第二十一話 黒ノ力ト妖飢ト異物
『マダダ、マダ!』
その言葉を残して、再び、陰の気配が消えてしまった。急いで俺の元に駆けつけようとする穏慈の姿があったが、俺は、絶対の確信をもってそれを止める。
「来るな穏慈、分かる!」
『!?』
そう言った俺は、後ろから突進してくる、気配のない陰を躱した。俺がもった確信は、実際に行動で証明される。
俺自身、何故強気になれたのか不思議でたまらないが、そんな余韻に浸っている場合ではない。すぐに鎌を振る体勢をとり、足を踏み込む。
─オノレデッド……キニクワヌ、キニクワヌゥウウウッ!!!!!
「【鎌裂き】!」
一度それを躱してしまえば、何となく感覚で把握できる気がした。直感で掴んだ方向へ、鎌を思い切り振る。
「嘗めんなよ!」
『ギャァアアアッ!』
それは俺の狙い通りに命中し、陰は姿を現した。その体は一部がない状態で、もう後がない動きを見せている。
『ぼけっとするなラオガ! 加勢に行くぞ!』
「穏慈!」
『あぁ』
穏慈が俺を乗せて宙に浮く。そして、薫と並んだ。俺とラオで目を合わせ、いつでも行けるように武具を構え直す。その俺と目配せをした穏慈は、陰の動きに集中した。
『突進してくる瞬間を狙え、それで終わりだ』
『貴様も同時に、やれ!』
「分かった!」
俺とラオの声が合わさる。陰は自身の治癒力で、傷ついた部分を何とか治そうとしているようだったが、やはりラオの【槍の針】の毒で、うまくいかないのが目に見えている。
それを歯がゆく思ったのか、大きな声を上げながらこちらに向かってきた。
『ガァアッ!!!』
好機のこの一瞬、二人で同時に落下する。二体の怪異は陰をうまく引き付けられるように、そして、俺たちが攻撃に徹しやすいように、フォローに回る動きに切り替えた。
「はぁぁああああ!」
「ぁぁぁああああ!」
各々の武具は、ほぼ同時に振り切られた。そうすることで『本来の』力に近くなるのか、先程よりも威力が増しているようにも思える。途轍もない殺気が混じっているのを、俺なりに感じた。
『グウッ……ヴァァアアアアア!!』
流石に耐えられなかったのか、陰は吐き捨てられる汚物のように潰れる音と共に、地に堕ちた。俺が捉えた限りでは、陰の体はさらに細かく砕けていた。
「はぁ……はぁ……」
『グゥゥウ……ッ』
俺とラオは振り切った体をそのまま安定させ、着地をする。その直後に、穏慈と薫も、俺たちの傍に戻ってきた。
『よくやった』
『グルルルル……』
唸る陰を見て、少しだけ心が痛んだ。自分の命を狙っていたとはいえ、生きていたものをこれほどまでに傷つけた。当然、相応に生命の要である液体も流れている。俺の服にも、その飛沫がついているのだろうが、考えたくはない。
「……陰」
『ザイヴ、行くな。万が一がある』
『グゥゥウウ』
その怪異の末路を見届けるために、俺はじっと視線を外さない。鋭く光っていた眼から、次第に光が───生気が、失われていっている。
『ウゥヴ……』
しぶとかった陰が、ラオの【槍の針】で回復力を失い、結果的に地に伏せて消えようとしている。
今は片割れではあるが、〈暗黒者-デッド-〉の力を改めて思い知った気がした。
『……今まで好き勝手やってくれたツケが来たな。逝け』
『ゥヴ……』
そして、輝く眼の光が完全に失せた時。陰は溶けていくように、どこか儚げさを纏って、世を去った。
「……終わった……」
ラオはそう呟くと、鋼槍を落とし、自分も膝から落ちた。俺も力が抜けて、両腕がただ力なく揺れる。
「何か、気ぃ抜けたな……」
「うん……痛っ」
『傷が痛むようだな。用も済んだことだ、帰るか』
突進させた時に受けた衝撃が、今になって痛んでいる。それだけ気が張っていたということだろう。こんな時くらい穏慈の言葉を素直に飲み込みたいところだが、まだ用はある。
俺たちの立場や役目。それを知っただけでは帰れない。あと一つ、知らなければいけないことがある。
「……気になってることがある。吟の所に行きたい」
『お前、段々ここに慣れてきおったな』
「……そりゃあ……もうおどおどできないだろ」
『よい度胸だ。おい薫、来るか』
『……行こう。貴様もだ』
薫は俺のことを察したらしく、ラオも引っ張ってきた。ラオは不思議そうな顔を見せてくるが、続いた俺の言葉に、納得の表情を見せた。
「ついでだし、あの人のこと、知ってた方がいいだろ」
......
