第十四話 黒ノ地ノ奇ナルモノ
〈暗黒〉編
「ザイ君は僕が預かります。ラオ君には、ウィンさんのことを任せますね」
「え? ザイなら……」
「……ウィンさんに身近なあなたが、どうやって誤魔化しを利かせるつもりですか」
考えてみれば、それもそうだ。共通に理解を持っているのは、今この場にいる三名のみ。もしも、ザイの様子に気づいたウィンが俺に問い詰めてくれば、俺も誤魔化しきれないかもしれない。
「そっか……。じゃあ、お願いします」
ガネさんはザイを担ぎ上げると、自室の方に向かった。
部屋にいない、というのも問題ではあるが、俺よりもガネさんの方が、ウィンとは関わりが少ない分誤魔化しやすいはず。隙を見て、時々様子を見くことを伝えて、部屋に向かった。
......
穏慈と共に〈暗黒〉に来た俺の前には、やはり以前と何の代わり映えもしない、真っ暗な世界があった。
「こんな場所で、よく見えるよね」
『当然だ。怪異の要素だからな』
要素といえば、ガネさんから聞いた話を思い出す。しかしそれは、怪異だからこそ不自由にならない点で、俺はこれほどの暗闇には慣れてない。
特異だとしても、そもそも人間である俺に、怪異の持つ要素なんてものは通用しない。
『先に吟のところへ向かうか。乗れ』
可能性だけのものを背負っているうちは、他の事は手につかないだろう。まずは片割れの件を確認するべく、怪異の姿を悠々と見せる穏慈の背に乗った。
しばらくして、穏慈は迷う間もなく吟を見つけ、足を止めた。吟も、俺たちが近づいていることを察していたようで、待っていたと、歓迎の意を表した。
「聞きたいことがあって来たんだ」
話を逸らす理由もなく、すぐに本題に入ろうとワンクッションだけおいて、反応を見た。吟はじっと俺を見て、僅かに首を縦に振った。
『ヨカロウ……。デッドノ役ニタテル、ノハ……私モウレシイ』
「前にも聞いた、〈暗黒者-デッド-〉のことなんだけど……。やっぱり、薫が見つけた人間が、〈暗黒者-デッド-〉の片割れだっていうのは確実なのか知りたくて。あの時吟は、薫を訪ねろって言ってくれたよな?」
その問いを受けた吟は、しばらく無言を通した。呼びかけても、返事がない。その様子から、まさか答えてもらえないのかと、視線を落として少し落ち込んだ。しかし、穏慈は俺に『気を落とすことはない』と変わらない様子で言った。
再び視線を吟に向けると、ギラリと光る目が俺をとらえていた。吟はもっと近くに来るようにと、そっと手招きをする。穏慈はその場に座り、俺は行けと背中を押された。
吟のすぐ前まで寄ると、不思議な感じになった。
『……ソウカ、アノ人間ノ……友人カ……』
俺の心を読み取ったらしい。ラオと俺の関係性を見抜かれ、頷く。俺はよく知らないけれど、分裂なんてしない存在が分裂している。そのことを聞くには、ここをよく知る吟にしか頼れない。
『……イイダロウ……コタエヨウ』
すると、吟はそのしなやかな腕で俺を包み込んだ。軽い、綿のような感触に近く、しかし温かさを感じた。その腕が解けた時、吟は再び黙り込み、俯いた。それを確認したと同時に、穏慈は俺に歩み寄り、大きな尾を俺の頭に乗せた。スルスルと流れるように落ちている尾は、優しい感じがした。
『……デッドヨ……』
吟が俺を呼ぶ。それに自然と応え、俺が吟を見る。
『彼ハ……片割レダ……コノ空間ハ、嘘ヲツカヌ。……啼イテ、イル』
こうはっきりと言われては、返す言葉を探すも、うまく出てこない。どこかでその答えがくるものだと分かってはいたけれど、落ち着かない。
─ラオがそうなった日から、俺たちは普通ではなかったということだ。
「絶対、なのか」
『アァ……。スマナイ、デッド……。嫌ナオモイニ……サセテシマッタカ……?』
その噛み締める俺の口元を見逃さなかったのか、吟は俺を気遣ってくれてた。吟が悪いわけではない、俺にそれほどの自覚がなかっただけかもしれないのに。
「ううん、……知らないことが分かったんだ、すっきりしたってことにするよ。多少はキツいけど、でも何か、あぁそうなんだって、吹っ切れたよ」
『アァ、オ前ニナラ……手ヲカシテヤラネバ、ナルマイ。マタ何カアレバ……タズネテコイ。……穏慈、……必ズ、全ウシロ……』
〈暗黒者-デッド-〉とはいえ、人間の俺の力になってくれるという。そう言った吟を、頼もしく思う他ない。そして次第に、吟の体を纏う澄んだ光は薄れ、共に吟は静かになった。
『なかなかやるな、ザイヴ』
「吟が優しいんだな。……ラオのことも、ちゃんと分かったし」
『あぁ、間違いないようだ』
穏慈は俺を、黄色く光る大きな眼でじっと見る。何を考え、何を感じているのかは俺には察せないけれど。俺自身を見て、気遣ってくれる怪異だと、今なら思える。
『……ザイヴ、そういえば肩の傷はどうだ。血の臭いが薄れておるが』
「え、そう? まだ結構かかると思うけど……でも痛くないな」
心なしか、腕が軽く動く気がした。触れても痛みはない。もしかして、吟が俺に触れたからだろうか。なんて、都合の良いことを考えた。
......
