第百三十一話 黒ノ明カサレタ闇
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「……私は、道具なんだよ。あの人達にとって、悪いところを被る、都合のいい道具。知らない罪が重なって、親の都合や権力に振り回されて」
話すソムの声は震え、まるで凍えているかのようなそれに、僕は無理やりにでも話を止めようとその肩を揺すった。
「もういい、喋るな」
声に力がなくなって、多分、自分でも分からなくなっている。僕の制止も聞こえていないのか、ひたすら頭を抱えて「どうしよう」と呟く。それだけの恐怖対象が、今屋敷にいる。それは、大きなストレスがかかっているに違いない。
「もしかして……今でも利用されているのかな。確かめてやめさせないと……どうしたら……どう、し」
「ソム!」
思い切って、ソムの両肩を掴んで顔を見た。僅かに肩が跳ね上がったものの、目線を合わせたことで、震えたソムとようやく目が合った。
「落ち着いて、まだ惑う時じゃない。それと、確かめるなら僕がする。ソムがそうしたトップの家の娘という肩書のある立場なら、下手に動くと狙われる」
ソムは一呼吸置いて、僕の話を聞いていた。それから少し目が逸れて俯いていたが、ハッとして言う。
「わ、……私がここにいるって、知られるんじゃ……」
「そうなっても、知った以上は僕がフォローする。……とりあえず、温かいお茶でも淹れてくる。それで少し、落ち着いたらいい」
そう言い残して、ソムを座らせたまま茶を淹れるために立った。その、すぐ後ともいえる時、何かが倒れる物音がした。様子を見に戻ると、ソムが力なく倒れているのが目に入った。
慌てて駆け寄って揺すると、唸るような声が聞こえてきた。どうやら気を失っているだけのようだが、余裕のなさが窺える。もう少し早く、話を切り上げれば良かったかもしれない。
いや、それよりも。早いうちにその商い人に、それとなく確かめるべきだ。
ソムをベッドに寝かせて向かった先は、現在心療中のザイ君の自室。ソムの話は伏せて、事情ができたことを伝える。当然のように協力すると言うザイ君だが、あまり首を突っ込ませたくはないため、丁重に断る。
ザイ君には気持ちを落ち着けて水に慣れるようになっていてもらうことをお願いすると、不服そうな顔を見せながらも、話を受け入れてくれた。そしてそのまま、ラオ君のところに行くと言い部屋を施錠して行ってしまった。
それから、ソムの話に出てきたビグラス=ネロを探し、先程ソムと遭遇した付近をはじめ、屋敷長が案内しそうな広間、教育師室などを回っていく。そのうち、屋敷長が誰かと話しながらこちらに向かってきていることに気がついた。
そしてついに、次第に大きくなる話し声が、目の前で途切れた。もちろん、その声の主は僕の視界に入った。
「おや、ガネ教育師。休憩中かい?」
「まさか、これでも忙しいですよ。そちらは?」
「私は商い屋、アマブレサペーレを営む、ビグラス=ネロです。以後お見知りおきを」
つまり、今目の前にいるのはソムの父親ということになる。ソムの父親であるだけあって、少しだけ似たところもある表情をしているが、どこか、こちらを見ていないようにも思える。
「……以後? どういうことですか?」
「彼にはここに商いに来てもらえることになったんだよ。君もどうだ、物を見てみないかい」
「いえ、興味ありませんので」
彼本人へ少し敵意を向けて答えると、僕の言葉を聞いた彼は、ずいっと寄ってきて商いの状態の説明を始めた。
確かに、売り込みには向いた人だと思えるほど、口がよく回っている。ただ、口こそ回るものの、僕としては大して魅力を感じることができなかった。
それは、ソムの話からもった評価があるからだろうが、それを差し引いても、なかなか興味を引くような紹介は出てこなかった。
