第二十八話 黒ノ手ニ応ジル術
「……あんたさ、俺らにザイのこと報告に来ただろ? 助かったよ、情報が少しでも取れたから」
「私に言うことではないだろう」
俺はヤブとシュウを見ながら、オミと並んで話をして時間を潰す。未だにうまく体を動かせないようで、だるそうにそこに座り込む二人は、すでに静かになっていた。
「ザイを逃がしてくれたんだろ。そんなことしたら、ホゼと殺し合いになることくらい分かってたのに。何者だよ」
「単純に、少年を守ってやらなければならない気がした。少年を庇いたかっただけだ」
少年はホゼの道具になってはいけないと、ホゼよりは信頼できると思ったんだと、オミは俺に話す。
「ふーん。ていうか、寝てるこいつらどうしたら……」
「て、めえぇ……」
「……安心しろ、殺すつもりはない。早く視界から失せろ」
しかし、外は浸水してしまっていて出られない。去ってほしいのは山々なのに、そうさせてくれないのが現状だ。とりあえず今は、下手なことをしでかさないか見張りつつ、このままにしておく他なかった。
△ ▼ △ ▼
「ホゼ……!」
後ろにいたホゼを睨むが、言葉を交わすことなく靄に身を隠し、そこからいなくなってしまった。
ザイ君は、水中ではほとんど身動きが取れない。ここに来る途中、ソムが水害の話を持ち出した時にラオ君がそう言った。焦りの象徴が、顔の側面を伝う。これ以上水位が上がらないうちに、尚更早く助けなければならない。
『チッ、せめて我が行ければ……』
「……そうですね……、あなたは浮けるというか飛べる訳ですし……水中でも可能そうですね」
『当然だ』
そうとなれば、ホゼをどうにかするよりも強行突破が手っ取り早い。
穏慈くんが通るほどの穴を開けるのは難しいが、僅かにでも亀裂を入れてしまえば、彼が思い切り突き破ってくれるだろう。
ただ、壁を壊せば水の流れが生まれる。つまり、そのまま水に飲まれてしまう可能性が大いにある。早い段階で二人を連れて戻ってこなければ、特にザイ君が危険だ。
「とにかく、壁を壊した直後に、救出に行きましょう。あなたはザイ君をお願いします」
『任せろ』
水中で体勢を整えきれずにもがいていたところ、ソム教育師の手が俺の腕を引っ張り、体を起こしてくれた。
「げほっ、はぁ……はぁ……」
「良かった……。まだ足はつくから、落ち着いて」
「……っうん」
勢いに持って行かれそうになってしまう、凄く強い力。俺が最も苦手とする水中では、苦しくなるだけだった。
「水を減らせればいいんだけどね。多すぎる。私の力じゃもう無理だと思う」
「……ごめん」
「ああでも、大丈夫。……こういう時に頼れるのがガネだから、何とかしてくれるはずよ。多少強引だけど、本当に強い人だから」
この人は、俺なんかよりもずっと強い。この眼差しが、そう思わせる。
しかし、悠長なことは言っていられない。水位は、俺たちの肩が浸かるほどにまで増えていた。
「ラオガ君から、ザイヴ君は泳げないって聞いてるけど、背中では浮ける?」
「あいつ……まぁ、浮く分には多分」
「いざとなったらその手を取るからね」
ソムさんが言うように、ガネさんが何とかこの状況を脱する策を作ってくれるはずだ。なるべく早く、と願ってしまうが、もう少し落ち着いて、耐えるしかない。
水位の上昇は緩やかだが、ここにこれだけ溜まっているとなると、塔の外も相当だろう。
しかし、いくら何でも湖の水だ。緩やかになっていることから考えると、これ以上は増えないと思うが、この状況を脱せることにはならない。
「……ソム教育師」
「……あれ、そういえばガネのことは教育師って呼ばないのに私のことは呼ぶのね」
「え? あ、じゃあ……ソムさん」
呼び方を変えると、この状況なのが少し残念だが、ソムさんは嬉しそうににこにことした。
俺が疲れてきていることを言うと、ソムさんは困ったように考え込んだ。体力を奪われていっている上、肩ほどまで来ている水の圧力が体にかかっている。さらに、俺は治りきっていない傷が足にもある。負担は大きい。
「……傷に染みる?」
「うん……」
「んー……どうしよう。こっちから壁を壊すにも、ちょっと力が入らないし……」
体勢を変えることなく水に浸かっていることで、ソムさんの負担もかなり募っているようだ。どうすることもできないでいるところに、外からガンッという壁を叩く音が何度も聞こえるようになってきた。
「向こうから壁を壊しているみたいね。……ただ、壊れたら確実に水中に入るわ。覚悟しておいた方がいい」
「……ごめん、俺のせい……」
「何言ってるの。教育師なんだから、巻き込んでもいいんだよ? 教えるための教育師だけど、こういう時に守れるのが教育師だからね」
そう言ってくれるのはありがたいが、どう見ても俺のせいで巻き込んでしまっている。だから申し訳なくなっているのだけれど。
「絶対死なせない。屋敷で、ウィンちゃんが待ってるの。帰ったら抱きしめてあげてね」
「は!? いや、えっと、まずそんな関係でも何でもないし……」
「安心させてあげてってこと! まだ、あなたのこと話してないんでしょ?」
俺のこと。〈暗黒〉のこと。確かに、巻き込みたくないが為に、話していない。さすがに今回はウィンも巻き込むところだったから、知っていた方がいいということも理解している。
