第百五十三話 黒ノ残虐ナ言ノ意
何事も起こらなければ、丸一日経った時に再集合することになった俺たちは、それぞれが一度分散していった。
特にルノさんは、屋敷長からの話があるということで、緊急招集がかかったらしい。本部長として同席するために、誰よりも早く場を離れていた。
「……どうなるんだろうな」
『ただでは済まんだろうからな。まあ、雪洋の片足は断たれている。ホゼとして出てきていた時に嚙み切った腕が戻っていたことを考えると、恐らく、それがきっちりと戻ってから来るだろうな』
「作戦会議ですか?」
俺と穏慈が重苦しい空気を放っている、という理由で、ガネさんが話に入って来た。作戦という程の話は到底できそうにないが、穏慈の見解を聞いておくに越したことはない。
「ううん、やっぱ不安で仕方ないし。屋敷の人が総出で打ってかかってもだめなんじゃないかとか、いろいろ。それに、ラオも」
「ん? 俺? ……俺のことは気にしないでよ」
不安の行く先は、必ずラオに向かう。
それを察したガネさんが、別室に行こうと俺たちを促し、自室へ招いてくれた。
「あの時、何かあったんでしょう? 無事に戻って来たのも束の間……時々ザイ君の表情が曇っていましたし、関係ありますか?」
表情に出さないようにしていたつもりだが、ふとした時に出ていたのか。俺自身でも気付いていないことに、ガネさんは気付いたのだとすると、どこから何を見ているか全く分かったものではない。
「あんたほんと、エスパーかよ。人を見る眼ありやがって何なんだよ」
「褒めてるのか怒ってるのか、どっちなんですか。そんなこと言っても、話の隙に結構出てましたよ……それで?」
穏慈と薫も見守る中、言葉に詰まる俺をじっと見て、その事情が紡がれるのを待っている。その沈黙は、更に俺の口を閉ざさせていた。
「俺が話す」
耐えられなくなったのだろう。ラオが、口を開かない俺を押し込んで、〈暗黒〉に閉じ込められた時、また、先程吟に聞いて知ったことを、ガネさんに話し始めた。
横で聞きながら、俺はまた、心を縛る靄に支配されそうになりながら、必死で話が終わるのを待った。
一通りの話をガネさんが知ると、余りにも酷だと、俺たちを心配してくれた。そんな事情があったという事実を、今になって知ってしまった罪悪感と、阻止する術を知らないために生まれる虚無感に、室内が包まれた。
「……すみません、そんなこととは知らずに」
「でも、俺は二人を守るって、ずっと決めてる。それを捻じ曲げるつもりもないから、大丈夫」
何度でもその言葉を繰り返すラオに、頼もしさすら感じる。一方で、それは精一杯の強がりなのではないかとも思える。そこに口を挟めるわけもなく、俺は終始黙ったままだった。
「ザイ君は、それで元気がなかったんですね」
「……うん、まあ」
「雪洋は、全部分かって俺たちを泳がせてたってことだね。端からザイに、人を殺せなんて、怖いこと言って何だお前って思ったけど」
最初に屋敷で騒動が起きた、あの時。ホゼ─今となれば雪洋─はこう言っていた。
“ためらわず人を殺すことだ”と。
今になればあの言葉も、不本意ながら納得せざるを得ない。
「……何にしても、僕たちにも君たちを守る義務はあります。尽力させてもらいますよ」
「ありがとう」
ガネさんが、この話を他の面々にも言うかどうかは分からない。ただ、俺たちの心境を考えれば、言わない選択をしそうではある。
いろいろなものを、ガネさんにまで背負わせている気がして申し訳なくなったが、ガネさんは、最後まで穏やかな表情で、俺たちを見送っていた。
俺の自室に、ラオと、穏慈、薫が入り、再度話をまとめることになった。ガネさんに話した内容もそうだが、アーバンアングランドと〈暗黒〉の繋を、どうするか。あれは、〈暗黒者-デッド-〉本来の力でなければ、失敗をしてしまった時の取り返しがつかなくなると、ずっと聞いている。
それに対し、ラオが出した案は、“共鳴”という方法。鎌と鋼槍、俺とラオが共鳴し、もとの力を最大限に発揮できる状態になれば、あるいは。そういう考えだ。
『確かに、我々から見ても方法としてなくはない。しかし、本来ほどの絶対性には程遠いことも事実だ』
