第十七話 黒ノ人ト傷トキズナ
初の零時。穏慈の力を借りて、というよりも、脇に抱えられながらラオの部屋の前まで来た俺は、何の躊躇もなく、その部屋のドアを開けた。
当然のように驚いた声が聞こえるが、こちらを見て俺を確認すると、安心した表情に変わった。
「どうした、こんな時間に……あ、そうだ。おかえり」
「ただいま。報告をしようと思って」
穏慈がソファの上に俺を座らせると、俺の代わりに穏慈が“片割れだ”と口を開く。それを聞いたラオの顔は一瞬曇ったが、すぐにもとの表情に戻った。
「そっか、やっぱり……。じゃあ」
「でも、行くのはまだ後だよ」
どういうことか、という顔をするラオに、俺が足の傷を知らせるべく、裾を捲りあげようとした時。
「ザイ君! 何で部屋に居ないんですか探しましたよ!」
ガネさんも、勢い良くラオの部屋に入ってきた。俺がここに来て間もないことから、俺が部屋を出た後すぐに戻ってきたのだろう。何故ここにいると分かったのかは、敢えて聞かないが。
「僕の勘が正確でよかったです」
「勘かよ」
「全く、安静にしてくださいよ」
ガネさんが俺の怪我を気にして声をかけてくると、察しの良いラオは当然気づく。俺が歩かず、穏慈に抱えられてここに来て、今座っている状態であることから。
「足どうかしたのか?」
「うん、ちょっと」
今度こそと、包帯が広範囲に巻かれた足を見せる。もともと七分丈のズボンを履いていることもあり、裾口から見えていた部分もあるが、捲りあげて初めて血液で赤く染まっている包帯が見え、怪我の酷さを物語った。
「ちょっとじゃないだろこれ……何があったんだよ!」
『陰という名の怪異にやられた。喰われかけた、と言った方が正しいか……』
ラオの表情は不安で捩れている。俺がここに来てからの数分で、ラオの表情の変化は著しい。俺の怪我にも再度目を向けて、たまらなくなったのか拳を握っている。
「バカか! 死ななくて良かったけど、無茶すんなよ!」
その息を荒げるほどの感極まった声が、部屋に響いた。
「あ!? ご、ごめ……」
「でも良かった……」
心の底から安心した顔。また変わったラオの表情に、忙しい奴だ、と思いながら、それだけの心配をかけたことに申し訳無さを感じた。
ラオが少し落ち着いてから、俺と穏慈は陰のことをラオに話した。陰の件が片付くまでは、ラオは行かせられない。中途半端なままでは、それこそ死を招いてしまうという俺たちの判断だ。
「俺は歩けるくらいに回復したらもっかい行ってくるから、休み明け早々いないかもしれないけど……」
「何にしても、ザイ君には穏慈くんがついていますしね。あと、あなたはザイ君と試合ができるように組むので、この経験から得た力ですんなり負けないように鍛えなければ」
「え? 講技で? ザイと試合できんの!?」
「まじかよ」
「ザイ君はそれ以上の怪我をして帰ってこないで下さいね。僕の好意で部屋を使ってもらっていますが、替えのシーツにも限りがあるので」
「それは悪い」
その後ガネさんに幾度となく「安静」を推され、俺は再び穏慈の力を借りて、自室に戻ることになった。
話を聞けば、俺が〈暗黒〉に行っている間、俺を保護する場所としてガネさんが部屋を提供しているという。確かに、自室にいようとラオの部屋にいようと、ウィンに話してない以上見られない方がいい。
用事がない今、ガネさんにかける迷惑もほどほどにしておかなければ。寧ろ、ガネさんの部屋で眠っていることが伝わることも、あまり良くはない。
「じゃ、またなラオ」
「あぁ」
俺たちは互いに手を振って別れる。
しかし、俺は見逃さなかった。ラオが作った笑顔が、心ここにあらず、と言わんばかりの寂し気なものだったこと。俺は、後ろ髪を引かれながらも、あえてそれを見なかったことにした。
自室に戻り、安静にと念を押されたものの、じっとはしておけない俺は、安定して立ち上がれるようにリハビリを始める。
穏慈には、『使い物にならない』なんて、俺が思っていることを言われてしまったが、今の状況で何もしないでいることはできなかった。
