第二十三話 黒ノ裏切者の狙イ
黒靄編
「暫く留守にしただけで懐かしく感じるものだな。まあ、長居はしない。……そいつ、連れて行くぞ」
屋敷から見てホゼが敵対象であると同様に、ホゼにとっては敵の本拠地とも言える場所に、その本人が現れた。わざわざ足を運んだ理由としては、どうやら俺を狙ってのことらしい。
ホゼは堂々と俺を指で示し、言葉に何の迷いもなかった。さすがに危機感を感じ、すぐに身を守れるように身構えた。
「させませんよ」
『貴様にはやらん』
三人が俺を庇い、壁のように前に立つ。以前ホゼが残した、まだ完治していない肩の傷が、ぞくりと疼いた気がした。
「私のもとへ来い、ザイヴ」
「っ……、嫌だ!」
ホゼを睨んで返答したところ、俺の腕を掴んで離さないままのラオの手は、その力をさらに強めた。
「……ああ分かっている。だが拒否はさせんつもりだ」
「ザイ、俺と一緒じゃ俺がうまく動けない。穏慈に任せる」
『ああ』
横に来た穏慈は、自身の体で俺を隠すように俺を引き寄せ、凄んだ顔で立っている。殺気立っている、というのはまさにこの事だろう。
「元教育師だからって許さねぇからな。ザイは渡さねぇ」
「ラオ君、無茶はしないでくださいよ」
ラオも、これまでに見たことがないような怖い顔をしていた。
ホゼが俺を傷つけたこと。あの騒動。それをラオは凄く気にしていた。そのことがラオをそうさせているのだろうが、正直見たくはなかった。
「穏慈……」
『今は下手に動くな。奴の腕は我が以前喰いちぎった筈だが……見てみろ』
「……っ!」
あの時大量の血と一緒に落ちた筈の腕が、どういうわけか綺麗にくっついている。いや、生えている、というべきなのか。落ちたことが、まるで嘘のようだ。
「……分かった」
ホゼが鋭い刃を持つ剣を二本構え、ラオは鋼槍、ガネさんはあの時よりも少し長い針を何本も備えた。
「私の邪魔をするか」
「邪魔、というよりも……僕たちがとる当然の行動ですよ!」
ホゼを目掛けて真っ直ぐに飛んでいく数本の針。当然、ホゼは持っている剣で防いでいるが、全てを避けることは不可能だったらしい。その体にはいくつかの針が刺さり、その体は僅かにバランスを崩していた。
「ちっ、……お前、何を仕込んだ」
「……あぁ、毒だと思いました? 雷術ですので、筋肉の麻痺でも起こしてるんじゃないですか?」
そんな中で、引き続き浴びせられる針を、ホゼは二本の剣を器用に操り最小限に抑えていた。
その最中に風を切る音が聞こえ、目で捉えることのできる何かが視界に入った。そのすぐ後に、ホゼが持つ一方の剣が弾かれ、宙を舞う。
「貴様ぁっ……!」
「ガネさん使って!」
「助かります」
ラオが、ホゼの剣を狙って鋼槍を投げたようだ。俺はといえば、そのスムーズな連携を感心しながら見ていた。
ラオの言葉で走り出していたガネさんが、音を立てて地に落ちたホゼの剣を拾う。膝をつき、ホゼの様子を窺っているのか動かない。
しかし、ホゼもそれを黙って見ているだけではない。躊躇いなく剣を振り下ろした。
「ぐっ……!」
片足をつけていた状態から、押し上げる力と共に立ち上がりホゼに対抗する。鈍い音が、嫌な音が、書庫に響く。
『チッ、胸くそ悪い……』
一見、ホゼのことが気に入らないための暴言にも聞こえる。しかし穏慈は怪異としてホゼを見ている。俺たちとは違った、何か異様なものを感じ取っているのかもしれない。穏慈は、今にも飛びかかっていきそうな雰囲気だった。
そんな中、ガネさんはまた針を投げ、それに続くように剣を構えてホゼに向かう。
とにかく、そのスピードが云々を言わせず、ラオもそこに割って入るタイミングがない。耳につく音が、窓が割れたのと同時に聞こえ、壁に罅が入る。
「ふん、私が有利であることに変わりはない」
絶対の自信をもってして言っているのだろうが、その強気の発言に至る根拠は、すぐには分からなかった。実際、目に見えるのはガネさんが優勢である姿。。
しかし、ホゼの口角は確実に、不気味に、上がっていた。
「っ……!」
「ガネさん!?」
突然ガネさんの足の力が抜けたのか、剣を床に刺し、支えにして立っている。ラオが駆け寄っていく時、俺にはその理由が見えた。俺たちも、ガネさんのもとに駆け付ける。
「どうし……あ!」
声を上げたラオも、俺が見たものを見たのだろう。間違いなく、ガネさんの腿には針が二本ほど刺さっていた。
「何した!」
「術を入れた本人には効かないか。針を跳ね返しただけだが?」
不気味すぎて、見ていられるものではない。しかし気を抜いたら最後、ホゼの思うがままだろう。
「……もう一度だけ聞いてやろう。ザイヴ、共に来い」
「絶対、嫌だ。そもそも聞いてやるって言っといて強制するんじゃねえよ」
俺が断ることは承知の上で聞いているのだろう。言い方にしても、性格が悪い。
俺の答えに対して軽く息を吐き、順に俺たちの顔を見ていく。最後に俺に視線が戻ってくると、煙のように黒い靄が広がり、俺の方へ集中して伸びてきた。
(無理にでも連れて行くってことかよ……!)