「興味がないと言ったのが聞こえませんでしたか? そんな無理やりな手法では、客も家族も逃げますよ」
仕掛けるために、少し強い口調で跳ねのけてみると、顔色が変わった。ピタリと口が動かなくなり、僕をじっと睨んできた。
その時に僕の異様な眼に気付いたようで、口角を少し上げて再び口を開いた。
「旦那、その眼でお悩みでは?」
「……今度は僕の機嫌損ねてくれるんですか? 甚だ鼻につくサービスですね」
この短時間ではあるが、彼の性格が少しだけ見えた。ビグラス=ネロのこの態度からして、ソムにしてきたこと、僕に話したことは、間違いではなさそうであること。
ただ、あくまでも僕の推測でしかない。
そして、ソムを利用しているかどうかまでは見当がつかない。
「あ、そうだ、屋敷長。少しだけお時間良いですか? 部外者の前ではちょっと……この部屋で」
僕の様子を見ていた屋敷長も察しがついたようで、ビグラス=ネロに詫びを入れ、室内に入ってきた。屋敷長のこの融通の利き方は、本当に助かる。
「話しぶりからして、何かあるようだね」
話の流れを作った屋敷長に乗り、先ほどソムに聞いた話をかいつまんで伝える。そして、ここでの商いはやめてもらいたいということも。
ソムは今、気を失って倒れてしまうほど怯えている。それを知っていて放っておくことはできない。
「なるほど……。彼女の身に起きていたことを知らなかったとはいえ、可哀相なことをしたようじゃ……。しかしすまん、昂泉のネロ家と聞いた時にソム教育師の親族だと思って話をしてしまった」
「……それなら尚更です。お引取りをお願いします。僕の勝手ではありますが、僕が聞いた限りの話がある商い屋に出入りされるのは、屋敷としての機能にも支障をきたしかねません」
屋敷長は、困ったように首を傾げる。すでに契約を済ませているのか、一足遅かったと僕も考え込む。
すると、外からのノックが聞こえ、ビグラス=ネロが入ってきた。
「君はソムと親しいのか? ソムが言ったのか? そんな根も葉もない話を」
「……ソムは仕事仲間です。彼女の様子は明らかに変でしたし、僕から見れば、ソムの方が何百倍も信用できますよ」
ビグラス=ネロはグッと口を閉ざし、身を一歩引いた。呆れた僕は、言いたいことだけは伝えた、とだけ屋敷長に言い残して、ソムのもとに戻った。
部屋に戻ると、ソムはまだ眠ったままで、起こすのも悪いかと、ルノに話をつけに行った。
▽ ▲ ▽ ▲
「……う、ん……? あれ……」
気を失っていたようで、私はガネの部屋で目を覚ました。ガネはいない。部屋を見渡してみるが、やはりしんとしていて、何かが動く気配もない。
他人の部屋に一人で残っているのも申し訳ないと、自分の部屋に戻るために、ふらつきながら通路を歩く。そんなところで、あの場に置いてきたノームと出くわした。
「大丈夫? 急に走って行っちゃうから……。顔色、悪くない?」
「……大丈夫。少し休んだから」
「部屋まで送るよ?」
気遣いは嬉しいものの、心配をかけてしまったことを詫びて、断った。ノームの目の前で逃げ出したから、ノームはかなりの心配をしていたようだ。彼女には事情を話していないこともあり、「何でもないから」と、自分からその場を離れた。
すると、今度は声が聞こえてきた。二人いるらしく、会話をしている。
「……!」
その声を聞いて、また足がすくんだ。このままだと鉢合わせになってしまう。何とかしたいけれど、場所が悪い。次第に大きくなる声を聞きたくなくて、耳を塞いでしゃがみ込む。
(……お願い、こっちに来ないで……っ)
「ソム」
小さく、私を呼ぶ声。それは知っている声で、落ち着いていて、私も少しだけ安心した。顔を上げると、私の話を聞いてくれた彼が、私に合わせて屈んでいた。
「ガネ、どうしよ、こっちに来てる……!」
