第十九話 黒ノ要ト喪失ノ意
ある程度時間も過ぎた頃、ガネさんの招集の声で全員が一カ所に集まった。これが意味することは、防御テストの時間になったということ。多少の緊張感をもちながら、ラオの横に並んだ。
「では、一人ずつ呼びます。僕の攻撃を防ぐだけの防御テストですが、どう攻撃するかはしっかり読みとってください。ちなみに、僕より先に防御に出れば、僕はフォームを変えますので、せっかちにならないようにしてくださいね。目が合ったので、ユラ君からいきましょうか」
「あー! 逸らせば良かった! 何でですかー!」
「文句を言わずに出てきてください」
一番手に指名され、嫌々ながら前に出るユラだったが、見る限り動きは悪くないため、特に心配はしていない。というよりも、決め手に欠けるだけで動きは上級だと思う。見ている側の緊張感もそれなりにあるが、その雰囲気に飲まれる必要はない。
「一瞬の余所見が怪我に繋がりますよー」
正直、楽しんでいる様が前面に現れている顔は見たくない。一同思うことは、きっと同じであるはず。
ガネさんは一振り、竹剣を下へ振り下ろす。ひゅんと風を切る音が聞こえ、キレの良さが嫌でも伝わってくる。それを合図にするように動き出し、比例してユラの表情が真剣なものになる。早い段階で読みとり、その割に遅れはしたが見事に防いだ。
「一応成長はしているようで安心しました」
「うるさいっすよー!」
「ユラ君は合格です。次は……」
こんな調子で次々とテストが進んでいき、テスト開始から二十分後には全員が終了。勿論、俺とラオは合格した。
「君はそれくらい元気でいてこそですね。調子も思ったよりも良いようなので、もううるさく言いません」
「食べ損ねたプリン食いたい」
講技前の一件で胃に落ちなかったデザートを食べるべく、やれやれ、と応じたガネさんも一緒に、俺たちは食堂に足を運んだ。
トールさんに手をつけていない分が残されているか尋ねてみたところ、しっかり保管されていたことに喜びを隠せない。
「ナイス! 俺の為に!」
「ひとつ追加してあげるよ、ザイヴ君」
「やった!」
「……丼を三人分お願いします」
俺はプリンを持って着席し、昼と夕の二度目のプリンを口に含む。そもそも甘味が好きではないが、苦味のあるカラメルがちょうど良く、様々な苦味が俺を飽きさせなかった。
「それでよく太りませんね……全く、栄養バランスを考えて食べなさい」
「良いじゃん」
「良くないよーもー」
しばらくして頼んだ食事が用意され、声がかかるとラオが取りに行ってくれた。湯気と香りの立つ、ミルフィーユの丼が並べられる。
「……俺どーせ成長しない」
「あっ、認めて逃れようとしてますね」
ガネさんは俺をプリンから引き離そうと─いや、正確にはプリンを俺から引き離そうとした。そんな姿に、ラオが小さくため息を吐いて見守っているのがちらりと視界に入る。
加え、その後方から早足で接近してくる穏慈の姿を確認した。もちろん、その足音で全員が穏慈に気付いた。
「あれ、穏慈戻ってたのか。焦ってるけど……ザイに用?」
『あぁ、ザイヴ来い!』
「ええっ?! ちょっ、穏慈! 俺まだ」
『大声では言えんが、向こうで異変がある。ついでに陰の件を片付けるぞ』
強い力で腕を引っ張られ、またしても好物を食べ損ねてしまった。それでも、それを気にするような暇は与えられない。
「うわわわっ、足がついてかない! 穏慈速い!」
△ ▼ △ ▼
「んん……?」
暗がりで目を覚ますかと思いきや、視界が取り入れたのは自室の風景だった。
『目が覚めたようだな。大丈夫か?』
目を覚まし、声のする方へ目を向ける。ベッドの横には穏慈が座っていた。〈暗黒〉へ行く、そのはずが、一晩魘され続けていたらしく、穏慈は俺を心配していた。
そこに、俺の状態を聞きつけたのか、ラオが焦って部屋に入ってきた。その後ろを歩くガネさんは、ラオとは雲泥の差がある冷静さを兼ねている。
