第十五話 黒ノ狂怪ノ罠
「……よし、そろそろ行くか」
沈黙に耐え兼ね、腕を上に伸ばして気持ちを切り替えると、それを見た穏慈が、すぐに声をかけてきた。
『疲れているようだな』
「うーん、いろいろあったからなあ。でも、今はすっきりしてるよ」
穏慈が大きな体を起こし、四足立ちをする。それに合わせて俺も立ち上がり、ふと穏慈を見る。
こんな時にならないとまじまじと見ることのない穏慈の怪異としての体は、初めて穏慈を認識した時に思ったことと変わらない。巨大化した狼に似た毛並みや骨格を、しばらく注視していた。
『〈暗黒〉は、文字通りの場所だ。怪異が存在するに相応な、怪異の世界。人間を拒み、我らはそれを避けた』
俺がその背に跨ると、ゆっくりと前進を始める。
〈暗黒〉は進めど進めど暗闇ではあるが、そればかりとは限らない。所々に、小さく存在を現す火の玉の様なものが舞っていた。
少し経ってから気づいたが、それを確認できるのは、怪異の死骸がある場所に限られていた。俺は、そのものを目視するたびに、目を逸らしていた。
『おい、聞いているのか』
「あ、ぁ……ごめん。続けて」
『……避けてはいたが、我らも一目置く存在を見つけた。それが〈暗黒者-デッド-〉、お前のことだな。その存在と契約できることも、もちろん知ったというわけだ』
「……それを求めて、争ったのか?」
これまでに見かけた死骸と独特の悪臭は、争ったことを物語るには十分すぎる。一言で言えば、残骸だ。
『無きにしもあらず、だな。怪異は〈暗黒者-デッド-〉を悪用しようとする者と、そうでないものとに分かれた。前者はしょうもないことでもしようとする奴らだろうがな』
「穏慈は……まあそんな風には見えないな」
『無論だ、お前のようなガキを使う気もない。……あれを見てみろ』
容赦の無い言葉だが、この状況では心強く感じても良いだろうか。穏慈はそんな俺を他所に立ち止まり、右方向を見る。穏慈に導かれるように視線を向けると、そこには石のような岩のような、凹みのあるごつごつとした物体があった。
『鎌が盗まれてから、怪異は鎌を取り戻すために余計に〈暗黒者-デッド-〉を求めた。だからと言ってお前が用済みになることはないがな』
「……この鎌って俺にしか持てないの?」
『そのはずだ。……だからこそ分からないんだ。盗んだのは、少なくとも人間だろう』
ホゼは鎌を盗んで何をしたかったのか、その点においてはまだ解明されていない。そして、そもそも〈暗黒〉から持って行ったという者の意図も、もちろんのことだ。
『まあ、いずれ分かることを願おう。……あぁ、ついでだがお前の命を狙う怪異がいることを忠告しておく』
「え?」
『お前が寝ているときに襲いかかって来た』
サッと頭が冷えたのを感じる。〈暗黒者-デッド-〉を求めているはずの怪異が俺を狙う理由は様々にあれど、結局怪異の多くの考えは俺には理解できないのかもしれない。
『我も用心するが、自分で気をつけておけ。……すまん、逸脱したな。話に戻るぞ』
「……分かった。じゃあ、次は〈暗黒〉のこと、教えて」
......
「そういえば、ザイのどこが気に入ったのか聞いても良い? よく考えれば考えられない」
これまでクラスで見ている限り、ガネさんはどこか冷めている様子だった。屋敷生を、というよりも、人に対して興味がないのだろうと、ずっと思っていた。そんな姿しか見てこなかった俺には、今の状況が不自然にも思えている。
この数日、ザイと俺はもちろん、ウィンとの距離も僅かに近くなっているのは、気にならないわけがない。
「……分かる限りで言えることは、二人に少し興味がある、それだけです」
「ザイが〈暗黒者-デッド-〉だから?」
「それもはただのきっかけに過ぎませんよ。協力をしあおうとする仲にいられる、というだけです。ただ、どうあれ屋敷生のことは大切に思っていますよ」
「俺はそれでも良いけど、ザイはあんな対応だから……どう思ってんのかな」
「さぁ。彼はどうやら、僕のことを少し畏れているようですからね」
「ガネさん独特なところあるからな……。……俺も、本当に『そう』だったら、こうなるのかな」
話の流れは、俺の視線で動く。あれから微動だにしないザイを見て、不安感をもたざるを得なくなっていた。俺が一度引っ張られた時のザイの顔が、今になって頭から離れない。
「そうですね……。あなたの気持ちも少しくらいは分かります。でも、行くしかないんじゃないですか」
─彼を『守りたい』という気持ちが強いほど、きっと、揺らぐことも許されないでしょう。
......
