第二十四話 黒ノ潜域ノ囚者
医療室に運ばれた僕たちは、医療担当の処置を受けて少しばかり休息をとっていた。ラオ君の症状は、肺が侵されたことによる吐血だったことも分かり、適切に対処された。
その影響でまだ眠ってはいるが、大事には至らなかったことにほっと胸を撫で下ろした。
「……ホゼの黒靄、一筋縄ではいきそうにありませんね。あれは、初めて見ました」
『あぁ……』
ザイ君を守ってやれなかったことが悔やまれる。焦らない方が良いことは重々承知しているが、相手を考えるとそうもいかない。
「ガネ教育師……」
そこにウィンさんが入ってきて、真っ直ぐに僕を見る。色んな感情が混ざった、複雑な目で。
「やっぱり、教えてくれないんですか……?」
言うか、否か。
今回のことで、ウィンさんにとって仲の良い二人が、危険な目に遭遇していることが目に見えて伝わったはず。このまま隠すのは不可能だろう。
「……ザイ君が、それを望んでいます。でも、事が事です。彼も、自分から話してくれるはずですよ」
「あんな事が……ザイが、連れて行かれたのに、ですか……?」
ウィンさんの表情は、悔しさで溢れた。自分だけ何も知らないということが、そうしているのだろう。しかし、僕の口から伝えるには、少々情報が不足している。客観的に伝えるよりも、本人の言葉で伝えるべきことだ。その結論は、僕の口を固く閉ざした。
『ウィン』
「……何」
『今は、耐えてくれ。我はザイヴに従う身、独断でどうこうはできん。しかしザイヴは、お前に応えてくれるはずだ』
ウィンさんの肩に優しく手を乗せ、まっすぐに彼女の目を見て話す穏慈君からは、自身の手が及びきらなかったことの後悔が感じられた。だからだろうか。どこか、否定をさせない眼力があった。
「……そうだね。今は、ザイを取り戻さないと」
「ラオ君、起きたんですね」
「あぁ。のんびり寝てられないだろ。……ウィン、黙ってたことはごめん。今回の事が終わったら、絶対ちゃんと話す。まずは、ザイを助けたい」
重い体をゆっくりと起こすラオ君は、一呼吸おいてウィンさんを見ると、優しい口調になってそう続けた。
「……じゃあ、私は何ができるの?」
「崚泉までの行き方、調べてくれない?」
「分かった……約束だよ、ラオ」
ラオ君は笑みを浮かべて頷き、渋々医療室を後にするウィンさんを見送る。その姿がなくなると、すぐにベッドの上に倒れこみ、深いため息を吐いた。
「良いんですか? そんな約束」
「ザイも、そこに頑固にはならないと思う。どこかでけじめはついてる筈だよ」
「無理はしない程度でお願いしますよ」
「任せっごほっ、ごっほ」
任せろ、と言いながら咳き込み、逆に不安にさせる要素にしかならなかった。それでも、ラオ君がザイ君のことを酷く気にしていることだけは、鮮明になった。
「ふん、バカバカしいものに付き合わされてしまった」
「ぐぅっ……」
崚泉のとある建造物─三階建てで二階から吹き抜けになっている建物─で、ある一室に放り込まれ、俺の腕は力いっぱい踏みつけられていた。
「あんな奴らといても良いことはないぞ」
骨が折れるかと思うくらいの力が加わり、表現できない痛みに何とか耐えていた。
体の動きが僅かに戻った今、どうにかこの状況を脱するべくもがくも、痛みのせいで全く集中できない。
「やっ……め、ろ……」
「……くくっ、早く傷を癒せ。私が攫った意味がないだろう」
ホゼも怪我をしている身ではあったが、そう云々いうほどではないようだ。その言葉を残すと、部屋から出て行った。それを確認して、痛む腕を押さえながら、俺は身を起こして座った。
考えても、ホゼが何を考えているのか依然分からない。俺に怪我を負わせた張本人にも関わらず、早く傷を癒せなんて。
─いや、それならば。例えば、俺をホゼ側の戦力にと考えている可能性はある。勿論、協力するつもりはさらさらない。
「痛ぅ……」
嫌になる。〈暗黒〉に引っ張られてから、碌な目に合わない。何故、こんな状況下にいなければならないのか。
力なく俯いている時に、扉を叩く音がした。警戒して顔を上げると、肩ほどまでまっすぐ下ろされた赤い髪の男が、扉を開け、食料を持って立っていた。
「少年、怪我の具合はどうだ?」
「……別に」
「ホゼがやらかしたようだな。少年のことは私が見ることになっている。オミだ。……ホゼの様なことはしない、安心しろ」
そう言う銀色の眼は、冷静で、ただまっすぐに俺を見つめていた。そのオミの言葉を、俺は信じて良いのだろうか。
どういう性格であっても、俺の敵ということには違いない。何も反論しない俺を見て、オミは何も言わずに部屋を出て行く。机に置かれた食事が残されているが、口をつけようとは思えなかった。
食事から目を逸らし、設備されている少し硬めのベッドに寝転ぶ。癪ではあるが、あいつの言う通り、まずは体を癒さなければ話にならない。
「ラオ、崚泉のことだけど、ソム教育師がよく知ってるって」
「ほんとか! あっ……いったぁ……っ」
ウィンの情報を聞いて、反射的に体を起こす。思った以上に勢いがついてしまったためか、傷に響いて痛みが戻ってきた。
「無理したらダメと言いましたよ」
