第百四十五話 黒ノ興ス主ノ謀リ
ホゼの口から発されたその人物の名は、俺たちが以前、確かに調べを進めていた元屋敷管理官のものだった。
当然、開いた口は塞がらない。今のこの状況がそうしている、ということも間違いではないが、何よりも、ホゼがそれを断定していることが、俺たちのその心境を揺るがせた。
まずもって気になる点は、怪異の他にもある。目の前に平然と、当然のように現れた教育師だ。
「……おい、何つー顔してんだよ」
俺の視線が痛かったのか、俺に向き直ったホゼは、俺にそう言った。それはこっちのセリフだ。
「あんたこそ何つー顔でそこに立ててんだよ」
その言葉を聞いたホゼは、それもそうか、と自身の顎に手を添えて考え込む。
目の前の雪洋は、ホゼ本人が出てきたことに対し、身を引いているようで、こちらの様子を見ながら動けずにいる。ホゼと話をしている場合ではない。
雪洋に向き直り、その本体を押さえるべく、穏慈や薫に協力を仰ぎ、鎌と鋼槍をそれぞれ解化させた。
「まあそう急ぐな、ザイヴ。……ガネが悪い」
「は? ややこしくしたあなたが悪いですよ」
「おいこっちはもう切り替えてんだよ! あんた全然変わってねえな! それより答えることがあるだろ!」
ヴィルスの名。〈暗黒者-デッド-〉の、存在の中身を知っているはずだという言葉は、ホゼのそれが回答となるということだろうか。俺たちが行きついた結果が正しいのであれば、利用されていたホゼは知っていてもおかしくはない。
「……そうだな。お前たちとは情報の交換をしないといけない。お互いのこれまでの全てをな。今知らせることができることは、言った通り。雪洋は元ヴィルスだということだけだ。調べたなら、知っているだろう。真迷いの末に死亡した元管理官だってことはよ」
「ちょっと待ってください、何で調べたって知っているんですか、気持ちが悪い」
「お前の直球な言葉遣いも懐かしいもんだなー。そりゃああいつのせいで除職になって追放されて、挙句お前らに追われてたんだぞ? 私に起きたことを調べたし、屋敷内に現れた雪洋の動きも見てたからな」
「何でもいいけど、いい加減雪洋放置できないだろ! 穏慈、捕まえて!」
ホゼのことも放置できないのだろうが、ガネさんは俺たちをそっちのけでホゼに追及をしていく。まあまあとあしらうホゼだが、情報の交換とやらには賛成だ。敵はホゼだと思っていたことが覆され、怪異と化したヴィルスだったということもあれば、その経緯も知っていた方がいいだろう。
しかし、今知るべきは、ひとつ。
この、雪洋の、目的について。
『さすがにこんな怪異は相手にしたことがない、薫。頼むぞ』
『いいだろう。私も暴れたいところだ。幸いなことに、ここは広いではないか。本気を出せそうだ!』
二体の怪異が、雪洋に飛びかかる。それを見た俺とラオも、怪異の動きから作られる敵の隙を突こうと、武具を片手に走り込む。そこに加勢してくるルノさんも、以前も持っていた剣銃を肩に担ぎ、構えをとった。
「ちっ、話は後で、絞り出してもらいますからね!」
「だからそう言ってんだろ。よそ見してっとほんとに死ぬ相手だぞ。手ぇ抜く必要はねえ!」
ガネさんは針術と剣を、ホゼは太刀を抜き、怪異を囲むような配置についた。穏慈と薫がその視界を惑わせようと、噛みついたり、つっこんでいったりと、それぞれが自身の役目を把握して動いている。
ただ、それはあまりにも不規則にも見える動きで、鎌を振ることも思いとどまるほどだ。
「……これ以上いたところで被害が大きくなるだけだ。ゲラン! そいつら纏めて地下から逃がせ! その先はお前が指揮しろ!」
「ああ!? 俺!? ……っち、本部長が言うなら仕方ねえ……。おい、聞いた通りだ。他の連中がここに寄らねえように、俺たちは上で動くぞ。屋敷長にはオミ、お前が伝えに行け」
「でも……!」
壁にぶつかる音。暴れる雪洋を避けるためにひたすら足を動かす俺の耳にも、それは伝わってくる。ウィンは、この状況で俺たちを案じ、離れることを拒んでいるようだった。
「ウィン! 頼むから今は行ってくれ! 手を貸したいなら、お前が使える手段を持ってから戻ってこい!」
ウィンにそう発したのは、誰よりも俺たちを過保護に見ているラオだった。彼からそんな言葉が出てくるとは、思っていなかった。
「ラオ、何言って……」
「俺たちの能力も上がる、あれがある。それを有効活用できるのはウィンだ。こんな相手、多勢に無勢だったとしても、まともにやるだけじゃ逆に何にもできねーだろ」
その物には心当たりがあるものの、だからと言って、今この場が戦場だということに変わりはない。ウィンは「分かった」と、ラオの言葉に了承をして、残っている者たちと共に地上へ戻っていった。