しかし、穏慈も薫も、否定こそせずともこの案には消極的だった。俺たちの命を、怪異の世を案じてのもの。それは、理解ができる。
「それは承知してるよ。でも、今できる最大の策だろ」
『そう簡単に言うが、繋を断てたところで、お前たちが死ぬ可能性が大きい……ハイリスクハイリターンというやつだ』
「何でそんな言葉知ってんの? ……そう言われたら何も返せないけど、失敗しか見えないわけじゃないでしょ」
共鳴以外に、もっと良い手立てが見つかるかもしれない。最終的にそう話がつき、また、しばらく先送りにすることになった。
「それなら、次は雪洋の話だ。他を模倣する能力が厄介なら、どうするか」
『それくらい打開策はある。貴様ら〈暗黒者-デッド-〉の能力は、ここでも向こうでも特殊だ。模倣されないと思って良いだろう』
『そもそも、〈暗黒〉の中で最大の存在だ。それから、ソムやウィンの自然魔。あれもこの世では特殊だ。ガネの針術も……針がなければ模倣されんだろう』
逆に言えば、それ以外の教育師。ホゼの黒靄はもちろん、ルノさんやオミ、ガネさんの剣術的な技術は、吸収されやすいというわけだ。特殊技があっても、迂闊に手出しをすれば、同様の攻撃をこちらが受けることになる。
『まあ、ウィンの循環はともかく、ソムの息を利用した自然魔は、ソムの吐く……いわば能力を取られれば模倣されるかもしれんな』
「息を奪うって何か……反則的だけど。でもソムさんの自然魔も割と怖いから。ちょっと制限してもらおう……」
そうしてしばらくの間、どう立ち向かえば効率的に雪洋を堕とせるかと、真剣に話しあった。
気付けば、すでに外の明かりは、月のみが照らしていた。
△ ▼ △ ▼
─遡ること数時間。
少年たちの事情を聞き、自室の外で彼らを見送った僕は、一人、屋敷長のあの発言について考えていた。
ルノの体の具合。どういう意味で尋ねたのか。その時のルノは、どんな表情だったか。全く見ることができず、もやもやするばかりだ。
(……直接、聞いてみるか)
緊急招集も、今屋敷が陥っている現状について話すだけだし、そろそろ終わっても良いだろう。教育師室で話をしているはずだと、その部屋に向かった。
僕の予想通り、教育師室に着いた時に、ちょうど教育師たちがぞろぞろと出てきた。良いタイミングだったと、紛れて出てきたルノを呼び止めて、教育師室内にある小部屋に入った。
「どうした?」
「……黙っていても仕方ないので、単刀直入に聞きます。……体の具合は、って。どういうことですか?」
そう口にすると、ルノは驚いて、細い目を僅かに見開いていた。しばらく目が合った後に、斜め下を向いて目を逸らし、首の後ろをかいて、やっと僕に向き直った。
「……屋敷長の、あれか。聞こえていたのか」
「まあ、あの場にいたので。屋敷長が心配するほどの何かが、あるんですか?」
「いろいろあるんだよ、大したことじゃない」
そうして隠そうとしているルノを見ると、無性に腹が立ってきた。僕に話さない、ということが悔しく思えて、引くに引けなくなった。
ただ、そんなルノの調子に、目を見ることはできなかった。
「……隠し事。僕のことは見抜いて口を割らせるのに、自分だけ言わないつもりか。僕が知ったらいけないことか? 僕は何を知らないんだ」
「お、ちつけ、ガネ。別にまだ時期じゃないだけで……」
「何で、隠す必要があるのか……それも言えないのか?」
そんな僕に気圧されたのか、ルノは少し考えて「分かった」と言い、小部屋に設置されてある机に備えられた椅子に座るよう促した。
「……久しぶりにお前が素で話してるの聞いたな」
「あ。……すみません。何か、腹の虫が凄い騒いだので」
「いや、良いんだ。それより屋敷長はタイミングが悪いよなー」
「責任転嫁ですか?」
「そういうわけじゃないが……ま、こうなった以上は仕方ないか。でも、他言する必要はない。約束してくれ。時期が来たら、ちゃんと言うつもりだったんだ。……この、痣のことは」
痣。そう聞いて真っ先に目に入るのは、ルノの左額にある、雷のような痣。それは、僕と出会った時から確かにあったものだが、その意味までは知らないでいた。
