第百五十四話 黒ノ交ワラヌ先デ
ラオが合流し、地下を張り込み始めて数時間。
ここに着いた時にはガネさんの姿も見えなかったが、屋敷長のところに行っていたらしく、遅れての合流となっていた。おそらく、色々報告があったのだろう。
緊迫状態は一向に破られず、冷えた汗が背を伝っている。
私語をするような雰囲気でもないが、気の滅入りそうな時間に耐え兼ね、横にいたウィンに小声で話しかけた。
「ごめんな、巻き込んで」
「え? だって、前から言ってるでしょ? いくらでも巻き込まれてやるって。むしろ、力になれるから嬉しい」
「気持ちは嬉しいんだけど、……その、無理は」
「分かってるよ。ザイの心配は痛いほど伝わってくる。ラオだって、同じだと思うし。本部長から離れないようにするから」
俺が気にしているところを把握して、ウィンは自身で考えていた。それは、俺にとっても安心できたことで、その支えとなってくれようとしていることを感謝する他なかった。
「……遠回しに、俺の責任が重くなったな」
「自信満々だったじゃない。俺だぞって。ルノに託すんだから、私は心配してないよ」
ルノさんとソムさんが、俺たちの会話を拾って場を僅かに緩ませた。思う以上に続く時間が、それぞれの心に負荷を与えるには十分だ。この状況下で心が折れたところで、責める者はいないだろう。この場にいる者の中に、そんな冷めきった者はいないが。
『……! チッ』
薫が臭いに反応したようで、ピクリと鼻を動かし、怪異の姿を露わにする。それは、俺たちにも分かる合図だ。
穏慈も異様な空気を感じたか、同様に大きな体に戻った。
『我々が先陣を切る。ザイヴ、ラオガ。下りて来い』
「わ、分かった……!」
二体の姿が、下方へと消えていった後。俺たちは顔を見合わせる。
とうとう、この時が来た。全てを終わらせる、大きな苦難を討つ時──
「必要以上に興奮する必要はない。怪異には怪異を、最大限力になれる奴がいることを忘れるな。それから、最低限の規則を設ける」
一気に高まった意識。ルノさんの低く、耳に届く声。最後の一言で、俺たちは動き出す。
───己の鼓動を、絶やすな。
─俺、頼みがあるんだ。
二人が地下に下りてから、僕の頭にはその言葉が巡っていた。彼らの後ろを追って下りるべきなのに。僕の足は、なかなか動かなかった。
「……どうした、ガネ。固まっているぞ」
「何、お前らしくねーな」
ルノとホゼが、僕を茶化してくる。それどころではない僕は、そんな言葉を相手にする余裕などないに等しい。
あの言葉を聞いた以上、僕にできることがあるのだろうかと。一人で葛藤するしかなかった。
あの時聞いた、ラオ君の言葉。覚悟。すべてが、僕に乗って来た。
もしかしたら、彼も、同様かもしれない。
「……ガネ? 大丈夫?」
階段から目を逸らせずにいた僕を、覗き込むようにソムが首を傾げている。
我に返った僕は、一度舌打ちをしてから、針を数本手に取った。
「すみません、何でもないです。ソム、行くぞ」
「え、いいの?」
「僕たちに課せられているのは、二人を守ること。遅れを取るわけにはいかない」
「……うん!」
明らかに変に見えてしまっただろうか。しかし、考えていても仕方がない。
ソムを後方に、僕たちも彼らを追って地下に入った。
─ガネさんに、頼みたい。俺が、ずっと守って来た信念を。
穏慈と薫が下りた地下は、すでに良くない気配が充満していた。おぞましく、身が震える。
二体の怪異が一つの方向に対し威嚇をし、臨戦態勢を取っている。それに合わせ、俺たちも武具を解化し、手に力を込めた。
『こそこそと潜めている場合か……とうに我々に気付いておるだろう。こちらから仕掛けさせてもらおうか───発け、〈宵枷〉!』
大きな地の揺れが生じる。それに耐えるため、俺たちは倒れないように足を踏ん張らせた。
紫掛かった黒い光が、一角に集中し、一気に爆発する。
煙が立ち、視界が晴れるまでの数秒。黒い影になり、大きな体が現れた。
『……くく、どこまでも愚かな者たちだ。尚も私に歯向かうなど。その命、惜しくはないのか?』