「うーん……移動もろくに出来ないのは困るなぁ」
『しばらくは仕方がないだろう。それともすべて我が手伝うか』
「どこまで手伝う気だよ」
生活に支障が出る怪我は経験したことがない。そうは思えどこの怪我は仕方がない。相手が悪かったと思って、耐えるしかない。
『……ともあれ、すまんが一度向こうに戻らせてもらうぞ。腹くらい満たさんとな』
「あれ? 減ってないって言ってなかった?」
『あんな薄汚れたものを喰ってみろ、腹がどうかなるぞ』
「……あぁそう」
穏慈が消えていくのを見送り、少しでも足が動くようにと、俺は一人、地道にできることを探した。
「ガネさん」
「ラオ君。何ですか?」
一度は解散したものの、ザイの様子を見かねて、ガネさんの部屋を訪ねた。静かな部屋で、更に沈黙という重たい空気を感じる。なかなか口が開かないでいると、ガネさんが先に話し出してくれた。
「……ザイ君のことですね?」
「ガネさんは知らないと思う。ザイは……」
「特異体質とか言うんじゃないですよね」
「そうじゃない。でも……」
俺の、ザイへの心配は、もっと根本的なところだった。
少し時間が経った頃。
俺は、ベッドに寄りかかるようにして眠っていたらしく、戻ってきた穏慈が雑に抱え上げているところで目を覚ました。
「……あれ? 俺寝てた? 穏慈がいる」
『……せめて横になって眠れば良いものを……世話の焼ける』
そうは言いながらも悪い気はしていないようで、ベッドの上に下ろすと『別に構わんがな』と、息をついた。
「でもそこまで時間経ってないし、熟睡してたらそれはそれで凄いと思う」
せっかく穏慈が乗せてくれたが、ベッドから降りてリハビリを再開する。それとほぼ同時に、見計らったのかと思えるタイミングで、俺の様子を見に来たガネさんがノック後に部屋を開けた。
「安静にしなさいと何度言えば分かるんですか?!」
「あ」
第一声は、もちろんこれだった。
早く動けるようになりたいなら今は動くな。俺の身を案じてのことではあるが、再三安静を推したにも関わらずリハビリをしようとする俺を見かねて、低い声でそう言った。
「何もしなかったらいろいろ考えるじゃん。ナイーブになる」
「そういう問題じゃありません。治すのが先でしょう。自分の体のことくらい分かりませんか?」
「え?」
と言われても、特別自覚があるのは〈暗黒者-デッド-〉という点。他にも、何か抱えているだとか言い出すのか。そもそも、どういう意味で言っているのだろう。
『何かあるのか』
「……さっさと言えよ」
変な緊張感が漂うのが、はっきりと分かる。その様子に、もしかして、本当に俺の体に異変が起きているのかと、続く言葉を食い気味に聞こうとするが。
「筋肉増やさないと危ないです」
「……は?」
真剣な目でガネさんが訴えた言葉で、緊張感は一気になくなった。
「迂闊でした……。前に肩の手当てをした時にも思いましたがあなたは筋肉質な方じゃないのに、そんな怪我繰り返して平気なわけ」
「うるせぇな! 緊張感返せ!」
俺も気にしている体格のことを言われ、損をした気分だ。勿論、俺はその言葉に食って掛かる。
「人が真剣に考えてるんですよ。うるさいとは何ですか」
「大体何だよ! はっきり言えばいいだろ! 何だっけ、きしゃだって!」
「それを言うなら華奢です。言っておきますけど、ラオ君が言ったんですよ」
「俺を心配していると思わせておいてそんなこと言ってんのか。心配するところが違うだろ」
思わず、この場にいないラオに文句が垂れる。ラオの心配性は今に始まったことではないが、それは余計と言う他ない。
『落ち着け。治ったら我も鍛えるからな』
「いやどっちかで良い。ガネさんも穏慈もぜってースパルタだろ」
『あぁ、否定はせん』
嘘でもこの場で否定くらいしてくれよ。とは、口にはしなかった。
「……俺が片割れ、かぁ……」