「それが、どうしたんですか」
「……簡単に言えば、俺の病気」
鼓動が、一瞬で大きくなった。そんな話は、聞いたことがなかったものだから。
言葉を出せずにいると、ルノは続けた。
「怪我のたびに、生命力を使って治癒力を高めるその反面、命が削られていく。加えて、今以上に老いることもないらしい。つまり……奇病だな」
「待って、待ってください、それ、いつからですか」
「ずっと昔。発病したのは、まだ十歳にもなっていない頃だ。屋敷長は、この病気を持っていることを以前から知っていたから、俺の身を案じてくれたんだろうな」
聞いてしまった事実は、とても受け入れがたいもので。
命が削られていくということは、怪我をするたび死期は迫っていくということ。
ザイ君たちの話を聞いた後で、この話を聞くと、一気に近いものを感じて、狼狽えた。
「今の事案が落ち着いて、余裕ができた時に、詳しく話すつもりだった。悪い、変に不安にさせて」
「いえ……まだ、そう短くはなっていませんよね?」
「んー、多分な。ガタは来てない。本当に危険な時は、痣から血が出てくるらしい。印としては十分だろ」
「……分かりました。それだけ聞けば十分です。すみません、引き留めて」
目が熱い。どうしようもなく、居たたまれない。この場を離れて落ち着こうと、席を立って小部屋を出るために歩みを進めると、ルノは僕の腕を掴んで、逆に僕を引き留めた。
「……俺は、お前が知らないところで死ぬつもりはない。だから、全部終わった時、全部をお前に話す。その時は、聞いてくれ」
ルノに背を向けている僕は、彼の表情なんて見えない。でも、力が入る手で、その気持ちは痛みと同じくらい伝わった。
「分かりました……」
「また明日、言った通りの時間に医療室だ。今の話で忘れるなよ」
「忘れませんよ」
─それから自室に戻った僕が、しばらく何も手に付かなかったことは言うまでもない。
ただ、彼らを守ると約束した身。無理やり前向きな考え方に転換させ、やっとのことで眠りについた。
△ ▼ △ ▼
一夜明け、何事もなく過ぎたことで、昨日の約束通り、俺たちは医療室に集まっていた。
穏慈たちと練った話を説明し、戦略としての動きを伝えると、それを取り纏めるようにルノさんが指示を出し始めた。
俺とラオは最前衛。ガネさんとソムさんがその後衛。ウィンとルノさんが援護。その他教育師は俺たちのフォローができるように、じわじわと雪洋の体力を削っていく。怪異たちは思うように動いてよいと、全ての配置を決定した。
「これでうまくいけばいいな。それから、穏慈くんが言っていた本能残存。そうなってしまった場合は、模倣など考えている場合ではない。全員で一気に畳みかける。昨日の緊急招集の時に、他の教育師たちは屋敷の安全に最善を尽くすことが決定した。必要以上に人が多いと、動きも取りにくいし、被害も出やすくなる。それで、いいか」
「ええ、私はいいわ。ルノ、ちゃんとウィンちゃんを守ってね」
「俺だぞ。そんなミスするか。……そういうわけだ、穏慈くんが言った通り、足が戻れば戻って来る可能性がある。来るとすれば思惑が集まっている地下だ。そこを十分に張れ。きっと来る」
ルノさんの話が終わり、俺たちは順に医療室を出て地下付近へ向かう。その途中、ラオが一度部屋に戻りたいと言い、一人で自室の方へ向かっていた。
すぐに戻って来るだろうというルノさんの見解で、俺は、先に足を進めた。
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「ガネさん、ザイには気付かれてない?」
「多分、ルノ達に混ざって行ったので。で、何ですか、話したいことって」
自室に行きたいというのは、ほんの少しの嘘。
小さな一室で、ガネさんと、一対一で向き合っている。
ザイには申し訳ないけれど、これは、俺の意思を伝えるために必要な時間だから。
「……俺、頼みがあるんだ。ガネさんに、頼みたい」
誰もいない、しんとした中で。俺は打ち明ける。
俺の、これまでにない大きな覚悟を。
雪洋と世に向けた、最後の抗いを。