第十八話 黒ノ回復ト日常
講技が続けられる中、俺は頬杖をついた体勢で、ガネさんが言っていた通り、応用生の動きや剣術を観察する。
その横で、穏慈は下を向いて仮眠をとっているのか瞼を下ろしていた。
しかし、やはり見ているだけではつまらない。足を揺らして気持ちを誤魔化していたが、そのうち無意識に揺らすようになっていっていた。そのせいか、俺が思うよりも勢いよく足が動いたようで、バランスが崩れて倒れそうになる。
「わっ」
声を上げた直後、前傾姿勢だったところを後方に力を加えられ、床への直撃は免れた。もちろん、その力を加えた主は横にいる。
『何をしておる』
「いや、うん……疼いて」
『全く……』
穏慈は俺を床に降ろし、自分も降りてきた。ちょうどその時、屋敷生たちの個人練習を終わりとするガネさんの合図が響いた。
「では、集まってください。ザイ君来れますか?」
ガネさんがそう言って、ラオは気を遣って俺がいる方に来てくれた。ゆっくりと歩く分には大丈夫だからと、何とかみんながいるところまで歩いた。
「ザイちゃんそんな歩いて無事?!」
「その呼び方やめろ」
「それなり、というところでしょうね。ザイ君、気になった人と理由、あれば言ってみてください」
「あぁ、うん。……えと、同じ癖持ちの人が三人と……あと二人くらいかな」
名前を知らない俺は、二十人弱いる中から五人。ガネさんに伝えながら、呼んでいった。途中までしか見ていなかったが、誰が気になったかはしっかり覚えている。
「先に言った三人の振り方の癖が気になった」
「名前を呼んで来てもらったので、是非名前で」
「ええと……ジェックとラナとクリス、かな。実戦で振る前に躊躇いそうな気がする。そういう戦闘方法もあるけど、振るのと前を見るタイミングが合ってなかった、と、思った」
目の前の三人がぽかんとしていたため、俺は変なことを言ってしまったかと不安になったが、その理由は意外なものだった。
「長期休暇前から、僕が言っていたことですね」
「え、そうなの?」
「ガネさんから聞いてたの?」
「いや。あ、あとはメイの踏みこみが甘いのと、エンバーの守備体勢が弱いかもって思ったくらいかな」
俺がそんなことを言える立場かどうかはさておき、これでも基本クラスの中では剣術の上位にいたし、必要な動きはマスターしているつもりだ。
「なるほど。あなたたち五人は、ザイ君から見ても指摘されているというのは長期休暇中の過ごし方が気になりますね?」
俺が挙げた五人を、冷徹という言葉がぴったりな顔で見ているガネさんを見て、俺を含み、全員の顔が凍っていた。こういう機会を使って、ガネさんの講技スタイルを事前に知れるのは有難い。
「ザイちゃん! オレは大丈夫だったんだな!」
「だからやめろって……。大丈夫だけどちょっと弱いかも」
「と、これくらいにしておきます。本当はこれだけ言ったザイ君に実際にやってもらいたいのですが……僕も勧めたくありませんし、またの機会にしましょうか」
『……良いものがあるぞ』
俺は見学の身。そもそも安静を何度も言われているため何もできないつもりでいたが、穏慈は自信満々に、ある液体を取り出した。
『ザイヴはどうしても体を動かしたいようだ。安静にする必要性を知る意味でも良いだろう。これは痛みを一時的になくすある特殊な鎮痛薬だ。使うか?』
「へえ、そんなものが。是非」
「待て、俺が動けるのは凄く良いと思う。何だその理由」
ガネさんに至っては怪我の心配をしていたはずなのに、簡単に穏慈の勧めに乗っている。この人の本心の在処が、全く分からない。
「ちょっとは体の鈍りをとるのも良いのでは? 何より僕たちが言っている安静の大切さを身に沁みさせたいので頑張ってください。僕が相手です」
屋敷生たちは俺の怪我をさておき、大賛成だ。俺はというと、せめてラオが良かったと撃沈する。
「そんなの負けるに決まってんだろ」
『ザイヴ、薬の特効の持続時間は短いからな』
「お前思ったより乗り気だな。俺も体動かせるから乗り気だけど」
