第百五十二話 黒ノ合ワサル古ノ唱
別れて行動している彼らとは別に、通常通りの講技が行われている基本クラス。
ソム教育師は、気が気ではないらしく、とにかく個人での時間を取らせ、いろいろと考えているようだった。
「あの、ソム教育師……」
「……ん? ウィンちゃん、なあに」
特に話したいことがあったわけではないけれど、一人で悶々としている師に声をかけずにはいられなかった。
話題を無理やり探そうと、目を泳がせていると、ソム教育師から頭を撫でられた。
「わ、あの」
「……心配した? ごめんね。何か、私だって力になりたいのに、いつも通りにしかできないから、歯痒くて。前のウィンちゃんと一緒だね」
優しく笑む師は、僅かに首を傾げながら私を見た。ソム教育師の指は、癖のある私の髪を通している。
少し撫でられただけで、髪留めから緩やかに下りたのか、耳がくすぐったい。
無言でいた私の心情を悟ったのか、私の返答がないまま話を続けた。
「大分前に、ザイヴ君が、ガネを越えたいって言ってくれたことがあったの。私だってガネに憧れて、強くなりたくて、肩を並べて戦いたいと思ってるのに、その上を行こうとしてる。それって、私よりも上の目標で、純粋に凄いなって思った。実際、今も私なんかよりも行動しているって思ったら……こんなことをしている場合じゃないのに、“いつも通りに”なんて、無理な話だよね」
「……あ、あの。私も、同じなんです。何かできないのかなって。ザイとラオは、凄く大変な思いをして、重たい力をもって、戦っているのに。そわそわして落ち着かないんです。……怖いんです。また、いなくなっちゃうんじゃないかって」
二人の姿が消えた時。突然一人になって、助けたいのに、できることなんてなくて、苦しかった。
いつか、また同じことが起きるのではないかと、どうしようもなく不安に駆られてしまう。
思えば、二人の背中を見ているだけになった時から、その思いは変わらない。護られてばかりで、頼ってばかりで、悔しい。
「ずっと前に、ザイと約束したこと。二人の力になりたいって分かってもらえたのに、実践できたことはほとんどないから。今度こそ、私が二人を守りたいんです」
「……うん、そうだね。ねえ、ウィンちゃんの自然魔、見せてよ。今のウィンちゃんの心なら、本当に、大きな力を出せると思うの」
「ソム教育師には、適いませんよ」
「ううん。これは───私の覚悟」
その言葉を聞いて、ハッとした。優しい目の奥にある、強く揺らぐ心理。
遅れて髪留から出てしまった髪が、首にかかってくすぐったい。垂れる髪は、私の発する自然魔に誘発されて、なびいた。
空気の流れ、生命の流れ、心の流れ、自然の循環を司る私の能力は、原子を集めて動き出す。首にかかる桃の玉が、私に応える。
「……手を振れば、思いのままに風が起きる。音を鳴らせば耳がそれを取り入れて、衝撃を出す。成分が集まれば、水も、毒素も、銀も、全部起こすことができる。そして、その場の気の流れを操作できる。それが私の持つ、本当の循環だって、ノーム教育師に教えてもらいました」
私の起こした自然魔で、周囲の屋敷生が私に目を向ける。その眼は奇異なものを見るようなものから、興味を示すものまで多様だ。
「うん、これなら私も……大事な屋敷生を安心して戦場に立たせられる」
“これは、私の覚悟”───私を信頼して、私を危険の中へと導き、命を賭すことへの覚悟。
先程までとは打って変わった、勇ましくも頼もしくもある表情を見せた。
「……ここまで伸ばしてくれたノームに感謝しなくちゃ。講技が終わったら、すぐにみんなと合流しよう。場所は多分、医療室だと思うから」
「はい」
鎮まった能力は、私と、屋敷生との間に壁を作った。私は、基本クラスの中では特殊なんだと。
例え私が孤立しても、彼らのためになるなら、私は特殊であることを厭わない。
彼らの覚悟は、私の覚悟でもあるから。
〈暗黒〉とは正反対に、白い壁に、反射する電光。体を起こせば、机に背を向けて椅子に座っているオミが目に入った。
ラオも僅かに遅れて体を起こし、腕を上方に向けて伸ばした。
「少年、どうだった」
「大体のことは分かったよ。後は、こっちで得られたものと合わせて、情報を纏めるだけだ」
「そうか。……屋敷は至って平常だ。しかし、屋敷長にヴィルスの話がいったことで、また異常が出てくるかもしれないな」
それは承知していることだが、いかにも特別なことが起きるという状況で、屋敷生たちの行動は気になる。
雪洋を、屋敷の一般人と接触させるわけにはいかない。どこに潜み、出方を窺っているのかは知らないが、遠くへは行かないはずだ。痕跡を調べていけば、また雪洋の方から姿を現す可能性はある。
「あの人たちが戻って来るのを待とう、そう長くなるとも思えない。ヴィルスのことはある程度調べてるし、そこに、屋敷長がもっている情報を加えるだけだからね」
