第百四十六話 黒ノ弄シタ業ノ依
追い求めてきた、本当の敵を前に。
自身の耳を疑うとは能く言った言葉があったものだが、まさにそうする他ない衝撃に、俺たちは必死にしがみつこうとしていた。
「そんなこと……許されるわけないだろ!」
雪洋はヴィルス。
それならば、なぜ自身がいた世を滅亡へ導こうとするのか。その見当はつかない。
世に対する思い入れがあっても良いものなのに、わざわざその手で壊そうとする意図には、到底たどり着くことなどできないだろう。
『ああ……ああ、いいな。その、堕ちゆく表情。……そもそも、この世を安定させているのは闇の世だ。それなのに怪異の自由が効かないとは、どういうわけだろうなぁ』
『世の理とはそういうものだろう。適応したものが、適応した場所で息をする、至極当然である生に不満を抱くか。傲慢な怪異もいたものだ』
『くくく……もともとは少し掻き乱して遊んでやるつもりだったのだ……しかし私の手により崩壊したとなれば、貴様ら人間はその先で怪異に追われ、怪異の世となると言っても過言ではない。興が乗じ昂ぶるだろう!』
動きを封じられている雪洋であるが、これまで散々引っ掻き回しておいて、あっさりと口を割る。
最後まで公にしない選択もできただろうに、本部長の立場というのはそれほど大きいのか。はたまた、それが今の雪洋の考える策なのか。
「……そんな話はどうでもいい。今お前が考えていることくらい予想はできる。長居することほど、恐ろしいことはないんじゃないのか?」
俺たちの横から雪洋に歩み寄るのは、利用され続けていたとされるホゼ本人。冷静さを出しているつもりだろうが、その悠然な態度こそが、こちらの身を震撼させている。
『だったらどうした? 貴様らが私に敵うとでも言いたげな口ぶりだな』
「お前の真意を知った以上、直接屋敷を管理しているトップはそれを逃す理由もない」
剣銃を向けるルノさんは、銃の機能を使用するために相応の持ち方で銃口を対象に合わせる。躊躇うことなく大きな発砲音を響かせ、反動と共に銃弾が弾き飛ばされた。
『があ……っ』
横から見ると平らに見える刃の側面は、刃先から視界に入れると弾を発するそれらしい装備がなされており、その銃口からは煙が立ち上っていた。
動けないことが幸いし、外されることなく、それは雪洋の片目を潰した。雪洋の目から溢れ出る血が、身を染めていき、ぼたぼたと地にこぼされるも、当の怪異は特に気にする様子は見受けられない。
「……ルノさん、こいつ」
その様子を目にした俺は、すかさずルノさんに注意を促すが、その必要は当然、無いに等しいもので、彼はすでに次の手に備えて弾を装填していた。
「そうだな。打つ手があるんだろう。ホゼ、長居するほど恐ろしいことはないと言ったな?」
「敵の本拠地に、単体で乗り込んできているんだ。そりゃあいろんなものが露呈するかもしれないだろう」
「足を止めることができている今のうちに、雪洋をどうにかすることが先決です」
まあな、とガネさんに答えたホゼは、太刀を雪洋に付きつけ、一瞬で足を切り落とした。
『!!』
『何、その太刀であの足を……!?』
太さのある足は、ぼとんと転がるような音を立てて、床に倒れた。バランスを崩した雪洋は、切られた足のある方に傾き、顔は床と接触した。
ちょうどそんな時、地上に上がっていったウィンとゲランさんが、場に戻って来た。ウィンの手には豊刈、ゲランさんの手には莫刀が握られ、戦闘態勢は十分に取れているようだった。
「上の方は何とかなってるぜ。ノームとオミに見張ってもらってる。屋敷長にも話は伝わった、てめーのこともな!」
『ぐっ、ゔう……!!! 貴様ら、私を嘗めるなよ……!!!』
ついに危機を感じたのか、薫がかけた能力を強引に解こうともがき始め、周囲の壁、床に、構わずその身を打ち付けながら、ついでにと言わんばかりに俺たちに向けて牙を見せる。当然、怪異に噛みつかれた際の殺傷力を知っている俺たちとしては、それをまともに受けることは避けるべく、激しく動く怪異から目を離さないように足を動かす。