「屋敷長が、ソムの身のことを知らずにここにいることを話したらしい。だから、寧ろ堂々としていればいい。でも、まだ……そんな余裕無いか」
「……え?」
私の腕を引いて立ち上がると、声のする方とは反対に向き、私の少し後ろに立って、背中を押す形で手を添えた。
「ついて来い」
そんなやりとりをして歩き出そうとした時、その二人がこちらの姿を捉えたようで、あの人が「おい」と低い声を放った。
ガネは振り返ることもなく、背中を押してゆっくりと歩いてくれた。私はそれに合わせて、何も言わずに押される方に歩いた。
しばらく歩くと、ガネは立ち止まって私から離れた。
「少し強引だったか……でも良かった、鉢合わせる前に見つけられて」
「……探してたの?」
「今の状態のソムがいなくなっていたら、嫌でも心配するだろ。部屋に戻るなら、送る」
「ありがと……」
ガネがこうしていてくれるけれど、あの人はいつまで、この屋敷を彷徨くつもりだろうか。いつまで、息苦しい思いをすればいいだろうか。
商い屋である以上、長期間店を空けることは考えにくい。少しでも早くここを離れてほしいところだ。
急激な疲労を感じる。一人になるのは心細いけれど、部屋にこもって寝ていたい。
ため息をつくと、ガネは私を励ましてくれた。いつからこんなに優しかったのか、私はその優しさに甘えそうになっていた。
「……一つ、提案がある。きっと、そろそろ屋敷からは出て行くとは思うけど、妙に気になる」
「気になるって?」
「ソムが僕に話してくれたことを、かいつまんで屋敷長に伝えて、商いをやめてもらうように頼んだ。もちろん、一対一で。でも、聞き耳を立てていて、僕の話に突っかかって来た。もしかしたら、他にも何か考えているかもしれない。ソムに危険が及ぶ、ということも」
「!!」
「もちろん、そんな危険にさらすつもりはないけど……実地調査、行ってみないか」
昂泉に行く、そういうことだ。思わず身が硬直するが、ガネの話を聞くと、ただ待っているのも危ないのかもしれない。
それに、ガネ一人で調査に行っても、難航するかもしれない。私の問題なのに、私がいないままに調査なんて進まないはず。
「本気……なんだよね?」
「僕はそういう適当は言わないだろ。ついでに、ホゼの情報も得られれば一石二鳥だ」
あまり気は進まないけれど、ガネは私のために動いてくれている。私が何もしないで解決を待っているわけにはいかない。ホゼのことも、ガネの言う通りだ。
「……分かった。行ってみても、いいのかも、ね」
「ソムは部屋にいていい、僕が屋敷長に交渉してくる」
私を部屋まで送り届けて、ガネはすぐに屋敷長のところに向かった。
▽ ▲ ▽ ▲
ガネさんに話を聞いて、ラオの部屋を訪ねると、ウィンと一緒にカードゲームをしていた。
それに混ぜてもらい、飽きてきた頃。ガネさんの代わりになるのはラオくらいだと、付き添ってもらって水溜槽に向かうことにし、意気込んでいた。
「ウィン、今から、水対応、してくる!」
「がん、ばっ、てね!」
「ねえ、大丈夫なの……?」
少し落ち着いていた俺は、ついに自分から水を克服しに行く。ゼスに突き落とされた水溜槽で、俺がどこまで平気でいられるかは定かでないが、一人で行くわけではないということから、多少の安心感をもっていた。
「じゃあ、気が変わらないうちに行こう」
「そんなすぐ変わんねーよ!」
ウィンは自然魔の扱いを練習するためにノームさんに声をかけに行くと言い、一足先にラオの部屋を出た。
それにしても、ガネさんが言っていた事情。あれからガネさんを見かけないところをみると、俺は関わるな、とか、そんな理由で教えてくれなかったのだろうが、正直気にならないわけがない。
「そういえば、どれくらい泳げるんだっけ」
その言葉で、目の前の課題へ意識が向けられる。
「……蹴伸び」
「そうだった……」
そのラオの、どうしよう、と言いそうな顔に、俺は何も言えなかった。