「あの、ガネ教育師」
教育師室にいたところ、ザイ君と同い年の女性、ウィンさんがその扉の前で僕を呼び、立っていた。僕はいつもと変わらない対応を向ける。
「今……いいですか」
その表情、空気感で、そこにいるウィンさんが何を聞こうとしているのか、その見当は大体ついている。
奥の小部屋に案内したものの、腰を落ち着けてもウィンさんは俯いて、無言を続けている。彼女が言葉を発するのを、ただじっと待った。
僕はあの時──ザイ君たちが〈暗黒〉に行った時。扉の向こうに何か、いや。人の気配があることに気づいていた。
「ザイたちは、何をしているんですか?」
予想通りの質問ではあるものの、ザイ君はウィンさんに知られたくないらしい。いずれは分かってしまうことでも、ザイ君が自分でけじめをつけて、自分で伝えなければいけないこと。
「集中力を養うための訓練です。ザイ君はよく怪我をしますからね」
「……私に、言えないことなんですか?」
彼女なりに反発を見せたその言葉に、表情が僅かに力んでしまったのは、言うまでもない。彼女は、あの時ドアを挟んでしっかり聞いていたと言わんばかりの口調だ。
しかし一方で、僕が人と接することをあまり好まないことを知っている。素っ気ない素振りを見せれば帰ってくれるだろうと、変な点で自信をもった。
「すみません、この後僕も用がありますので。あまり時間を割けられないんです」
僕の方から立ち去ろうとすると、やはり彼女はそこに立ち呆け、やがて僕に謝り、去っていった。
酷いと思うなら、思ってくれても構わない。今は、彼らの意思を尊重して、その肩をもつと僕が決めている。理由は必要ない。僕がそう思った、それだけのことだ。
─ザイ君はウィンさんに問われたら。打ち明けるのか、逃げるのか。
二人の〈暗黒者-デッド-〉でも、そう認められた状況から見るに、ラオ君よりもザイ君の方が力が強いはず。そのザイ君次第で、僕も左右されてみようと思う。
「……これからどうなるか、だな」
彼らが向こうに行って、一夜が過ぎた今日。僕はいつも通りに講技を済ませ、夕方は空き時間となっている。彼らの様子を見るべく、僕も教育師室を後にする。
(……時に鋭い彼なら、そろそろ調べて来てもおかしくないか)
彼に余裕があれば、僕のもう一つの予想も当たるかもしれない。
......
『聞きたいこととは何だ。ここのことは大体話したぞ』
「あぁ……〈暗黒〉っていうか……ガネさんのこと。どうやって吟と接触したんだろうって」
前に、眼を利用して吟から情報を聞き出したと言っていたこと。それが、僅かにでも俺の中で引っかかっていた。
「ああ、それか」
『……ほう』
一体何故、吟と会話することができたのだろう。〈暗黒〉に存在していたのなら、大前提として〈暗黒者-デッド-〉ではない人間のガネさんが、どんな方法で存在させたのか。
「吟」
吟を見付けて呼ぶと、ゆっくりとこちらを見て、首を縦に振った。
『キコエテイタ……、キキニクルト、思ッテイタ……』
──〈暗黒〉の悲鳴が、そうナいたから。ひとつの鍵を開けよう。
『マズハ、話ソウ。ドレクライ前ノコトダッタカ、アル異物ノ話ダ』
......
