第百五十五話 黒ノ啼ク命ヲ持ツ者
黒い炎に包まれた雪洋は、もがきながら苦しんでいる。彼の黒炎は、怪異によく効いているようだ。
その隙に、穏慈とルデと共に、地に足を着けた。
「何でこんなところに……ていうか怪我は? 帰ったはずじゃ……」
「あの程度で騒ぐな。まあ色々考えた結果、報復くらいしてやろうと思ってな。……久しいのぅ。貴様らも元気そうで良い」
「よく入ってこられましたね」
「まあ、ここに来たこともあろう。大扉の横におったのは管理の奴か? 状況が状況じゃ、制止されることもなかったぞ」
「……なるほど」
雪洋を前にしている俺たちをざっと見渡し、ふふん、と鼻をならして腕を組んだ。
以前と変わらない口調で、変わらない能力。
それでも、あの一件で刳り抜かれた右目だけは、眼球のない状態なのか、瞼は開かない。
「その目、は……」
「気にせんで良い。シンマを巻き込んだ分、代償としてきっちり返って来ただけのことじゃ。それよりも、あれから事情は大きく変わったらしい。一言で言え。あの男が貴様らの味方になっていることが、無関係なわけがないよのぅ」
ルデの指が示すのは、ホゼ。あの時は、ホゼにシンマが利用され、こちらも巻き込まれた形で争ったことは記憶に刻まれている。
一言で言えということに関しては、いろいろ複雑で、どう説明したものかと考えたが、思いの外一瞬で辿り着いた。
「成り代わりの怪異が牙を剥いた!」
『頭が回ったな』
「……十分じゃ。偽物が全てを謀ったわけじゃな。ふん、気に入らん。吾は吾のやり方で、奴の息を止めてやろう」
ルデの要求通りの答えを返すと、状況を瞬時に理解したらしい。手帯が外れた拳から、抑制の箍を外れた真っ黒な炎がごうごうと燃え滾った。
「片腕は落としたんだけど、暴れまくってて。それから、模倣能力がある。気を付けて」
「ふん。言うまでもないが、吾の炎は稀なる力じゃ。真似できるとは到底思えんなぁ。まあ、事実できるのであれば、ぜひ見せてもらいたいものじゃな」
雪洋に向き直ったところ、纏っていた黒炎は消え、耐えず血を流しながらこちらを睨み付けるそれと目が合った。
『何故貴様がここに……!』
「……吾に対したその言、あの腹立たしきリーダーが貴様だという証拠としては十分じゃ。シンマを利用してくれた仇を返させてもらおう」
『ヴヴヴヴヴ……!!! 生意気なぁあ……! この私を前にしてなお食い下がるか……!』
怪異となっているヴィルスが人を見下しているということは、この短時間でよく分かった。奴が発する数々の言葉は、そう捉える他ない。
『そこのガキに世を握られているのだぞ!! 忌々しい!!』
『そもそも我ら怪異はそれを分かった上で向こうで生きておる。お前が人から堕ちた怪異だとしても、そこを覆すことは怪異にも毒となる。〈暗黒〉における、怪異が生きるための要素はどうあっても変わることはない』
恐らく、今回の事に至るための発端はそれだろう。裏の世界があり、そこに還ったまでは良かったものの、世を支えているのが俺みたいなガキだと気付き、気に喰わなくなったのか。
しかし、この状況で、雪洋の身勝手な行動に目を瞑ることはできない。
「……一に、暗様。二に、妖気。そして三に、色素と能力の層」
『何……』
「〈暗黒〉において、怪異が生息するのに必要な三つの要素。そんなもの、人の世にはまずもって存在しない。分かるだろ、こっちに来たところで、怪異が生きるにはあまりにも無謀な条件だ」
俺の言葉が効いたのか、雪洋は大きな体を僅かに後退させた。片腕のない怪異が、ずりずりと腹這いになって床を汚す。多くの能力が飛び交うせいか、良くない臭いが鼻をつく。
『だから貴様を使って、良いように塗りかえてやるつもりだったのだ……! しかしその命を貰うまでとなった今、私も退かんぞ!』
