第百四十三話 黒ノ視タ黒ノ雪
「これ! これ見てください!」
地下での捜索を続けて、一時間ほど経っただろうか。ウィンさんが声をあげて、僕たちを呼んだ。その手に持っているものは、いかにも冷たそうな氷。いや、正しくは、氷だったものだった。
「ラオと穏慈さんが、怪異と戦ってた時にも感じました。怪異が体につけていたものと同じだと思います」
泰の属性については何となく報告を受けているため、ウィンさんの手の物の正体は、言った通りのものととっても良さそうだ。決めつけることまではできないが、地下で見つかったものとしては、最も大きな手掛かりだ。
「へえ。でも、その泰は氷を纏ってたんでしょ? どうして溶けてないの……?」
「……まあ、その素は怪異だからな。俺たちの中で有り得ないことでも、きっと普通のことなんだろう。とにかく、他にも何かないか探そう。手がかりがそれだけってのは、心許ないしな」
「お、まだ地下に籠ってたか」
怪異のものと見られる氷のそれを見つけ、再度捜索にあたろうとしたところ、ゲランが地下に来た。
早速本題だと、ウィンさんが頼んでいた失薬の詳細についての報告が下ろされた。
「わりーけど、あれからは他に明確になったことはない。ただ、失薬には変わりねーが、人の調合じゃあ入らねーようなもんが入ってた。見たこともねえ、淀みのある黒物質だったぜ。それが何なのかは……聞かねーでくれ」
「それが分かっただけでもいいんじゃないですか? 少なくとも、人の手の物ではない、という可能性がかなり伸びてきていますので助かります」
「ゲラン教育師、ありがとうございます」
「ああ、大したことできねーで悪いな。ところで、その手に持ってるもんは?」
断言こそできないが、ウィンさんが見ていたというその特殊な氷のことをゲランに知らせると、それはそれで良い収穫だと、その彼女を褒めた。
ウィンさんもよりやる気を出し、この付近を再度探すと言って、少し離れた場所に駆けていった。
「……それにしても、あんまり進捗はねーみてーだな」
「そうだな。まあ手がかりが少ない分、仕方のないことだ。それよりノーム、お前が感じた異形はあれで間違いないのか? まだ引っかかってそうな顔をしている」
物は見つかった。しかし、ノームさんの表情は、ルノの言う通り釈然としていない。それでも、その正体を明確にできない彼女は、ううんと唸りながら考え込んだ。
「……確かに、あれもその一つなの……。でも、違う気がする。何か、もっと……もっと違う、それこそモノがはっきりしたもの……。でも、ここに満ちているからか、出所は分からないの……ごめんなさい」
「ルノも言いましたけど、仕方がありません。そうして察知できるだけ助かります。ここに満ちているなら、必ず何かがあるはずです。探しましょう」
場に集まった全員で、探すものの具体的な形が分からない中、ノームさんの言葉をあてにして捜索を開始させる。
そう、四方八方に散らばり、開始させようとしたその時。声がした。
ちょうど、地下と地を繋ぐ階段のある方から。
「見つかったか」
その声の主は、見知った姿は、僕たちを驚愕させた。
何故そこに、平然と立っているのか。
何故、今屋敷にいるのか。
その目的が定かでない相手に、目線を向けないはずがない。
「……たどり着いたお前たちに、称賛の意を評そう」
その顔は、言葉では言い表すことが難しいような、僅かに歪んだものだった。
瞬間影を作ったその人物、ホゼの表情に、戸惑うことしかできなかった。
......
「雪洋……? また聞いたことない怪異の名前だな……」
ザイヴ─の姿を借りた〈暗黒者-デッド-〉─が口にした名は、これまでに触れたことのないそれで、反応のしようがなかった。穏慈と薫は、その存在自体は知っているようだが、関わったことはないという。
『雪洋か……確かに強力な奴だと聞いたことはあるな。だが、そいつが行動を起こす理由はなんだ? 我々、ましてやザイヴらとの接点はないはずだろう』
「……いや、もう知っているはずだ。主も、お前たちも。その存在の中身を。そうだな、分かってしまった俺が教えてしまうのもつまらない。神石がある場所、急いであそこに向かう。何度も言うけど、主の体を保たせなければならない。とにかく急げ、そして、アーバンアングランドに帰るんだ」
流暢な〈暗黒者-デッド-〉の言葉に流されるままに、俺たちは怪異の足を借りて闇晴ノ神石が佇む特殊な空間へと急いだ。
こうして〈暗黒者-デッド-〉の力を借りることになるとは、考えもしなかったことだ。ザイには悪い気もするが、打って変わって事が進んでいる今の状況は、はっきり言って助かっているとしか言いようがない。
早いうちに解決させて、ザイを連れて帰らないと。
それからすぐに、神石のある場所までたどり着いた俺たちは、〈暗黒者-デッド-〉の動きを見守ることしかできなかった。何をしようとしているのか、ここで俺たちに何を知らせようとしているのか。それを、確実に知る必要があったから。
「……一つ聞くけど、この神石は、向こうと繋がりのある唯一の“モノ”だよな?」
『ああ……そうだな』
彼は俺たちの会話をよそに、神石に触れながら、その周りを歩き、多面からじっくりと観察する。穏慈の答えが返った時、合わせるようにその足は止まった。
「……じゃあ、向こうの魔石が割れたことに関して、この神石は全部知ってるんじゃないの? 誰がどうやって壊したか、とか」
『……やるなラオガ』
どうしてそんな簡単なことに辿り着けなかったのか。闇晴ノ神石と青精珀は、その名称こそ違えど、表裏の世界でそれぞれの役割を果たす、繋をそのまま物にした形だ。
