第百五十一話 黒ノ狭間ニ懸カル手
「真迷いとなり、今彼が戻ってきている。つまり真迷いの行く末は、化物へと変わり、別の場所に帰ってくるということだ」
「……昔、屋敷長は僕に、真迷いを知っているかと聞いてきましたね。真迷いのことを、知っていたから教えてくれたんですか?」
「結果どうなるのかまでは知らなかったものの、当時の私からしてもそれが良いもので留まるとは思えなかったからのう。それから、真迷いとして化物になり帰ってくる場所。それが、アーバンアングランドと対になった影の世界ということじゃ。君たちは、その場所のことを知って、怪異という大きな化物を知って、行動しているのだろう?」
どこまでを屋敷長に言うべきか。どこまでを、怪異たちが許してくれるのか。その判断は致しかねる。
肯定ともとれる無言の時間、屋敷長は僕たちを黙って見ていた。戸惑い、狼狽えていると、ルノが腰を上げて屋敷長と真っ直ぐ向き合った。
「俺たちは、そうしてできあがった真迷いを利用し、怪異として来たヴィルスが影からこちらを侵略しようとしている事実を受け止める必要がある。世が消える時、つまり、その影に喰われる時が近い、という意味だ。恐らく、ガネとオミが見た書物は、ヴィルスが残していた記録書のようなものだろう。それが分かれば話は早い。これこそ、屋敷の存在意義に値する。そんな暴挙に、表の世界が負けてはならないだろう」
屋敷長の言葉を摘み取り、自身の言葉にしてうまく転換させて応じるルノは、場の空気を僅かに緩和させ、改めて希望を見せていた。
僕たちがこれからとる行動は、世のために他ならない。
雪洋の謀るそれは、〈暗黒者-デッド-〉がいる限り不可能にも思えるが、彼らは直接的な繋そのものの存在をもっている。どう転ぶかは、僕たちには判断しかねるところだ。
彼らが本来の役割を果たせるように支援し、その上で討つ必要がある。
「そうじゃな……そうとなれば、打つ手を考えねばならん」
「それなら、俺に手がある。あの化物の素性なんて、すぐに割れるはずだ。得意な奴がいるだろ、小魔ってのが」
口から巧みな言葉が出てくるものだ。小魔に対象を分析する能力はない。
しかし、それはルノに限った話ではない。この場にいる僕たちも、その場凌ぎをしようと思えば、それくらいの適当話を作る。
「ならば、その分析などは任せよう。事情を知らぬ教育師もいることだ。説明できる限りの話を、これからしようと思うが?」
屋敷長ともあろう人が、それを知らないはずもない。
ルノの言葉に否定もせず乗ってくれたのは、その寛容さあってこそ。長なりに、僕たちの行動に目を瞑った。
「俺たちと、ソム、ノーム、オミは省いていい。俺たちと行動していた時間も長いし、事情を把握しているからな」
「ふむ、それでは各々行動をとるがよい。後にまた、全教育師を招集しよう」
そのように頼む、とルノが軽く頭を下げ、僕たちに屋敷長室を出るよう勧める。もちろん自身も、僕たちの後ろについて立ち去ろうとするが、その足は屋敷長に止められていた。
「時にルノタード教育師、体の具合はどうかな」
その言葉が耳に入って来た僕も、その足を止めざるを得なくなった。
聞き返そうとしたところ、ゲランが僕の腕を強く引いた。
「とっとと出て来いよ」
目は僕を見ていない。明らかに様子が変わっていた。
「そんな力まなくてもいいじゃないですか。何、ゲランは今の言葉の意味を知ってるんですか?」
「別に」
それ以上は答えてくれず、ルノもすぐに出てきたことで、医療室で眠っている彼らの元に戻ることになった。
直接聞ける隙を見せてくれるはずもなく、雪洋の話が尽きることはなかった。
......
