第百四十二話 黒ノ記シタ全貌
「地下へ急ぎたいところですが……ついでに調べてみましょうか」
地下の捜索に向かうため、鍵を手に足を進めていたわけだが、その道中、ホゼがヤブたちを引き連れて現れた広間の前を通りかかった。通り越しても良いものの、もしかしたら、という僅かな可能性も残っている。
その万が一を考え、ソムとオミにも頼み、目の前の広間の中やその周囲を調べてみる。
もちろん、これといった収穫があるわけもなく、すぐに引き上げ、地下へ急いだ。
「ガネにしては珍しいけど、やっぱり……焦ってる?」
「……まあ、虱潰しにはなりますからね。それに、不測の事態が起これば焦りもしますよ」
オミはずっと口を開くことなく、僕の行動と指示通りに動いてくれている。その曲がらない精神は、僕への力添えなのか、それとも、ザイ君を心配する情からなのか。
いつになく変わらない表情は、オミの心のぶれを表しているようだった。
「地下は、怪異である泰を穏慈くんとラオ君が討った場所です。大きな手掛かりとなるとすれば、ここだとは思いますが……とにかく、細かいところまで調べますよ」
「可能な限り、全力で調べさせてもらうわ」
そうして、僕たちは地下に下りた。
静まり返る地下は、いつものことではあるはずなのに、どこか不気味さを感じさせる。
時間を目一杯使って探すべく、誰も口を開くことなく、手分けをして地下の隅々を調べていた。僕たちが歩く音ばかりが響いて、収穫のなさが物語られる。
(ここになかったら、もう当てはないだろうな。本格的に彼らの無事を祈ることしかできなくなる……)
時間だけが過ぎていく中で、何度も同じことを考える。手がかりは一つでいいのに、この広い屋敷からその一つを探すことは、やはり困難なことだった。
そうして気が沈みかけているところに、ある音が耳に届いた。
地下への扉が、開かれる音。少し離れているため大きくは聞こえなかったが、間違いない。誰かがここに来たということを示した。
その人物を確認しようと、階段の下に歩み寄る。そこには、先程別れたルノが、ノームさんとウィンさんを連れて下りてきていた。
「どうしたんですか?」
「ガネ教育師、事情は聞いたわ。でも、私の能力にも限界はある……。その中で、私が感じ得たことは、この地下」
..◁..◁..
時は僅かに遡り、ノームとウィンが、本部長と合流した頃。
「ノーム、ウィン、俺も手を貸す」
ノームとウィンがどこにいるかは定まらなかったが、ウィンが医療室からまっすぐに向かったことをソムから聞いた。
その彼女が確実にノームとコンタクトを取ることができる場所を知っていると踏み、ノームの部屋に向かった。すると、その部屋の前で、二人は話をしていた。
あまり公に話をしてほしくはないことだが、この状況では仕方のない話かもしれない。
「えっ、あ、本部長! 手を貸すって、ガネ教育師たちはどうしたんですか?」
「屋敷に何があるか分からないし、もしもの時の戦力的にも、俺がこっちを助けることになったんだ。聞いた話、お前は自然魔の風を操れるんだな? それで気を探すこともできると」
「ええ。ウィンちゃんに頼まれて、今それをしようとしていたところです。少し、時間をもらいますよ〜……」
ノームはその特性を使って、気を探っているのだろう。目を閉じて、聞こえないほどの呼吸音を響かせながら、しばらく集中力を高めていた。
自然魔を扱うことのできる人間は限られているわけだが、この屋敷の三人──一人は循環、一人は風、一人はその自然魔の中でも特殊な、息を利用した能力をもっている──というのは、かなり有力になっている。
「……う、っ」
「……ノーム教育師、気持ち悪いんですか?」
ゆっくりと目を開けると、その一人は涙で滲んでいた。ウィンの言葉通りということが読み取れる。大丈夫かと気遣うと、問題はないと答え、息を整えた。
「……一つ。私が、前に地下から感じた気に似ているものがあるわ。でも、あの時とは違う。気味の悪い、悪意のあるもの……」
「それはどこからだ」
「正しければ、地下です。あそこ、厳重な管理をしているけれど、反面、普段人が近寄ることがない場所。もし、本当の黒幕がそれを利用していたら、厄介ですね」
「そうだな。ガネたちも地下に行っている、合流するか」
─ノームの察知で、地下に下りることになった三人は、その後、今の状況に至る。
..▷..▷..
「間違いなく、ここに異形の何かがあるはずよ。私たちも、手を貸しに来たの」
「なるほど。ソム、オミ、ちょっと来てください!」
離れている二人に聞こえるように、大きめの声で呼びかけると、二人ともが駆け足で声の出所を探して寄って来た。ルノたち三人がここに来たことに二人も驚いていたが、ノームさんの話を聞くと、何も見つからない中で希望が見えたと、少しだけ詰まらせた息を吐いていた。
「それから、私はあの時、穏慈さんに言われて地下の奥にいました。その時に感じた違和感も、ちゃんと覚えています。探せます」
「……分かりました。ルノはともかく、この二人の能力は頼れるところがありますし。お願いします」
「はい!」
「俺はともかくって何だ」
「僕たちだって手がかりは探せていないので、同じじゃないですか。そういうところは、自然魔士の人たちの方が長けているんですよ。ほら、探しますよ、行った行った」
そうか、と納得したかどうか分からないルノは、ノームさんの話に出てきた“異形の何か”を探し出すため、場の指揮をとり、捜索を再開させた。
......
