第百五十六話 黒ノ失セシ煌ノ壊
「「ああああああああああああああああああ!!!!」」
俺とラオは、息を合わせて武具を振り上げ、雪洋に急接近する。もちろん、共鳴はもう慣れたもので、調節しながら意識を共有している。それでも、どうも腑に落ちないのは。
その、心が僅かにぶれた気がしたから。
『な゛……!! グァァアアアア!!!』
振り切った刃先には、怪異の血液がべとりとついている。そこら中に、噴き出したそれが飛び散っていく。
相手がどうあれ、気持ちの良いものではない。
自由に身動きを取ることができない雪洋の首には、深々と刃が届いた傷が確認できる。すでにぐったりするそれだが、なおもぶら下がりそうな不安定な首を起こす。
「っ……!」
その姿に、思わず血の気が引いてしまう。
今に始まったことではないが、人に比べて並外れている生命力には驚かされてばかりだ。
「ウィンちゃん、もっといける!?」
「はい!」
後方では、ソムさんとウィンが二人で大きな力を発動させていた。ウィンの循環が、ソムさんの出す能力を向上させ、それが大きな塊のようになって宙にあった。
「! 全員どけ!」
ルノさんの言葉は、地下に響く。その一瞬で雪洋の回りには誰一人いなくなり、代わりに、ソムさんが生じさせたものが雪洋を覆うように落ちた。
─それは、小さな太陽のような灼熱。それに加え、びりびりとした電気が通っているようだった。
「っはあ、は、……属性融和、【陽幻】。これで、終わって……!」
「あいつ……!」
足元のおぼつかないソムさんに気付いたガネさんが、ソムさんを気に掛けるウィンの元に駆けていく。
誰が見ても分かる、そのままでは良い的になってしまうだろう。
「立てますか?」
「……っ、はあー……うん、だいじょぶ……」
「どう見ても大丈夫じゃないだろ。動けなくなるほどの無理をする必要はない!」
声を荒げたガネさんの言葉に、思わず緊張する。それほどの強い口調は、馴染みがないもので。本当に、思わず。
ただ、よそ見をしている暇はない。ソムさんが言った“陽幻”を浴びた雪洋がどうなっているのかといえば。
『ギギ……ガ、アア゛……』
『落ちた頭を潰すぞ、まだ動くはずだ!』
頭と胴体は確かに分離したのに、その状態になっても、息絶える様子はない。
「……貴様もその状態で動くか。全く、ただでは済まん奴はそう多くなくてよかろうに……」
ルデも、その姿でシンマを思い出したらしい。先程までの威勢が消沈し、動きが止まった。
一方で、辛うじて雪洋について行くことができている穏慈と薫は、生きている頭を捉えるために、物凄い速さで駆けている。
「ザイ、次で決めるよ。そろそろ、何が起きてもおかしくないだろ」
「……もう十分、起きてんだけどね」
再度力を込める腕を、手を、汗が伝う。
ここまでの怪異が、もしも人と共に生きるようになったら。それはもう、人類の滅亡を予期させると言っても過言ではない。想像すれば、間違いなく見たくない未来が描かれる。
しかし、そんな雪洋はすでに追い込まれている。
事態をひっくり返すことができるのは、今しかない。
「援護する、行け!」
「っとに、師の使い方が荒いんじゃねーーの!!」
ルノさんは、徐々に晴れていく黒靄の隙間から雪洋の頭部を捉えて、剣銃の弾を連続して撃つ。脳にまで響く発砲音は、雪洋に当たる音と共に聞こえてくる。
ゲランさんが俺たちの前を走り、ガネさんが、ソムさんとウィンを庇いながら針術を何本も放っている。その数に変に感心しながら、俺とラオはゲランさんに続いた。
「おらよ!!」
ゲランさんは、雪洋の首を床に縫い付けるように莫刀を刺す。当然、その甲斐あって雪洋はもがきはするものの、その場から動くことは叶わなくなった。
「動きは止めといてやる! とっとと片つけろ!」
『やれ、〈暗黒者-デッド-〉!』
『目元は潰してやろう、一度で決めろ!』
薫が雪洋の目を、爪でひっかく。牙で抉る。その様子は、一言で大袈裟に言えば、地獄絵図だった。
