第三十六話 黒ノ過去ヲ呼ビ出ス方
─あれは確か、俺が剣術屋敷に入れられたすぐ後のこと。俺が十歳頃のことだろうか。
俺は今から約七年ほど前、ここに入った。ラオや、ウィンも一緒に。
......
「ここが屋敷?」
「えぇ、あなたが入るって聞かなかった、剣術屋敷よ。自分でやるって言ったんだから、途中で辞めちゃだめよ?」
「うんっ」
俺はまだまだ世間を知らない子どもだった。何年か前に知り合って仲良くなったラオが、突然ここ銘郡の屋敷生になったことで、俺はウィンと一緒にラオを追うように入ることにした。この頃のラオは、毎日のように傷を作っていたことを覚えている。
「ザイ、今日からここに住むんだよね」
「うん、遠い場所にあるから。だから、これからも毎日ラオと会えるんだよ!」
きゃいきゃいとはしゃぐ俺とウィンの手を、それぞれの両親が引いて屋敷に入っていった。入ってすぐ目の前には、待ちかねたラオが立っていた。
「ザイ! ウィン!」
「ラオっ!」
ラオは満面の笑みで両腕を広げて膝をつき、走って行く二歳年下の俺とウィンを受け止める。
「また一緒に遊べるね、二人とも」
「うん、また会えて嬉しい!」
「俺も嬉しーっ!」
ぎゅ、と抱きしめられ、まだまだ幼い俺たちは喜んだ。何よりも、ラオに会えたことが嬉しくて。突然離れたラオが、また目の前にいる事実に、心を弾ませていた。
「まぁまぁ、二人ともラオガ君が大好きなのね」
「おじさん、おばさん、こんにちは」
ラオは立ち上がり、俺たちの両親にしっかりと挨拶をした。こんな少年を見た両親たちは、安心した笑みを浮かべた。
「ラオガ君が居るなら、大丈夫そうね。マシル」
「えぇ、安心したわ」
俺の母さんは、マシル=アードに同意を求め、マシルは夫に同意を求める。その場の全員が、俺たちの様子に納得した。
「じゃあ、ザイ、ウィン。奥で屋敷長が待ってるから行こう?」
「うん!」
「ママ、ばいばいっ」
両親たちは笑って手を振る。屋敷に住むというだけあって、なかなか会うことはできないのに、みんな笑っていた。
俺たちは、親と離れてしまうことも確かに寂しいことだったものの、新しい環境が待ち構えていることに期待していた。
「体に気をつけてね、ウィン」
「ザイヴもよ」
「「はぁい」」
まだまだ知らないことが多い俺たち。だけどそんな俺たちが、ある情報を得たことで、青郡に行って目にしたものは、過酷なものだった。
ラオがとある扉をノックしすると、中から入るように言う声が聞こえてきて、それに応じてその扉を開いて中に入る。俺たちの前には、俺とウィンを受け持つ担当、ホゼ=ジート教育師も一緒に立っていた。
目の前には、広い机に備わる高そうな椅子に腰をおろしている屋敷長がいた。
「今日から屋敷生になった二人です。ザイ、ウィン。自己紹介して」
ぽんっと背中を押して、自分より俺たちを前に押し出す。俺とウィンは目をあわせて、笑った。
「俺ザイヴ!」
元気いっぱいに屋敷長に挨拶をすると、ラオが付け加えるように後ろから言う。
「ザイ、一番偉い人だから、後ろに『です』ってつけるんだよ。丁寧でしょ?」
「そっか……ザイヴです!」
「私はウィン=アードです!」
そんな俺たちを見て、屋敷長はにっこりと微笑む。
「元気な子たちじゃの。賑やかになるわい。あぁホゼ、こちらに来ておくれ」
屋敷長の指示で、ホゼ教育師が俺たちに顔を向けて立つ。その教育師という存在を、この時の俺たちはまだ何とも思っていなかった。
「こちらが、君たちのクラス担当のホゼ教育師だよ。しっかり学びなさい」
「「よろしくお願いします!」」
ぺこりと頭を下げてお辞儀をする。眩まないだろうかと心配するほどの勢いがあったとかなかったとか。
「ほぉ、こいつらは教え甲斐があるかもしれんな。よろしくな」
ホゼ教育師も微笑ましいと言わんばかりに笑う。この日から、俺は屋敷で生活することになった。だが、同時にこの日から何かが変わっていった。
......
場所は俺の部屋の、設備されている二人掛けソファの上。俺は、穏慈に“そのこと”を話していた。
『……奴の思惑はいつからあったのだろうな』
「いつからだろうね。……穏慈に昔話しても分かんないのにごめん」
『いや、いい機会だからな。それよりも、重大な罪とは何だ』
俺の両親であろう二人が起こした罪。話している内にはっきり思い出したけど……あれは……。
「大きな……暴走した、方舟……」
『方舟?』
そう。昔、大災害の際に神が使徒に作らせたという方舟、とは別の、とある方舟。
「あの時……多分、身近に聞いたことがあるって……そうだ、確か、俺がここに入る前だ。一人で何かに真剣になっていた母さんが、言っていた気がする……」
そうだ。だからあの後気になって、屋敷長に許可をとってから青郡に戻ることにしたんだ。幼馴染の二人も一緒に。
......