「穏慈くん!」
『言われるまでもない!』
穏慈が、ホゼの視界に入らないよう覆うように立つ。黒靄はホゼにまとわりつき、戸惑っているともとれる動きを見せていた。
「穏……」
『喋るな。悟られるぞ』
圧のある低い声に、ぐっと口を紡いだ。この状況下で、「でも」は出てこない。
針を引き抜いたガネさんが立ち上がり、ラオがそれを支えた。緊張感が高まっているその時。かすかに、軋むような音が一瞬耳についた。
続いて届いてきたのは、書庫の扉が重い音を立てて開く音だ。
「……何これ? ザイ!?」
不運なことに、ウィンが騒音に気付いたらしい。
ホゼはこれを好機と見てか、その方に靄を伸ばした。真っ先に反応を見せたガネさんが、ウィンを庇うために走ってくれた。
「タイミングが悪すぎますよ……っ!」
それを、ガネさんの剣が必死で抑える。
「ガネ教育師……! あの靄は何ですか!?」
「僕たちの敵、と言えば分かりますよね? ……教育師に知らせてください。お願いします!」
緊迫した空気に素直に応じ、ウィンが慌てて書庫を出て行く。その姿を見て、少しだけ安心した。
中途半端に巻き込みたくはない。ここに来るときに見たウィンの表情からして、きっと、ウィンは俺たちの異変に何となく気付いているはずだ。その正体を知ろうとしている節もあるだろう。
ウィンがいなくなったのを見たホゼは、黒靄を引き戻し、次いでラオにそれを向ける。一人ずつ、順に潰していくつもりなのか、鋼槍で必死に耐えるラオの口からは、どろりと赤い液体が重力に従って流れ出る。
「うぅっ……!」
「穏慈、もう黙ってみてられない! 俺を乗せて!」
怪異の姿になることを要請し、穏慈が応える。穏慈の背に乗り、鎌を解化させる。掴んだコツのお陰で、鎌は重くない。
「頼むよ」
『あぁ』
穏慈がそう返事をすると、ぐんっと体が引っ張られる勢いで穏慈がホゼに接近する。
「っであ!」
岩にでも当たったのかという鈍い音が響く。黒靄の使い勝手は良いようだ。鎌は、黒い防壁で止められてしまっていた。
「この……っ!」
『靄が面倒だ……手はないのか!』
「純化します。すみません、ラオ君、もう少し耐えられますか?」
「っ……、いっ……じょうぶ……」
ラオは自分に迫る靄を、際どい体力で抑えている。急がないと、ラオの負担も大きくなるだけだ。ガネさんは申し訳なさそうに頼むと、すぐに針を手にした。
「……一緒に純化します」
【聖の針】!
ラオが抑えていた黒靄から本体まで届く軌道を、針が糸を引くように空を切る。黒靄は薄く伸び、ホゼの体に纏わりついたそれも散った。
「がっ……げほっ」
「ラオ君、大丈夫ですか!」
『振り切れ!』
ラオが倒れた横から、穏慈と共に接近し、大きく構えてホゼに向かって振り下ろす。〈暗黒〉で教えてもらった、鎌の能力だ。
【鎌裂き】!
