでつられてくれ!」
そこからひゅっとナイフを投げると、カランと地面に落ちた音を立てた。すると、その瞬間にそのナイフ目がけてあの鋭く変形したものが飛んで来て、地面に食い込んだ。
それを見た俺は、方舟があの場から動かないことに気付いて、ゆっくり後退りをする。
そして、その場を逃げ出した。
......
「ラオ、起きたんだ」
最後の記憶は、ラオが話してくれていた。途中で目を覚まし、あの時いなかった俺に説明を加えた。
「ごめん、ザイは聞かせたくなかったみたいだけど、聞こえてた。……目は見えないけどな」
『欠落は視力か……。だが、それだけの生命力なら見えるようになる。安心しろ、小僧』
その薫の言葉に、俺も胸を撫で下ろす。同様に、ラオは口を綻ばせると、見えない目で俺を探しながら口を開いた。
「でも、調べたら青郡にはちゃんと人は残ってた。方舟はどういうわけか青郡から消えたって聞いたし、調査も含めて遊びに行ってみたら?」
俺を想ってそう言うのだろうか。ラオには見えていないけれど、俺はふるふると首を横に振った。何といっても、そのことを思い出したくなくて忘れて、両親のことも青郡のことも蔑ろにしていたことが、俺にとっては心苦しかった。
稀に、自分の記憶に蓋をするという防衛本能が起こることがあるというが、きっと、それだったのだろう。ゲランさんの言葉をきっかけにして、解放されたものの、やはり気分のいいものではなかった。
「向こうのダチに会って、今何を言ったらいいんだよ」
「ははっ、それもそうだな」
「ねぇゲランさん、今の話は俺の過去を晒しただけだ。ゲランさんが知ってること教えて。聞いてて気付いたと思うけど、俺たちが今話したことには抜けがあるんだ。例えば、俺の『母さん』のこと……とか」
ゲランさんに向き直り、ジッとゲランさんの言葉を待つ。その場の全員が状況を把握したらしく、俺の目の先にある人物を同時に見た。
「ふぅ、まあ言ってやるのが俺の誠意か……。分かった、話す。だが、聞いて何かしらしでかそうとすんな。無理矢理動いても、またお前が傷つくだけだからな」
「うん、大丈夫」
ゲランさんは、俺の知らない、俺の周りの過去を知っている。絶対に『母さん』のその後を知っているはず。
せめて、俺は知っていなければならない。
〈暗黒〉編 了