「本当は、俺もダメだって言いたいけど。全部を無下にはできないんだよ。俺も甘いなあ……っと!! あぶね!」
雪洋の足は、呑気に話をしている俺とラオを隔てるように踏み込まれ、床が少し崩れ、窪んだ。これはまずいと上を見上げると、恐らく、口のまわりが血と思われる液体で汚れている穏慈に噛まれたのだろう。顔の一部が、べとりとした濁った血で塗られていた。
『貴様ら……! その数で私に敵うとでも言うつもりか!! 笑わせてくれる!!』
『ザイヴ! 足元を散らせ! 鎌の使い方を忘れたわけではないだろう!』
手に握られる鎌。その拳に力が入る。忘れるわけがない、この能力の解放。
「当たり前だろ! なめんな!」
─鎌裂き
それを、雪洋の足元を目がけて振り切ると、久しく見るその軌道は、以前よりも威力が増しているようにも思えた。
「それだけじゃあ止まりそうにないですね……。怠刺!」
軌道を追うように、ガネさんは針術をまっすぐに飛ばす。いくつか太い足に刺さったところで急激に力が抜けたようで、雪洋は体をわずかに傾けていた。能力が効かないわけではないらしい。
「穏慈! 俺たちは俺たちでやらせてもらうから、当たらないように気を付けて!」
『勝手か。まあいい、薫! あいつらの攻撃にも気を配れ!』
『狙うなよ』
「狙うかよ!」
俺たちを主とする怪異との、互いに任せ合ったその言葉を皮切りに、俺たちをはじめ、教育師の面々も雪洋の体勢を崩すべく、足元を集中的に狙う。
想像よりも太さのある足に苦闘しながらも、一つの足が崩れている事実は、こちらに優勢さを見せていた。唸る雪洋に対し、鋭く輝く刃が、いくつも飛び交っていく。
どうにか、雪洋に口を割らせることのできる状況を作ることができれば、これまでに募っていた謎が消えてくれるはずだと、少し期待をする。それは俺だけではない。きっと、場にいる者たちが共通して思うところであるだろう。
「おい雪洋。てめーには利用されたでっけー借りがある。私がこれほど憤ることなどないが……相手が悪かったなあ。てめーが私を使うに至った理由、行動の目的……そろそろ洗いざらい吐いてもらおうか!」
そう言うだけあって、ホゼの顔は怒りで険しさが一段と増していた。肌に電気が触れたような、急激な筋肉の硬直を感じる。
『そう簡単に吐いてたまるか』
『─宵枷』
雪洋の言動に堪らなくなったのか、穏慈がその得意とする能力を露わにする。ずうんと響く地と、どす黒い光は、俺たちまでもを巻き込んでよろめかせた。
『吐かぬなら吐かせるまで。……これで貴様の動きもそれまでだ! 灼蝕!』
初めて耳にしたそれを発したのは、怪異、薫。穏慈同様に、強烈な一打をもっているようだ。灼蝕というだけあって、業火にも似た熱い膜のようなものが、雪洋の足元を覆った。
『ギィイ……ッ!』
「薫やるな。それもっと前に見せてよ!」
『貴様に見せるためのものではないわ。……ラオガ、一応動きは止められたようだ。貴様らの働きも効果があったらしい。こうも容易く捕まってくれるとはな』
雪洋が動きを抑えられている間にと、教育師たちは武器を構えながら情報を引き出すために発言を始めようとするが、全ての人間がそれを行う必要はない。場をまとめた意味でも、雪洋に問いかけたのは、ルノさんだった。
「お前が企んだその全て。……いや、まずは屋敷生を巻き込んでまで成し得ようとしたその目的を教えろ。ヴィルス=ザガル。俺は、本部長ルノタード=リン。反論は許されない、分かるだろう」
中身がヴィルスともあれば、本部長と名のつく者からの言葉がどういったものなのかは、言わずとも知れているはず。
その通り、雪洋の意気は僅かに消沈したのを、場の雰囲気で察した。
『……ふ、はは、もはや私がヴィルスであるということを誤魔化す気はない。良いだろう、私の見る未来を知るがいい』
冷静になったかと思えば、そうして自身が優位に立っていると言わんばかりの態度を見せる。もちろん、この場において異端である者の態度として、それを気に食わない教育師はいるわけで。針術が数本目の前を飛んだ。
「無駄なお喋りは不要です。ルノの質問に答えてもらいましょうか」
薫の能力によって動きの自由が利かない雪洋は、仕方がないというように項垂れ、しかしまた顔を上げて、俺を睨んで言った。
それは、この世と〈暗黒〉を、そのまま揺るがすもので、圧を感じずにはいられなかった。
"全てを一つの存在に。怪異が人の世で棲息するために。"
そんな、間違いなく怪異の圧で、人が滅亡しかねない未来をそのまま作ろうとしている。
俺たちにしてみれば、止めない選択肢など出てくることはない。
そんな雪洋の目的に、立ち向かうことになる。