穏慈から薬を受け取って飲むと、瞬間、何が起こったのか体が軽くなった気がした。穏慈が持っていて、しかも特殊なものとなると〈暗黒〉が関係していると予想できる。きっと、俺だから飲んでも支障がないのだろう。
穏慈はぼそりと、この薬は本来人が飲むものではないと、付け足した。
「さあ、時間もないので始めましょう。体は思うように動きますか?」
「うん、大丈夫」
ガネさんから、クラス生が使っていた竹剣を受け取り、怪我をする前のように少し体を慣らす。跳ねる動作も問題ない。俺とガネさんが向き合い、少し離れたところからクラス生がじっと見ている。こんな状況になるのは初めてだ。
「ザイ君のタイミングで来てください」
「じゃあ……遠慮なく!」
構えながら踏み切って、ガネさんにかかっていく。ガネさんは瞬間的に竹剣を上手く操って俺の竹剣を防いだ。竹剣が交わる音が、その広間に響く。クラス生はみな静まり返っていた。
「思っている以上に基礎は修得しているようですね。……では、こちらも遠慮はしませんよ」
ガネさんの力に押され、俺の体は元いたあたりまで戻った。すぐに体勢を立て直し、目の前の相手に集中する。
俺に動きを悟らせない構えで、静かに立っていた。その隙の無さに、一層緊張感が高まる。
と、ガネさんの眼が一瞬変わった。そのすぐ後に、風を切る音が聞こえるほど素早く、俺に向かって竹剣が動く。何とか反応して止めると、また交わる音が鳴り響く。先程よりも大きな音だ。
「ちょっ、ガネさん強すぎ……!」
「あぁ、それはすみません。負荷をかけ過ぎてはいけませんね。このまま防御から攻撃への変換、それで最後にしましょう」
「……ガネさんそれ、ザイの得意分野だよ」
今の防御を使い、一気に死角に入り込んで振り上げる構えをとる。ちらりと、余裕のあるガネさんの表情が目に映る。
そのままの勢いで振り切ろうとしたまさにその瞬間、前触れもなく、反射的に目を瞑るほどの強い光が、俺の胸元で輝いた。無意識に、握っていた竹剣を手放していた。
「え?!」
「! ザイく……」
「ザイ!」
煙を立てて鎌がそこに現れ、床に落ちた。どうやら胸元にかけていた鎌が、勝手に解放されたようだ。ガネさんは鎌を避け、驚いた俺は、バランスを崩して床に叩きつけられていた。
クラス生たちは一斉に声を上げているが、幸い、怪我人はいない。
「びっくりした……、ガネさんごめん」
「いえ、大丈夫です」
すぐにその腰を上げ、封化させると、素直に俺の胸元に戻ってきた。ユラは好奇心旺盛に、「びっくりした」と言いながら、目を輝かせて俺たちに駆け寄ってきた。
「今の何?」
「えっと……俺個人の武具? かな」
「彼にしか扱えないものらしいですよ」
「凄いザイヴくん! 見た目で判断するものじゃないわ!」
「……」
外見が主張される世の中はこれだからやりにくい。
そう思い竹剣を拾おうとした矢先、足に痛みが戻り座り込む。怪我が痛む状態で歩いていた感覚に慣れてしまっていたのか、無意識にかばいながら動いていたのだろう。思いの外、足への負担を感じていた。
『効果切れか。満足したか』
「ってえ……」
「結局やらせちゃいましたし、今日は戻りなさい」
促された俺は、今回は素直に部屋に戻ることにした。無理に体が動く状況を作ってしまって、その効果が切れた今思うのは、ガネさんが言うような「安静」の必要性だった。
心配するラオ君は、広間の扉までザイ君と穏慈くんを送り、しばらく扉に背を預けている。広間の中で立ち尽くす屋敷生たちはといえば、スイッチが入ったように明らかに変化を見せた。
「教育師! ザイヴくんには負けません!」
ザイ君のお陰で、少なからずの競争心が芽生えたようだ。
「はい、頑張ってください。怠けていた人はその分を早々に取り返してくださいね」
あれから四日過ぎたこの日。この間で、俺は少しずつ回復していった。
あの講技の後、言われていたようにガネさんの部屋で怪我を見てもらい、安静を約束させられていた。穏慈はというと、時々向こうに戻りながらこちらに長い間いてくれている。
