第百四十八話 黒ノ見染メタ怪
追憶編
真相そのものに関わるホゼ=ジートが屋敷に現れたことで、事の成り行きは、俺を含む全ての関係者が把握するに至った。
長が屋敷長と呼ばれ始める前の、屋敷管理官と位がついていたヴィルス=ザガル。真迷いの末に亡くなり、怪異雪洋として、再度世に戻ってきているという事実は、その本人が断言した。
そのため、次に俺たちがするべきことは、逃げた雪洋を再度追い詰めるために、過去の情報を絞り出すこと。そして、今の姿を理解すること。怪異二体の力でも、抑えることは困難であったことから、容易に事が進まないことは明確である。
それならばと、屋敷内では管理官の情報を、〈暗黒〉では雪洋についての情報を、それぞれ収集することとなった。
そして、行動を開始させるのは、夜が一度明けた後のこと。
「まさか、ホゼが二人いて、かき乱してたなんて、想像もしなかったな」
大きな敵がいることが分かり、気が気でない夜を過ごすことになるかもしれないと思っていたが、屋敷内部は予想以上に落ち着いていて、その様子を疑わずにはいられなかった。
しかし、よくよく話を聞くと、昨日の時点で雪洋のこと、ホゼとの隔たりができた理由と、今いるホゼの状態についての全てが屋敷長に伝わったことで、大きな混乱が起こる前に、屋敷長が手を打つことができたのだという。
「そうだな……何で俺も気付かなかったんだろ」
「それだけ模すことができたってことだ、侮れないよ。よっぽどホゼを観察したんだろうね」
そんな、静かな夜が変わらないままに、眩しくなる屋外は、俺たちに最後の戦いの幕開けを見せているかのようだった。
雪洋さえ止めれば、全ての計画を無に帰すことができる。敵わなければ、俺たちは世界もろとも〈暗黒〉に包まれ、いずれ生を遮られるように死に向かっていくだろう。
ただ、俺たちは怪異の思うままになるつもりはない。
俺とラオが握る、表裏の繋の行く先は、俺たちの手がかかることで、本当の意味を成し遂げる。
「……じゃあ、今からのことを確認するためにも、ちゃんと時間通りに集まらないと。いつもの場所に」
「うん。討つべき相手が明白になったし。相応に、構えないとね」
事情を全て受け入れた屋敷長が、屋敷内をホゼが自由に歩くことを許したことで、ホゼも、医療室に行くことができるようになったらしい。
俺たちは普段と変わらず、情報共有を行う場所としている医療室へと足を運んだ。
医療室には、すでに顔が揃っていた。俺たちが到着したことで、ルノさんの切り出しによって話が進むことになった。
「まず、今からやってもらうことを確認する。雪洋、もといヴィルスの情報収集として、ザイヴ君とラオガ君、そして怪異には〈暗黒〉に行ってもらいたい」
『ああ、もちろんだ。今の奴のことについては我々に任せてくれ』
それを快諾する穏慈の表情は、いつになく真剣で、張り詰めた気さえ感じさせている。それは場にいる全員に言えるが、その発言で、その雰囲気を高めたのだろう。
「それから、こっちでのヴィルスについての調査は、俺、ガネ、ホゼ、ゲランの四人でする。俺はヴィルスが管理官だった時に、少しばかり屋敷生として属していたし、ホゼも被害者の一人だ。動いてもらった方が良いだろう。その存在自体を知らない者では、調べを進める中で難しいところもあるはずだ。名の上がらなかった奴は全員、通常通りに頼む。その上で、何か異変があればすぐに屋敷長か俺に知らせろ」
本部長の指示に反論を出す者もおらず、集まって僅か数分の内に話は終了となった。例のごとく、ウィンからは心配の声を浴びるが、雪洋と接触をしにいくわけでもないのだから、と、帰りを待ってもらうよう約束をした。
屋敷内にいる、というだけあってそれなりに安全は確保されているはずで、気の置けない関係を築けている教育師たちがいる。
それだけで、俺は自身の目的に対し、真っ直ぐに視線を向けることができている。
「そういうわけで、解散だ。準備ができ次第、お前たちはすぐに向かってくれ。善は急げと言うからな」
「分かった」
「ザイ君、ラオ君。雪洋に傷を負わせたとはいえ、いつ何が起こるか分かりません。調査、気を付けてくださいね」
ルノさんの言葉に付け足すように、ガネさんは俺たちの身を案じてくれる。初めから俺たちについて、多くのことで協力してくれた教育師はガネさんのみで、この人ほど、〈暗黒〉絡みでの事柄に関して頼れる人はいない。
何も分からない事態に遭遇した俺たちに、親身になって寄り添ってくれていたことで助けられていたことを、今になって実感した。
「うん。でも、心配しないでいいと思う。穏慈たちがいるし」