「っ、はああああああああああ!」
白く、強く輝く、鎌と鋼槍。その輝きに包まれるように、俺たちは眩しさに身を投じる。
狂気とも言える、一層強まっていくそれは、確かに俺たちに力を与えた。
─与えている、のに。
その中で、目の端に光る透明に近い青が、俺の意識を引き寄せた。
「!?」
黒く、墨のように染まったそれは、弾けて消えてしまった。
「ザイ集中して!」
ラオの一言は、俺の目を雪洋に戻した。頭の端で、今見た青が気になりながらも、俺はラオに並んで、振った。
振り切った。
声を上げる間もなく、落ちたばらばらの肉塊。頭部自体を断った感触も、返り血を浴びた感覚も、確かにある。
そして、雪洋の動きが止まったことも、この目で見た。
「やった……!?」
「……ふん、邪な野望など抱きおるからこうなるのじゃ」
「終わっ、た……の?」
それぞれが、しばらく雪洋から目を逸らせずにいる。確かに止まったのに、どこかに不安を抱えていた。
───怪異の、本能残存を懸念しているから。
『どう、だろうな』
「……とにかく、距離をとれ。不用意に近づくな。俺たちはソムたちのところまで退くぞ」
ルノさんの判断で、雪洋の横には穏慈と薫のみが残り、様子を窺う。このまま放置して、息を吹き返しでもしたら大変だと。俺とラオは、それでも前方で武具を構えて立っていた。
「……ザイヴ君、ラオガ君。どう、なったの……」
まだわずかに息の荒いソムさんが、ゆっくりと俺たちに近づく。ソムさんの一撃の効果があって、雪洋をここまで追い詰めることができた。
それなのに、ちらちらと見えるのは、青と黒が、俺を染め上げるような影。
何だ、これは。何──……
『貴様ら隠れろ!!!』
「!!?」
全員が、薫の上げた大声に反応し、ガネさんは近くにいたウィンを引いて、教育師たちは各々が武器を体の前で構える。
見れば、そこにはばらばらにしたはずの雪洋が、縫い合わさるように一つの塊になり、ぶくぶくと膨らんでいっていた。
「な、……!」
『やはり本能残存だ! これでは衝撃を与えたが最後吹っ飛ぶ、下手に攻撃もできん!』
つまり、自爆ということだろうか。目の前で膨らんでいく怪異は、留まることを知らない。どんどん膨らんでいき、俺たちを丸ごと影に引き入れた。
『何をぐずぐずしておる! 下がれ!』
「ソムさん、下がろう! ザイもほら、来て!」
ラオが、俺の体の向きを返させ、ソムさんの手を引いて後退する。それでも、追うように膨らみ続ける。たまらず、ガネさんが針境をかけるために針を何本も床に刺し、俺たち全員に範囲内に入るよう指示を出した。その中にいることが最も安全であることは言うまでもないが。
「──!」
『ザイヴ!』
雪洋の、潰れたはずの目が。俺を捉えて。
そう、文字通り目に捕らえられた俺は、身動きの一つも取れなくなってしまった。
紐のように伸びてきている細い腕のようなもののせいなのか、そういう能力なのか、腕は力なくぶら下がる。
「ザイヴ君!!」
「!! ソムさん戻らないで、行って!」
声は聞こえるのに、言葉は発せない。まるで、〈暗黒〉に閉じ込められた時のよう。
『ガッ』
俺を引き寄せようと近づいてきたのに、穏慈は何かに、跳ね除けられたようだ。鈍い音が耳に届き、黒い血が散布される。
「ラオ君も来なさい! 僕が出ます!」
(……何、が、起きて)
考えている間に、俺の目の前に雪洋が迫る。体は動かないまま。大きな目は、俺だけを捉えている。
そうだ、考えてみれば、こいつの標的はもともと俺だったことを思い出す。それ以外の人物は、眼中にないらしい。
(どう、したら……!)
俺の体ほどに大きくなった雪洋の目は、俺の顔にぴたりとくっついた。
(─!!! 死、)
べたりとまとわりつく、粘膜の感触が伝わる。気持ちが悪い。このまま、死んでしまうのだろうか。
ここまで、ようやくたどり着いたのに。
その覚悟を、無理矢理受け入れようとする俺は、必死でその視界を閉じた。
そこでもなお、わずかな青い光は、俺の視界に入ってきた。