「ってあれ? 何でソムさん……」
「え? ……あぁ、穏慈君から聞いたのよ。問い詰めたんだけどね」
穏慈が圧されて話す程とは、どんな問い詰められ方をしたのだろうと気になるところ。彼女の顔は、それくらい簡単だと言わんばかりの笑顔だった。
「二人共聞こえますか!」
壁を壊していく音は続けて聞こえてきつつ、ガネさんの声も籠りながらも届いてきた。ソムさんが俺に代わって返事をすると、少しだけ壁に穴が開いたと現状を知らせてくれる。
ということは、少しずつ水が向こうに流れて行っているだろう。
「今から穏慈くんが壁を壊します! すぐに助けるので少し耐えてください!」
やっとこの状態から抜け出せる。安堵し、そう思ったのも束の間だった。
「わっ!?」
足に何かが触れた感覚があった直後、思い切り力が加わり、抵抗する間もなく引っ張られた。
水飛沫をあげて、水中に引きずり込まれてしまう。その「何か」はまだ俺の足を持っている感覚があり、見ると、それは真っ黒い靄だった。さっと血の気が引く。きっと、ホゼが近くで扱っているのだろう。
「ザイヴ君!? ガネ急いで、ザイヴ君が!」
ソムさんは自ら、俺の元へと潜って来てくれた。
俺はというと、息を止めていることはできるために上に上がろうとしていたが、足に絡まるそれが邪魔で思うようにならない。ソムさんが俺の足を捉えるそれに気付き、持っていた杖で払いのけ、俺の腕を掴んでくれた。
その瞬間。ボコッという音が聞こえて、直後水が一気に流れ出した。
「っ……!!」
水の流れに引っ張られ、更に自分の思うようにならなくなった。
その勢いに耐えられずに、ソムさんは俺の腕を離してしまった。いや、正確には、離れてしまったのだ。
強い流れの中、息を止めているのは辛い。止めているつもりでも、水は少し鼻の中に入ってきている。
このままでは保たないと思っていると、グンッと何か強い力に引っ張られた。大きな怪異の姿で、俺を銜えて離さないように、穏慈は自由に動き回り、開いた壁の穴に向かって行った。
壁を越えると水は溢れ始めたばかりで、まだ階段の下方で膝下のあたりまで溜まったくらいだった。水のない少し上段の方で俺を下ろし、座らせてくれた。
「げほっ、がほっ……はっ……あ、ありがと……」
『無事で何よりだ』
そう言いながら狭いそこで水を払う仕草をし、その体を俺に寄せてくれた。
『冷えただろう。遅くなって悪い』
「っはー……結構溜まっていましたね……」
「ありがとう」
ガネさんはソムさんを引いて戻ってきた。ソムさんも無事なようで、ひとまず安心する。
足元の水が少しずつ増えてきていることもあり、すぐに上に避難することにして三階に上がっていく。
「穏慈くんが居てくれて助かりました」
『あぁ、互いにな』
「ザイ!」
ラオが下りて来ていたようで、階段の途中で出くわす。全員が水浸しなのを見て、ラオは驚いていた。とりあえず三階に上がると、オミも俺たちを見て驚き、近くの一室に入るように促してくれた。
「あまり大きいものはないが、タオルで拭くといい」
「ありがとうございます。……そういえば、あなたどこかで見たことがあるようなないような……ずっとそんな気が」
「どっちだよ」
受け取った人数分のタオルを全員に渡し、体を拭きながらそう言われたオミの方を見てみると。
「奇遇だな。私もそう思っていたんだ」
「あんたもどっちだよ」
そのままガネさんとオミは考え込んでしまった。どうやらお互いに、本当に見覚えはあるようだ。事が落ち着き、俺たちのことはそっちのけだ。
「ザイヴ君。水は明日じゃないと引かないだろうし、嫌かもしれないけどここで休ませてもらおう」
「あ、うん……怠いしね」
その部屋に置かれている時表示は、恒の二時前。思ったよりも時間が経ってしまっていた。穏慈がホゼの臭いがなくなったと言ったことから、ホゼはあの後ここを去ったということが分かった。部屋を移動したためにこの場にはいないが、ヤブとシュウはあの状態で残したままだ。
「ソム教育師は分かるけど……何でみんな揃ってずぶ濡れ?」
「俺がホゼに突き飛ばされて、変な壁抜けて水の中に入っちゃった」
「ガネさんたちは助けに行って濡れたんだね。もー次々心配させるんだから。油断して……」
「あっ、思い出しました!」
「おぉ」
どうやらガネさんたちも、過程はどうあれ解決したらしい。二人とも真剣に見合っている。その理由は、すぐに判明した。
「あなた、僕が戦術教育師試験受けた時にいたトップじゃないですか。オミ=ルーブ!」
「……は? どういうこと?」
「言った通り、三十人ほどいた試験者の中の十人のパス者の中のトップですよ。僕、二番だったんです」
それが意味するものは、当然、教育師としての立場を持つ者、ということだ。しかも、ガネさんより上ときた。意外なところに教育師資格を持っている人がいたわけだが、なるほど。ホゼに歯向かおうとする意志をもてるのも、納得できた。
「まじかよオミ」
「まじだ少年」
ここにいることになった理由はともかく、オミは知っている限りのホゼの計画を話してくれるということで、俺たちは耳を傾けた。