「きっかけはどうあれ、お前の言う……人も怪異も脅かされる世を創ろうっていうなら、俺たちはお前に屈することはない!」
ホゼとオミ、加えゲランさんが、各々武器を手に雪洋の大きな体を狙う。雪洋はそれを避けようと、意識の方向が三人に向かう。
それを好機と捉えた俺と、ラオ、ルデが、同時に飛びかかる。それを補う形で、遠方からガネさんを筆頭に、ソムさんやウィンが、力を貸してくれていた。
雪洋は大きな口と、大きな体と、そして模倣した能力を存分に使い、俺たちの鼓動を喰おうとしている。ルノさんが告げた規則、それを守るためではない。俺たち自身の世界を、居場所を、失わないために。
「お前に負けるなんて選択肢は、最初からねーんだよ!!!」
大きな脈動。それが示す、巨大な力。脳にまで響く、ずっしりとした重い影。俺たちを飲み込む形で、また、現れた。
「!! 全員下がってください! 彼らが、行きます!」
指示を出した俺たちの師のお陰で、他所を気にする必要はなくなった。
「─首を狙う」
「……任せろ」
俺の一言で、ほとんど変わらない速さで雪洋の頭上に飛び乗った。鎌と鋼槍の柄が交わるように構え、雪洋の首後部に置いた一瞬。遠方から桃色に包まれた力が、雪洋にぶつかった。
共鳴した状態でも分かる。この力は、ソムさんのものではない。
「気の循環を利用して、怪異の能力を下げます! きっと届く! 循環は、良くするだけの物じゃない、悪くもできる!」
『ぐう……!? こんな、女に゛……!』
「よそ見が過ぎるんじゃねーの!」
首を挟むように、武具を自身の方に引き寄せる。それは確かに身を切り裂き、激しい血飛沫をあげた。それに伴った大きな鳴き声は、嫌という程耳に届き、思わず手で覆う。
『自惚レルナ!!!!!』
俺たちと同様に、隙を見逃すはずがない。不快な声に気を取られていると、乗っている体は跳ね上がり、俺たちはあっという間に空中にいた。
「ぐえっ」
「ぐっ、あ、く、薫か」
それを見事に受け取った穏慈と薫は、一度離れるべきだと、俺たちを乗せたまま誘導した。先程以上に荒れ狂う怪異に、距離を詰められるものは限られている。
「吾はいくぞ。時間も惜しい」
人型魔界妖物である彼は、身体能力と自身の扱う炎を武器に、俺たちと入れ替わる形で前に出る。それについて行くように出て行ったのは、ルノさんとガネさんだった。
「怪異相手に一人で突っ込むつもりですか!」
「何をバカな、吾一人に行かせんのが貴様らじゃろう。……吾にも一仕事あっても良かろう」
「そう言われたらやるしかないな」
ルノさんの剣銃は、雪洋に向かって何十弾も弾丸を放つ。その手を緩めることなく、怪異の行動を掻い潜りながら続ける。
その端で、最低限雪洋から離れるよう指示を出したガネさんは、針を何本も上空に投げ飛ばし、剣を取った。
「!! ガネ、あれをやる気か!?」
「分かってるなら、前みたいに止めないでくださいよ! ─晧陽、白く広まる聖を成す。【劫】、解け!」
自身に牙が向いたとき。対応するために構えた剣なのだろう。雪洋に向かって真っすぐに降る針は、しばらくガネさんの術で不規則に飛び回り、何度も何度も雪洋に突き刺さった。
『があっ! あ゛ァぁアアあ゛ぁ!!!』
「氷火、果て! 加え、熨せ!」
身動きの取れなくなった雪洋に、次の手を見舞うのはルデ。合わせた両手から、順に中指と人差し指を折り、二つの能力を発する。
氷火──つまり、あの黒い零下の炎だ。炎であるにも関わらず酷く冷たいそれは、熱い、というよりも、痛いらしい。
怪異のあらゆるところに縛りつき、そこが蒸発するような色に変わると、焼けていく臭いが充満した。
『ガアアアアアアアアアアアア!!!!!』
雪洋の口からは、強い雷撃が繰り出される。それを各々が、最低限の衝撃に抑えられるように何とか防ぐ。
