第百五十七話 黒ノ煌ガ鎖ス導
─弾けたはずの色が、再び俺の視界に現れる。
二度目のその意味は何なのか。分からないが、ただ一つ。ちらちらと点滅を繰り返していることだけを認識できた。
「ザイ戻って来てよ! ザイ!!!」
ウィンが叫んでいる。その声が聞こえてくると、また、先程と同様に色は砕けるように消えていった。
耳に届く声は分かるけれど、俺にはどうしようもなくて、応えを叫ぶことも許されない。
『ツレデ……イ……グ……』
ぞっとする声は、俺を死へ誘おうとしていることを意味している。足掻いても、討つことができても、この本能残存であれば、俺一人で対応できるわけがない。
「くそ、手のかかる……!」
「! おいガネ! 針境を解け!」
聞こえて来た声。ガネさんがその場にいる者たちに針境をかけて出てきたのだと推測できる。
「体動かないみたいだから、何とかしないと……!」
「ラオ君は下がって、ザイ君しっかりしなさい!」
俺に触れてくる手は、穏慈のように弾かれることはない。それなのに、俺は解放されない。ガネさんの顔を見ることもできない。
『ギ……ザマ……イラ、ナイ……』
「ぐ、っ……!」
瞬間、俺の視界の端で、真っ赤な血が飛び散った。おそらく、ガネさんのそれだ。どこから出ている血なのか、結構な量が出ているようだ。
それでも、俺から手を離すことはなかった。
「この、いい加減、に、戻れ!!」
大きな声が聞こえてきたかと思えば、次いで、激しい痛みが全身を走った。
「!!!! い゛っっでぇえぁああ!」
「……っ全く、どこまで、手を焼かせるんですか……!」
その痛みの正体は、俺の腕に刺された、ガネさんの持つ針。見ただけで痛々しく、深く刺さっていた。その痛みで、一気に戻された。針を引き抜いた拍子に出てくるのは、赤が混じる、ほぼ透明に近い血液だ。
「ザイ! 早く離れるよ!」
「ガネも、早く!」
「あれ!? ソムさん行ってって言ったのに!」
「近くにいるんだから来るわよ!」
俺とガネさんを、ラオとソムさんがそれぞれ後方に引っ張る。
俺は絡みそうな足を必死で動かして、ラオについて行く。ガネさんは、逆にソムさんを引き留めていた。
「……いや、ソムも入るようにかけましたけど。何で外にいるんですか」
「あ、え……ガネがそうしそうだなーと思って」
「そこ察さなくていい!」
『ガアアアアアアアアアアアア!!!!!』
依然膨らみ続ける雪洋は、俺を離してしまったことに怒ったのだろう。雄叫びを上げたかと思えば、その大きな体で、突進してきた。
「しつこい怪異だな!」
それを止めたのは薫だった。龍のような胴体で、塊の向かってくる力を吸収し、転がすように跳ね返すと、すぐに穏慈に罵声を浴びせた。
『ちっ、穏慈いつまで寝ておる! 貴様もその程度か! 主くらい、どうなっても庇わんか!』
『簡単に、言ってくれる……! この腕ではどうにもできん……』
『!』
足も、腕も、弾かれた衝撃波でか、ずたずたに引き裂かれ、断たれた肉や骨が出てきていた。ここまでの威力があったとは、俺も俺で、迂闊だった。
「とにかくガネさんの針境で……!」
『ニ……ガ、サン、デッド……ォォオ』
「!!! がっ、あ゛……」
「ザイ!」
雪洋はうまく、俺だけを捉えるように叩きつける。にゅるりと生えてきている腕は、細いのにとんでもない力で、ラオと俺を引き離した。
「ソム、離せ!」
「あっ、ガネ!」
血がこぼれる音が、耳に入ってくる。そうしてまで俺を助けようとしてくれるガネさんに申し訳なくて、思わず、言ってしまった。
「……ガネさ……ラオ、も……もう、いい……こいつ、は、最初から、俺を」
「つべこべ言ってる場合か!!! ガキが一人で何ができる、狙われてるなら守ればいい話だろ!!」
これまでに見たことのないガネさんの形相に、恐怖する。しかし、優しさを感じるそれに、自身の発言を撤回した。
細い腕はラオの鋼槍で切られ、再び距離をとるために足を進める。雪洋はどうあっても諦めないようで、膨張し続けながら俺を追って来る。
「本能残存は、頭部を貫けば根を摘める」
「!! ラオ君、ザイ君に言ったこと聞いてなかったんですか!」
『サワ、ガ、シイ……イイ……ゼン、イン、……ミチヅレ、ダ』
針境の外にいる俺たちに、すでに目の前で破裂寸前の怪異がいる。ガネさんは針を数本取り出したが、怪異の体当たりで四人はそれぞれ倒れ込んでしまった。
『貴様!』
「く、薫、今衝撃を与えたら、間違いなくやられる!」
薫の体は、俺のその一言で止まった。
俺たちを、自ら巻き込むわけにはいかないから。薫の歯がゆそうな顔は、俺たちにも嫌でも伝わってくる。
『薫、あいつらを庇った方が早い。我はどうなろうと構わん、連れていけ』
『……良いだろう』
薫が、穏慈の首を噛んで俺たちの横に来る。