俺は安静をすることを多少なり考えるも、昨日からまたうろうろとしていた。
「さて、ザイ君どうしたものでしょうかね」
「……」
目の前で指を鳴らすガネさんに、目を合わせることができずにいる俺。ガネさんは限界が来たようだった。
「どうしてほしいですか? あなたが今座っているベッドにくくりつけておきましょうか。それともその止血をやめてやりましょうか」
「えっとー……」
「答えないつもりですか?」
「ごめんなさい! でもいいだろ! 歩けるんだし今では走れるし!」
「……それはそうかもしれませんが、完全に塞がっていない傷が開いてしまうことは考えてます? 少しは僕の言うこと聞いてもいいんじゃないですか?」
そこまで考えていたわけではないが、肩の傷の回復力のこともあり、あまり大事にとっても大袈裟な気がしている。
そのことに触れるか触れないか悩んで口を閉していると、ガネさんの方が「そういえば」と、話題を変えてきた。
「昨日ウィンさんがあなたのこと聞いてきましたよ。クラスのこと言ってないんですか?」
「え……」
ドアが開く音と、高い声で聞こえる俺の名。振り向けば、ウィンが来ていた。俺のもとに来ながら、言いたいことを一気に言ってくる。
「いつの間にか応用に進級してる! 何でそんな怪我してるの! 怒った!」
「えっ、ごめぶっ!? いってぇ叩いた!」
俺の顔にウィンの平手が思い切り当てられる。それなのに、その次の瞬間には俺に抱き着いてきた。これには、驚きを隠せない。
今の言葉の流れからこうなることは予想していなかった。
「ウィン……?」
「知らない間にいなくなっちゃったから……。それに、その怪我のことも」
さっきまで声を張っていたウィンが、泣きそうになっている。そんな様子を見たら、さすがに申し訳なくなった。
「……ごめん。大丈夫」
「うん……」
「……ウィンさん」
ガネさんに呼ばれ、ウィンは我に返ったように顔を真っ赤にして俺から離れた。俺も顔にこそ出していないが、戸惑ったものだ。
「ザイ君はもう大丈夫なので、心配しないでください。結構走り回っているようなので」
「そうみたいですね。顔も見られたので、戻ります。ザイ、もうそんな怪我しないでよ?」
と、守れそうにないそれを、何も知らないウィンは笑って言う。そこにもまた、罪悪感を感じた。
「うん、……そうだね」
『ザイヴ』
「あ、穏慈!」
同じ〈暗黒者-デッド-〉であるラオの様子を見てくる、と気にしてくれていた穏慈が、ラオを連れて部屋に戻ってきた。怪異なりに、俺たちの身のことにかなり敏感に対応してくれている辺り、有難い。
「ザイ、食堂行こ。穏慈も一緒に」
『我は食わんがな』
その言葉に乗り、三人で一緒に食堂に来ると、俺はさっそく管理になっているおばさん─名をトールという─に、食べたいものを頼む。
「プリン三個!」
「ご飯食べなさいザイ!」
何とも鈍い音と振動が、俺の背で起こった。軽く脳が揺れたかと思う衝撃だ。
「痛い! さっきウィンにも殴られた!」
「え、ウィンに? ……あ、オムレス二つとサラダも。席で待ってます」
さっとオーダーを済ませると、言ったように四人掛けの席に着く。ラオと向かい合う形で座り、穏慈はその俺の隣に座った。
「……あれ? そういえば講技は? ガネさんも朝から部屋に来てたけど」
「あー、今日は恒の一時からなんだよ。今日は来れそう? また見たいってみんな言ってたよ」
「じゃあ行く」
話をしている内に食事ができ上がったようで、名前を呼ばれた。多くいる屋敷生の名前をそこそこ把握しているところ、凄いと思う。取りに行くと、さり気なくプリンが三つ置いてあった。
「さすが! ありがとう!」
「ガキだなあ。丁度三人なんだから俺らにもちょうだい」
ラオはオムレスが乗ったお盆を片手に、サラダが乗ったお盆を片手に、軽々と運んでいた。席に戻ると、俺はまずデザートに手を出した。
『飯が先だろ』
「とりあえず食前のプリンだろ」