「ちっ、ふざけてるレベルだな……! ガネ、動けるなら下がれ。ザイヴ君、俺の代わりに頼んだぞ!」
「分かった!」
次いで、氷柱状にした氷を、遠方にいる俺たちの方にも勢いよく飛ばしてきた。それはまるで、ガネさんの針術を見ているようだった。
「ウィン、動かないで!」
もちろん、その氷柱は現空間にいる者全員が受ける可能性のあるもので。
俺はすぐにウィンの前に立ち、鎌を壁にして氷柱を弾いた。砕けた氷はばらばらになり、場にそぐわず綺麗に散り落ちた。
「ありがとう、ザイ。……ザイ、覚醒、したの?」
「共鳴してただけだよ。あんまり長くしてたら、二人一緒に標的になっちゃうから、今はもう普通。……ウィンこそ、さっきの助かった。あんなのできるんだね」
「うん、凄いでしょ」
「……強いね。でも、最前線には立たせないからね。今の調子で俺たちの補助を頼むよ」
「それならいくらでも!」
ウィンの色が、地下に溶け込むように広がっていく。薄く、透明に、場を正すように。
「ザイ、結構弱って来てるみたいだよ。このまま攻め込もう!」
「そのつもりだよ!」
「……私を使え。私の黒靄で、あいつの視界を遮ってやる。黒靄に紛れて好き勝手してやれ」
煙のように一瞬で広がる黒靄は、言った通り、雪洋の周囲に広がっていく。
狼狽える雪洋は、バランスを取り切れない体で必死に黒靄を払おうともがいていた。
「何、気休めかもしれないが……今の内だ!」
ホゼの大きな声は、全員に聞こえた。
「誰に命令しているんですか」と、ガネさんの余裕を見せる口調が返ってくる。
それでいい、と、ホゼも雪洋に接近した。
「……ソムさん、ルノさんが戻るまでウィンを任せる」
「ええ、行ってきて」
再度鎌を、鋼槍を持ち直した俺たちは、怪異に並んで駆けだす。
視界を奪われている雪洋が荒れ狂う足元には、新たに落とされたらしいその足がごろりと転がっていた。
『ぐ、ぐぐ、ぞ……よぐぞ……ごごまで……人間ごとき、の、集まりで……!』
「相手が悪かったな。こちとら優秀な教育師と屋敷生。加えて異端者がいるからな」
「異端者とは吾のことじゃな、人聞きの悪い。善良な協力者であろうに」
そして、ようやく暴れる力が失われてきたのか、それとも二本斬られた足が影響しているのか、その体は床に転がった。
それでもなお、模倣した能力を何度も放ち、体を這わせる。大きな体は、武器を盾にする教育師たちに大きな衝撃を与え、距離を作っていた。
「……はあ、はあ」
こちらもそろそろ体力的に、決着が着かなければ苦しくなってくるだろう。
弱点になる何かがないかと、武具を振り、持っている力を何度も解放させる。
しかし、決定的なものは何もない。
「っ、くそ! きりがない!」
「……っふう、はっ、さすがに、きっつい……よね……。ザイ、平気?」
「多分、へーき。思った以上に怪我してんのに、全然痛いと思わない。まだ限界は来てないはず」
「そりゃあ結構だね。それより、……共鳴、しかない。黒靄があるうちに、あの首を落とす。いいね!」
ラオの、汚れた顔を横から確認する。それがどこか、“ラオらしくない”ような気がして。すぐに目を逸らしてしまった。
「ザイ!」
「!? わ、分かった……!」
雪洋を前に、二度目の共鳴をする。怪異たちはすでに、黒靄に紛れて雪洋を追撃中だ。
前方に見える、息の絶えない怪異。戦いを長引かせないために、地上がどうなっているかまで定かではないが、屋敷がこれ以上の混乱を起こす前に。
─討つ。ただそれだけを見て。終わりを迎えよう。
──────キイン
一つ。屋敷から離れたある都市で。
異変が起きる。
───ギイン
高く響く輝きが、歪み出す。
──……
音にならないそれは、輝くことを、喪失させた。