第二十六話 黒ノ愛顧ニ報イル者
「ここよ」
「うわ……確かに豊泉の方向が高く見える。……どこにいるんだろ」
ようやく崚泉に到着。すでに初の四時を過ぎ、予定を超えてしまっていた。ザイの身が心配だ。早めに落ち合って、安全な場所に行かなければならない。
『薄気味悪い臭いだ』
明確な場所までは示されていないため、崚泉の中にあるいくつかの建物を見てみるが見当はつかない。虱潰しに行くしかないかと思っていたが、穏慈は嗅覚を辿り、辺りを見渡していく。
『あの建物の方だ』
「……行きましょう」
ガネさんのその一言を合図に、周囲にも気を配りながら穏慈が察知した方向へと歩を進めた。
「そんな気ねえって何回言えば分かるんだよ、あんたの耳あいてんのか」
一時間ほど経過した頃だろうか。ホゼが再度俺を訪ねてくると、すぐに本題に入り、自分の戦力になれと言い出した。
予想はしていたことだが、いざ的中すると多少なりとも動揺する。どうせ、使えなくなれば切り捨てる。それ以前に、一度は俺たちを裏切っている男に、聞く耳を持てるはずもない。
「〈暗黒者-デッド-〉の能力のために、助けてやろうと言っているんだ」
「そんな手助けいらねーし、あんたの言いなりにはならねえ!」
ずっとこんな調子で互いに引き下がらないため、無意味な時間が過ぎていく。
「ホゼ、時間だ」
「今はそれどころではない」
「……私が任されよう」
そう言われると、ホゼは渋々オミに俺を任せて部屋を出て行った。「時間だ」と言われて出て行ったということは、これから何か行動を起こすということ。俺が出られなくなることになれば、面倒なことこの上ない。
「時間って……何のこと?」
「この辺りの地形の特徴から……今日はこの辺りで水が溢れる予測が立っている日だ。崚泉には近づかないよう、周りの地域では警戒を呼び掛けている。それを利用するつもりだ」
オミからこの辺りの地形について聞き、その評湖の水で崚泉は浸水してしまうことを知った。つまり、崚泉への出入りが難しくなる。
ということは、この建物自体を孤立化させようとしているのか、あるいは─
「……なぁ、一階にはどうやって行くんだ? 階段ないよな?」
とにかく、早めにここを脱さないと危険だ。自分で自分の弱点くらい分かっている。探しきれなかった下へ行く方法。答えてくれるかどうかはともかく、オミに聞くのが一番だ。
「……捜索したのか」
「あー……まぁ……ちょっと」
「一階と二階は、繋がっていない」
「え……?」
よくよく見れば、オミは今、鞘に納まった太めの剣を腰に携えている。俺はというと、不安から一気に冷静さが欠けていった。
(くそ……っ、何もできねえ……)
温厚な性格であれ、オミは現状敵だ。今回のホゼの計画を聞かされているなら、その通りにするだろう。
どうにか、自分でこの状況から脱するしかない。
「少年」
「っ……るせぇ、話しかけんな」
緊張がこみ上げてきて、拳を強く握った。口調も強くなる。いよいよ余裕なんてものは無い。
「私は……少年に手を掛けるつもりはない」
「……へ?」
思いもよらない言葉をかけられて、素っ頓狂な声が出る。オミがどういう意味で言っているのか、理解できなかった。
「……逃げろ、少年」
静かに発せられた言葉に、驚かずにはいられない。逃げろと、俺に囁いた。俺の身に一体何が起こっているのか、考えられなかった。
「親者たちもそろそろ着くだろう。私に構わず少年は逃げろ。来い!」
「えっ……うわっ!?」
強い力で腕を引かれ、部屋を出る。オミは俺より身長が高いからか、走るスピードが速い。オミの体格で前方は見えないが、オミはひたすらどこかにまっすぐ向かっていた。
「オミ! ちょっと待っ」
「ぐずぐずするな」
走る音を聞きつけたのか、俺たちの後ろからはまた駆けてくる音が聞こえてきた。その主は、言わずと知れている。
「貴様ら!!」
俺たちを追って、ホゼがこちらに向かってきた。その手には、書庫でも持っていた剣が二本握られているのを、俺はしっかりと確認した。
そのうち、オミは自分の速度を緩め、ある扉の前まで来ると俺を自らの前に引っ張り出した。