ニ人が〈暗黒〉に行ってから、こちらでは既に夜を迎え、一日が終わろうしていた。
「長期休暇はあと三日……か」
自室にいる僕は、ザイ君を自分のベッドに寝かせ、机に座っていた。本来であれば医療担当の教育師に任せるところだが、事情が事情なだけに勝手には連れていけない。教育師らしく、今は休み明けの講技や座学のことも考えながら、様子を見ている。
(……そうだ。クラスの変更を頼まないと)
ザイ君の個人記録を黙読し、自室から内通をかけた。ほとんど内通を使うことはないため、そこにある意味も成していないが、今使える状況にあることには感謝した。
僕からの知らせを内通機ごしに受け取り、そに相手は応答した。
「ソム、今良いか?」
《どうしたの?》
女教育師、ソム=ネロ。ホゼ=ジートが持っていた基本クラスの担当を引き継ぐ形で、ソムは休暇明けの準備に追われているところだろう。ちなみに、僕の中では数少ない馴染みある教育師だ。
「ソムのクラスになる予定の屋敷生に、ザイヴという名の子がいるはずだ」
《あ、うん。いるよ》
「そのザイ君、僕がもらおうと思う。明日、僕の部屋に来てくれ」
......
『これからどうする。そもそもここを知る為に来たんだろう』
「あー……。その前にさ、ちょっと整理というか、休ませて。色々衝撃で疲れた……」
『あ? ……チッ、仕方ない』
舌打ちをしながらも、俺の言葉を聞いてすぐに地の臭いを嗅ぎ、フン、と鼻を鳴らすとその場に腰を下ろした。俺を見て、顔を使ってここで休めと促している。
〈暗黒〉に休息地を求めた俺も悪いかもしれないが、星がない夜空の下の野原で一夜過ごすようなものだ。怪異から見れば、それぞれ縄張り意識というものは特にないのかもしれない。
『……我の体を使え。文句はないな』
「そういう問題じゃないんだけど……。まあ、遠慮なく」
穏慈が伏せている場所で、穏慈の腹部に背を預けて力を抜く。その俺の上に穏慈の尾が被さると、その毛の多さのおかげだろうが、すぐに心地良い温かさが体に渡っていった。
「……意外と暖かいな」
『意外だと? どけ』
「気に障るとこかよ!」
『引っ張るな!』
穏慈の尾を引きながら、二又に分かれている一方が上方で揺れているのを見る。そのゆらゆらとした動きで、徐々に睡魔に襲われていった。
『……ん? ……あ゛あ!? 寝るとは聞いておらん、戻ってからにしろ!』
そんな文句を聞き流し、俺よりも相当大きな穏慈に包まれて、俺は瞼を下ろした。意識がこちらに来ている時も、睡魔は来るものなんだと、変なところで感心していた。
あれからどれくらい経ったか、ザイヴは寝息を立ててすっかり眠っている。待つ我の暇さと言ったら計れぬが、そんな我の前には、以前ザイヴを喰うと言っていたあの怪異が浮いていた。
遠回しに言うまでもなく、はっきり言って、まずい。
『何の用だ、陰』
『クケケケ……イブツダナ……イブツダナ……。ヨコセ旺……!』
『その名で呼ぶな。それに異物ではない。お前も〈暗黒者-デッド-〉だと分かっているだろう。気安く近寄るな』
旺。それは、ある理由から棄てた、我が持っていた過去の名だ。馴染まない怪異の中には、以前の名で呼ぶ怪異もいるが、正直虫唾が走る。しかし、今はそんな虫に構っている場合ではない。
『チッ……キサマガイタノデハクエヌデハナイカ……クエヌ……!』