ラオはすぐにウィンを庇えるようにと、手を引いて少し距離をとり、鋼槍を前方に構えて立っていた。
そうする雪洋に、穏慈と薫のみが隙あらばその身を引き裂こうと尽力している。
ルノさんやガネさんでさえ、暴れる怪異の動きには対応しきれず、遠方から太刀打ちができる策で踏ん張っているが、それでは埒も開かないだろう。
「ザイ! 構えろ!」
俺もどうにかしなければ、と思ったところ、後方からラオの声が届いた。振り返りつつ、鎌を持つ手に力を入れると、鎌の纏う気配が変わった気がした。いや、正確には、能力を向上させられた、と言った方が良いかもしれない。
ウィンの手にあった豊刈の入った小瓶は割られ、ウィンの首に下げられている桃色の玉は、強く、淡い光を放っていた。
「!! ウィン……!」
「この場の循環力を高めたの……うまくいったみたい! ザイ、ラオ、今のうちにあの怪異の動きを抑えて!」
ウィンに言われるまでもなく、俺たちの足は動き出していた。真っ直ぐに、足の不自由を解放するべく抗う雪洋の、首元、そして腹部に、それぞれ分かれて狙いを定める。例によって、武具の能力に頼ることになるが、接近戦では思い通りに動けないだろうということを考慮し、遠方からでも効果を出せるもの。
─俺は潰傷鎌を。ラオは眩耀断を、雪洋目がけて振り切った。ラオのそれを見たのは初めてだったが、その軌道が向かった先で、怪異の腹に入れられた傷の部位からは、鋼槍が放つ光と同様のものが溢れかえった。
『ギャアアアア゛ア゛アアアア゛アアア!!!!』
枯れそうな叫び声は、おそらく地上にまで聞こえているだろう。首周りや腹部からの出血を目にしながら、俺たちは数歩後ずさる。
それに反して、俺たちを庇うように立ち位置を変えたのは、ルノさんやガネさん、ゲランさんにホゼといった教育師の面々だった。
「それ……」
「泰の時に、使えるようになったんだよ。自然魔の助けもある今なら、あの時以上の効果があるはずだ。まぁ、こいつにはそう簡単に効かないみたいだけどね」
複数の壁がありながらも、その向こうでほとんど変わらない状態で立つ怪異に、恐怖を覚えるほかない。ラオの言う通りであれば、その能力の効果はその時ほどの意味をなしていないことになる。暴れまわることはしなくなったものの、大きな体で立つ怪異は、こちらに鋭く睨みを利かせていた。
『……嘗めるなと、言ったはずだ……人間どもめ……!!』
場の空気を、そのまま黒くするかのように、どすの利いた声でそう発する。まずい、とホゼが太刀を前に構え、自身の扱う靄を纏わせる。起こり得ることに予測が立たない俺からしてみれば、先が見えないだけの不安しかない。
「ホゼ、どういうことですか!」
「くそほど怖え大技を出してくんだよ! 教育師が一斉にやられた時のやつだ! 止めねーと吹っ飛ぶぞ!」
俺の代わりに、というように尋ねたガネさんは、その答えを聞いて、針境をかけるために穏慈や薫を呼び戻し、針術を床に並べるように飛ばして刺した。
「それあんのかよ、もっと早く出せコラァ!」
「はぁ!? あなたが勝手に前に出たんでしょう! 文句ばっか言ってないで何とかしてください! 一番観察していたのは誰ですか!?」
「ごもっともだ、怒るな! あーもしかしたらその術も壊されるかもしれねーなー!」
「針術にケチつける暇があるんですか!」
こんな危機を直接感じる場でも言い合いをする二人の間で、それどころじゃないだろうと抑制に入ったが、ガネさんはホゼを睨み付けてかなり恐ろしい顔をしていた。
それを見て、思うことはただ一つ。
「お前ホゼとも仲が悪かったのか? すげー荒くなってるぞ」
ルノさんが、俺の思ったことと同様のことをガネさんに尋ねた。
「今はどうでもいいです、吹っ飛ばないように止めますよ!」
「あんたが喧嘩腰なんだろうが!」
思わず口を挟んでしまったが、ハッとした時。緊迫した状態で、雪洋の大技、と思われるそれは、雪洋の前で徐々に大きさを増していき、まるでブラックホールのような歪さを見せていた。