「あれ!? ガネさんから意識不明って聞いたんだけど!」
「ガネさんから?」
「あぁ……あの後すぐ、穏慈くんが食堂に戻ってきたんですよ」
・・・・・・
穏慈くんに引かれ、夕食にも殆ど手をつけないで食堂を出て行ってしまった。その戸口は、一瞬の騒々しさを全く感じさせず静まっている。
ラオ君は残されたザイの好物を一つ手に取り、丼の横に置いた。
「冗談抜きで、プリン以外も食べて貰わないとそのうち倒れるかもなぁ」
「トールにもお願いしましょう」
「……ザイ、大丈夫かな」
「……君は、ずっと前から彼らを気にかけてますから、心配するなとは言いませんけど。また様子見しましょう、大丈夫ですよ」
講技がある今、誰が様子を見ておくかというのは難しい所だ。鍵をかければ訪ねるものはいないだろうが、同時に、解錠方法も限られる。もしもの時には危険も伴うことになるが。
「ひとまず、鍵でいきましょうか」
そう話を終えたところで、ウィンさんが食堂に入ってきた。ラオ君に用件があるようで、僕は一人、食堂に残って今後について考え事をしていた。
それから、そう時間も経たない内に、まだそこにいた僕のもとに、穏慈くんが再度走って入って来た。その横にザイ君の姿がないことから、何事かと驚かされた。
〈暗黒〉に行ったと思っていた彼が突然倒れた、という情報を受け、彼の自室に来ている。
『ラオガはどうした?』
「別の用事で席を外しています。……それで、あなたが向こうにいない状態でザイ君が行く可能性は?」
『いや、我は自由に行き来できるが、こいつは我とともに行くか、向こうにいる我と疎通するかのみだな』
「だとしたら……心的に疲れているのかもしれませんね。短期間にいろいろ……」
横になるザイ君を見ていると、次第に息が荒くなり始めたことに気付く。絞り出すような声を上げ、苦しそうだ。
『ザイヴ……?』
「疲労、だけではなさそうですね……」
何かに魘されているのか。気を失ったタイミングといい、普通ではない。
それから、ザイ君は一夜中こんな状態が続いた。
・・・・・・
『それで、ついさっき起きたところだ』
安心した、と言わんばかりのラオの力の抜け具合は大袈裟だった。思わず鼻で笑うと、笑い事じゃない、と釘を刺された。
「とりあえず、何か食べますか?」
「大丈夫、それより!」
ガネさんを制止し、俺はベッドを降りて床に座り直す。つられてガネさんが俺の前に正座で座り、ラオもそれに合わせて横に並んで座った。
それを見て、意識を切り替えるために力いっぱい両手を床に叩きつけた。思いの外痺れる。
「俺、……いきなり倒れたんだよな?」
「……手痛かったでしょ」
「痛かった。……今の話もなんだけど、何か、夢みたいなぼんやりしたところで、変な感じがあったの、そのせいかもしれない」
『……何か、視たのか』
鋭い眼つきで穏慈に問われた俺は、こくりと首を縦に振った。今度は俺の話を、真剣な顔で聞いてくれていた。
──食堂から連れ出された後、自室に入ると穏慈が改めて〈暗黒〉に行くべきだと念を押してきた。あれだけ急ぎ足だったものの、俺の同意を待っていた。
『調子は良いんだろう?』
「んー……でも今は何か……明日行」
穏慈の話を聞いていると、何の前触れもなく視界が揺らいだ。自分でも分かるほどのふらつきを感じる。俺の異変に気付いたのか、穏慈の顔は真剣そのものになった。そこまで確認した俺はというと、平衡感覚を保てなくなる。
次の瞬間には、無が俺を覆っていた。
そのうち、静かで暗い意識の中で、俺に何かが話しかけてきた。俺は恐れていたと思う。何かが、俺に不気味に呟いた。
─ハジマリニスギヌ
─イノチヲカケタイザナイダ
──気持ち悪い。心の中に入り込まれ、乱される嫌な感じ。そんな声が、ずっと俺の中に響いていた。
『魘されていた理由、か』