『お前がこいつを殺そうと言うのなら、我は黙っておらんぞ。我の主だ。今度こそ引きちぎってくれる』
ザイヴは警戒心なく眠ったままで、気づく気配もない。すぐにでも目の前の怪異に飛びかかってやりたいが、離れた隙にザイヴに噛みつかれてはたまったものではない。どう行動するか考えていた矢先、陰は唸り始めた。
『グゥゥウウァァアアア!』
『!』
唸ったかと思えば、陰が勢い良く飛びかかってきた。認知してから寸秒足らず、ザイヴを銜えて宙に浮き、少し離れた場所に移動する。あの様子では、また来るだろう。面倒なものに目をつけられたものだ。
「……ん?」
『少しは気づけガキめ。我がいるからと警戒を解きすぎるな』
「……何で俺ぶら下がって飛んでんの?」
ある程度飛び回り、陰の気配もあっさりなくなったことを確認した後に、再び地にザイヴを下した。
すると、もう少しだけと言って座り込んだ。それから、無言の時間はまた、続いた。
......
「ガネさん……あれ」
「あ、ラオ君。おはようございます」
「あなたがラオガ君ね。初めまして、ソムです」
俺がガネさんの私室に行くと、そこにはソム教育師がいた。ソム教育師がいる理由を尋ねると、ザイがクラスを変わって応用クラスに来るということを聞かされる。
「俺と同じクラスになんの!?」
ガネさんは笑顔を作って頷く。きっと、事情を知っているガネさんが担当の方が面倒を見やすい、という魂胆だろう。
ソム教育師にどう説明したのかはあえて聞かないが、それならそれで俺も少し安心だ。
幸い、ガネさんの机の位置からベッドは見えない場所にあり、ソム教育師も恐らく、まさかそこに眠っているとは思わなかったのだろう。
「ガネなら、私は問題ないよ。彼も実力はあるみたいだし。じゃあ、ザイヴ君をお願いね」
「任せてください」
ソム教育師は静かに席を立ち、何も触れずに、速やかに部屋から出て行った。その姿は、気づかないふりと言うよりも、ただ本当に気づいていない様子だった。
「でも、何でいきなり」
「あ、ラオ君には言ってませんでしたね。鎌を見つけた時、ホゼが仕向けてくる挑戦のようなものが残っていたんです。教育師室にザイ君が一人で来た時に、僕のクラスに変わるよう声はかけているので問題もないですよ」
未だベッドで寝続けるザイを、俺たちは静かに見守る。ホゼにつけられた傷口を塞ぐ包帯には、ほとんど血は染みていなかった。
「さて、肩の包帯変えてあげましょうか。ラオ君手伝ってください」
「うん」
ザイは今、俺の真実を探して向こうに行っている。俺は、ザイが持って帰ってくる事実を、受け止める覚悟をしておかないと。
もう、きっとあの時点で覆らないはずだから。
「ガネさん、俺……」
「あなたの不安も分かりますが、今は考え込まなくてもいいと思いますよ? 休み明けからはすぐに鍛え上げますから、覚悟しておいてくださいね」
「えっ、……はーい」
ガネさんの言う鍛え上げる、は、結構厳しく組まれる講技だということは、応用クラスの俺はよく知っている。顔は引きつるものの、俺たちへの協力を惜しまない様子のガネさんに、少しだけ感謝した。
「あれ……? この傷、こんなに浅かった?」
「いえ。……向こうは、まだ色々と知らない仕組みがあるんでしょうね」
包帯の下から覗いた傷口は、昨日と比べてもかなり塞がっていて、とても人の治癒力で成し得られるものとは思えなかった。