『事細かに言えば時も足らんが、ここは人間を拒絶する空間だ。加え、人間が耐えられる重圧ではない。だからお前を、〈暗黒〉に存在する特殊として見る。……元より獣の生きる空間だ。下手をすれば死ぬ』
怪異たちの過去にどんなことがあったのかは知る由もないが、現時点で俺が感じる限りでは、本当に怪異が棲んでいるのか疑うほど鎮まり返っている。
『次はここだ』
「何?」
『我の血を見ただろう。あれに関係する場所だ』
怪異の血に関わる、すなわち、〈暗黒〉である意味一番重要な要素というわけだ。血の色と能力に関係する、そんな場所。
『この渦が、我がもつ要素だ』
今足をつけているのが地面だとも言い切れないが、その目先の奥深くには、確かに渦が巻いている。それは、奈落のように深く、黒い渦と、黒ずんだ黄色にも見える奥底も含め、ごうごうと廻っている。見る限りでは、渦が血の色として表されているのだろうだろう。
『我は、元々戦闘向きの怪異でな。補足すれば、全ての怪異が全て違うわけではない。我がここを選んだのは、先客数体の後だったらしい』
「へぇ、みんな違うのかと思ってた」
徐々に、不明瞭だった部分の靄が無くなっていく。同時に、すっきりするようで、どこかざわざわと落ち着かない。
知らなかったことに足を突っ込みながら、こちらの世界に染まっていく自覚と、これまでの普通が覆されていく変化が、それを助長しているのだろう。
『さて、このあたりで良いか? お前を狙う怪異のことを早めに対処せねばならん。ラオガのこともある』
「うん。今はとりあえず大丈夫。もっと詳しいことは、追々ね。……で、その怪異は?」
『陰という怪異だ。見れば分かるが、影のような姿をした……まあ一言で言えば半狂乱といったところか』
名前だけで、嫌な雰囲気を思わせる。穏慈は聞き捨てならないことを発しているし、表情筋が引き攣ってしまう。
『諦めの悪い、治癒力が優れている奴だ。簡単にはいかんだろうが、危なくなったら我が帰してやる』
「うん。……何事もないわけには、いかないんだな」
それから、俺が持っている鎌の使い方を再び吟に聞きに行き、一度鎌を収めた方が良いということで、先程の物体の前に来た。吟が言うには、〈暗黒者-デッド-〉の力があって宝石のような形になっているらしい。まずはその封を解かなければ、元の鎌の姿には戻らないという。
「えぇと……」
穏慈に教えられた通りに、俺はゆっくり深呼吸をして、首元に下がる鎌を握る手に力を込める。
「ふぅ……。【能を以て放ず、─解化】」
ゴウと音を上げて、鎌は白に近い色を放つ。存分に色を放った鎌は、倉庫にあったときと同じ姿になった。
『……鎌がでかいのかお前が小さいのか……』
「う……っ、るせえな」
ずしりと重たい鎌の頭を石に向け、白く光ったことを確認する。一度は手元を離れたものの、再び手を向けると輝色が溢れ、再度拳を握るとまたその重みが加わった。
「【封化】」
発した言葉に反応し、今度は一瞬で色を落ち着けながら、大きな鎌が消えた。その現象に驚く俺を見て、冷静に俺の首元を示した。
「あ、首に戻ってる……」
『これなら鎌で戦えるはずだ。……陰のことに、集中するぞ』
まだ怪異と戦ったこともない癖に、〈暗黒者-デッド-〉だからという理由で襲われないように何とかしなくては、と正義感にかられた。
「分かった」
......