「何がそうしたのか全然分かんないんだけど、その言葉は鮮明に覚えてんの。一応言っておこうと思って。心配かけたみたいだしな」
何となくではあるが、俺が視た場所は〈暗黒〉ではなかったと思う。あの独特な違和感、そういうものが感じられなかった。
「……なあザイ、もし今から〈暗黒〉に行くなら、俺も行っちゃだめ?」
「っ!? うっ、げほっ! げっほ!」
「変なところに入りましたね? 大丈夫ですか?」
突然の提案に、驚いて咳き込んでしまった。自分で背中をさすりながら、息を落ち着けて涙目のままラオを見た。
「んんっ、……言っただろ、危ないよ。ラオには武器ないし……」
『……鎌はもうザイヴのものだしな』
俺の首に下がっている鎌を見ながら言った。そもそもこの鎌は〈暗黒者-デッド-〉にしか持てない特別な鎌。ラオが片割れだからと言って、もう一つあるとは思えない。別の武器を探さなければならないのだ。
「ザイの怪我の程度で承知してるよ。武器は何とかするから。落ち着いて待ってられないんだよ」
「穏慈……」
『我任せなら文句は聞かんぞ』
「まあ……うん」
『鎌に相応する武具ならあと一つ、鋼槍がある。それを使えば良い』
使える武具を教えるあたり、穏慈は連れて行っても何の問題もないと言いたいらしい。俺とは違い、槍の武具だと言う。
「……分かった」
「解決するまでだめって言ってたのに。逆にびっくりしてるよ」
『いや、単純に加勢は欲しいからな。お前と薫が契約すれば、嫌でも勢力にはなる』
「陰のことは、ね」
俺が相手にしても、また同じ目に遭うかもしれない。俺が狙われているなら俺が何とかしようと思っていたが、何よりこの足の怪我を招いてしまったから、穏慈が一緒にいるとは言っても多少の不安がある。
協力があるのは、今の俺にとっては心強い。それを思って、ラオへの返答に迷っていた。
「はぁ、今日僕のクラスを自習にしといて良かったです。焦らず、怪我は最小限にしてくださいね。僕は医療担当ではないので」
「はいはい」
「それと、長い間誤魔化すのは厳しいので、焦らずにとは言いましたけど早めにお願いします。それから、部屋を移動しましょうか」
『善処しよう』
「そうだね……じゃあガネさん部屋貸して」
「もう確認するまでもないでしょう? さっさと行きますよ」
そうして、ガネさんの部屋に移動した俺は、ラオを連れて〈暗黒〉に行った。
俺の部屋の近くに隠れた人影には、気がつかないまま。
......
〈暗黒〉に降り立った俺たちの中でも、ラオは穏慈の本性と場の異様さに触発されてたじろいでいたが、すぐに冷静さを取り戻して落ち着いた呼吸になった。
『む……。ラオガ、対面だ』
ラオが調子を戻したところで、穏慈が感じとったのは、薫の存在だった。
『……小僧を連れてきたのか』
薫の声を聞いた一瞬、ラオの体が震えたのを見た。正真正銘、目の前の薫に襲われた過去がある。むしろ、食われていたかもしれないことを考えると無理もない。
「ラオ……大丈夫?」
「……え、あ、あぁ。大丈夫」
そう言うラオの頬には、冷や汗が伝っている。染み付いた恐怖は、すぐには消えない。
「何かあったら穏慈もいるから。ただ、薫は危害を加えることはないはずだよ」
『……そういうわけだ小僧、粗方のことは穏慈に聞いている。契約を済ませたら鋼槍を取りに行こう。それから……以前はすまなかった。取り乱して怖がらせた』
「……ラオガ、だ。小僧はやめてくれよ」
話が進んでいる様子に胸を撫で下ろす。ついてくると言ってきた時は、内心少しありがたかったわけだが、ラオも多少無理をしていたに違いない。
「……穏慈。その鋼槍はどこにある?」
薫とラオを和解させている間に穏慈に聞くと、それらしい方向を見て応えてくれた。
前後左右の感覚も殆どないために、怪異の嗅覚は絶対に必要だ。微妙な臭いの違いを見分けられるほどの、嗅覚が。