予想は立っていたものの、ため息を吐かずにはいられない。あのザイの怪我を見て、恐怖しない者は恐らくいない。正直、痛苦しくて辛かった。俺も同じ目に遭うことがあっても、おかしくはないだろう。
「せめて……守れるように……」
俺が行きついたのは、守りたいものの存在だった。俺の居場所でもあり、ザイやウィンの居場所でもあり、みんなの居場所である屋敷。守れるものは、守り通したい。
その思いは、きっとザイも同じはずだ。
何事もなく夜を越し、長期休暇明け初日を迎えた今、時計は初の一時を示している。
俺は引き続き穏慈に付き合ってもらい、歩くリハビリをする。痛みがないと言えば嘘になるが、慣れてきたのか少し回復を見せていた。
「はぁ……辛い……」
『少し休め。昨日も遅くまで、今日は朝早くから動かして、辛くないわけないだろう』
「早く終わらせたいんだよ……ほんとは今日から講技始まるのにさ。……俺行っちゃだめかなー」
現状、見学くらい許されるのではないかと、その考えに辿り着く。
ちなみに、三階建ての屋敷の中は、講技、座学用の部屋や広間、教育師室などが設けられている一、二階と、個室や倉庫が設けられている三階と、生活エリアがはっきりと割り振られている。
いても立ってもいられない俺は、穏慈に付き添ってもらい、座学を行っているであろう部屋へと向かった。
長期休暇明け初日ということもあり、まずは座学として今後の予定を話していた時、背を辿る予感が僕に伝ってきた。
「どうしたんですかー?」
突然黙った僕に、屋敷生が問う。不意に通路の方を眺めてみるが、特に変わりはない様子。気のせいか、と再び屋敷生たちの方を見て、話を再開する。
「気にしないでください。話の続きです。……今日から一人、ホゼの教え子を交えます」
屋敷生たちがざわつく。ホゼの教え子、ということがそうさせているらしい。彼は今、先日の騒動の件で手配され、追われている。一方で、基礎となる土台を教えられる、かなり強力な教育師でもあるため、それなりに期待は大きくなっているようだ。
「今は怪我をしていて来ることができないので、紹介だけはしておきます。来た時はよろしくお願いしますね」
見渡すと、ラオ君は後ろの方の席についていた。ラオ君は余裕を見せた表情をしている。すべての事情を知っている上で、このクラスにザイ君が加わることを、彼は素直に喜んでいるようだ。
「どんな奴だろーなー。あれ、ラオガ? 何か笑ってる?」
「いや? そっか、ザイまだ……えっ!?」
音を立ててラオ君が立ち上がる。僕はそれを無視して進めた。ちょうど、開閉口から見知った顔が二つ覗き、良いタイミングだと、何気なく手を添えて紹介した。
屋敷生のほとんどが、通路側に視線を送る。そこには
「ザイヴ君です」
屋敷生のほとんどが、その二人を凝視する。そこで、ハッとした。僕としたことが、自然に誘導してしまったが。
「どうも」
穏慈に付き添われたザイ君が、いた。
「何でいるんです……いやそもそも、穏慈くんは何故加勢してるんです!?」
「暇なんだよ」
『ザイヴが行くと言ったからだ』
穏慈の名前を出すと、そこにいる女子たちが高い声で騒ぎ出した。少し前に囲まれていたこともあったが、相変わらず人目を集めているらしい。
穏慈への視線は変わらず、やはり複雑な心境だ。この正体を知らないのは、幸せだろう。
「……仕方ないですね。ラオ君、任せましたよ」
「あ、おぉ……」
「後でしっかり言い聞かせますので覚悟しておいてくださいね……」
「……!? あ、はい、ごめんなさい……!」
ラオに託したかと思えば、一瞬にして眼光が俺に刺さってくる。背中に痛みを感じながら、俺はラオと合流した。
その後は、ガネさんの話を一通り聞いていた。恒の二時からは早速剣術の講技があるらしく、時間までそれぞれ好きなように過ごし始めた。
その時間の中で、俺はクラス生に話しかけられていた。一方で女子に囲まれる穏慈の顔は、見る限りとても面倒くさそうだった。
「へー、十七かー。俺ら意外とみんな年近いんだよな! ザイヴ、でいいよな」
