第百三十六話 黒ノ編ム心ノ空
遠方で動いた姿を捉えた僕は、その行動を抑制するために、再度麻痺術をかけた針術を数本飛ばす。うまく当たりさえすれば、こちらにも時間の猶予がもてる。
「何……! 貴様何をした!」
「さあ? わざわざ教える義理はありませんね。……先に言わせていただきますが、僕は、あなた方にソムを殺させるつもりはありません。その盾となり、矛となり、守らせてもらいますよ」
「それなら言わせてもらおう。縁を切ったわけではない私には、娘への決定権がある。そんな宣言、私には通じん!」
惨めも甚だしい。この際に出てくる親権というのは、面倒なことこの上ない。
しかし、ソムの意志としては、親としての見方をすでに放棄していることになる。それは、ソムの立派な主張であり、親はそれを潰す絶対の権利は持ち合わせていない。
娘だから手元に戻って当然だというが、それはソムの命を見捨てることと同義となる。
「……この期に及んで、何を言っているんですか? 親権以前に、ソムには生きる権利があります。あなたに引き渡したところで、それが守られるとも思えません。それとも何ですか、心変わりでもして心配になりましたか?」
僕が、そんな理由に屈するはずもない。ソムの前に隔たり続ける僕に対し、ビグラスは、どうにか退けようと奮闘し始める。
一方のソムの立ち回りも上等なもので、僕の背を利用して、実の父親対して杖を振った。もちろん、能力は控え、普段屋敷で行っている剣術のような要領で。
「っ! ソム、お前……!」
「どう思おうと勝手だけど、見くびらないで」
その杖は、ビグラスとの接触により鈍い音を発し、その体勢を崩させた。
これ以上時間を費やすのも勿体ない。
これから身柄確保の態勢に入るために、ソムにも協力を要請する。
僕の手が、その腰にかかる剣の柄に添えられたのを確認したソムは、警師を呼んでもらうために、自ら近くの商い屋の方に走った。そのまま宿に帰ることもできるはずだと、その様子を見ながら、その単独行動に目を瞑った。
「……親への反抗も立派なものだ……置いていってもらうぞ、我が家のために」
この状況で、未だにその言葉を発することのできる肝を座らせていたとは。ただ欲に塗れただけの、白を知らない汚く混じった色の人間だ。
「本当に、自分のことしか頭にないクズですね。そっちがその気なら、僕はソムのために、彼女の身を守りましょう。大切な仲間なのでね!」
僕の言葉どころか、ソムのそれすら跳ねのける防壁を持つ彼は、僕が剣を抜くのを分かってか、再度短剣を突きつけようと腕を伸ばしてきた。
とにもかくにも、ビグラスを止めなければ、解決への時も進まないだろう。僕の剣は、静かに抜かれて、見据えるように先へ伸ばされた。
「裁くのは警師の仕事です。しかし、その補助の許可の下、その汚い足を、踏みとどまらせます」
「ちいっ!」
自身の体よりも後方まで剣を引き、僕は行動を起こす。それに負けじと彼も短剣を振り上げて走り込もうとしてきた。
しかし、経験の差は明白で、僕の動きに追いつくことのできなかったらしい彼は、あっさりと僕の裁いた剣により、短剣を手放すことになった。
カランと、製品の音を立てて、地面に落ちるそれは、よく見ると刃こぼれをしていた。
「……何だ、脆い刃を使っていたんですね。自分の欲を成すことしか考えていないのがよく分かります」
「このっ……私をバカにしているだろう!」
「あぁ、それは勿論。でもあなたにはお似合いですね? 人を殺めるためだけの武器は、殺めようとする者同様、壊れかけているくらいでちょうどいいですよ」
「─!」
針術を放つと、思いの外簡単に、その短剣はバラバラに砕かれた。よっぽど手入れのなっていなかったものなのだろう。ただ、これで武器は一つ失くなった。
相手が武器を持たないとなると、こちらも素手で対抗できるため、少しはやりやすくなるか、と思ったが。
「へえ、もう一本持っていたんですね」