「走れ! この階段からなら一階まで降りられる!」
「で、でも……!」
「貴様っ……どういうつもりだ!」
追いついてきたホゼが、オミに向けて剣を持つ。オミも腰から剣を抜き、俺を庇うようにして立ってくれている。この扉を開ければ、ここから出られる。しかし、オミはどうなるのか。それを考えると、その扉のノブに手をかけられないでいた。
「見たままだ。少年は解放する」
「っ!」
音が鳴るほどに歯を噛み締めるホゼを見た。瞬間、ホゼがオミに斬りかかり、剣と剣が擦れあう音が耳に響いた。
「ザイヴ!」
「─っ!」
オミの剣を持たない片手は俺の肩を押す。名を呼ばれたことで、俺の体は自然と動いて扉を開け、階段を駆け降りていく。
オミは俺を逃がしてくれた。ホゼとは正反対に、俺を人として扱い、命がけで庇ってくれている。
この後起こることは、簡単に予測できる。───殺し合いだ。
オミも分かっているはずなのに、俺を助けようとしてくれている。そんなオミをこのまま見捨てて、俺だけ逃げることはできない。
俺の足は、必死で動いていた。
付近の建物は倉庫のようなものばかりで、本当に人が住んでいる気配がなかった。穏慈が一番臭いが近い、と言った少し高めの建物の入り口の扉は重々しく、そこにあった。
「行きますよ」
その重々しい扉を遂に開け、中に入る。そこは、物音の一つもしなかった。ただ、そこに何か階段を降りるような音が、徐々に大きく聞こえてくる。敵かもしれない、とそれぞれ構えた矢先に出てきた人物は、見知った姿だった。
「はあっ、はぁっ……はっ……」
「ザイ!」
階段を三階から一階まで、長い距離を走って降りた俺は疲れ切っていた。息を切らせながら膝をついて、前方に聞こえる足音に安堵感を覚える。
「ザイ!」
見上げると、そこにはラオがいた。肩を掴む手には、これでもかと力が入っている。
「良かった……!」
ラオは俺の肩を引き寄せて、それを表すような力で俺の身を包んでいた。同時に、安心感が深まる。俺も、ラオのそれに応えるように、呼吸を整えていった。
落ち着くと、ラオが俺を離して立ち上がらせてくれた。ここを離れるよう催促されるが、俺が今一番必要なことを、みんなに告げる。
「頼む、力を貸して! 上で、戦ってるんだ!」
「え?」
「俺を逃がしてくれた奴が、ホゼと戦ってる!」
そう言いながら、そこにウィンの姿がないことを知り、ほっとする。代わりに、おそらく教育師であろう見たことのない女性がいた。
「知らない人がいてびっくりするよね。教育師のソムよ。今の話は本当?」
「俺がここに来れたのがその証拠だ!」
俺の真剣な訴えに、全員が頷いてくれ、穏慈が疲れている俺を背に乗せて上がってくれた。
「ぐっ……」
「私に刃向かう度胸は買ってやるが、貴様では無理だ」
ホゼと戦っていた男は、膝をついてそこにいた。思いの外傷を負ったようで、息が上がっている。
そもそも、ホゼとまともに向き合って勝てる保証などなかったのだが。それでも、男はそうしなければならないと、自ら今の状況を望んで作った。
そんな状況の中、後ろの扉の奥から、駆けあがってくる数名ととれる足音が聞こえ、その扉は開かれた。
「探しましたよ、ホゼ」
いち早く到着したのはガネさんだ。その後に続き、俺たちもそこに立つ。
その場に現れたソム教育師の存在に、それが想定外だというように、ホゼは目を見開く。
「お前……」
「そういうことで、私も加勢するよ」
俺はといえば、膝をついているオミの身を案じる。オミは真っ直ぐ下がる前髪の隙間から、俺を見た。
「っ、何故……」
「あんなことされて、見捨てられねーだろ!」
ホゼの姿を捉えるよりも先に、漂う異常な殺気に圧されかける。自分の計画が狂ったことと、何より、俺が逃げる機会を作ったオミへの怒りから来ているのだろう。
こちらが武器を構えると、ホゼは向かってくるかと思ったが、裏腹に剣を仕舞った。
事前に呼んでおいたのか、そこへホゼの仲間と見られる加勢者が、二人ほど姿を見せた。