しかし、瞬間。生えた細い腕が、二体の目の前で爆発し、再度吹き飛ばした。
「どうあっても、僕たちに近づけさせない気か……」
「おい灰色の貴様! この中から攻撃はできんのか!」
「残念ですが、僕が外からかけてしまいましたので……」
針境を隔てると、言葉は交わるものの、それ以外のすべてが干渉しないようだ。まさか、このような事態になるとも思っていない。
穏慈も薫も、爆発に巻き込まれて視界を奪われたようで、その瞼は上がらなかった。
「……ソム、時間を稼げますか。針境をかけます」
「分かった」
前に出たソムさんは、杖を取り出す。左肩から斜めに振り下ろし、その場で回転させて風を生じさせると、その風は、俺たちの髪や服もなびかせた。
それを口元にかざし、何とか雪洋をソムさんに引き寄せる形で対応する。
「……二人とも。僕の後ろに」
「……うん」
よく見ると、ガネさんは腹部を押さえ、そこを中心に流れる血液を必死に抑えていた。
以前の傷が開いたのか、その表情からも、かなりの痛みが窺える。
「ザイ君、今は他人より自分を心配しなさい。……でも、さっきは言いすぎました。すみません」
「いや……俺も、悲観的になったから……」
『コ、ンナ、モ……ノ……グエエエエアアアアアアア!!!』
「!! ソム、来い」
細い腕は、ソムさんを潰すほどの勢いで床を叩きつけた。あれをくらっていたら、女性なら骨でも折れてしまいそうだ。
『グググウ……ヴァアアアアアアア!!! ギエロギエロオオオオ!!!!!』
「!!!」
一瞬で、雪洋は俺とガネさんを細い腕で掴み、持ち上げた。ガネさんを、厄介だと思ったのだろう。
「づっ……い、ったい……ですね……!!!」
その腕は、ちょうど傷の辺りを掴み、ガネさんはそれをどうにかしようと針術で腕を払いのけた。着地の衝撃で痛みがさらに走ったようで、膝をつく。
俺は俺で鎌で対応し、大きな怪我のない俺は何とか着地した。逃れたところで、次の行動を、と思った時。
俺たち全員の上方に浮き上がり、ぎょろりと目だけを、俺たちに向けていた。
(やば、い……!)
おそらく、場の全員がそう思っただろう。落ちてくる雪洋を避けようと、ガネさんとソムさんが、揃って両腕で俺とラオを同時に引き寄せる。
しかし、雪洋の細い手は、まだ俺を諦めていない。がしりと俺の体を掴んで巻き込もうとし、俺の手は彼らの手から抜けてしまった。瞬時にラオが、俺に手を伸ばしたことで、ガネさんは、先にソムさんを後退させるために走る。
これで何度目だろうか。いや、雪洋のその手は、不規則に、素早く動く。細いためか、動きが早いと目で確認できなくなってしまう。
「俺の方に体重かけて!」
ラオの声に従い、そのように体を反らす。ラオの手が、雪洋のそれを引きちぎる。痛々しい光景なのに、そう感じなかったのは、もう、感覚が麻痺しているのだろうか。
ラオが俺の腕を引く。俺はそれに従って走るが。
「早く!」
雪洋は、しぶとく俺を。そこにラオもいることを好機と見てか、その腕をまっすぐに伸ばす。
それに捕らわれないよう、逃げ回るも、結局はいくつも伸びてくる腕に絡まり、身動きが取れなくなる。
「っ、とんだ怪異がいたものですね……!」
「ガネ、私が行く! とにかく、あの腕を減らさないと!」
ソムさんが回す杖からは、ごうと音を立てて上がる炎が噴き出てくる。それは確かにその腕を焼くが、全て燃えきることはない。しかし、その腕が減った隙に、ラオが俺を引き寄せ、腕を引きちぎった。
「ザイ、よく聞け。……───」
「!?」
─次いで、俺は、ラオの手によって突き飛ばされた。
足が縺れて倒れると、俺の前方にガネさんとソムさんが戻ってきて、俺を起こす。
ただ一人。横にいない人物は、雪洋の体に覆われるように潰されていた。
「ラオ!! 何で……!? 何でそういうこと……!!」
「ザイ君はそこにいてください!」
ガネさんが一歩、そう言ってラオを助け出そうと踏み出した時。
「─!!!」
雪洋の体は、次の瞬間にはその場で目一杯膨張し、大きな音をあげて爆発するかのように割れた。その瞬間に生じた暴風は、俺たちを後方に押しやった。
針境も解かれてしまったのか、奥にいる者にまで影響し、誰一人立っている者はいなかった。
痛む体で、必死に顔を上げて、ただ信じたくない光景を目に焼き留める。未だ地下を荒れ回す強い風力は、俺たちの足を立たせることはなかった。それだけではない。風に刃が混じっていたのか、鋭い切り傷の痛みが体中の至る所に刺さる。
声にならない。どうして。こうなってしまったのか。
「ザイヴ君だめ!」
「ラオ……!! ぐっ……」
大事な友人の名を呼ぶのに。今度は、と俺も手を伸ばすのに。
──それは、あまりにも届かない距離だった。
タイトルの読み
煌ガ鎖ス導
追憶編 了