挑発するようにそう言うと、ビグラスは手で何かの合図のような動きを見せた。それは、一瞬で、その正体が何かを僕に伝えてきた。先程遠方に針術を放った先からの、殺気。ぞわりとした寒気が、僕の背に走る。
「もう少し何とかならないんですかね。こういうやり方をするのなら……」
銃声はほぼ聞こえないが、それは、僕に向かってくる。ソムを庇った時は運が強かったものの、今回は確実な導がはっきりと感じ取れている。
その証拠を見せつけるように、僕の剣は、再度銃弾を弾いて、地に埋めた。
「な、何、だと」
「──命中を狙うには、殺気が溢れすぎです。僕にはその気だけで、筒抜けですよ。それに、言いましたよね。“ソムのためにソムを守る”と。この程度で出し抜けると思わないでもらいたいですね」
狙う相手が違ったとはいえ、二度も外したこと対して機嫌を損ねたか、その表情は険しいものへと変わった。余程自信があった策だったのか、どうすることもできない身の狭さに、狼狽えていた。
「……くそ。貴様……! 教育師だからって……! そ、そうだ、屋敷で商いをすることが決まっているだろう! その相手に対してよくこんな真似ができるものだな!」
「脅しのつもりでしょうけど、何の問題もありませんよ。今までも商い屋がいない中でやりくりできていましたし、引き取ってもらうつもりなので。言いたいことはそれだけですか?」
往生際の悪い男だ。何とか罰を、今の状況を逃れようと必死で、情けない。アマブレサペーレも、ネロの二人も、きっとこれまでだろう。
先程と同じ要領で短剣を弾き飛ばし、自身の剣もその延長線の動きで腰に収める。武器のなくなった男は、後ずさりをしながら、ゆっくりと僕との距離を空けていく。このまま移動して、警師が来たところで引き渡せば、周囲への害も広がらずに済む。僕の中での段取りを組み、僕もまた、男を追いこむように歩を進める。
一歩、また一歩。
本来であれば、僕が敵であるようなこの場面に、何となく不快感を覚えた。
「そこまで」
しかし、その不快感も、その聞き慣れない声が向けられたことで、消え去った。
その声の主は、昂泉に来てすぐに、僕たちを尾行していたと思われた男。そして、その男に連れられて、警師を呼ぶために僕の横を離れ、場を後にしたはずのソムが、刃を突き付けられて、立っていた。
その刃は、日に当てられて、不気味に輝いていた。
▽ ▲ ▽ ▲
「ラオ! ウィン! いい時間だ、行くぜ!」
待ちに待っていた時間が、やっと訪れた。どれだけの暇に耐え、今の時間にいるのか。
「もー、そんなに慌てなくても。今から行って、ちょうど開くくらいだよ。開くのと同時に来る客」
「クレナイさんは嬉しさのあまり、涙してくれるはずだよ」
「そんな感動的な設定あったっけ? ウィン、ザイこんな感じだけど、出られる?」
俺の調子に呆れながらも、ウィンに確認を取る。その返事は、もちろん肯定。
屋敷の出入りの管理をしている教育師と話をつけ、すぐに外へ出かけた。三人だけで外出するのは、久しぶりだ。
「前は、シェルシーに行ったよね、あの時も楽しかったけど、事情も全部知ってる今の方が楽しいかも」
俺も気分が上がっているが、ウィンもそれなりに歓喜を全面的に俺たちに知らせてくる。それだけウィンにとっても、良い息抜きになれば万々歳だ。
「俺たちは少し前にクレナイさんのとこに行ってるけど、ウィンは場所も覚えてなかったりして。俺たち二人で行くときは競走してんだよ」
「そうなの? ちなみにどっちが勝つの?」
「大体俺かな。ザイはいつも惜しいよね」
どうでも良い話に、心地よさを感じながら、俺はいつもの休日のように、至って平凡に過ごしていた。
クレナイさんの店に着いてからも、多くの雑貨を見て、クレナイさんにしばらくぶりの挨拶をした。彼にしてみれば数多くの中の客人の一人に過ぎないが、優しく対応してくれる。
それから、商い屋を出る頃には、数時間の時が過ぎ去っていた。