ウィンは悟られないように、静かにガネさんの方を見る。その後また俺に視線を戻すと、いつも胸元にかけている薄桃色の宝石を襟元から取り出して、握った。
「ラオ、私の力で良ければ、これがある」
「え? それって……自然魔の?」
こくんと頷くウィンが持っているのは、得意とする自然魔を取り扱うためのものだった。
それは、俺たちが生きる環境、自然の力を操れる、特殊なものだ。これを授かっている人は、あまりいないらしい。
俺も知識的には知っているが、一般的には生まれながらに秘められているもので、後発的に会得できるものではないという。剣術はともかく、こういう面では頼れるのがウィンだ。
「んー……じゃあ。お願いしようかな」
ウィンの手の中にあるそれが輝いて、その色が俺を包むような感覚になる。体内の循環を整える、という仕組みだそうだが、俺にはよく分からない。
「……どう?」
「ありがと、ちょっと楽になったよ。大丈夫」
「あの、ガネ教育師は」
「ああ、僕は大したことないので。気持ちだけいただきます。……さて、ソムのところに行きましょうか」
穏慈はウィンに気を遣って、一緒に来るように言った。その言葉をかけられたウィンは、少し笑って頷いた。
教育師室にいるソム教育師を訪ね、そこに向かう。ガネさんが先頭で入り、その姿を確認して話しかけた。ウィンからある程度話があったこともあり、スムーズに応じてくれた。
「本当に行くのね?」
「はい。ザイ君を、早い内に助けないと」
「ていうか、ガネは崚泉の場所知ってるんじゃ」
「あの辺りは複雑ですし、今は確実性が欲しいので」
ソム教育師は地図を取り出して指を置く。銘郡からの行き方を簡単に言い始めるも、途中で考え込んだ。「うん」と一言言うと、今度は俺たちを見て言った。
「やっぱり分かりにくいから私も同行する。もとは私が担当になるはずだったんだし」
「え、ソム教育師も行くんですか?」
「ウィンちゃんは待っててね。危ないから」
安心感を与えるような笑みを浮かべ、ウィンの頭に軽く手を乗せる。納得がいくかいかないかといえば後者だろうが、ウィンは視線を逸らして黙った。
「ウィン、ザイは絶対連れて帰ってくるから。危ないところにウィンを連れてくわけにはいかない。ザイだって、ウィンを巻き込みたくないから、守りたいから話さないんだよ?」
「……うん……分かった」
「それではソム、すみませんが案内をお願いします。体制を整えてからで良いので」
「うん。でも、明日の朝の方が良いと思う。歩くと遠いから」
この部屋にいる間、どれだけの時間が過ぎたかは確認することができない。ただ茫然とするしかない俺は、暇を持て余していた。
そのうち、手をつけていない飯を回収しに、オミが訪ねて来た。
「傷は痛むか?」
「変わんねーよ……」
窓の外を見たまま、素っ気なく目を合わさない俺に、鼻で笑う小さな声をもらした。その声に、思わずオミに視線をやった。
「……何だよ」
「いや、こんな状況だ。信頼されようとは思わないが。こういう時の相手をするのは難しいな。……飯に手を出していないようだが、食わないとどうかなるぞ」
「なっても心配しないだろ」
これがもしラオだったら、色々言うだろう。結構心配性だし、保護者みたいなところがある友人だ。今は、その色々を聞きたいところだ。
「そういうことにしておいた方が……まあ、いいのか」
「何それ」
「また持ってくる。今度は食えよ」
─何だろうか。この、妙に温かい感じは。場にそぐわない不思議な感じが、何故ホゼと一緒にいるのか、少しだけ俺の気が引かれた。
だからだろうか。話すにはちょうどいいかもしれないと、少なからず思った。
「ザイヴ」
オミが去った後、入れ替わるように低い声が俺の耳に届き、警戒心で肩が跳ねた。扉の前には、ホゼが立っている。
「飯を食わなかったようだな」
「別にいいだろ」
そっぽを向いてベッドに乗り、布団を頭まで被って潜り込む。それを見て、ずかずかと部屋に入ってきたホゼは無理矢理布団を引き剥がし、俺の腕を膝で、額を手で鷲掴みにし、押さえ込んできた。
「何だよ!」
「お前、いつまでも手が出ないと思うなよ」
「……っ!」
嫌でも間近に来たホゼの顔が視界に入る。俺の警戒心は更に向上した。これを恐怖と言わずに、何と言えるだろうか。背筋が凍り、冷や汗が頬を伝っていく。
「殺そうと思えば殺せることを忘れるな。貴様をわざわざ攫ったことを無駄にされてたまるか」
その言葉で、今の段階では俺を生かしておくつもりだということが分かった。そうだとすると、目的はやはり、俺の力だろうか。
しかし、こういう状況を作ったホゼに対し、俺は歯向かうしかない。歯を擦り、ホゼを睨みつける。
「食欲出ないだけだってのに、そういう脅しは迷惑だ!」
「……ふん、傷の具合は」
「あんたがしたことだろ。……気にかけられても嬉しくないね」
目の前で舌打ちをされたかと思えば、諦めたのか扉の方へとまた横柄に歩いていき、大きな音をあげてその扉は閉められた。
この建物の構造もまだ分からない、逃げたいのは山々でも、下手に動き回ると見つかる可能性が高く、逃げられない。かと言って、窓から飛び降りるには高すぎる。抜け出すには、どうしたら良いのか。
助けが来るのを、待つしかないのだろうか。