「……この手で始末したいのは山々だが、残念ながら私は忙しい。任せるぞ」
そう言って、ホゼの言葉に頷く二人の間を通り、その場を去っていく。
「待ちなさい!」
「あんたの相手は俺様だぜ! 余所見してんじゃねぇ!」
ホゼを追おうとしたソム教育師を狙って、にやりと笑む長いトンファーを持つ男が、それを乱暴に振り回して飛びかかる。足を止めたソム教育師の前に、ガネさんが割って入り回避した。
「退いてください」
「だったら俺様を倒しな!」
トンファーの先が、ガネさんの腹部を激しく突いた。その手は速く、ガネさんが防御をする前にそこにあった。
「ぐっ……!」
それでもその衝撃に怯むことなく、立っている。それどころか、素早く男の手を蹴り上げて、持っていたトンファーを放った。ソム教育師に「大丈夫です」とだけ言うと、視線はすでに男のみを捉えていた。
「挨拶としては盛大な方ですね」
「反応が遅れた……やるじゃん」
「こんなガサツなのに褒められるとは、光栄ですね」
表情も変わらず、嫌味にも聞こえる言葉だが、相手の男はこの状況を楽しんでいるらしく、笑っていた。
「少年」
オミが俺を呼び、俺はそれに応えた。すると、オミは立ち上がって、太く大きな剣を持ち直した。
「ヤブのことは、あのガネとやらに任せろ。こっちも……厄介だ」
ヤブ、それがトンファーを持つ男の名だろう。オミが示すのは、俺たちの前にいる少女薄水色の髪の毛と眼が、この場においてはかなり引き立っている。何を考えているか判らない眼が、ジッとこちらを見ていた。
「何故ホゼ様を裏切った」
その少女の口からは、容姿からは想像できないような高いトーンで、淡々と言葉が発せられた。
「少年の器を砕くわけにはいかない」
それに負けじとオミも言い返す。このピリピリとした空気に、圧されそうになる。
「その子を渡せ。今なら、シュウは許す」
自身をシュウと言った彼女は、声を荒げることなく冷徹に、一言一言を言い放つ。
「じゃあ俺が相手だ。ザイ、穏慈借りるよ」
「え、うん……」
『良いだろう。ラオガと戦おう』
「渡す気はないのか」
シュウの冷たい言葉に、無言で構えるオミの横で、ラオが口を開いた。
「当然だろ」
そう言った瞬間。シュウの両拳に氷の結晶のような固まりが現れた。おそらく、彼女が扱える能力、といったところだろう。
「話が早い。始末する」
サラッと言い、右拳をラオに向けて振った。反射的に、穏慈がラオの服の後ろ襟を思い切り引っ張り、それを避ける。避けたそれは床に当たり、固まった。
『さっさと避けろ』
「うえっ、首! 離して!」
襟を掴む手が素直に離れると、ラオは衣服を整えながら軽く咳き込んでいた。
「もっと丁寧に扱って」
『反射的だ』
「……お前は、何者」
シュウは穏慈を普通とは違うと認識したのか、その拳を下ろす。その冷めた目のまま、答えを待っていた。
『あいつの従者だ』
「違う」
少女のその眼に、穏慈がある種の納得を見せていることを、俺は見逃さなかった。確信をもって、言葉を続けた。
『……そうか、成程。我は穏慈……旺、と名乗った方が良いか』
「あぁ……旺か、久しい」
その口ぶりから、その少女が穏慈と顔見知りであることが分かる。しかも、穏慈の以前の名を知っているということは、つまり─
「何してやがんだシュウ!」
「ヤブは黙って」
『お前を探していたのだ。泰』
「泰!?」
「懐かしい名だ。そうか、人と共にいるということは、それが〈暗黒者-デッド-〉というわけか」
穏慈の口からその名前が出てきたことに、驚きを隠せない。何といっても、俺の背中につけられた傷に仕込まれている、「見えぬ毒」というものを治療してもらうために探していた怪異だ。
こんなところにいるとは、全く想像していなかった。
『何故こんなことをしている』
「……怪異に飽き、興味本位でこちらに来た。間もない内にホゼ様と遭い、怪異を棄てた」
「ってことはもう毒は治せないって……こと?」
「……そうか、毒臭いわけだ。……毒に侵されて死んでしまってはホゼ様も困る……ならば毒は抜いてやる」