目が覚めてから、すっかり明るくなり、はっきりと見える視界。
─何故だろうか。
この時は、どこか、遠いものを感じた。
屋敷に戻る道中でも、三人で至らない話を続けて歩く。その風景を、俺は目に留めておくことしかできなかった。
やはり、今日はおかしい。気がかりなことが、重なっているからだろうか。
その正体ははっきりしないものの、俺の中で、確実に。
─“ナニカ”は、“それ”を、察し始めている。
「楽しかったー! 誘ってくれてありがとう!」
あっという間に過ぎた時間で、ウィンの機嫌はさらに上々となり、スキップでもしそうな足取りだった。
俺たちは、さてこれから何をしようかと、頭を悩ませる。そこで咄嗟に思い立ったのが、〈暗黒〉へ行くこと。
穏慈たちが至って平常だと言っていたが、何も用事がない時に来るなとまでは言われていない。秀蛾や顔擬も会いたがっていると言っていたことだし、調子を聞くだけであっても、行ってみても良いのかもしれないと思っていた。
「あれ、でも泳ぎの特訓はしないの? ラオと二人でしてたよね?」
「俺にだって気分がある。戻ってきたらまたするよ」
「あー出た出た後回し。けど、ザイってあの商い屋のこと気になってたんじゃないの? 何とかした方がいいんじゃ……」
「屋敷長には、オミとゲランさんで話をつけてくれるって。そこで考えてみてほしい。俺だったら嫌だぞ。あのゲランさんが押しかけてきたら怖えだろ」
「正論。じゃあ大丈夫だな」
「ゲラン教育師、医療担当でそんなイメージってなかなかないよね……」
俺たちの会話に苦笑いを見せたウィンだが、確かに適切な利用の仕方では、ゲランさんの横暴さは身にしみないだろう。
「じゃ、俺たちはそういうことだから、ウィンまたな」
「うん、行ってらっしゃい」
ウィンとはこの場で別れ、俺たちは〈暗黒〉に行くべく、ラオの部屋まで歩いた。しんと静まる室内で、意識を繋げるために視界を閉ざす。
そういえば、俺たちは慣れもあって行こうと思うとすんなりと行けるが、原理は分からない。きっと、俺たちの中にいる〈暗黒者-デッド-〉が、俺たちの援助をしているんだろう。そう、勝手に思ってみる。
......
『なるほど、適当だな?』
〈暗黒〉に来て穏慈に会い、来た経緯を話すとそう返された。一言で言えばそうとも言えるかもしれない。
『……ところでザイヴ、もう大丈夫なのか』
「え? ああ、俺は大丈夫。もうピンピンしてるよ。何か、本当に気持ち悪いのがないね。顔擬たちは?」
以前来た時は、まだ身体がぼろぼろに崩れていたが、今は俺でも分かる。聞いていた通り、今の〈暗黒〉は、とても落ち着いている。
『ああ、あいつらはもう大丈夫だ。吟も驚くほどの回復だぞ。会ってみるか?』
『何だ、貴様ら来ていたのか』
「あ、薫。こないだはありがとな」
穏慈からの答えを受けて、内心ほっとした。それとほぼ同時に現れた薫に驚くこともなく、その突拍子もないことに対する驚きを見せることもなくなったことを自覚する。それは、俺たちにとって良いことなのか、どうなのか。
秀蛾や顔擬に会いに行くついでに、深火の様子も見ておきたい。方舟に守られていたとはいえ、ダメージは受けていたはずだ。
そのこともあり、まずは空間としての経過を詳しく知るために、吟のもとへ行くことにした。久しく怪異の背にまたがって、俺とラオは髪をなびかせた。
暗い中を通る俺は、自身に与えられている役目のことが頭から離れなかった。〈暗黒〉に来ると、それを意識してしまう自分に、まだ自信がないということを知らしめられる。
いつかいらなくなるという表裏の繋がり。それを断ち切るというのは、いつになるのか。
頃合いが近づいているかもしれないこと、断ち切ることで起きること。本当の意味でそれを知っているのは、本当の〈暗黒者-デッド-〉だけなのだろうか。
考えたいわけでもないその回廊のようなそれは、暗闇で俺の脳を支配するのには、足りすぎていた。