ガネさんの自室にいながら、いつの間にか眠っていたようだ。瞼を上げた先に、部屋の主が俺の起床に気づいた姿があった。
「まさか寝るとは思いませんでしたが、眠れていないんですか?」
「まあ……そうかも。お陰様で少し寝られたけど」
自分の思う現実を超えたことや、どうしようもない非現実感を見たこと。数日のうちに色々起こりすぎていて、疲労を感じないわけがない。
「……ザイ君が戻ってくるまで時間はあると思いますし、気晴らしに、誰か誘って試合でもしてはどうです?」
「えっ、ちょっと!」
提案の言葉とは裏腹に、ガネさんは扉の方に向かって、半ば強制するように俺の背中を押していた。こんな時だからこそ、怠けるなと言われているような気がした。
「ザイ君は任せてと言いましたよね? 任せてくれなきゃ悪戯しますよ」
「何でイベントパクってんですか?」
普段そんな冗談を聞くこともほぼ無い俺は、その言葉にある種の不適さを感じ、俺はそそくさと部屋を出た。
その足で、ウィンを呼ぶために部屋を訪ね、さっそく試合をしようと広間に来ていた。
剣術をやっているとはいえ、異性相手に本気は出せない。俺は軽く調整するつもりで、ウィンに合わせて手を抜く。
「ラオ、やっぱり強いね」
「ウィンもなかなか……単純なのが何とも言えないけど、少しくらいうまくなった?」
「うっ、うるさいな!」
はっきり言って、ウィンは可愛いと思う。ザイと年は変わらないが、正反対に戦闘には不向きなタイプなのに、どうして剣術をするのか。気にはなるが、ウィンがやりたいと思ってここにいるなら何も言うつもりはない。それに、後方支援などの補助をできるような動きを見せている。
伸び代がある分、立ち回りができればかなり有力になるだろう。
「ちょっと座ろ?」
休憩の催促を受け、壁際に寄って並んで座る。
横に並ぶウィンは、俺たちがもつものを知らないものの、休暇が明ければ、ザイは応用クラスに上がる。そうなれば、誰に言われなくてもザイの変化を知ることになる。
「ねぇラオ、昨日くらいからザイ見ないんだけど、知らない? 部屋にも居ないみたいだし」
「んー……、俺も知らない。いつも顔合わせてるから、ちょっと見ないと変な感じなのかもね」
今回の件に無関係なウィンには、ザイがもっている「巻き込みたくない」という思いがあって、まだ伝えてはいない。心が痛むものの、俺がザイと同じ側であることが、その思いを優先させているのだろう。
「そっか……。じゃあ私、戻るね。疲れちゃった」
「ははっ、いきなり付き合ってくれてありがとね。……ザイはきっと大丈夫だよ」
「……そうだね。おやすみ」
「おやすみ」
いつか、ウィンに打ち明けることはできるだろうか。来たる日までに覚悟を決めておかないと、ザイもウィンも、苦しむことになる。
かく言う俺も悩ましくあるのは、今の俺が、中途半端だからだろうか……─
部屋でザイ君を預かり、もうすぐ丸二日が経とうとしている。肩の傷口は塞がってはいないものの、異常な回復を見せていた。
休憩明け早々休まないで欲しいところだが、この異例に関しては難しいかもしれない。
この状況は、現段階では誰かが見ていた方が良いだろう。ホゼがいるうちは、何が起きても不思議はない。
傷が塞がらないだけの怪我が完治する前に、次の怪我をしそうな予感が当たらないように、願うばかりだ。
......