それならば、さっそくその神石を通して得られるものを取り出してもらうほかない。
〈暗黒者-デッド-〉に訴えかけると、「言われなくてもやってやる」と、自ら神石に向き合った。
「ただし、俺の言うことをすべて信じてもらおう。そこを疑われちゃ、俺もどうしようもないからね。いい?」
『……いいだろう』
怪異の応じを耳にすると、満足げな表情を浮かべる。
その様子を見ていた俺も、居心地の良さを感じ始めていた。彼は、俺たちのために動いている。こちらを騙す意図はない。
恐らくは、〈暗黒者-デッド-〉として繋がりがあるために、俺は不思議と、本心で動いていることを察知できているのだろう。
神石に触れ、ぐっと力を込めたようで、その足は、腕は、踏ん張りを見せた。瞼を閉じていても、その光は皮膚を透かせるほどの強さで、思わず腕で影を作ろうと顔を隠す。
しかし、その光はすぐに落ち着き、かと思えば、〈暗黒者-デッド-〉は気味の悪い笑みを見せた。
「な、何……」
「……面白い。本当に面白い。……ああ、一人で盛り上がってしまって悪いな。見えたよ。神石は、教えてくれた。魔石を割った者。それが、人間ではない、という事実を」
『つまり、お前のその言葉で、あの時のホゼは完全な偽物だったということが成立したわけだ。……虚言はないのだな?』
「そこの〈暗黒者-デッド-〉も一応俺の制御だし、俺がつまらない戯言言ってたら察するはず。そして、今この何も起こらない状況が、嘘じゃない根拠になる」
俺の考察も的中しているようで、素直に彼の言葉を飲み込んだ。怪異たちも、それで納得したらしい。
「まあ、これでこの状況を作ったのが怪異であることと、すべての元凶も怪異だったことが分かっただろ? そこまで来たなら、こっちのものだ。“怪異の力で行き来不可能になっている”のなら、かけられた能力に限界がくるのを待つよりも、それを無効化させた方が早い」
〈暗黒者-デッド-〉の言うことは、理解できる。この状況を早期に打開する方法は一つ。俺たちの武具をもってして、壁となっている封じを強引に引き裂こうということだ。
歪を作ったことだってあるのだから、それくらいのことはできるという。
ただ、元の力でそれを行わなければならないということは、以前歪を作った時に知り得ている。
要は、俺と、目の前にいる〈暗黒者-デッド-〉とで、共鳴、協力をするということだ。
「……分かった。俺もやればいいんだろ?」
「待った、その前に。もう一つ言っとかないといけないことがある。特に、片割れの君。存在自体、誤解はしやすいんだけどさ。……〈暗黒者-デッド-〉が二人いることになってるのって、何でだと思う?」
急いだ方がいいという割には、ゆとりのある時間の使い方をする。
表面上は、はっきりとしない飄々とした立ち振る舞いだった。
「何かの手違いとか……どうしても分かれないといけない理由があったとか……?」
『我々もその点を知らんのだ。まあ、当のお前であれば知っていて当然だろうがな。……答えを聞かせてもらおうか?』
俺たちからの返答に、意外だという顔を見せる。知らないということが、ありえないというように。
「……君の後者の回答は、的を得ている。単刀直入に言わせてもらうよ。今ある俺の存在。その正確な分裂は、本体と、制御。それが、俺と君にそれぞれ備わっている……つまり、初めから本体は俺。それを制御して、暴発しないようにしていたガードマンが君。言っている意味、分かる? 分からないなら、考えろ。気付いて、足掻け」
強い能力の持ち主は、その先について一切教えてはくれなかった。自身の口から言うことは、酷すぎてできないと。その理由は、この時は気付けなかった。
「足掻け」と言ったその真意に辿り着くのはもう少し先であれ、今は目の前の問題を解消する方が先だ。
「考えとくよ。さっさとやってしまおう。ザイを返してもらわないといけないし……え?」
俺が意気込んで鋼槍を取り出し、構えたところ。続いて鎌が出てくるものだと思っていたが、〈暗黒者-デッド-〉は顔を手で覆って息を荒げ始めた。
「……悪いね。今ので、気付いたみたいだよ。察しが良すぎるのも、困りものだね……動揺で、ちょっと、壊レ始めてる」
それはあまりに突然で、あまりに、意識外のことで。俺は咄嗟に体が凍り付いた。
指の隙間から除いた、奇妙な瞳の光。溢れ出る狂気の塊。目から零れていく、色の戻った、しかし真っ黒な血液。
「これ以上ハ、俺は出られナいみたいダ。主が落ち着イたら、武具ヲ振れ。神石ハ、その導ヲ知らセてくれる……ゥゥウ……」
あまりに膨大な気に、穏慈も薫も、戦闘態勢に入っていた。しかし、相手はザイ。全力でかかっていけるわけもなく、手の抜き方に戸惑っているようだった。
『チッ、こんな状態にしてさっさと引っ込むなど無責任にもほどがある!! ラオガ、同じ〈暗黒者-デッド-〉だから頼む。ザイヴの暴走を落ち着けろ、そこからは我が対応できる』
「分かった!」
「ヴヴヴヴ……来ルナ、来ル、ナ……ア゛ア゛ァァ!!!!」
脳裏に過ぎるのは、あの言葉。
─このままだと、暴走して主の体が保たないことも分かっている。
それに加え、先程の〈暗黒者-デッド-〉の言葉がきっかけで、心がぶれて、不安定になってしまったのだろう。
「っ、くそ、ザイ! 戻ってこい! 俺の声聞け!!」
唸りながら暴れようとするザイを前に、俺は、立ち上るどす黒い狂気を抑えるべく、鋼槍を仕舞って手を伸ばした。
─大事な友人を、この手で導くために。