「なっ、にぃ……!?」
これにはホゼも対処が遅れたようで、その分、ホゼに深い傷がつく。鎌を操るようになった俺に、多少なりとも驚いたようで、一瞬で表情がなくなった。
「あんたの思惑通りにいくと思……っ!?」
それが起きたのは急だった。全身の力が吸い取られたかのように、穏慈の背に倒れこむ。
ホゼの、不気味に嘲笑う声が聞こえた。
「な、ん……」
『ちっ、お前もか』
何かを察知した穏慈は、ガネさんとラオの近くまで身を引き、俺たちの様子を窺った。
「どうしました?」
「ち、から……が……」
必死で口を動かして言葉を発するが、上手くいかない。異常だった。
「……黒靄に何か、仕掛けがあるみたいですね」
『……嫌な臭いはこれか……。お前は今の所無事だな。我は効かぬが、人間にはきついものだろう』
「さすが怪異だ。……これには様々な効果があってな……ガネのものには劣るが、人間への効き目は良いぞ?」
それが、ラオは体内が侵されて吐血し、俺は筋力が弱って脱力した原因の正体だと言う。そんな罠は、考えてもいなかった。
俺たちは、足枷のように転がるしかなかった。
「動ける人数を減らしたとでも?」
「何度も言わせるな。私はザイヴを引き取りに来たのだ」
「っ……!」
気付いた時には、入り口まで吹き飛ばされていた。何かにぶつかる音とともに、背中に強い痛みが走る。そのまま、床に倒れ込むように落ちた。
「ガネにも限界があるとは、意外だな」
「……っ、ふ、生憎ですが、これでも丈夫なので。あなたの攻撃程度……大したことありませんね」
歯が擦れ合う音。眉間に入る力。どくどくと、脈打つ音が脳に伝わる。傷口からは、見知った色の液体が流れ出ていた。
力の入り方が悪い、傷を庇おうとする意識が、無意識にあるらしい。
「……まだ立つか」
正直、立ち上がって息を整えるのでやっとだ。足が、うまく動いてくれないのを歯がゆく思う。ハッタリは、いずれバレる──。
『……グゥゥヴヴゥヴァァアア!!!』
穏慈くんの威嚇の声。大きな怪異の体が、俊敏にホゼの後ろに回り込み、踏みつぶそうと腕を振り下ろす。それも避けられてしまい、直ぐにザイ君の近くに戻り、ホゼを近付けまいと威嚇する。
「……まだ抵抗するか。どうしてでもザイヴは連れて行くというのに」
『黒く淀んだ人間に渡せるか、現に二度に渡ってザイヴを傷つけている』
「あぁ、全くその通りだ。しかし私にはそんなもの理由にはならん」
ホゼの意識は、今は完全に穏慈くんにある。この隙にと、彼らの様子を気にかけると、二人ともほとんど意識がないのか、それぞれ武具が消えていた。
僕自身、ここまで思うように動けないということは、あの黒靄の異質な能力が効いているのだろう。このままでは、時間の問題だ。
(……! な、んだ……!?)
『何……っ!?』
瞬間的に、ホゼは倒れているザイ君のすぐ横に立っていた。体を動かせない状態にいる彼に、抵抗することは不可能。つまり、ザイ君を完璧に避けた上でホゼを狙う必要がある。怪異の大きな体で攻撃することの危険性に、穏慈くんも渋々人間の姿に戻った。
「どうしても返せと言うなら私を追ってこい」
『チッ、分かっていてやっているのか、お前』
「ガネ教育師!」
ウィンさんが別の教育師たちを連れてきてくれたようで、書庫の扉が開き、数人の教育師が立っているのが見えた。その中には、ソムもいる。
ザイ君の横に立っている人物がホゼであることを確認し、臨戦態勢に入る。しかしそれを見てか、ホゼはザイ君を肩に担いだ。
「くそ、ホゼ! その子を離せ!」
「教育師が屋敷生を手にかけたらただじゃすまないこと、あなたなら知ってるでしょ! ザイヴ君を離して!」
「ガネ教育師、大丈夫ですか!?」
僕の様子にただ事ではないと察したソムが、ウィンさんに代わって腰を下ろすよう促した。大怪我にこそなっていないが、黒靄と、怪我が原因で余計な力が入っているせいだ。
「ならば相手をしてやろう。私は崚泉という場所にいる。そこで盛大に迎えてやる」
『待て!』
黒靄がホゼを包む。もちろん、ザイ君も一緒に。靄が晴れた跡に、ホゼの姿はおろか、ザイ君の姿もなかった。
突如屋敷に現れたホゼの意図が読めずにいる僕たちは、足早に書庫を出て、対応に急ぐ形となった。