第百六十七話 黒ノ紡ト繋ニ、白キ陽ヲ
〈暗黒者-デッド-〉は、俺の前に現れて、俺は意識の中で全ての話を耳にする。
一つずつ答えよう、と言った言葉通り、彼は、俺の問いからだとすぐに話を切り出した。
「……お前たちも、聞いていた通りの問いだ。鋼槍で能力が使えていた仕組み。制御は制御として、俺の能力を持っていた。己を止めるのは己、そういう原理で、能力のつまみがあの友人に備わっていた。だから鋼槍という第二の武具を扱い、主には劣るものの、力を出せていたわけだ。そもそも、鋼槍も分裂に合わせて俺が用意したものだよ」
他者の口が挟まらないよう、纏めて話を終える彼は、「次の質問に移る」と言って俺へと語り掛けてきた。
他にも問いがあることを初めから分かっていた辺り、恐らく、俺の内でずっと全てを見ていたのだろう。
「……じゃあ、次の質問だ。ガネさん……屋敷にいる教育師の、あの特殊な眼。あの人にのみ許された、〈暗黒〉に実体無き者として入り込む方法がある。何で、ガネさんはそんな眼を持っているのに、〈暗黒者-デッド-〉じゃなかったの」
それを聞いて、彼はまた表へ向けて話す。怪異の言葉がいくつか聞こえる中、彼の言葉は鮮明に聞こえる。
直接響いてきているのだから、当然といえば当然だ。
『……ザイヴは何と言っておる』
「ああ、次の質問だ。ガネという教育師の眼のこと。彼がどうしてその眼を持ちながら、〈暗黒〉に関わる者ではなかったのかって。……まあ、当然辿り着く疑問だ。自身の眼が、彼のそれと同類になっていたら尚更ね」
『何だ、ザイヴも同様に思っておったか。我の方から尋ねようと思っていたことだが……そういうことなら、ザイヴへの説明も省ける。答えてくれ』
どうやら、穏慈も同じことを考えていたらしい。こちらに属する身としては、確かに納得できる理由も欲しいところだろう。
実体無くして存在するなんて、傍から見れば不可解現象を体験しているようなもの。それでも、怪異にとっては心霊も何もないだろうが、外からの無闇な接触は避けたいはずだ。
「ううん……実はこれに関して言えば、俺にも分からないんだよ。俺が彼をそうしたわけでもない、まして、〈暗黒〉に関わらせようとしたわけでもない。だとすれば、残った可能性は、世の干渉だ」
願った答えは返ってこなかったが、想像の斜め上の言葉だった。世の干渉、と言われても、規模が大きくて全く想像がつかない。〈暗黒者-デッド-〉が図ったことではないということが分かっただけに留まる。
「と、言ってもなかなか分かりづらいよね。生まれもった眼、ってことは、それだけ“世”に求められたってこと。つまり、……何と言えば良いのかな。……そう、“世”にとってあの存在が必要だった。この、表裏のある世界では、時に予め苦難を強いられて生を持つ者もいる。俺は多分、そうだと思うよ」
『……ト、スレバ……アノ眼ノ者ハ、以前ニモ、イタノカ……』
『そうだろうな、書に記述があったのがその証拠だろう。だが分からぬ、どこの誰が、そんなものを残したのか』
「それは残念だけど、俺にも分からないよ。……まあ、君たちの問いには答えられたんじゃないかな?」
表にいる俺は、少し難しい話をしている。
俺が理解できたのは、その存在がガネさんでなければならなかった、という理由には至らないものの、きっと偶然、俺たちと近かったから手を貸せただけのことなのだろう。という、憶測にしかならないことだった。
それから、もう一つだけ。あの時に〈暗黒者-デッド-〉が使った方法。
「……あぁ、それか」
『まだあるのか?』
「俺が、神石に触れて黒幕の招待を炙り出したことがあっただろ? それができたのは、向こうで魔石が割られていたからだ。何者かの手が加えられたことで、神石からあの魔石を介して、欠片へ繋ぐことができた。ちなみに、奴は欠片を使って神石をコントロールしようとしてたから、危なかったね」
ラオの一言で、その行動を促したわけだが、どうやらお陰で危機を逃れることができていたらしい。
なるほど、俺を必要ないと言って切り捨てようとしたのも、その欠片を利用する算段がたったからだったかもしれない。
「こんなところかな。それで?」
『……いや、もう良い。そろそろザイヴを返してもらおう。言ったはずだ、ザイヴはお前を良くは思わんだろうと』
「そうだったね。……じゃあ、最後に確認しておく。今、繋の状態は万全だ。今の空間と、能力の状態であれば、スムーズにいくだろう。……武具が繋を断てば、表裏は直接の繋がりを失くす。つまり、人と怪異が干渉できなくなる。この体は、限界を迎えれば表へ帰るだろう。それで、終わりだよ」
『ああ……』
穏慈の低い声が、耳に入った。そんな悲しそうに言うのは、ずるいのではないかと。
〈暗黒者-デッド-〉が言った“終わり”という言葉は、確かに重いけれど、怪異が人に絆されなくても良いのだと。何となく、心に引っかかった。