俺の好きなように頬張っていると、肩に重みがかかる。気にせず食べ続けると、ラオが何かに気付いたように「見て」と言う。それでも聞かなかったことにして食べ進めていると。
「……ご飯を」
「後で食べ……うわっ、ガネさん!?」
「食 べ な さ い」
「……」
朝の一件もあり、そうそう反抗はできなかった。
プリンを一つ食べ終わってから、俺は人数分用意されたオムレスと野菜に手を伸ばす。静かにガネさんが、空いているラオの横に腰を落ち着ける。
「相席いいですか?」
「もうしてるだろ」
「今日の講技ですが……ラオ君はザイ君についてください。もちろんできる限りで構いません。この前ザイ君に指摘された五人は、僕が別に指導しますので」
ガネさんの話によると、俺に圧倒されたという屋敷生は、負けんばかりの集中力を発揮しているらしい。その様子を見てか、ガネさんのそれに対する機嫌は悪くはない様だ。
「と、言うわけです。……ねえ、ザイ君。見逃しませんよ。何で食事の途中でデザートに手が出るんですか!」
俺の手を摘んで引っ張り、俺のプリンを持つ手が離れて宙に浮く。皮膚が伸びる痛みが俺を襲った。
「いだだだだっ!」
『お前は……それで良くそこまで力があるな』
「そんなだから筋肉のこと言われるんですよ」
「何だよ二人して。悪かったな」
「開き直らないでください……あ、……じゃ、先に行きますね。講技楽しみにしてます」
今までとは別物の、爽やかな顔で去っていく。俺は何も思わなかったが、それに引っかかったラオが時間を確認すると、突如焦りだした。
「あああああ! あと三分! ガネさんこれ分かってて言ったな!?」
「ええ!?」
食事をトールさんに預け、食堂から出る。俺たちは広間に向かって一目散に走った。
広間には、ガネさんと屋敷生がすでに集まっていた。ギリギリで滑り込む俺たちに視線が集まる。
「はー、はー……」
「ま、間に合った……」
「あれ、気付いたんですね」
ラオが言った通り、ガネさんは時間を分かった上での行動だったらしい。残念がりながら短めの竹剣を取り出したかと思うと、どういうわけか俺たちに向けて投げてきた。
「わぁあ! びっくりした!」
俺もラオもぎりぎりで避け、後ろにいた穏慈が飛んできた竹剣を素手で受け止めていた。そのまま八つ当たりをするように近くに投げ落とす。
「……そこまで疲れていてその判断力、うん。あなたは伸びますね」
「は!?」
「今日は前にザイ君に言われた五人は練習戦を繰り返し行います。他のみなさんは最後に防御テストをするので、練習していてください。では、始めてください」
今の件をなかったことにするようにガネさんは指示を出し、屋敷生はそれぞれ行動を始める。穏慈はまた絡まれるのはご免だと、言い残し、〈暗黒〉へ戻るために広間を出て行った。
ガネさんによって試された俺もしぶしぶ切り替えて、ラオと共に応用練習を始めた。
「よし、まずは重心移動を用いた剣回し、そんで背後移動あたりが良いかな。どう?」
「大丈夫!」
竹剣を取り、向かい合って双方が構える。
前重心から後ろ重心にしながら剣を振り、そこからお互いに背後を取るつもりでさらに重心を移動させる。竹剣を振り体を捻って場所を入れ替わる。
「え、説明だけで理解した?」
「いや、割と適当。ラオについてっただけ。足の調子もいいし」
「さすが。じゃあ次行くよ。今度は攻撃をしゃがんで躱して、そこから上に跳ね上がって攻撃。俺の後でやってな」
「じゃあ、俺は攻撃したらいいのか」
「おう。じゃあ、始めて」
剣を横に振り、ラオは下に屈んだ後、その低い姿勢で後ろに周り、跳ね上がる。俺はその姿を追い防御体勢に入ったが、直後ラオの直下攻撃が降ってきた。
「うっわ?!」
「っと、こんなもんかな。次ザイの番な」
「うん」
役交代をし、同じことを繰り返す。体で覚えるタイプの俺は、見た方が慣れるのは早い。
「才能あるよなー。……これだけできれば同じ講技いけるでしょ。じゃ、防御テストの練習しよっか」
「え」
できる限りで、何て聞いていたが、防御テストは俺も受けるらしい。その相手は、勿論ガネさんだ。