第十三話 黒ノ思イト決意
灰色の、特異な眼を持つ男の言葉と、先程の薫の言葉は、今───我を悩ませていた。
協力をしようとは思ったものの、今明確に在る〈暗黒者-デッド-〉、つまりザイヴは、片割れに過ぎないということの意味。そして、その理由。はっきりとしていることは、ザイヴの片割れとされる者として、可能性が高い人物が既に居るということだ。
『吟の言葉だ、間違いない。あの小僧を〈暗黒者-デッド-〉だと認識した理由に、やっと説明がついた』
『お前の考えも分からんでもないが……いや、円転自在であれば小難しい時間も無くて済むか』
『私はそう確信しておる』
ザイヴは、あの男の言葉をどう見ているのか。今この場で尋ねたいのは山々だが、契約をした以上、勝手な真似はできない。これまでの様に、我の一方的な都合で無理強いすることも、控えなければならない。
何と言っても、彼の意思で得体も知れぬモノとの繋がりをもった。それは半ば強制されたものにも思えるが、最後に覚悟を決めたのは、本人だ。その点、我は尊重する必要があると、そう考えている。
『……ふん、まあ面白い。その一興に、我も乗ってやろう』
─我は、闇の中で静かに待つ。少年が、少年の意思で、我を呼ぶことを。
......
適当な会話をしながら弁当が空になるまで食べ続け、俺は腹痛に見舞われ背を丸めていた。普段と違う環境下になると、調子に乗って食べ過ぎてしまうのはどういう理屈なのか。放心状態で痛みを抑えようとする一方で、後悔は全くない。
「ザイ大丈夫かー?」
「ウィン、ご飯うまかった……」
「えっ、褒めてるけど大丈夫? 痛いんでしょ?」
俺が真剣に耐えている中、心配してくれる幼馴染に引き換え、ついてきていた大人は心配の“し”の字も無い。冷めた口調で、俺に言った。
「……君、普段ちゃんと食べてるんですか?」
顔を上げた俺と目が合ったガネさんだったが、それ以上は何も言わず、溜息を吐いて湖の方へ視線を向けた。
あれから三十分と、もう少し経った頃。俺の調子が戻った様子を見たガネさんの表情は、変わっていなかった。
「いつ落ち着くか分からない腹痛を見守ってたんですから感謝してください」
「はいはい……どうも」
ラオはまだ食べる余裕があるようで、弁当を入れていた鞄から菓子を取り出して食べていた。個包装のものをいくつか俺に見せてくるが、満腹の俺は遠慮した。別腹なんて言葉があるが、今の俺に別腹も何もない。
「復活おめでと」
「嬉しくねー」
「ねえねえ、ザイが落ち着いたし、フォト撮らない?」
用意の良いウィンが、手のひらサイズのコンパクトカメラを鞄から取り出した。思いの外、色んなものが鞄には入っていたらしい。
「いいね、じゃあー……ザイ、来て来て!」
俺を引っ張るラオは、正面に向かって右下に俺を座らせる。コンパクトカメラを受け取ったラオが、ウィンに俺の横に座る様に促した。
「ガネ教育……あ、……っと、ガネさんも入ってください」
「はい」
先日ガネさんに言われた通り、ラオは少しだけ遠慮を外した。ガネさんが俺の後ろに立ったのを確認し、コンパクトカメラを置ける場所を見つけると、枠を合わせながらカメラをいじっている。ウィンは、俺の隣で右手でピースを作って待っていた。
「じゃあ押すよ、七秒な!」
素早くガネさんの横に並んで落ち着いた時、シャッター音が聞こえた。ウィンがすぐに立ち上がって、撮れたものを確認する。小さなフォトがコンパクトカメラから出てきていた。
「うん、よく撮れてる! えっと、これをあと三枚出して……」
「え、三枚?」
ウィンがコンパクトカメラの機能を調整し、同じように出てきたフォトを全員に一枚ずつ配っていった。それを差し出されたガネさんは、少しだけ意外そうな顔をした。
「僕にもくれるんですか?」
「せっかくなので、どうぞ」