良い奴なのか悪い奴なのか、とにかく、この状況でも毒を取ってもらえるのであれば何も言わずに任せた方が良い。俺が死んでは困る、つまり、生かしたままで手に入れるのが目的だろう。
その目的に、今だけ感謝する。
「……そろそろ水害の方が気になるから、私はこのままホゼを追う。こっちはお願いね。すぐには水量も増さないだろうし、何とかできるかもしれない」
「え? 水害を何とかって……どういうこと?」
「私の力は、みんなとは少し違うの。そういうことだから、任せてね」
そう言い残したソム教育師は、上ってきたばかりの階段を下り、姿を消した。素直に任せて良いだろうが、その力のことは純粋に気になった。
「ソムは大丈夫です。……さて、僕もやるからには本気で戦わせて貰います」
「望むところだ! 俺様にゃ勝てねぇだ、ろーが……!?」
俺たちの話を聞いていたガネさんも、目の前にいる相手に視線を戻し、構え直していた。ガネさんの気の立ち様に、威勢の良い口調は次第に失われていった。
「……貴方のようなタイプはどうも腹が立つ……いくらでも叩き潰せます」
ドスの利いた黒いものが、空気中を漂っているのが錯覚として目に入る。見れたものではない。俺自身、できる限り近付きたくないタイプだが、こうも顕著に表わされるとむしろすっきりするものだ。
「これでいい」
そのやり取りの中、俺の傷に付着していた見えない毒は、泰によって抜かれていた。その治療が終わった途端に、状況は切り替えられ、立ち直していた。
「……旺、シュウは今、あの者のもとにいる責任がある」
『戻る気がないならば、我は何も言わん。ただ、主は渡せん。我のものだ』
「勘違いするな、シュウはこんな人間に興味はない」
一瞬目が細まり、再び氷の結晶のような固まりが拳を包んだ。それを見計らったタイミングで、俺の少し前方には太い剣を構えたオミが立っていた。
「……何のつもりだ」
「お前たちの味方は終わりだ、私はこの場より消える」
「死ぬ覚悟があるということか」
その言葉すら表情を変えずに言うものだから、余計に恐ろしさが増す。冷淡、という言葉が相応しい。
『お前は手を出すなよ』
「え? いやでもそれは」
穏慈の制止を振り切ってでも、と反論を続けるつもりだったが。
「少年は、良い仲間を持っている。今は自身を案じるのが先じゃないか」
そう言われると、言葉は出なかった。疲弊している今の俺では、足手まといにしかならないかもしれない。
「……後で絶対加勢する、から、頼む」
「そんな出番易易とは作りませんが……誰に言っているんですか?」
何といっても教育師で、十分な強さを持っている者に、心配は不要だ。余裕で笑んで見せるガネさんは、剣を後方へ下げた。そのガネさんに危機感を覚えたのか、ヤブは舌打ちを一つしてトンファーで襲いかかる。それを、真っ向から受け止めていた。
それを確認したシュウも、俺たちの前に身を置いた戦闘態勢の穏慈を捉え、拳を握った。
『こんな形での再会とは思わなかったが……仕方ない。我がお前を討とう』
シュウが握る拳から放たれ、穏慈に降りかかろうとする結晶は、ラオの鋼槍が砕き散らした。さすが応用剣術の経験が深いだけのことはある。
俺に応用初級を教えていた時とは全く違う迫力だった。
「俺のことも忘れるなよ。見くびってると怪我するぞ」
この状況の中で、俺だけ何もしないわけにはいかない。一応、これは俺の問題だ。つまり、巻き込んでしまっていることになる。
「オミ」
戦闘に入る味方の姿をちらりと見ながら、小声で考えを伝える。それを聞いたオミは僅かに動揺したものの、頷いてくれた。
「まあ、良いだろう」
「ありがと。俺には隙ができ過ぎるから、カバーしてほしい」
了承の返事を聞いて鎌を解化させ、振れるように調節してから、ガネさんを見る。
ヤブを狙うにはタイミングが必要だが、ガネさんは気付いて避けるだろう。回避行動に支障のないタイミングを計るだけだ。
「支援の内だからな」
「そういうことにしておこう」
【鎌裂き】を放とうと、力を入れた時。
「……!」
何に反応したのか、俺─〈暗黒〉─の鎌が、青い光を放ち始めた。