五感が、体が、そのまま“やばい”と感じている。
ホゼを筆頭に、大技を避けるべく、男性教育師が前に並んでいる。
しかし、それは怪異の能力。侮ってはいけない。何か、打ち消せるものがあるのではないかと。無謀にも頭を捻ると、一つの案が浮かぶ。
それは、俺たちが〈暗黒〉内で、もっとも力をもつ存在であるということから導かれた。
ゴゴゴ、と竜巻でも襲ってくるかのような地響きと、それに伴う音が大きくなる中、俺はそれを提示した。
「……失敗は許されないんですよ?」
もちろん、大人からは反対の声ばかりが飛んでくる。しかし、それで折れる俺ではない。
─俺とラオが共鳴し、歪を作るときの要領でやれば、打開できる可能性がある。
どこかで、そう確信しているから。
『我々がフォローしよう。さすがに怪異のものは、そのまま受けては身がもたん。怪異を上回れる二人に託してみても良いだろう。ただし、一度だ。それ以上になるならば、逃げた方が賢明だ』
「……穏慈くんが言うなら、仕方ない。やりなさい」
「ラオ、やるよ!」
「分かった!」
武具を持つ手に、更に力を込める。〈暗黒〉での大きな負担を乗り越え、その先の真意に辿り着いたことが、再度身に染みてくる。今それに飲まれるわけにはいかない。必死で共鳴に集中し、ラオと能力を合わせる。
強く透明に輝く武具を見た雪洋の目が、一瞬焦りを浮かべたことを、〈暗黒者-デッド-〉の眼は見逃さなかった。
「──このまま、斬る!!」
穏慈と薫の背を借りて、雪洋の目の前まで接近する。向かって左右を向くように背を合わせ、同時に武具を振り上げる。
瞬間、豊刈を借りたウィンの自然魔が効いているのか、あの時よりも強大なそれが放出できる気がした。
その気持ちだけで、俺たちは武具を下方に、思い切り振り切る。
俺たちが背を借りている怪異が、雪洋の横を通り過ぎ、何かが弾けたのが見えた。
『な、何……! ここでも、共鳴が……!? ちいっ!!!』
弾けたのは、大技と呼ばれたそれだったらしく、先程までの地下を埋め尽くそうとしているかのような膨張は、綺麗に失せていた。
打つ手を失くしてしまったのか、雪洋はホゼ同様の靄を纏い、こちらの制止を聞く間もなく、消えるように、一瞬で去って行ってしまった。
俺たちの共鳴も、ほぼ同時に解かれた。
「……二人の力で、こうも簡単に退けるか」
「逃げた、っていうことだろうね。でも、二人がいなかったら……とにかく、こんな場所であれが暴発しなくて良かったわ。今回は私が役に立てなかったね」
「ソムは気にすることなんかないだろ。雪洋は、道も示さず逃げてしまった。そのうち、また現れる時を待つしかない。その間に、俺たちは知る必要があることがあるだろう。なあ、ホゼ=ジート」
ルノさんのその一言で、場の全員の視線がホゼに向けられる。もちろん、情報の交換をしないといけない、と言ったホゼ自身、それには快く頷いて、そして、謝罪をした。
「そもそも、私がヴィルスに利用されてしまったことが事を大きくしてしまったんだ。もっと注意をしておけば……いや、たらればを言ってもどうにもならねぇ。……そう間も空かないうちに、どうにかして私たちの前に現れるはずだ。私は未だに、公に見れば追われている身。こんな地下で良ければ、私が見た全てと、お前たちに起きたことを、全て話そう」
砕かれかけている壁。穴の開いた床。瓦礫が僅かに落ちていく音。事の有様は、事態の説明をするまでもない惨状で。
落ち着いて座って話ができるかと言われれば、きっとそうではないけれど。
「……少し奥に、扉を隔てた一室がある。そこなら、少しは落ち着けるかもしれないな。見張っている二人も、呼んできてくれないか」
ホゼの、本当に申し訳ないという表情と、時間もほとんどないだろうという余裕のなさから、俺たちは、この地下で、互いの話を一つにするべく、集まることになった。
─そして、全ての始まりが、俺たちに知らされる。
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弄シタ業ノ依