歪んだ口角は、場の空気にぴったりのそれで、一瞬、俺たちはその気に圧されそうになっていた。
気に負けてしまえば終わりだと張り詰めた表情で、穏慈は雪洋の余裕を一掃した。
彼の能力は、反射神経。それは、俊敏さともいえるもので、一気に距離を詰め、体当たりをしたのだ。
『ちっ! 怪異が相手となるとこの上なく面倒だ……!』
『私もいるのだぞ、穏慈にばかり気を取られていては早々にケリが付きそうだな!』
薫も雪洋に接近し、前線で戦うことになっている俺たちが雪洋を前にする。
武具を後方に引き、姿勢を低くする。こちらも戦闘態勢が取れたことで、それぞれで行動を起こす準備が整った。
「ラオ、行くよ!」
「俺は足を狙う、ザイは別のとこを頼んだ!」
「分かった!」
ラオのリードあって、俺は完全に無防備な腹部、そこからの延長で頭部を狙うことに。
ラオが順調に足元を狂わせてくれるのを待ちながら、【鎌裂き】を腹部目がけて放つ。
さすがにこれが効いてくれるとは思っていないが、直接受けたところで大したダメージを負っていないところを見ると、図体だけでも、崩すのに計り知れない労力を使いそうだ。
「動きが遅くなればやりやすいですよね、援護します!」
後方から聞こえて来た、ガネさんの声。共に、風を切るようにまっすぐに飛んでくる無数の針術は、雪洋の足、頭部に刺さる。
「どこまで蝕害針が効くか分かりませんが……何とかしてください」
「何とかするのは私がする」
そう言って、ソムさんは杖を回して炎華を、それを滞らせる氷を続けて放つ。その行動を把握したのか、ガネさんはその能力に向けて針を投げた。
「傷が入れば、少しくらい効き目も高まるでしょ……間違っても、みんなは当たらないでよね! 属性融和、雷氷!」
さらに、雷を発したソムさんの能力は、杖の動きに合わせて動き出す。それは、正面から雪洋にぶつかった。
『……ガアッ!!!!』
ぼたぼたと、大粒と血液が落ちる。元々人だったことか、真迷いか、どちらかが影響しているのだろう。
零れ、溜まるそれは、真っ赤な血だまりを作った。
『人間が……!』
次の瞬間、穏慈と薫に向いていた意識が、突如大きな口を開けてソムさんに向かう。ガネさんはもちろん、俺もラオも、それを許すつもりはない。
向かう先に回り込み、視界が口元で遮られる雪洋の口内に鎌先が向くように構え、双方向にぶつかり合った。切れた口元から、更に零れた赤色は、俺の身にも降りかかった。
顔を上げた雪洋の隙を見逃さず、ラオは俺に次ぐように足元に飛び込んだ。
「オラァア!!」
肉を断つ音が響く。ラオの鋼槍は、雪洋の足を一つ、地に落とした。
『ぢぃ……! 〈暗黒者-デッド-〉だからと……調子に乗るなよ……!!!』
怒りの矛先がラオに向かったのは言うまでもない。それを留める方法は、気を逸らすか、今以上の打撃を与えるか。俺が出した行動は。
「潰傷鎌!」
内部から破壊する、〈暗黒者-デッド-〉の能力。体ごとラオに突進する雪洋に、横から直撃する。
次の瞬間、破裂という言葉がぴったりの出血の仕方を見せた。同時に、胴体が血で染まり、一見追い詰められたように見える荒れた息をしている。
「ザイ助かった!」
「どういたしまして!」
「ザイヴ君ごめん、血被っちゃったね」
「大丈夫! それより、この調子で続けて頼……」
『……図に乗るな』
ビリッと、身に渡る。それは、確かな殺意。
─まずい。
そう叫ぶ穏慈の声が、微かに響いた。
「どこまでの性能か、見極めるのにちょうど良い。ガネ、針境をかけろ!」
更に後衛の、ルノさんとウィンが、タイミングを見て駆けつけてきた。その指示で、僅かな時間で正面に術をかけ、ガネさんは最前に出る。
それが意味するものくらい、理解できる。
俺たちが雪洋の背後に回ったところで、その怪異は、大量の炎を生じさせた。
「ソムさんの能力を……!」
『特殊なはずだがな……おい、今の隙を狙え!』
雪洋の注意が、ガネさんたちに向いているうちにと、穏慈は牙を剥く。薫は、以前も見せた灼蝕を発し、その胴体を覆った。