「こんにちは」
そこにあったのは、“実体のない”異物。初めは、どこから聞こえてくる声なのか、全く分からなかった。それでも、次第に異物が『人間である』と確信していった。
「驚かせてすみません。僕はここの怪異の眼に類似する眼を持つ者です。なので実体は見せられません」
『ナンノ……ヨウダ』
「どうしても知りたいことがあります。ここのことを話してくれませんか? 人間が存在できない場所なんですよね?」
声色は、別に怪しさはなかったが、怪しさの代わりに、例えられない不気味さを感じさせていた。
『……ヌシハ……ドコデソンナ方法ヲ……?』
「……独学、とでも思ってください」
加えて、何を考えているか分からない口調。それなのに、まるで殺気は感じない。
─ドウスルベキカ……ワタシハ悩ンダ。
......
『オドロイタ……ドコデソンナ方法ヲ、耳ニシタノカ……』
実体のない異物として、ガネさんは〈暗黒〉に現れた。怪異にとっては、脅威にもなり得たことだろう。
「つ、つまり、その詳しいところはともかく、ガネさんは何らかの方法を利用できたってことだよな。吟の前に現れたのは、全くの偶然?」
『ふん、滅茶苦茶だな』
『アァ……、チョクセツ存在ガ不可能ナラ、ヒトツダケ、意識ダケソンザイサセル方法ガアル……ガ』
そこまで言われ、俺は彼の特徴を思い浮かべる。ガネさんは怪異に類似する眼を持っている、特殊な人。
この先の吟の言葉は、自ずと導き出せた。
「特異な眼をもつ者に限られた方法……」
『やはり変なところで頭が回るな、お前は』
その点で穏慈に突っ込まれるのは目に見えている。ただもう一人、その隣で数回首を上下させる友人が目に入った。
「ちょっと、ラオまで! 穏慈は絶対言ってくる奴だけどお前!」
「ごめん便乗した」
「無言で頷かれてると見逃すから……言って……」
「待って、そこなの? 拾えないかもしれないから言えって?」
広がらない話へと脱線しかかると、吟はのそりと体勢を変え、視線を誘導した。その通りに目を引かれると、再び話しだした。
『……ソノ方法ハ、ワタシタチハ、ニンゲンニ口外スルコトヲ……禁ジテイル。……独学トイエド、知リエヌモノノハズダ』
「……えっと、ていうかそもそも〈暗黒〉は調べて分かるような場所じゃない。知ったとしたら、どこからの情報なんだよ」
「んー、ここじゃこれ以上分からなそうだね」
何をどうして、そのやり方を導き出せたのか。成功する確信はあったのか。ここから先は、本人に直接聞く他ないだろう。
「吟、ありがとう。俺、帰るよ」
『吟、何でも教えすぎるでないぞ』
『ワカッテイル……判断クライハ、シテイル』
ガネさんは以前、〈暗黒〉を知りたいと言っていた。その割に、俺よりも〈暗黒〉のことを知っていた。それなのに何故、今更俺を使うのか。
俺は実際に行き来でき、確実だという結論には至るだろうが、あの性格からしても、自分でできることは自分でする、それがガネさんだと思う。わざわざ人の手を借りる必要があった、ということなのか。
何を考えているか分からないのと同時に
「面倒な人だよなぁ……」
そう感じた。
「ザイ……」
ガネ教育師は、ザイたちのことを話してくれない。それどころか、数日前は一緒に出掛けていたにも関わらず、私とあまり話をしてくれない。
あの時撮ったフォトを見つめながら思う。あれは、ただ単に何か私の知らない理由があって、ザイたちと居た。それだけのことだったのか。
境界線ができた気がして、落ち着かない。
─私は、何か間違っているのかな。私は、踏み込めないのかな。彼らの領域に……立ってはいけないのかな。