『全く本当に、我々を頼りおって。しかしまあ、その期待には応えねばなるまい。こちらのことは任せたぞ。すぐに向かう』
「ああ、頼む。奴の暴走を止めるために、できるだけ多くの情報を集めよう」
ルノさんは、この場を早々に切り上げさせるために、自ら医療室を後にした。それに続くように、屋敷での調査をすることになったガネさん、ゲランさん、ホゼの三人が、ばたばたと姿を消していった。
残された俺たちと女性陣。ソムさんも、不安そうな表情を浮かべてこちらに視線を向けている。
「ソムさん、そんな顔してないでウィンを頼むよ」
「……ああ、私は別に」
そうかと思えば、俺たちに対しての不安はもっていないのだという。信頼されているということなのだろうが、その言葉にそぐわない表情に納得はいかない。
「じゃあ何で、元気ないの?」
俺がそう思ったように、ラオも同様のことを尋ねる。気にならないはずがない、特に、ラオのような性格であればなおさらのことだ。
「うーん、元気がないつもりはないんだけど。何でだろうね」
ぱっとしない笑顔で、僅かに首を傾げて俺たちを見る。しばらく考える仕草を見せると、次いで、「やっぱりなし」と、今しがたした発言を撤回した。
「……多分、分かっているから。これを解決したら、全部が終わるって。そうした先で、私たちの関係がどうなるのか、少し、気になるのかもね。今私たちが結託しているのは、巨大な勢力に立ち向かうため。……ザイヴ君とラオガ君。そしてウィンちゃん。これが終わったら、どうしたい?」
それは、これまで見えなかったものを、可視化する言葉だった。目前にある目的は、少し手を伸ばせば届くところにある。現実味を帯びるソムさんの投げかけに対してどう答えるべきか、俺は悩んだ。
「どうしたいも何も、俺たちは俺たちでいるつもりだよ。今まで通りに、俺を追ってきてくれた二人と、可能な限り一緒にいるよ」
その答えは、俺の脳をかき乱した。
ラオは、本当に気付いていないのだろうか。辿り着いていないのだろうか。思考はそれで埋まってしまった。
「そっか。そうだね。今まで通りでいいよね。……よし、ウィンちゃん! 明日から、講技がんばろ! こっちのことは、みんなに任せてさ!」
「あっ、は、はい……そうですね」
「もー! そろそろかしこまらないでよー! 私とウィンちゃんの仲でしょー」
「教育師と屋敷生の仲ですよ! とてもレベルが違いますから……!」
ソムさんのスイッチが切り替わると、俺たちを置き去りに話が進み、打って変わって平常になった二人はノームさんを連れて、場から立ち去った。
『……そろそろ行くぞ』
「ああ、うん。ねえオミ、ここの番、どうせいないでしょ? オミに任せていい?」
「所持者はすでに行ってしまったからな。良いだろう。少年たちの身のことは見ておこう」
「ありがとう」
残ったものと言えば、オミだけだ。医療担当が不在となってしまった現状では、任せる他なく、俺たちが〈暗黒〉にいる間の番を頼む運びになった。それはそれは快い返事で、滞りなく、俺たちは闇へ、その意識を向かわせた。
......
慣れた暗闇で、瞼を数度開閉させる。俺たちの身は、昨日とは全く異なる居心地の良さに、思わず溶け込んでしまいそうなふわついた感覚を覚えていた。
より正確に言えば、以前よりも快適、ということだ。
『……さて、どうする。雪洋の情報収集であれば、吟に聞いても良いだろうが』
「……それも良いけど、あいつ。業壺だ。会って早々に〈暗黒者-デッド-〉を呼び出して、情報を引き出させた。俺たちの身が危なかったからかもしれないけど、知っていたからこそ、そうしたんじゃないかって思う」
前回が初対面であるはずの、俺たちと業壺。その一度で、業壺は自らの能力であるという〈暗黒者-デッド-〉の呼び出しで、俺自身の意識を押し込めた。結果、俺たちが真実へと導かれたわけだが、よく考えてみれば、分かった上での行為だったようにも取ることができる。
「なるほどね、俺もザイに賛成。先に業壺に話を聞いた方が良さそうだ。今回は、俺たちも俺たちの意識で話させてもらおう」
『……だ、そうだが。薫、異論はあるか』
『私も貴様らの通りで良い。とにかく雪洋のことを知らねばならん。その目的が表裏の一体化であるのであれば、それは〈暗黒者-デッド-〉も大きく関わるはずだ。吟を訪ねるのは業壺の後でも良いだろう』
薫の発言に、穏慈も『最もだ』と頷き、さっそく俺たちを背に乗せる。業壺の臭いを探して駆ける薫を、穏慈は同様の速さで追っていった。
俺たちはといえば、その抵抗に体を持っていかれないように、必死に怪異にしがみつくばかりだった。
─そして、業壺を前にした俺たちは、雪洋の存在が生まれた時のことを、知ることになる。