「返そう。後は、任せたよ。俺を存分に使え」
そう言うと、今度は俺に直接話しかけてくる。声でしか存在を取ることができないそれに対して、俺は、目を閉じた。
─鎌が応えてくれる。もう目の前だ。神石が示す光を追っていけ。
分かっている。全部、この眼を見た時に、察した。
必要な繋を切ることで、不必要な干渉がなくなり、双方が安定することを。誰に言われたわけでもない、恐らく、〈暗黒者-デッド-〉の本質が見せたものだろう。
瞼を上げれば、目の前には怪異が並んでいた。穏慈は、あんな声色をしていたくせに、まっすぐに俺を見ている。
怪異が人に絆されたのではない、俺の方が、そうだったのかもしれない。
「……穏慈」
『何だ』
「俺は、今でも怪異が怖いよ」
『……ああ、当然だ』
闇に佇む大きな体。数多く存在する能力。妖気。気まぐれすぎる性格。一度争えば命を落とす。挙げればきりがない脅威なのに、俺を守ってくれていただけの、そんな怪異の類に、心を許している。
「……そんな俺自身が、一番怖い」
『……ふん、別れ話には少々早い。我らを恐れているお前が、お前を恐れるか。ならばその恐れをもってして、我を使え! ……最後までな』
「言ったな。吟、秀蛾、顔擬。行ってくる。……またね」
俺を見て、吟はゆっくりと首を下げる。『気を付けて』と、そう言うように。顔擬は、秀蛾の様子を窺いながら、狼狽える。
そんな秀蛾は、顔擬の上に乗ったまま、小さな体で俺を見上げた。
『また……? だって、きったら』
俺の言葉に、違和感を覚えたらしい。けれど、俺が伝えたいのは、その先の言葉。
「“いつか、また会える気がするお別れの言葉だよ”。……って、言ったら、寂しくないだろ」
『!! ……うん!! でっど、やっぱりやさしい。ひい、すき!』
「うん、ありがと。……穏慈、行くよ」
鎌を解化し、手に持つ。あの時よりも、いくらか大きく感じるその鎌は、異様に禍々しさを持っている。それなのに、温かくて、優しい感じもした。
『乗れ、すぐに向かう』
神石が俺たちを導く。いや、俺の鎌も、それに加わっている。溢れてくる能力に、俺たちは誘われる。
穏慈と俺、移動しているのは俺たちだけのはずなのに、どこからかざわめきが聞こえてくる。追って来る。
吟が言っていた正念場、というやつだろう。
『気付いているな』
「うん、この感じ……」
『ああ……繋のある辺りは気も強いらしいな……。弱い怪異であれば気に圧されて毒される。お前の静闇でも使えば解放されるだろうな』
「……やれってことだろ?」
その問いに、穏慈はにやりと大きな口を更に引き延ばして、俺を見た。
「怪異の動き、できるだけ緩めてくれ!」
『任せろ』
その背から、飛ぶように降りた俺は、前方に鎌を出して構える。毒されただけの怪異ならば、以前、怪異嶽の糸舵が襲ってきた時と同様で、そもそも無害な怪異だろう。
俺の行動を読み取ったのか、鎌は白く光った。以前に使用した時よりも、遥かに強い。普段なら瞼を下ろすところだが、今の俺は、その痛いほどの光にも動じなかった。
『ザイヴ、やれ!』
「っあああああ!」
数体の怪異を前に、その光を遠くへ打つように、鎌を地と水平に振り切る。踏ん張った足に余計な力が入りながらも、その重心は鎌で動かされる。やはり、鎌そのものの存在感が変わったように思える。
踏み切って着地した足を即座に切り返しながら、何度も怪異と衝突する。
「っ、ふうぅ」
上方から、左右から、怪異は俺に構うことなく飛びかかる。それを横から支援し、次から次へと怪異を止めていく穏慈の動きは、骨を折った数日後とは思えないものだった。
「穏慈、あとどれくらいいる!?」
『割合で言えば六割は削った。へばってないだろうな』
「はっ、こんなんでへばってやるかよ!」
鎌の大きさと重さを利用して、俺は自由に体を動かす。思ったよりも、俺自身も鎌も操れることに、今更ながら異常感を感じた。
大きな覚悟だ。それなりに、頭で納得できていたからこその決断だった。でも、だからこそ、後ろ髪を引かれる思いもあった。それでも、俺は俺としてここにいなければならない。
全てを背負って、こんなにも体が軽いだなんて。
「……ほんっと、変な話だよなあ!!」
『ザイヴ、最後だ!』
白い軌道ができる。それを、俺は目で追った。その先で、毒を抜かれた怪異たちが、ふらふらと立ち去っていく。
ああ、俺でも救えるものがこんなにあるのだと、その目で確認した。
最後だと言った穏慈の言葉通り、そのひと振りで、怪異の異常な荒々しさは消えた。
その怪異が、先の怪異たちと同様に去って行くのを見て、俺は一度、鎌の刃先を地につけた。
「……静闇を使っといてなんだけど、こんな大鎌で斬って、傷がつかないって不思議だな」
『まあ、そうかもしれんな』
「……っふう、よし。穏慈、追うよ」
鎌を手に、それでも軽々と持ち上げて、再び穏慈の背を借りる。俺がしっかりと乗ったことを確認すると、怪異はすぐに場を発った。