「ザイでいいよ」
「オレはユラ! どこ怪我してんの?」
「ユラ……。……うん、ちょっと足を」
ある程度話をしていると、ガネさんが俺を手招きして呼んでいるのが見え、できる限りの速さでそれに応える。目の前に立つと、すぐに俺の額にはガネさんの拳が当てられた。
「いっ」
「全く、自分の体を心配しなさい。怪我の具合の経過を見たいので、後で僕の部屋まで来てください」
心配している割に手が出るガネさんの口調は冷静でも、その眼は冷静とは言い難い。俺もさすがに、素直に謝る。そのやり取りを終えたガネさんは剣術講技の準備をすると言い、そのまま部屋を出て行った。
それを見送り、元の場所に戻ってきた俺に、ユラは意外そうな顔を見せた。
「……へぇ。ガネ教育師があんな態度って珍しいな」
「え?」
「そもそも馴れ合わないような人なんだよ。気にしないで」
不思議に思ってラオを見ると、笑ってそう答えてくれた。
昼食を挟んだ後、恒の二時になり、応用生は広間に集まっていた。俺の体調が良いところを見て、ガネさんは見学を許してくれた。
広間の壁の窪みにある長椅子に腰掛け、活気あるクラス生の様子を眺めていた。補足すれば、長椅子はこの広間内にいくつもあり、広間の構成上高さや長さの同じものはない。足の怪我を考慮し、ぎりぎり床に届かない程度の高さの長椅子を選んでいた。
「くぁぁ……」
『我も疲弊するとはどういうことだ』
体を伸ばして欠伸をする俺を横にして座る穏慈は、何故か俺よりも疲れていた。あの女子たちの群れを見ていると、俺が穏慈の立場だったとしても、きっと同じだっただろう。
「では、五人グループを作って下さい。今後しばらくグループを変えないので慎重に」
「教育師ー、ザイヴも入れますよー」
そんな言葉を放ったのはユラだった。俺はいつこの輪に入れるか分からないのに、何も気にせずに言うあたり、俺に気を遣ってくれているのだろうか。
「なあ、オレんとこ来ようぜ。ラオガもいるし!」
「いつ参加できるかは分かりませんが、良いでしょう。入れてあげて下さい」
さっき知り合ったばかりの男は、馴染みやすいというか何というか、思った以上に積極的だった。
「じゃあ……分かった」
「教育師! 穏慈さんは!」
『戯れは好きではない』
女子の質問に対し、ガネさんを上回って速攻で返す穏慈を横目に、笑いそうになるところを我慢する。
「ふ、今日だけ、見てあげなよ。俺、座ってるだけなんだし」
『おい、何で声が震えているんだ。見んぞ』
「はいはい、グループはできましたね。良いですか? ザイ君は基本クラスから来た子です。手本を見せる意味でも、恥をかかない意味でも頑張って下さいよ」
「そんなプレッシャーかけてやるなよ」
そのプレッシャーになる言葉を、笑顔で言っているのを俺は見逃さない。
(なるほど、こういう性格か……)
これまで見てきた姿と照らし合わせ、納得するしかなかった。
「では、ザイ君。情報によれば基本を習得してる筈ですから、みんなの剣術を見て怪しい人がいれば言ってください。勉強にもなりますよ」
「……分かったよ」
「っしゃ! ザイちゃんに指摘されないように頑張るからな!」
見てろよ、と俺たちの会話を聞いていたユラは、力強く人差し指を俺に向ける。張り合おうとする人なのか、と思いながら、よくよく考えて、聞き流せない発言に引っかかる。
「いや待て、その呼び方なんだ!」
「では、最初は個人練習をして下さい」
その場にいる屋敷生は、全員かごに入っている竹剣─竹で作られた、練習用の模擬剣─を取って、各自練習に入る。
怪我をしていなければ、俺もその中にいるはずだった。
『……急ぐことはない』
俺の心を見透かしたように、穏慈は俺に言った。
『あのガキはお前に何も聞くことなく、お前に接している。……急かされんだけ良かろう』
「……んー、そうだといいけど」
早く馴染めるといい、そう思った俺だったが。
その心の隅で、いつかは〈暗黒〉のことを知られてしまうのではないかと、不安を押し殺していた。