「あとはどう雪洋を引き付けるかだね。ホゼに動いてもらうのもいいかもしれないけど、もっと効率の良い方法とか……薫知らない?」
『私に聞くな。同じ怪異でもタイプが違う。穏慈にでも聞け』
『お前面倒なだけだろ。我も知らん。ただ……懸念すべきは、本能残存の可能性だ』
本能残存───ラオが、穏慈と共に泰と争った時に現れた、怪異の型の一つだという。本能のみで生き、動き、でたらめにこちらを攻撃してくるという厄介なタイプ。そうなれば、あの大きな体の雪洋に対し、一筋縄ではいかなくなるということ。注意しなければならないのはその点のようだ。
「そんなのがあるんだな……こわ」
『今となっては今更だな。お前は怪異に足を噛まれたこともあるだろう』
「ああ、懐かしいなあ。陰だっけ? あいつもなかなかに話の通じない怪異だったね」
「俺あの時本当に……心配で心配で泣きそうだったよ……」
「いや、半泣きだったからな?」
話が逸脱しかけたところ、屋敷長に話を聞きに行っていた教育師たちが揃って医療室に戻って来た。俺たちが起きているのを見て、「早かったんですね」と、ガネさんが一言。
ほとんど変わらない間隔で、その後ろから、ソムさんとウィンも入って来た。
「講技はどうしたんですか?」
「終わらせた。私もウィンちゃんも、気になって気になって手がつかないんだもん」
ソムさんの背後から顔を覗かせるウィンは、頬をかきながら笑っていた。ガネさんも、そうして駆けつけてきた二人を追い返さず、軽くため息を吐いていた。
「まあ、せっかく集まったんだ。雪洋のこと。ヴィルスのこと。情報をまとめよう」
ルノさんが切り出したことで、まず、俺たちが怪異から得た、雪洋の話を伝える。詳しく説明することができる穏慈と薫の力も借りながら、場の全員が雪洋の性質を理解した。
それに続けて、管理官と呼ばれていたヴィルスが、屋敷で起こしていたことを、ルノさんが中心となって話した。
話をまとめると、昔からヴィルスは世の影のことを知っていて、自身を真迷いとして殺させることで、怪異となり自由を効かせて動き回っているということだ。
雪洋になった今、遊びだった行動がいつしか私欲となり、目的のための視点が大きくなった。結果的に悪だくみとなり、表ではなく、怪異となった己も生存できるように、影を大きくするという策に固まったのだろう。
「……で、その雪洋を止める手立てですが。ザイ君たちの話からすると、模倣能力はかなり厄介ですね。ホゼの一件もありますし」
「でも、能力が云々というよりも、〈暗黒〉を操作できるわけじゃない。そのためには、俺たちの力が必須なんだよ。そんな俺たちを必要ないって切り捨てたこと、忘れたわけじゃないだろ」
『……人であるお前たちは必要ない。今考えてみれば、断言はできんがそういう意味だったかもしれんな。そもそも、世の均衡を保たせているのは〈暗黒者-デッド-〉の能力だ。お前たち自身ではない』
一つにまとまった情報から、少しずつ紐解いていく。雪洋の弱点となるようなものまでは知ることもできなかったこともあり、どう食い止めるか、という点で、僅かに頭を悩ませることになった。
『……弱みは知らんが、怪異に通用する力はある。貴様らが持つ武具は、怪異に致命傷を負わせることも可能だ。それは、二人とも既知の事実だろう』
そう言ったのは、薫だった。彼の言うことは最もで、俺もラオも、武具を用い、正面から怪異に立ち向かえたことも確か。
しかし、雪洋はレベルが違うと、あの一度見ただけで感じていた。
「つまり、俺たちの能力が、雪洋を止める。でも、さすがにあんなの、俺たちだけじゃ相手しきれないよ。いくら怪異の手助けがあってもさ……」
「大きな一打を与えられなくても、支援くらいできる。要は、お前たちの武具が奴に届けばいい。もちろん、ガネの針術、ウィンとソムの自然魔。怪異に効きそうな能力をもつ仲間もいる。それをフル活用する策で行くか」
「大雑把にしかまとめられないのが何とも言えないが、仕方ないか。私も少年たちの手助けはする。私の人生を狂わせた奴だ、それなりに返してやりたい」
「ああ、そうか……オミはあいつに利用されてたんだもんな」
そう話がまとまり、次いで雪洋を屋敷の地下に誘きよせる方法を練る。
どこへ行ったかも分からない怪異を引き出すのは、かなり難易度が高い。しかし、しばらく潜んでいた場所であれば、意図せずとも妖気は残る。必ず戻って来るはずだと、穏慈は言った。
もともと怪異は妖気を求める存在であり、当然の事象らしい。
そういうことであれば、近々訪れるであろうその時を、息を潜めて待っていようと。
〈暗黒者-デッド-〉なくしては、彼の企ても進行することはないだろうという結論に至り、そう急ぐこともせず、出方を窺う運びとなった。