「……有難うございます」
こうして集まって、笑って、同じことを共有して楽しむ光景が、何となくぼやけた気がした。心にすっぽりと空洞ができたような、不思議な感覚だ。
もう、こんなことができないかもしれないのではと、どこかで考えている自分がいる。受け取ったフォトを見つめながら、視界が霞んでいく。どうして涙が流れたのか……俺には分からない。
あれから、良い時間にもなってきたことで帰ることにし、俺たちは既に屋敷の入口にまで戻ってきていた。道中、貝海で泣いていた俺を心配したラオが、しつこく様子を窺ってきていたこと以外は、至って平常だ。
「意外と良い息抜きになりましたね。ウィンさんも、有難うございます」
「いえ」
「……そうだね」
「……どうしたんですか? さっきから泣いたり素っ気なかっ……素っ気ないのは今日だけじゃないですね」
「失礼だな!」
顔が、特に頬のあたりに引き攣る感覚が残っている。心なしか、下瞼も腫れぼったい。そして、ガネさんにからかわれている現状が気に入らない。
複雑な心境を抱えたまま、俺たちは屋敷に入って、そのままウィンを部屋まで送った。
「今日は楽しかったよ。ザイはもう倒れないように気をつけてね」
「あ、うん。大丈夫だよ」
何も知らずに俺を心配してくれるウィンが見せたあどけない表情に、心が痛まないわけもなく。それでも巻き込みたくは無いという思いから、へらりと笑ってみせた。
「じゃあ、ラオもまたね。ガネ教育師がいたのも、新鮮で楽しかったです」
「こちらこそ」
「またな、ウィン」
「どうぞお入りください」
教育師室の奥の部屋の扉を開いて、招き入れる。ウィンを送り届けてそのままここに来た三人は、数日の間で集まって当然の面々になっていた。
「それでザイ。相談て何?」
「へっ、あぁ、うん」
椅子に腰をかけた瞬間、早速ラオからその話題が振られ、まだ準備も十分でなかった俺は思いの外素っ頓狂な声を口にしていた。
「凄い声が出ましたよ」
「うるさい。……えっと、じゃあ……ガネさんはこの前、俺……〈暗黒者-デッド-〉は、片割れだって言ったよね」
部屋に入って落ち着く間もなく本題に入るが、この場の全員切り替えは早く、ガネさんはそれを聞いてしっかりと頷いた。もちろん、この話題に驚いている様子もない。
「それが間違いないなら、そのもう一人って分からないの?」
何故一つのものが別れているのかは疑問の一つだが、俺と同じ存在について気になっていた。一人ではないという点で気持ちは軽いものの、その存在が今後脅威になることはないのか。少しだけ心配になった。
「……予想、というより確信に近いですね。僕としては今の状況から見ても、関連性が高い可能性があるのではと思う人物はいますよ。例えばザイ君、同じ症状が出た人物、記憶にありませんか?」
鼓動が早くなり、背筋が凍る。何を知っていて、ここまで言い切って動揺させてくるのか。ガネさんの、この全部見透かしたような眼は苦手だ。しかし同時に、その言葉ではっきりと分かった。
「同じ……って、ラオ?!」
「俺!?」
俺が、ラオを〈暗黒〉から救ったあの日だ。俺が鎌を探そうとした時点で、ラオは既に存在した後。〈暗黒〉には、例外を除いて人間は存在できない。しかし、何度も言うようにラオはその例外に該当する。
「ザイ君、穏慈くんを呼んでください。怪異として見ている彼であれば、気付いていると思いますよ」
「あ、うん」
ガネさんに言われるがままに、穏慈の名を、心の中で呼んだ。
瞬間、驚く程の黒煙が広がり、ともに怪異姿の穏慈を確認した。その大きさは、この小部屋だと相当な圧迫感だ。
『やっと呼んだな』
「その前に人化しろよ、誰かに見られたら……」
『……チッ、仕方ない』