業壺は、俺を見て言った。
“知っている”と。
本当にそうであれば、ここまで苦しんで、長期にかけてホゼを追うことはなかったはずだが。目の前の怪異は、そう言い切った。
「……いや、でもこれだけ振り回されてるのに……俺は知らないよ」
『シッテイル……デッド、ミエテイル』
否定しても、その言葉しか戻って来ることはなく、俺は困り果てた。ラオの様子を窺うが、さっぱり分からないというように首を傾げるだけだ。
「穏慈、どういうこと?」
『……業壺は、怪異の特性、状態、能力、すべてを見ただけで把握できる怪異だ。怪異のことに関しては、吟よりも詳しいかもしれん。業壺、事を引き起こした怪異に、心当たりがあるということか?』
業壺の言葉を、穏慈なりに作り替えて是非を問うと、否定はされなかった。しかし、確実な答えは返せないという。そこで、俺を示したのはどういう了見なのか。
『シッテイル、ソノデッド、スベテ、元凶。……デッド、デッド』
何度聞き返しても同じことの繰り返しで、埒が明かないように思えた。
しかし、業壺のその呼びかけに反応したのか、突然、脈が大きく跳ね上がったのを感じた。膝をついた俺は胸元を握りしめ、その鼓動に耐えようと呼吸が荒々しくなる。同時に、急激に、俺の意識は圧されていく──〈暗黒者-デッド-〉が、俺を押し退ける。
「ザイ!? もしかして、反動……!?」
『どけ。ザイヴ、聞こえるか』
─ああ、聞こえる。聞こえるのに、言葉が出ない。それに、どういうことだろうか。これまで、〈暗黒者-デッド-〉が出てきた時とは違う。俺自身が〈暗黒者-デッド-〉の存在そのものに染まっていくような。意識を、融合されていく、気持ちの悪いものが、脳を蝕んでいく。
「……ザイ?」
けれど、不思議と呼吸は安定していく。ただ、思考、見え方、あらゆるところで、俺のものではない回路が俺に見せていた。
業壺の言う、「知っている」ことを。
『一度抑えてみるか、仕方がない』
「……やめろ。穏慈。俺だ。業壺に呼ばれたんなら、出てこなきゃね」
『!!! 〈暗黒者-デッド-〉か!』
「安心して。主の口を借りてるだけだから」
─俺の意思に反して、俺は言葉を紡いでいく。異様な状況に、頭がついて行かない。ただ、〈暗黒者-デッド-〉が俺に教えてくれるものに、驚愕することしか、できなかった。
「……ザイは、返してもらえるんだよな?」
「ん? まあ、もちろん。あ、俺の片割れ君だね。君のお陰で、俺の能力もうまく制御されているみたいで大変だったよ。こうして出てくることにも、かなり苦労した。……じゃあ、話そうか。ザイヴ=ラスターと、ラオガ=ビス。二人の人間を助けるために」
ザイが、〈暗黒者-デッド-〉として、俺たちに話をしている。突然の出来事に、俺の思考は追いついていかないままだった。俺には、そんな症状は起きていない。
「俺のお陰で制御されている」と言っていたことから、どうにか片割れをすり抜けて出てきたのだろう。
しかし、追いつかないのは思考だけで、ザイがそうなっていること自体に、不思議と驚くことはなかった。これも、俺が〈暗黒者-デッド-〉の片割れだからだろうか。
「まず、業壺が言っていただろ。俺が知っているって。あながち間違ってはいないんだよ」
『……ほう?』
「姿を成せる、じゃなくて、写せる怪異。これはかなり絞られてくる上に、〈暗黒〉と向こうの行き来を閉ざすことができるっていうことは、相当の力を持つ強力な怪異だ。ああ、ちなみに、繋が断たれているわけじゃないから、そのうち限界が来れば行き来は可能になる」
不覚にも、向こうに戻る手立てを知ることができたその言葉に、安堵する俺がいる。
ただ、気がかりなのはザイのこと。
先程から透明な血液を流していることもそうだが、眼の形が、怪異のそれと似たようなものになっていて、不気味だった。いつものように開いているはずの目は、瞼が重くなっているのかと錯覚させる、何かを見透かしているような余裕を感じさせるそれだ。
「……じゃあ、お前はその怪異が分かってたのか?」
「まさか。俺も頭を抱えてたよ。向こうで話題になってたホゼ=ジートって奴の件とか、いろんな憶測とかで、怪しくなってきてさ。さっきここに来て、向こうに行けなくなって、気付いただけ」
『私からもひとつ』
「何だ、薫」
『業壺に呼ばれたからと言って、必ず出てこなければならなかったというわけでもないだろう。何故今、そのような形で出てきている? 何か企みがあるのか? 例えば、このままその小僧を〈暗黒〉に馴染ませよう、とか』
薫の言葉で、俺の背はぞわぞわと鳥肌が立った。返せる、とは言っていたものの、相手は〈暗黒者-デッド-〉。本来、〈暗黒〉にいられる怪異以上の力を持つ存在だ。
「お前、そんなことしたら……!!!」
「とんだ誤解だね。言っただろ、二人を助けるためにって。俺だって、この状況はあんまり居心地が良くない。このままだと、暴走して主の体が保たないことも分かっている。だから、業壺の呼びかけを利用して出てきたんだ。そもそも、業壺は俺を呼ぶ力がある。知らなかった?」
『……なるほど、ひとまず受け入れよう。後で裏切りでもしたら、ザイヴから引き剥がしてでも喰うからな』
「怖いこと言うなよ。お前たちが知りたいのは、俺のことじゃないだろ? 言った通り、このままだと主の体は壊れる。時間も限られている、俺が知り得た一つの答えを、その耳に焼きつけろ」
今まで以上に鋭く輝くその眼からは、俺たちを騙すような素振りは見られない。その真剣な視線に、俺は自身の視界を奪われていた。そして、その口は刻んだ。
─怪異、雪洋の名を。