第百六十六話 黒ノ歩ム境ト要
普段、実技を行う広間には、クラスごとに屋敷生が顔を揃えることになった。
まず集められたのは、彼らも属している応用クラス生。本部長からの事情説明を受け、場の全員は驚愕の表情を浮かべる。
屋敷生が大きな戦に出ていたこと。同じ部屋で勉学を共にした者が、すでにこの世にいないこと。大きな怪異という存在がいたこと。これらは、応用生であれど、耳を疑わずにはいられない。
どういうことだ、と説明に説明を求める声も上がる。それも、本部長として受け入れ、応じなければならない。
「……話した通りだ。怪異の前では、俺たちのように熟練の手があっても、どれだけの手練れであっても、敵わなかった。それが、結果屋敷全体の機能はおろか、人の心まで傷めることになった……。俺たちはその非難から逃げるつもりもない、守れなかった事実は存在する」
僅かに震えているようにも聞こえるその声は、屋敷生からの言葉を止めた。
何をどう言っても、取り返しはつかないもので、飲み込むしかなかった。
「しかし、友人を守って命を落とした本人の遺志は、そこのガネ教育師が直接聞いている。どうあっても、自分よりも友人を守りたい。そのためなら自分は迷えない。そう言っていたらしい」
本部長の横に立つ、灰色の教育師は、俯いて顔を上げることはない。
──自身が聞いた、彼からの言葉が、全て頭に浮かんでくる。
「……忘れるな、屋敷として、世を守ること。友を守ること。そのために強くなること。そして、強い心で死んでいった者のこと。彼だけではない。屋敷外で対応するべく赴き、亡くなってしまった教育師たちのこと。その全てを、決して忘れてはならない。何があってもだ。……俺からの報告は、以上とする。屋敷の機能復元も兼ね、明日より長期休暇に入る。期間の予定は、後日知らせよう」
本部長は、横にいる教え子を置いたまま、広間を後にする。その様子を、黙ったまま見つめる屋敷生たちは、ただただ、現実として受け入れることが、精一杯だった。
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「ガネ教育師、あの……本当なんですか。ラオガが、死んだって……」
「……それ以上も以下も、そのことに、相違ないということしか伝えられません。君たちの仲間一人、救えませんでした……それだけ、大きな怪異が、脅威が、屋敷に関わっていたこと。どうか、ラオ君のためにも、彼の覚悟を無下に見ないでください。それだけは、お願いします」
ルノが出ていった後も、応用生は僕を囲うように集まり、事実を再確認する。当然、すぐに受け入れられるとも思っていないため、想定内の行動だ。
「じゃあ、聞かせてくれよ。ラオガが、ガネ教育師に言ったっていう、意志のこと」
しかし、想定外の発言をしたのは、ユラ=マーク。これまで幾度となく、ザイ君が機嫌を損ねるほど話を聞かなかった、お調子者の彼から発された言葉としては、印象から十分に外れたものだった。
「……聞いて、どうしますか?」
「オレたちは、ラオガの性格もそれなりに分かってる。ザイちゃんとか、基本クラスにいるダチの女の子のことを、すげー気にかけてたってのも、オレは見てて分かってた。その二人に対するものなら、聞かないといけないと思う」
普段の調子はどこへ行ったのか。まじめにすれば、こんなにも利口な目と心を持っていることが浮き彫りになる。その姿を見れば、それだけの気持ちだということが伝わってくる。
「……まあ、そうじゃなくても……単純に、寂しいんだよ」
(ああ……そうか)
─その“遺志”を聞いて、彼らは納得したいのだ。自分よりも、友人を選んだ仲間のことを。
そう思うと、何となく安心することができた。きっと、ザイ君を目の前にしても、同じ心で接してくれるだろう。
「分かりました。僕が受け取ったものを、そのままお話ししましょう」
......