俺が剣術屋敷に入って約二十日が過ぎた頃。人間が神の方舟を基に、『方舟』を作っているという噂が屋敷に入ってきたのだ。
「方舟かぁ……、そんなもんどうすんだろう」
「ハコって……?」
勿論俺は詳しいことは知らない。知ってはいけない気もした。それでも純粋に気になったことで、聞かずにはいられなかった。
「そう、方舟。昔、人間と動物が共存していた頃、大災害が起きて、その時に神が使わせた大きな方舟だよ。動物とか人を入れて、耐えたんだ。だけど、あれは神様が使徒に命じて造らせたと言われている。それを人間が造ろうなんて……」
「……? よくわかんないけど、凄いものなの?」
三人並んで座っている中で、ラオに寄りかかっていたウィンが、尋ねた。
「うん、すっげーデカいんだ。どんなでかいものでもたくさん入るくらいの!」
「うわぁーっ」
聞いても想像できないが、とりあえず何でも入ると聞いて、やり過ぎなほど膨大なものを考えて、どんなものだろう、と好きに思い浮かべていく。
「でも、もしできたら奇跡だと思うけどな。あくまでも、神の方舟を基に、だし。何がどう違うか分からない。しかも造るとなれば危険も出るだろうし」
ラオは物知りだ。この頃から本があまり好きじゃなかった俺は、そんな知識をもつラオを尊敬していた。それに、その知っていることをできる限り俺たちが分かるように教えてくれる、兄のような存在だった。
「おっと、三人一緒にいたか少年たち!」
「あっ、ホゼ教育師」
ここはラオの部屋だったのだが、ホゼ教育師はノックもなしに入ってきていた。勝手といえばそうだが、まあ気にするのは時間の無駄だと思っているのか、ラオはホゼ教育師が来たことで立ち上がった。
「何話してたんだ」
「噂話を少し……」
「噂ぁ? もしかして方舟のやつか。無理だよ、無理。無謀すぎんだろ。そんなん考えるより鍛錬でもしろよー」
すっぱりと言い切り、呆れたように息を吐く。特に俺とウィンに言っているらしく、ホゼ教育師の視線は俺たちにあった。
「はーい」
「まっ、今日は空いてねぇがな。先約で埋まっちまった」
鍛錬をしに行くつもりで立ったばかりだったのに、その言葉を聞いてすぐに勢いよく座った。その姿を見たホゼ教育師は、休むなら鈍らない程度に、と言い残し、返答を待たずに部屋を出て行ってしまった。
「……神様の、方舟」
その時俺は、多分……すでにその言葉の存在を知っていたはずだ。
方舟のことを知って、しばらく経ったある日。いてもたってもいられなくなっていた俺は、屋敷長に頼み、ラオとウィンを連れて青郡に戻った。
その時目にしたのは、出て行った時とはまるで違う、都市の姿だった。
「え……?」
たった一月程で、違う姿を見せている都市。その理由が分からなかった。人の気配は殆どない。元々人はたくさん居るはずなのに。ここで、この短期間に、一体何が起きて廃れたような姿になってしまっているのだろうか。
その時、偶々歩いている人を見つけた。
「おばさん!」
その人は、俺がよくおつかいに行っていたお店の女将だった。
「……ザイ君かい、君の母親はとんでもないね……」
「どうしてこんな場所になっちゃったの!?」
母さんが、何か悪いことをしたのか、それとも凄いことをしたのか。でも、この状態だ、良い意味でのものではないことだけが、視界からの情報で俺たちに染み込んでいった。
「噂、知らないかい」
「その噂って、方舟の……ですか?」
「そう……あれはを造ろうと考えたのは、君の母親だよ、ザイ君」
「えっ!?」
驚愕した。周りが無理だ無理だと言っていたことをやろうとしていたのが、母さんだったなんて。
「……おや、ウィンちゃんじゃないかい、大きくなったなぁ」
「何でこんなに静かになっちゃったの? ……その、方舟のせい?」
恐る恐る、ウィンは聞いた。ただ、聞いてはいけなかった。人が、してはいけないことをしていたという事実を耳にしてしまうから。
......
あの女将は、こう言ったんだ。
「方舟は人を取り込む。母さんは、方舟を造るために、青郡の人間を犠牲にした。その結果、神の方舟を遙かに越える力を持つ方舟ができたんだ、って」
『そんな凄いものを、お前の親族が作ったと?』
「そう、聞いて……」
思い出した。母さんと父さんの行方がはっきりしなくなったのは、その事件が落ち着いた少し後。それまではどこからかの情報で、場所は特定できていたけど、ある日ぱたりと聞かなくなったんだ。
それからだ、俺が徐々に、自分の姓がないことや、両親の行方をそう深く考えなくなっていき、次第に気にも留めなくなってしまったのだ。
「……ん、ちょっと待てよ。ゲランさんはいなくなる直前に会ったって言ってたよな」
『あぁ、確かに』
「もしかして、母さんたち、ここに来たのか?」
母さんたちが起こした罪は、重い罪。人間を取り込んで造る方舟。とても大きな、神の使徒のものの数倍であろうと予想できる方舟。
「ゲランさんは何か知ってる……、俺が知らないことを、知ってる……?」
怖いけれど、行って、確かめなければいけない。忘れることしかできなかった、俺の両親のこと。方舟を作った母さんのこと。その事件以降、方舟がどうなったのか。あの人は知っているかもしれない。
「穏慈、行こう!」
『……何だ、切り替わりが早いな、主は』
「それが俺のいいところ!」
あぁ、そうだ。あの時も、ラオには迷惑をかけてしまったんだっけ。
ラオは、やっぱりまだ目を覚まさないのかと。もしかしたら、もう目を覚ましてへらりとしているのではないかと、少々無理な期待をしながら、医療室に戻った。