「ちなみに、その鋼槍もそれなりにでかい?」
『鎌程ではないがな。鋼槍の心配よりも、お前は鎌を操れるようになれ』
「わっ、分かってるよ……そんなこと」
俺が持つ武具にも関わらず、完全に扱えていないというのは悔しいものだ。コツはつかんできているものの、そううまくはいっていない。
『あとは……お前のことも教えてやらんとな』
「……俺の?」
『あぁ』
─〈暗黒者-デッド-〉の、存在理由を。
穏慈の背に俺、薫の背にラオが乗って、鋼槍を取りに行くために移動をしていたその途中、吟が通りすがりに声をかけてきた。その視線は、俺にある。
『吟。お前がうろついておるのは珍しいな』
『ソロソロ、ハナシタホウガ……今後ノタメダ……』
「……穏慈、さっきの?」
吟は、静かに頷いて答えた。次いで、穏慈が口を開く。ラオは、そんな怪異たちと俺とを、呆然と見ている。
『〈暗黒者-デッド-〉は、ただ存在するだけの者ではない』
『デッドハ、ソノ存在ヲネラワレル。フタツニ分裂シテイルイマ、フタツトモネラワレ、ソシテ……』
歴史を作る。そもそも、一つの存在が分裂しているという、〈暗黒〉でも予想されていなかった展開。様々に狙われ、また、〈暗黒〉にも危機が迫る。それを食い止めるのが、ひとつの存在意義。
『主ラニハ、ヤラネバナラヌコトガ、アル』
そして、もう一つ。
『……人の世と、〈暗黒〉。二つを引き剥がして、行き来できぬようにせねばならんのだ』
聞いた瞬間に、俺が凍り付いたのは勿論。それはつまり、必要とされている表裏の世界の繋がりを、俺たちが引き裂くということ。今いる穏慈も、アーバンアングランドには来なくなるということだ。
「何で……」
『……タシカニ、均衡ヲタモッテイルノハ、人ノ世ト、ココノ連結……繋ダ……シカシ、イズレハフヒツヨウ二ナル。イヤ、……ナラネバ……ナラナイ』
「でも、そうしたら俺たちの世界もこっちも壊れるんじゃ……?」
表裏二つの世を支えているのは、二つを断切れない繋。それを斬れば、どうなるのか。
『いずれ、の話だ。元々、人の世に怪異がいてはならん。逆も然りだ。それをわざわざ、繋という“形”が〈暗黒〉と繋いで許している。吟が言うに、正しく扱えば双方を維持して引き離せる。それに、遠く昔は繋がりなどなかったというしな』
俺たちも今まで知らなかったとはいえ、知ったはずの『普通』を取り除くということだ。それで崩れる方向に動き出すことはないのだろうか。
「いつか怪異は、アーバンアングランドには存在しなくなるんだ」
ラオが、俺の代わりというように聞く。怪異たちは、みな首を縦に振った。
『安心しろ、契約が切れるまでは我が主を守る』
俺への心遣いだろうか、穏慈はそう言った。いつかここの繋は、自身の手で断ち切り、行き来を不可能にしてしまう。それは人の世界にとって、喜ばしいことかもしれない。
けれど、どこかで否定したい自分がいた。それは俺が、〈暗黒〉のことを知ってしまったから。ここいる怪異の存在を、知ってしまったから。
「……うん」
俺は穏慈の背に顔を埋め、何となく感じる重荷に耐えていた。
......
恒の三時。二人は僕の部屋で、裏と通じている最中だ。その様は、眠っているようにしか見えない。僕は自習にしてあるクラスの様子を見るために、施錠を行った上で広間に足を運んだ。
「調子はどうですか?」
「ガネ教育師!?」
「自習じゃ……」
自習と聞いていたのにも関わらず僕が来たことに、驚きを隠せていない屋敷生たちは、揃って動きを止めていた。
「……軽く抜き打ちをと思ったんですが何か?」
「宣誓! サボってません!」
「誰もサボってるか聞いてません! 自習撤回です!」
あれだけやる気を出しておいて、自習では気を抜くとは良い度胸をしているものだ。ユラ君の一言で、もう一度鍛え直さなければと、竹剣を手に取った。