数体の怪異と共に、俺は世の繋を断つべく、目的の場所へと進む。
穏慈の背に乗せてもらうのも、もはや当然のことで、俺の意識が彼方へ向かっていたとしても、この身は順調に移動していった。
『……ザイヴ、何か感じぬか』
「え? 何か……?」
穏慈の言う意味は分からない。何か感じないかと聞かれても、どういうわけか、何も感じない。
これまでは何かしらの違和感や重圧を感じていたというのに。これも、本来ある〈暗黒者-デッド-〉、そのせいなのだろうか。
首を横に振ると、その答えが分かっていたかのように、穏慈は吟へ問いかける。
“これが繋としてあるものの気配か”と。
『穏慈ハ……スデニ察シタカ……。時機ニ、神石ガ見エルダロウ……ソコデ、デッドニモ、分カルハズ……』
『そうか……ザイヴ、聞いた通りだ。恐らく、〈暗黒者-デッド-〉が完全にお前の内にいるせいで、人として感じる〈暗黒〉の違和感を感じなくなっているのだろう。以前から言っていた通り、繋はすでに断たれても良い状態になっておる。何も困難な状態をどうにかしようとしているわけではない、怖じるなよ』
「うん……一回は覚悟したんだ。今更、やっぱり怖いだなんて言わない。……進んで」
その後、闇晴ノ神石に到着するまでに、吟からある程度の話を聞いた。繋を断つ前に神石に触れておくことで、繋の状態や、世の均衡の状態を、〈暗黒者-デッド-〉の力を利用して知ることができるらしい。
その先は、俺が持つ鎌が、そこに反応してくれるはずだという。
本当に勝手の良い力だとは思うが、これも異能というものだからこそだろう。
いや、異能というよりも。
“〈暗黒〉に人間は存在できない”、それを覆して存在できる〈暗黒者-デッド-〉は、そもそも表裏一体の本質そのものだった。だから、そこに関わる全てに干渉できる。
もしかしたら、ただそれだけのことかもしれない。
『グァ、グウ』
『がんぎ……。でっど、がんぎが、かなしんでる。もっとここにいたらいいのにって』
「え? ……うん、本当は俺も、みんなと会えなくなるって考えたくないんだけど……それがきっとお互いのためなんだよ。どちらからも影響されず、一つの世として成り立ち、在ること。それが世界ってものなんだと思う」
俺の答えを聞いた秀蛾と顔擬は、あからさまに悲しい顔をした。その顔をあまり見たくなくて、俺はすぐに顔を逸らした。
「ねえ。俺の鎌って、大きな力を三つもってるよね。鎌裂き、歪鎌、潰傷鎌……もしかして、これ以外にも力はあった?」
『さあな……怪異を清めた静闇も力の一つだが、あれはラオガと力を分け合ったものだったからな……もう一つあるとすれば、間違いなく歪や空間に直接影響する能力だと思うが。確か、あの時は白く光っていたな』
「それなら覚えてる。……何か、俺の制御役だったっていうラオも、鋼槍で能力が使えてただろ? 一つを二つにした分納得はできるけど、どういう仕組みだったのかなって」
『それは直接聞いた方が良いだろうな。神石を通すときに、聞いてみるといい。それくらいの時間はあるはずだ』
その場にいる吟が答えないということは、〈暗黒者-デッド-〉にしか分からない、ということだろう。それ以上の追及はできなかったが、そのうち、俺たちは神石を目に留められるほどの距離にまで辿り着いた。
俺も穏慈の背から降り、自身の足で、神石の目の前まで進む。一つ深呼吸をして、暗闇の中、その手を神石に伸ばす。
青郡にある青精珀と同様に、俺の手は吸い寄せられるようにぴたりとくっつき、離れなくなった。
もう、それだけでは驚かない。そこまで確認した俺は、瞼を下ろして導いてくれる力に意識を寄せる。すると、待っていましたと言わんばかりに、〈暗黒者-デッド-〉そのものが、俺に語り掛けてきた。
─ここに来たってことは、最後か。
(……最後だ。それから、聞きたいことがある。分かってるんじゃないのか)
─そうだね。ここまで俺の能力に付き合ってくれた礼だ。一つずつ答えてやる。お前の口を貸してくれ。
この存在のせいで、ラオは死んだ。
その事実が頭に蘇り、思わずそれを躊躇ってしまう。こいつさえいなければ、と思う俺がいる。助けられたことも、間違いなくあったのに。
強烈な衝撃が、それを全て上書きしてしまっている。
─……お前の言い分は、それなりに受け止めるつもりだ。何と罵声を浴びせられようと、それに憤ることはない。後々で良ければ存分に聞いてやろう。
俺の思考は全て筒抜けで、返す言葉もない。
何となく、不本意ではあったのだろうと思い、素直に表へと引き出した。
「……さて、俺に手を貸した怪異たちよ、俺は、お前たちのために。そして、人のために、表裏を裂こう。言に、答えを出す時間だ」
その圧倒的な存在に、怪異たちは身動き一つ取らない。
怪異の上に立つという〈暗黒者-デッド-〉は、確かに、彼らを導くべく、言を紡いでいく。