吟は俺の問いを聞いて、しばらく言葉を発さなかった。そこに何の意味があるのか、察することは簡単だった。
「〈暗黒者-デッド-〉が二人。初めは確かにそう言っていた。けれど、業壺に呼ばれた〈暗黒者-デッド-〉が言うこととは、違いがあった。本体と制御に分かれていて、本体は俺の方だって。……吟は、知っていたのか?」
その答えが肯定であるから、間があるのだと確信を得る。
その結論に至るには、十分すぎる情報がある。
首を落とした吟からの反応は、未だに返ってこない。代わりに、深火が口を開いた。
『あまりに酷ナことデ言えヌママいたダけダロウ……どうか、吟ヲ責めなイで』
「責めたいわけじゃない。でも、ラオが消えないといけないことないんじゃないかって思って、知恵を貸してほしいんだ。俺たちの境遇を理解しているなら、少しの可能性でも手立てを知っているんじゃないかって。……縋りたいんだよ。失いたくないから」
それ以外に理由はない。吟の配慮を考えると、責めようとも思っていない。
ただ、問いたいのだ。定められた最期に抗う、その別の方法の有無を。どんな難関でも構わない、どうか失わない選択をさせてほしい。
『……デッド、スマナイ。私ガ黙ッテイタバカリニ、不快ニ……サセテシマッタ。シカシ、難デアルカ、ナイカデハナイ……知ラヌノダ……。互イニ離レル時ガ来、繋ヲ断ツノハ、本来ノデッド……ソレシカ……』
『もしかしたら、このまえのでっどがしってるかもしれないよ! どうにかしてききだせないかな!』
「秀蛾って本当、完全に俺たちの味方目線だな。ありがたいけど、怪異の中ではかなり甘いんじゃない?」
『だって、ひいはでっどにたすけられたよ。ほんとにほんとに、たすかったの。だからたすけるの』
そうして、俺たちに手を貸してくれる怪異がいることが、どれだけ俺の救いになるのか。この存在に、直接助けられていると言っても過言ではない。
「……ザイ、俺考えてたんだけど」
しばらく無言でいたラオは、腕を組んだまま俺に言葉を向けた。その視線は、一点を見つめたまま、俺とは合わなかった。
「本来の力じゃないと繋は切れない。でも、俺たちは共鳴して、本来に最も近い能力を発揮できる。それじゃあ、だめなのかな」
組んでいた腕。その右腕は、指先がラオのあごに触れるように上がった。下向きだった視線は上がり、吟を眼に映した。
ラオの提案への賛否の応じは、もちろんと言ってもいい、否定的な答え。
─共鳴は、いわば仮初めの姿。二人共々滅してしまう可能性が高い。
俺たちを、心配した言葉だった。
「でも、だからって一人だったら犠牲にしていいことはない。その手で少しでも可能性があるなら考える。……近いんでしょ、その時は」
『ソウ、ダナ……恐ラク、雪洋トノ決着ガツケバ、自然トソノ運ビトナロウ……コウシタ災厄ヲ、互イニモタラサヌタメニ』
同じことを、繰り返さないために。企ませないために。
双方は、それぞれの世界線で生きる必要がある。
俺もラオも、その世界にこの身をおいておきたい。誰も欠けることのない、普段通りの在り方で。
「俺も易々と死のうなんて思わない。俺が持ってる信念を放棄することになるからな。……吟は、俺たちには重すぎると思って、優しさのつもりで、言わなかったんだろ?」
『……シカシ、ソレハ追イ詰メルダケノ……モノトナッテシマッタ』
「いや、むしろ、逆境に向かえる強さが必要なんでしょ。俺たちは俺たちで生きて見せる。俺はそういう覚悟をもてたよ。ザイはどうか分からないけど」
そうラオに言われ、視線を向けられる。それに気付いていながら、俺は合わせることはなかった。
抵抗するしかないし、抵抗する方法すらも、自分で見つけるしかない。吟が守り神とはいえ、〈暗黒者-デッド-〉について、今以上に詳しいことを知らないのでは、どうしようもないのだから。
ただ、その答えが聞けたからこそ、正面から向き合おうと思えた。俺が俺を失わないための、覚悟に。
「一つ言えることは、これからも怪異の力は存分に貸してもらいたい。それだけだよ。……穏慈は、保護者みたいだから言わなくてもそうしてくれるよね」
『それは我をからかっておるのか』
「まさか。頼りにしてるんだよ。……話がはっきりしたんだ、屋敷に戻って、情報を纏めよう。まずは、雪洋の行動を抑圧する。それが最優先だ」
怪異たちの、当然と言わんばかりの協力の同意を得た俺たちは、手にした情報を持ち帰るために、〈暗黒〉を離れることとなった。
吟は最後まで、申し訳なさそうで、悩ましい表情……というよりも、雰囲気を醸し出していた。
それを拾うことなく、俺たちそれぞれに付く怪異と共に、再びオミの待つ医療室で目を覚ました。