割と大きな舌打ちをしたが、そもそも怪異に人と同様の反応は求めていないために、それほど気にはならない。それでも俺の言葉に従ってくれた穏慈は、また前のような人の姿をとっていた。
『……早速だが本題に入らせてもらうぞ。〈暗黒者-デッド-〉のことだ』
「俺もその話したくて呼んだんだよ。片割れって話」
『そうか。ちょうど良い……ラオガ』
その視線は、言葉とともにラオを捉える。唐突な指名に驚いたラオは、分かりやすく肩が跳ね上がっていた。真っ先にラオの名を挙げたところを見ると、穏慈もそれなりの結論には行き着いているのだろう。
『薫が』
「「薫!?」」
話の途中だが、以前ラオを引っ張った怪異の名前が出て、思わず声をあげる。ラオは過去に薫に喰われかけた経験があり、その恐怖心から、最初は穏慈とも距離をとっていた。その相手である怪異の名までも出たとなれば、この先の話の展開は察しがつく。
「最後まで聞きましょう。面白そうですよ」
『ふん、確かに面白いかもしれんな。……単刀直入に言って、薫がお前と契約しようとしておる』
察しがついても、いざ言葉として聞くと衝撃は誤魔化せない。ラオに至っては、言葉が出ずに穏慈をじっと目に留め続けている。
「で、でも、確証はないんじゃ……何で薫がラオと契約したがってんだよ」
『薫は片割れのことを直接吟に聞いたようだ。何故ラオガを一度でも間違えたのか、その答えもな』
......
『穏慈。協力を強いるようで悪いが、もう一度小僧を呼びたい。話をつけてくれ』
〈暗黒〉を歩く二体の怪異の姿。紛れもなく、穏慈と薫だ。薫が積極的なのにも訳がある。
怪異の中には、特異な存在があることを知るモノも多い。それに比例して、〈暗黒者-デッド-〉と繋がることで、見込まれる力の向上を求め、〈暗黒者-デッド-〉との契約を望んでいる。
『それでここに来れたなら、疑いは出来ん』
『まあ、そうであろうな。……良いだろう』
そして、契約主のいる怪異が、その主人の声を吸収した。その次の瞬間には、その場に穏慈の姿はなかった。
......
「ラオ……」
事の経緯を聞いて、ラオには申し訳なくも安堵している俺がいた。もう一人がラオの可能性が極めて高いということが判明し、身近に頼れる存在があることを、こんな時だが心強く思ってしまった。
『いずれ立つことになろう。その時が、お前の存在を証明する時だ』
鎌探しの時に相談してから、ラオは俺の頼みに応じて、協力してくれた。俺のことを一生懸命に手伝ってくれた。だからこそ、心強く思うと同時に、心配になった。その心情を察したのだろう、穏慈は、今度は俺に対して口を開いた。
『心配するな。ラオガの命は我が見ておる』
「……穏慈くん、それも良いですが、この際ザイ君に〈暗黒〉のこと、きっちり話した方が良いんじゃないですか?」
『ああ、それもそうか。余裕もできたことだ……百聞は一見に如かず、来ると良い』
「……分かった。行く」
その件に関して、俺は知る必要がある。ラオのことも、もう一度吟に会って、直接聞きたい。無駄に巻き込むことは避け、また彼が命の危機を感じなくて済むように。
「その代わり、ラオを呼ぶのは俺がここに戻ってからにして。そっちの方が色々都合が良いから」
『構わん。薫には伝えよう』
穏慈の快諾を受け、〈暗黒〉を知るべく、そして明確な事実を把握すべく、一度怪異たちの世界へ潜り込むこととなった。
「じゃあ、行ってくる」
「うん。……気をつけて」
「行っている間のことは心配しないでください」
俺がこんな訳の分からない存在と知っても尚、俺を守ろうとしてくれたラオに、今度は俺が最大限を尽くす。吟がもし、本当にラオが〈暗黒者-デッド-〉だと言えば、それは嘘ではない。前に会った時に、吟のことについては理解しているから。
─自分の目で〈暗黒〉を見て、触れて、俺自身が納得しなければならない。
初編 了