『何……!』
それに抵抗するように、炎を俺たちに投げつけてきた。ガネさんの針境に阻まれて俺たちには届かなかったものの、見えぬ壁を伝って横を流れていった炎は、確かにソムさんのものとそっくりだった。
「やはり、模倣する能力は高いな。ソムの炎華が取られている、気をつけろ。ガネ、助かった」
「礼には及びませんよ。それより、ソムが見せた能力は全て取られているかもしれません。対応した反撃が必要ですね」
「仕事増やしてごめんね」
「いや、明確な打ち手ができたと考えるべきです。ウィンさん、彼らへの援護をお願いします」
「はい!」
針境を隔てた向こうで、ウィンが自然魔を発動する。それは、俺たちの武具と共鳴し、膨大な力を得た。
その武具の姿に、雪洋は驚いたようだ。薫の能力で縛られた体が動かせない中、その眼は俺たちを捉えていた。
穏慈の牙が雪洋の首元に食い込むと、唸り声を上げてもがく。動く頭部のみを振り回し、穏慈を払いのける。その反動で、穏慈は俺たちの横に戻って来た。
「どう、うまくいきそう?」
『何とも言えん。傷こそ多かれど、追い込めているとは思えん。……最悪の事態も考えるべきだ』
「本能残存か。ウィンの自然魔がかかってる今なら、今まで以上の打撃はできるかもしれない」
『ぎ、ざま、ら……どうやら退かぬようだなァ……! こんなもので……私は封じられんぞ……!!!』
バチンと弾けるような音。縛っていたものが、四方八方に飛び散っていく。その直後、大きな体は一直線に襲い掛かってくる。
『ザイヴ、動くなよ!』
それに瞬時に対応できる穏慈は、俺を銜え上げて上方に避ける。その素早さには目が回りそうだ。
「うえっ、ちょっと気持ち悪い」
『酔っている場合か! 今のうちに背に乗れ!』
穏慈が空中で停滞している間に、その体をよじ登る。恐らく、雪洋の反撃がくることを予測したのだろう。
確かに、その鋭い目は俺を狙っているようで、下にいるラオと薫には構わずに暴れ始めた。
『こうもデタラメでは……っ、落ちるなよザイヴ!』
「ぐっ……!」
回転しながら避けていく穏慈に、必死にしがみつく俺だが、空中で宙吊り状態は少し無茶というもので。
武具を片手に持っている俺の、穏慈を掴む手がその反発に耐えられないことなど、容易く想像できるだろう。
「うえっ」
『ちっ!』
宙に投げ出されはしたが、何とか体勢が整いつつあり、鎌を振り切ろうと両手で持ち直したまでは良かった。
下方では、雪洋が裂けた口を開いて待っている。次いで、雪洋のそこからは、電気が走り始めた。
「!!!」
ソムさんの能力だろう。正面から浴びて、無事で済むとは思えない。
(やばい……さすがにこれは……!)
「ザイ!!!」
「ザイヴ君!」
俺の危機を、全員が把握した。
背後からは穏慈が来ていることが分かるが、ぎりぎり間に合うかどうか。それほど切羽詰まった状況だった。
「穏慈、来たらお前もやられる!」
『阿保か! そんな心配をしておる場合……っ』
目の前に閃光が見え、衝撃を覚悟した。
─瞬間、思いもよらない能力が、目の前を通った。その色は、黒。それでいて、熱い。
『がああああああああああああ!!!! なん、何だ……!!!! あ゛あ゛ア゛ア゛!!!』
「……え?」
俺の体は、雪洋の顔の前で腕を引かれて宙に浮く。目の前に穏慈はいるが、その口元に俺はいない。
俺の腕を支える何かを見るために、顔を真上に向ける。
そこにいたのは想定外の人物だった。
「……よぉ、危機一髪じゃ。礼くらい言え」
「!!? なん、何で……!? 何でいんの!?」
俺も、ラオも、ガネさんたちはもちろん、後衛として下りてきている面々も、全員が驚いた。
「何でもくそもあるまい……吾は吾の、怒りというものを返しにきただけじゃ。そこの、化け物にのぉ」
『人型魔界妖物……!』
「ルデ……なのか……?」
下方のラオでもはっきりと捉えるその姿。
片目を失った、黒い炎の使い手。魔物を率いる特殊な融合体は、俺の腕をしっかりと掴み、穏慈の上から俺を見下ろしていた。