俺を狙う怪異、陰。
やれやれ、と息をつく穏慈の背に乗っている俺も、思わず深いため息を吐いた。
「喰われたらどうしよう」
『それは無い、……とも言い切れんか。〈暗黒者-デッド-〉を喰うのは難しいと聞いておるが』
「何で? たかが人間相手なのに」
『怪異の躰に悪影響だとか、力に圧されるとか聞いたな。しかし奴がそんなものに構うと思えん。そういう奴は周りに目が向かんだろう』
半狂乱、と聞いた時点で思うようにいくとは思っていないが、そこまでして狙ってくるのなら、それなりに肝が冷える案件だ。
「陰に打撃を与えても、すぐに治るんだよな? 治癒力が高いって」
『……ひとつ、試してないことがあってな。お前にしかできんことだ』
そう聞いて、俺が持っている鎌で斬ることだと、瞬時に理解した。
『怪異がその鎌を持てたことはない。故に、斬られた結果どうなるかは分からぬ』
「でもあんな大きい鎌、振り回せるかな……」
『……やはりお前のサイズか』
「人並みにはあるんだぞ! 一応!」
『この際だ、確かめてみるか』
「え……? うわっ!」
後ろ足を蹴り上げ、背中に乗っている俺を上方に吹っ飛ばす。勿論、俺の体は浮き上がっていた。
直前とは打って変わり、穏慈の目は禍々しく光り、獲物を狙う腹を空かせた怪物のようだ。
『鎌を出せ』
「急だな! ……く、【解化】! あああああ重っ!!」
首もとから妖美な光が溢れ、大きな鎌が姿を現した。柄をしっかりと持つが、重量が凄まじく、支えることがやっとだ。重力に従い、落下速度が上がる。それに比例して、穏慈が大きく見えてくる。
『落下の勢いを借りて鎌を振れ』
体を捻って安定させれば振れるが、忘れないでほしいのは俺の肩の怪我だ。不思議なことに治りが早すぎて不気味だが、それでも完治はしていないため、負荷が加わればどうなるか分からない。
加え、空中で体勢を立て直すのはそれなりに難しく、経験と慣れが必要となる。幸い、俺はそれを可能とするため、バランスを整えて腕に力を込めた。
「─っはあ!」
思い切り振り、鎌を落として俺も落ちる。素直に痛みはあるが、あの大きな鎌を振って、風を切るような音と、振って分かる大きな力を直に感じた。
それだけで、俺にはあまりに勿体無いものに思えた。
『ふん、まあまあか』
「肩の傷完治してないんだから、もう少し褒めろよ」
『威力はいい』
その言葉は雑にも聞こえるが、確かに、使える武器は使いこなせた方が良い。せめて、見た目が変わらずもう少し軽かったら良いのにと思いながら、腕のだるさを感じつつ鎌をおさめた。
そのすぐ後、穏慈の背に跨り、俺は腕を中心に脱力してその場でうつ伏せになっていた。
今は〈暗黒〉を自由に動き回っているが、思い返せば最初に俺が〈暗黒〉で目を覚ました時、狭い空間にいた覚えがある。あれは何だったのか、と気になって穏慈に聞くと、思わぬ答えが返ってきた。
『あぁ、あれは我が仕掛けて失敗しただけだ。〈暗黒〉には違いないぞ』
「はあ!? 仕掛けたって責任持てよお前!」
『もう機会も無い。大丈夫だ』
「そういう問題じゃ……」
『……ん?』
穏慈が何かを察知したのか、ヒクリと鼻を反応させ、周りを見回す。その行動で警戒を高めていた、その一瞬のことだ。
「!?」
俺の周囲はより一層暗くなり、穏慈の姿が見えなくなった。
俺を呼ぶ声だけが耳に届いてくる。穏慈にも俺の姿が見えていないようで、何者かの明らかな意図であることが読み取れる。
『ザイヴ!』
「穏慈! 何これ……っ」
『恐らく……』
その先を耳に入れる直前。俺の目の前に、何かが突拍子もなく迫って来て、俺はどうすることもできなくなった。
「わあああああっ?!」
突如、叫声と共に気配を消したザイヴの異変は、怪異の本能に直に伝わった。
その暗闇は、伸びるように晴れていく。しかしその中に、彼の姿はなかった。
『チッ……こうまでするとは……陰……!』